第三十九話「契約」

「特定には至らぬが、ある程度絞り込む事は出来る」
「本当?」

 私は半信半疑だ。ただ一人、この世界の真実に気付いたギルガメッシュの洞察力は人並み外れているけれど、さすがにヒントが少な過ぎる。怪しもうと思えば、誰もが怪しく見える。

「少しは自分でも考えてみたらどうだ? そう、難しい話ではない」
「そんな事言われても、私なんかじゃ……」

 慎二の部屋に置いてある――雁夜おじさんから昔貰ったという――ミステリー小説を読んでも、私は探偵が謎を解き明かすまで真実の一端すら見抜けなかった。そんな私にこの複雑怪奇な現象の真実へ至る事など不可能だ。
 けど、ここで考える事を放棄し、解答を求めたら、|ギルガメッシュ《かれ》は私をどう思うだろう。きっと、期待外れと思われる。魔術に精通しているわけでも無く、運動能力に優れているわけでも無いのに、この上、頭を使う事すらしない怠け者と思われたら、見捨てられてしまうかもしれない。
 とにかく、考えなければ始まらない。少しでも、ギルガメッシュの期待に応えられるよう、努力しなければならない。
 
「……えっと、えっと」

 駄目だ。全然、考え付かない。考えれば考える程、頭に靄が掛かったみたいに思考が鈍くなる一方。不味い、涙が浮かぶ。
 私って、本当に何の取り得も無いんだ。良く考えたら、学校のテストでも毎回平均点を大きく下回っていて、登校する度に皆から見下すような視線を向けられてばかり。そんな私に全ての謎の答えどころか、黒幕の正体を絞り込む方法なんて、分かる筈が――――。
 
「答えはある。凛、お前は既に我が提示した問いに対する答えに至る為の術を手にしている」

 いよいよ涙が零れそうになった時、ギルガメッシュが諭すように言った。その言葉はまるで、乾いた土に水が吸い込まれていくかのように私の心に染み渡った。
 答えはある。そして、ソレに至る為の術を私は既に持っている。噛み締めるように私は心中で呟き、聖杯戦争で経験した数々の出来事を一つ一つ思い出し、整理する事にした。
  初め、私は臓硯の指示によって、『世界で初めて脱皮した蛇の抜け殻の化石』を使い、ギルガメッシュをアーチャーのクラスで召喚した。そして、彼と共にまず、ランサーとそのマスター、バゼット・フラガ・マクレミッツと戦い、敗走した。アーチャーはランサーに対し、優勢に立っていたけれど、バゼットの持つ逆光剣・フラガラックによって、心臓を射抜かれた。霊核を破損したアーチャーは自身の宝具を使い、辛うじて消滅を免れたけれど、回復するまでにはかなり時間が掛かった。
  そんな折、ライダーのマスター、フラット・エスカルドスが宴を催した。どうやら、彼は英霊と友達になるという斜め上の発想の下、この聖杯戦争に参加したらしく、あの宴も純粋に親交を深める為に催したらしい。
 宴の最後にルーラーがその存在を顕にし、全陣営のマスター、あるいは、サーヴァントが顔を揃えた。その翌々日、アーチャーから渡された魔導書を読み解く為に辞書を買いに書店へ赴いた私は彼女と出遭った。
 イリヤスフィール・Ⅴ・E・衛宮。実の所、彼女とは初対面では無かった。十年前、私は最後の決戦の場で両親の傍で震えていた彼女を見た事があった。彼女は女の私から見ても、とても魅力的な少女に成長していた。私とは大違い。でも、嫉妬はしなかった。ただ、嬉しかった。私と正反対の道を歩き、幸せを手に入れた彼女の事を私は素直に祝福した。
 彼女とはその時が初対面だったけれど、彼女の事自体はもっと前から知っていた。前回の私の相棒であるアーチャーのサーヴァント、エミヤシロウの記憶の中に彼女の存在があった。エミヤシロウの義理の姉という立場にあり、残酷な運命に翻弄されながら、若くして、その儚い命を散らせた。
 そんな彼女が今、幸せに生きている。エミヤシロウの夢の中での私達とは立場が真逆になった感じだけど、とにかく、彼女が幸せになれた事が嬉しかった。その事に嘘偽りは無い。
 彼女と出遭った後は正に怒涛の展開というやつだった。まあ、発端を作ったのは私だったんだけど……。
 エミヤシロウとは違う、この世界の彼、新海士郎との出会い。藤村大河との出会い。イリヤとの戦い。クロエとバーサーカーとの戦い。クロエの夢幻召喚。アーチャーの乖離剣の発動。ヒッポグリフに跨るライダーとルーラー。ファーガスの襲来。天地乖離す開闢の星の発動。アーチャーが感じた違和感。奇妙な夢。慎二を喰らったアサシンの襲来。円蔵山での戦い。世界の終焉。
  頭がパンクしそう。あまりにも情報が多過ぎる。まず、気になった点をピックアップする事にしよう。やはり、一番重要そうなのは七日目の夜に見た奇妙な夢だろう。あの夢の中で私は今のギルガメッシュと共に洞窟を歩んでいた。恐らく、あの洞窟は円蔵山の地下大空洞へ続く道。
  この夢から醒めた後、アーチャーはこう言った。
 
『我を謀るとは良い度胸だ』

 彼はこの時、何かを確信したに違いない。恐らく、この世界が箱庭で、時間が幾度と無くループしているという事に気付いたのだ。だとすると、あの夢はただの私の脳が見せた幻覚などでは無く、実際に起きた出来事の可能性がある。
 もしかすると、あの夢の出来事こそが全ての始まり、一週目の世界での出来事なのかもしれない。だけど、気になる点が一つある。私が今のギルガメッシュを召喚出来たのは、彼曰く、私が前向きになったからだそうだ。一週目の私が前回の私と同じ状態だったなら、召喚されるのは前のアーチャー、即ち、成熟期に至ったギルガメッシュである筈。
 あの夢は一週目の出来事を映したモノでは無かったのだろうか……。
 
「ああ、一つ重要な事を言い忘れていた」

 行き詰っていると、不意にギルガメッシュが言った。
 
「我は乖離剣を持っていない」
「え?」

 乖離剣を持っていないって、どういう意味だろう。首を傾げる私に彼は言った。
 
「アレは全ての理を理解し、成熟期に至った|ギルガメッシュ《オレ》のみが持つ事を許された剣だ。故、今の我の蔵には入っていない」

 ギルガメッシュは重要だと前置きをして乖離剣を所有していないと言った。つまり、答えに至るにはその事を念頭に入れて考えなければならない、という事だ。
 乖離剣とは、世界を斬り裂く対界宝具だった。そう言えば、彼が最初に違和感を感じると言ったのは、乖離剣を使った直後だった。それに、彼はその違和感を確かめる為に再び乖離剣を使おうとした。

「成熟期のギルガメッシュは乖離剣によって、箱庭に亀裂を入れる事が出来た……」

 私が呟くと、ギルガメッシュは薄く微笑んだ。どうやら、私は正解に一歩近づく事が出来たらしい。
  この考えが重要である事は疑いようが無い。だから、ここからはこの考えを念頭に入れて推理を進めていこう。
 気になる点はもう一つある。私とルーラーが記憶を持ち越す事が出来た事に関してだ。アーチャーが何らかの手段を講じたであろう事は間違い無いだろう。けど、具体的にどんな方法を取ったのかは分からない。あの時の状況を良く思い出してみよう。
 私は首下からアーチャーに渡された小袋を提げていた。そして、私とルーラーはとても近くに居た。更に、アーチャーは乖離剣によって世界を斬り裂いていた。
 ここで重要なのは、私が首から提げていた小袋とアーチャーが世界を斬り裂いていたという点だ。その二つが記憶を持ち越す為に必要不可欠な要素だとすれば、あの夢の記憶はどうやって閲覧したのだろうか? だって、記憶を持ち越す為に世界を斬り裂く必要があるのなら、今の乖離剣を持たないギルガメッシュの状態では不可能という事になる。

「あの夢はやっぱり、一週目の記憶……?」
「辿り着いたか! ならば、我が問いの答えは直ぐそこにある」

 あの映像が一週目の記憶であるなら、一週目の私は少なくとも今の私のようにある程度前向きだったという事? 大きな違和感を感じる。
 落ち着いて、もう一度初めから考えてみよう。まず、一週目の私は今のギルガメッシュを召喚した。つまり、一週目の私は少なくとも今の私程度にはポジティブだったという事になる。
  その考えが導く答えは一つ。前周回の私は――――。
 
「何らかの理由で一週目の状態よりも思考がネガティブに陥っていた?」

 何らかの理由って、何だろう。洗脳? 
 
「着眼点は良いが、そこはあまり問題視しなくていい」
「え?」

 かなり重要な点だと思うのだけど……。
 
「凛。人の記憶と性格には密接な関係性がある。日々の記憶によって、人間の性格は形作られていくからな。――――が、人間の性格の核というのは中々に強固なものだ。例えば、記憶喪失に陥った人間の性格が変化した、という事例は確かにある。しかし、その変化も表層的なものに過ぎない事が大抵だ」
「表層的なもの……?」
「つまり、記憶喪失による性格の変貌とは、性格そのものの変化を指すのではなく、対人関係の変貌とイコールを結ぶ事が出来るのだ」
「対人関係の?」
「例えば、親しい人間に対して、見ず知らずの人間に対するのと同じ態度で接する人間は少なかろう?」
「うん」
「記憶喪失とは、そういった関係性を白紙に戻すのだ。つまり、親しい人間に対して向けていた顔が見ず知らずの人間に対して向けていた顔に変化するのだ。客観的に見れば、記憶喪失によって、性格が変化した、と捉える事も出来る。だが、主観的な変化は一切起きていない」

 言いたい事は理解出来たと思う。けど、今、重要視している問題点とその話の関係性が見えて来ない。
  眉を顰める私にギルガメッシュは苦笑した。
 
「凛。この箱庭の世界を黒幕が作り上げたのはいつだ?」
「え? それは一週目でしょ?」

 何を当たり前の事を、と思い首を傾げる私にギルガメッシュはわざとらしい程大きな溜息を零した。
 
「その一週目のいつか、と聞いているのだ。一週目なのは当たり前だろう」
「うっ……」

 哀れみすら篭った視線を向けられて、居た堪れない気持ちになった。
 
「えっと……」

 とにかく、ちゃんと考えてみよう。黒幕がこの箱庭を構築したのは……。
 
「あっ! そっか、黒幕が聖杯に触れた後! っていう事は、つまり――――」

 ギルガメッシュの話と私の思考は繋がった。
 
「この箱庭が作られたのは聖杯戦争の終結後なのね? そして、聖杯戦争中の記憶を抹消された。だから、私は前周回で過去の周回の記憶を持っていないにも関わらず、一週目とは違い、成熟期のギルガメッシュを召喚するような、何て言うか、諦観した性格になっていた」
「漸くだな。正直、その程度の答え、ヒント無しで辿り着いて欲しかったのだが……」
「ご、ごめん……」

 ギルガメッシュが溜息を零す。
 
「恐らく、一週目の聖杯戦争中に何かが起きたのだろう。お前の性格が捻じ曲がるような何かがな。だが、今、重要視すべき点はそこではない。重要視すべきは一週目の我が今の我である点だ。恐らく、こと戦闘能力においては最強状態であるこの我である事を念頭に入れ、思考を進めてみよ」

 戦闘能力最強の状態のギルガメッシュ。彼は乖離剣を持たないものの、それを補ってあまりある白兵戦の能力を有している。そして、王の財宝も……。
 ギルガメッシュのヒントによれば、重要なのは全ての始まりである一週目。そして、ギルガメッシュが今のギルガメッシュである事。
 黒幕を絞り込む方法……。黒幕とは、一週目で聖杯戦争に勝利し、聖杯を使った七人のマスターの内の一人。少なくとも、私では無い筈。だとすれば……、
 
「待って……、じゃあ、黒幕は一週目のギルガメッシュに勝利したという事?」

 脳裏に稲妻が迸ったかのような衝撃を受けた。彼に視線を向けると、深い笑みを浮かべている。
 
「ああ、そうだ。しかも、最強状態の英雄王たるこの我を打倒したのだ。それがどういう事を意味するのか、分かるな?」
「つまり、黒幕は最強状態の貴方を倒す手段を持つ者なのね! そして、それこそが黒幕の正体を絞り込む方法!」

 漸く、彼の期待に応える事が出来たみたいだ。彼は微笑んだまま、私にワインを注いでくれた。
 
「時間は掛かったが、合格だ」
「あ、ありがとう……。でも、殆ど答えまで貴方に導いてもらう形になっちゃったわね」

 何だか、認めてもらえたみたいで嬉しい。はにかみながら言うと、ギルガメッシュは唐突に声を硬くして言った。
 
「――――凛。お前は一々卑屈になる性分らしいな」
「え?」
「我は王として、お前のような者も数多く見て来た。直ぐに直せと言って、直せるものでは無い事も承知の上で言う。直せ」
「えっと……」

 確かに、私は自分でも卑屈な思考をしている時が多々あると感じている。でも、直せと言われて直せるなら、そもそもこんな思考には至らない。
 眉を八の字に曲げ、情け無い表情を浮かべる私にギルガメッシュは言った。
 
「お前の性格はこの十年間の経験が形作っているのだろう。反骨心を矯正され、徹底的な隷属を強いられてきたのだから、思考がネガティブに陥るのも分かる。だが、今のお前には我が居る」
「アーチャー……?」

 ギルガメッシュは真っ直ぐに私の顔を見つめている。とても真摯な眼差し。
 
「何者も、何事も、恐れる必要など無い。いいか、凛。しかと心に刻め」

 ギルガメッシュは口元に笑みを浮かべると大仰な仕草と共に言った。
 
「この世で最強の英霊たるはこの我だ。故に、お前はただ、胸を張って前のみを向いて居れば良い」
「アーチャー」
「これより、貴様が挑むは他者の運命すら犯しつくす者。この我ですら呆れる程の強欲を是とする者。後ろなど、振り向いている暇は無いと知れ!」
「……私に、出来るかな?」

 つい、そんな言葉を口にしてしまった。自信の無さの吐露など、彼は聞きたくないだろうに、それでも、私は問わずに居られなかった。
 彼の表情を見るのが怖い。これほど、私の事を思い、言葉を重ねてくれる人は初めてで、期待を裏切りたくなど無いのに、弱音を吐いてしまった事に深い後悔を抱く。
 けれど、彼の顔に浮かぶのは失望ではなく、不適な笑みだった。
 
「出来る。自信を持て、凛。貴様は既に示したではないか、自らが無理だと口にした事をやってのけたではないか!」

 それって、あの問答の事?
 
「それは、貴方が道を示してくれたから……」
「ならば、幾度なりと、示してやろう!」
「アーチャー?」
「言っただろう。この我がついているのだ、と。貴様は一人では無い。他でも無い、この我が共に歩んでやるというのだ。恐れるな。惑うな。この我を信じ、己を信じよ、凛!」
「……私」

 出来るのだろうか?
  何の取り得も無い私でも、この複雑怪奇な謎の答えに至る事が出来るのだろうか?
  ギルガメッシュを見る。そうだ、私には彼が居る。この世で最強の英霊。人類最古の英雄王。無敵無類の大英雄。
 一人じゃないんだ。十年間の拷問生活とは違う。今は味方が居る。しかも、その味方は天上天下、現在過去未来において最強の|英雄《ヒーロー》。
 出来る。彼が共に居てくれるなら、出来る筈だ。
 
「私……、私は!」
「――――凛。お前にこの謎に挑む意思があるか?」

 思いの丈を全て篭め、私は立ち上がり、顔を上げた。吐き出すように叫ぶ。
 
「あるわ! 私はこの謎に挑んでみせる! だから、私に力を貸して! 私を導いて、ギルガメッシュ!」

 ギルガメッシュは深い笑みを浮かべ、立ち上がり、私に向かって拳を突き出した。
 
「承った、マスター」

 私は感極まり、涙を零しながら彼の拳に拳を打ちつけた。
  こんなにも嬉しい気持ちになった事は無い。私は一人なんかじゃない。最強の英霊が、人類最古の王が、私を助け、私を導いてくれる。
 今なら、何でも出来る気がした。ううん、出来なきゃ嘘だ。出来る!
 
「これから、よろしく頼むわ、ギルガメッシュ」
「任せろ。これも先達者の務めだ。あまねく敵を斬り裂く剣となり、全ての謎へ至る道標となろう」

 打ち付けあった拳を広げ、私達は手を取り合った。

「――――ここに、契約は成った」

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。