第三十三話「ワールド・エンド」

 |意識《じぶん》が消えていく。書き換えられていく。暗闇の中、もがけばもがくほど、私の中から私が失われていく。
 彼女――名前が思い出せない――と出遭ってからの日々が失われていく。覚えたばかりの名称が失われていく。大切だった筈の人達の顔が思い出せない。
 嫌だ。こんな所に居たくない。忘れたくない。早く、ここから出ないといけない。
 無い筈の足を必死に動かして進む。奥へ、奥へ、とにかく奥へ。逃げ惑うように奔り続ける。

――――エラー。乖離剣発動の影響により、テストケース001297に致命的なバグが発生。

 光が見える。手を伸ばし、掴もうとすると、見えない壁によって阻まれた。
 届かない。あとほんの一メートルくらいなのに、その距離が絶望的に遠い。
 呑み込まれていく。僅かに残っていた|意識《じぶん》が刈取られていく。

――――エラーの修正開始。

 あと少しで取り戻せる気がする。あの光に届きさえすれば、全てを手に入れる事が出来る筈。
 ワタシの祈りは叶う筈。

「――――イリヤさん、起きて下さい」

 それはとても穏やかな声。光も音も無い世界に突然降って湧いた聖女の声。
 いつの間にか、私は体を取り戻していた。背中に彼女の体温を感じる。
 闇は晴れた。けれど、光は遥か遠い場所に逃げてしまった。
 
「……ルーラー?」

 失われた筈の記憶は何一つ失われていなかった。
 私を抱き締める彼女の名を私は覚えている。彼女と出会った瞬間から今に至るまでの記憶も鮮明に残っている。
 何だったんだろう、今のは――――。

「……逃げてください、イリヤさん」
「――――、え?」

 瞼を開いた時、瞳に移った光景は地獄だった。最初に目に付いたのはママの服と同じ色合いの布に包まった赤い肉塊。
 次に映ったのはまるで生け花に使う剣山のように刃を体から生やして息絶えているパパ。
 絶望より先に混乱が訪れた。眠っている間に何が起きたのかを理解出来ない。

「逃げて、早く。フラットを連れて、ここから――――」

 弱々しい声。ルーラーに視線を移すと、彼女も死に瀕していた。

「ルーラー……?」
「裁定者として、このような真似をしては失格ですが……二人はサーヴァントを失っている訳ですし……」

 言い訳をするように呟くと、その拍子にルーラーは血の塊を吐き出した。

「……聖杯戦争はこれで終わりです。勝者はアーチャーに決まりました。結局、私が現世に召喚された理由は……」

 その言葉を最期にルーラーは意識を失った。もはや、彼女の死は揺るがない。後半刻も待たずに消滅するだろう。
 岩肌に覆われた広々とした空間内に私は取り残された。ふと、隣を見ると、フラットが倒れ伏している。意識が無いけれど、息はあるみたい。
 少し離れた所で音が鳴り響いている。ルーラーに逃げろと言われたにも関わらず、私はフラットを置き去りにして、音の方へと歩を進めた。そこは荒野だった。さっきまで居た空間よりも一層広い。
 その中央にソレは位置していた。脈打つソレの前で二騎の英霊が戦っている。一方はアーチャーのサーヴァント。もう一方はランサーのサーヴァント。バゼットの姿を探すと、まるで、打ち捨てられた人形のように荒野の隅に転がっていた。僅かに胸が上下しているけれど、呼吸が酷く弱々しい。死ぬのも時間の問題だ。
 バゼットが居ない以上、ランサーの勝機は無い。彼一人ではどうあっても、アーチャーに対抗する事は出来ない。だから、ルーラーは終わったと言ったのだ。この戦いの結果が見えているから……。
 
「セイバー……、どこに居るの?」

 頭では理解出来ている。彼女がどうなったのか現状を見れば容易く想像出来る。
 だけど、認められない。心がその想像を否認する。

「セイバー……、どこ?」

 探す。探し続ける。どこにも居ない彼女を私は只管探し続ける……。

第三十三話「ワールド・エンド」

 黒い柱の下、アーチャーとランサーは雌雄を決する為に戦い続けている。最初にアイリスフィールがアサシンに殺されてから経過した時間は僅か半刻。
 凛がアサシンを殺し、セイバーが襲来したファーガスを道連れにし、令呪を行使しようとしたルーラーをアーチャーが致命傷を負わせるのに要した時間はたったそれだけ。
 決着も早々に着くだろう。勝者となったアーチャーとそのマスターが何を願うのかは分からない。分かるのは、黒い柱がその願いを確実に災厄として叶えるという事。

「――――これ、は」

 イリヤが立ち去った後、ルーラーは辛うじて散っていく意識を拾い集め、立ち上がった。
 啓示が下りたのだ。まだ、やるべき事がある。責務を果たせ――――、と。
 
「これを破壊すれば良いのですね……、主よ」

 ルーラーは確信した。夢幻召喚では無い。己をこの地に喚び寄せた理由は別にあった。
 思えば妙だった。過去の聖杯戦争に参加した英霊の情報をマスターが自らの身に降ろす行為は確かにルールから極めて逸脱したものだ。けれど、裁定者を召喚する程、聖杯戦争の枠組みを決定的なまでに破壊するものでは無かった。現に、クロエもイリヤもアサシンも、夢幻召喚を行使した者は悉く敗者の側に居る。
 アーチャーの圧倒的な力がその最たる理由ではあるものの、この結果を顧みれば、裁定者を喚び出す程の事態では無かった事が分かる。ならば、己が喚び出された理由は何か?
 解答は目の前にある。これほどまでに圧倒的な世界への脅威は稀だ。死を撒き散らす事のみに特化した存在。これを排除する事こそが裁定者たる己の責務。

「……終わりましたね」

 決着は呆気ないものだった。ランサーはアーチャーに殺され、アーチャーが勝者と決定した。
 ルーラーは歩を進める。イリヤの姿が確認出来ない。此処に向かったのかと思ったが、どうやら、逃げたらしい。
 哀れな少女だ。平凡な人生を歩んでいたのに、突然、このような異常な戦いに巻き込まれ、両親を失った。フラットを連れて行って欲しかったけれど、そこまで期待するのは酷というものだ。
 せめて、彼女の今後の人生がより良きものとなる事を祈ろう。

「――――貴様か」

 アーチャーは驚く素振りも見せずにルーラーを睥睨した。

「アーチャー。その聖杯を使ってはなりません」

 抵抗される事は織り込み済みだ。戦う時が来た。
 己が持つ最後の|切り札《ほうぐ》を使う時が来た。

「――――小娘、手を出せ」
「え?」

 ルーラーのクラスに備わる優れた感知能力によってそこに彼女が潜んでいた事は知っていた。
 身を隠す宝具の原典を身から外し、アーチャーのマスターが姿を現した。

「袋は持っているな?」
「う、うん」

 首から何やら小さな小袋を提げている。

「そのまま提げていろ」

 そう言うと、アーチャーは身に纏う黄金の鎧をマスターたる少女に着せた。代わりに神秘の欠片も無い現代の衣装に身を包み、深い笑みを浮かべた。

「――――道化。どうやら、貴様はまだ理解していないらしいな」
「理解……?」
「己が責務を果たしたくば、小娘を守っていろ」

 そう言うと、アーチャーは突然マスターたる少女の服の襟を掴み、乱暴にルーラーへと投げ渡した。

「え、ちょっ!?」
「えきゃ!?」

 投げ渡された少女も受け止めた少女も二人揃って目を丸くしている。
 そんな二人を尻目にアーチャーは背を向け、黒い柱に目を向けた。
 この世のあらゆる悪性を孕む胎盤。その罪を根絶するべく、太古の王がその真髄を顕にしようとしている。あらゆる生命の存在、それ自体を許さぬ暴風が吹き荒ぶ。
 地上を焼き払った乖離剣が今また姿を現した。

「ア、アーチャー!?」

 マスターたる少女の驚愕に満ちた声が響く。彼のその行為は彼女の思惑の外にあるらしい。
 止めなければならない。乖離剣が発する力の波動は前回の発動と比較にならない程強大だ。発動すれば、大地を焼き払う程度では済まない。文字通り、世界が切り裂かれる。
 だと言うのに、啓示がソレを押し留めた。

「何故――――ッ!?」

 主の意向に思わず疑念を持ってしまった。生前、火刑に処される最中も一度たりとも疑った事の無い主を疑った。
 だって、これでは世界の死因が変わるだけだ。この世全ての悪に滅ぼされるか、人類最古の英雄王の一撃に滅ぼされるかの違いだけだ。
 後者の方が苦しまずに済む分、慈悲深いという事なのか。
 
「|裁定者《ルーラー》!!」

 アーチャーの声が轟く。

「黙って見ていろ――――、真実を!!」

 真実。その言葉の真意を問い質すより早く、アーチャーは乖離剣の発動体勢に入った。

「――――さあ、往くぞ、エア。お前にとっても不本意だろうが、これも真実を識る者の務めだ。一つ、教授してやるがよい!!」

 滅びが始まる。後戻りの出来ない終わりが始まる。
 何故、何故なのですか、主よ。
 ルーラーは問う。只管に、この現状を問い続ける。
 主が己をこの地につかわせた真意を問い続ける。
 
「――――ガ」

 滅びの渦は急激に大人しくなった。

「アーチャー!?」
 
 彼のマスターが悲鳴を上げる。
 黒い孔。人一人をゆうに飲み込めるであろう丸い孔がアーチャーの胸に現れている。
 忌々しげに孔を睨むアーチャー。彼の体が捲れていく、アーチャーは自らに空いた穴に、内側から呑み込まれようとしている。

「――――ッハ!!」

 アーチャーは嗤った。

「今更――――、己の危機を悟り、我を謀った罪を悔いているのか? このような強硬手段に打って出るとはな」

 孔は容赦無く広がっていく。されど、アーチャーは強引に乖離剣を振り上げる。

「だが――――ッ」

 体が孔に侵食され、徐々に溶解していく。その苦痛たるや、想像を絶するだろう。
 にも関わらず、アーチャーは不適に笑みを浮かべる。

「我を侮るな!! |天地乖離す開闢の星《エヌマ・エリシュ》!!」

 滅びの光が奔る。前回の発動とは比較にならない暴虐の嵐にルーラーは己の宝具をもって、啓示に従い彼のマスターを守るのみ。
 
「|我が神はここにありて《リュミノジテ・エテルネッル》!!」

 原初の嵐に抗うにはあまりにも拙い守護。けれど、啓示が告げている。

――――その少女を守護せよ。

 世界の滅びを容認しながら、何故、この少女を守れと命じるのか、ルーラーには未だ理解出来ていない。
 けれど、主の命を遂行する事が正しき道であると己を無理矢理納得させ、保有する全ての令呪をもって、己に命じた。

――――啓示に従い、この少女を守る事に全力を尽くす。

 令呪の力はルーラーの宝具を更に頑強なものとした。元々、評価規格外にランク付けをされた守護の力は圧倒的な破壊の嵐の中を耐え抜いている。
 嵐の向こうではアーチャーが孔の浸食に抗いながら、更なる滅びを招こうとしている。

「ッハ!! 我を染め上げるつもりか? 片腹痛い!! 貴様如きに染められるようならば、我は王になどなってはいない!! 滅びるがいい!! |天地乖離す開闢の星《エヌマ・エリシュ》!!」

 もはや、天と地の概念すら失われた。これが生命の始まり、死の概念そのもの。天地開闢の日の再現。
 狭間の闇が全てを呑み込もうとしている。
 これが人類最古の英雄王の真髄。笑ってしまうほどに圧倒的な力。世界が滅びていく。何故、このような事態を目の当たりにしながら、己は黙って見ているのだろうか?
 ルーラーは慄いた。何故、抑止力はこの破壊を是とするのかが分からない。
 |世界の終わり《ワールド・エンド》が天の定めし運命だったとでも言うのだろうか?
 やがて、光が全てを包み込む。何も見えない。何も聞こえない。己の存在が消えていく。
 終わったのだ。世界が終焉を迎えたのだ。あらゆる神話や宗教における終焉の前触れは何一つ実現せぬまま、世界は呆気無く終わった。 

――――|検索《サーチ》開始。
 
 体格。霊格。血統。人格。魔力の適合率を満たす人物を検索――――、完了。
 英霊の|霊格挿入《インストール》準備開始。該当人物に対し、|交信《コンタクト》開始。続いて、対象の|聖痕《スティグマ》を通じ、|接続《コネクト》開始。英霊の完全現界の為に体格、霊格に対し、調整を実行。憑依による人格の一時封印及び、英霊の霊格挿入開始。同時に元人格の同意獲得。素体の|別領域保存《バックアップ》開始。
 霊格挿入完了。体格と霊格の適合作業開始。続いて、クラス別能力付与開始。全英霊の情報及び、現年代までの必要情報挿入開始。別領域保存、並びにクラス別能力付与、必要情報挿入完了。
 スキル『聖人』――――聖骸布の作成を選択。これにより、適合作業終了。全工程完了。サーヴァント、クラス・ルーラー。現界完了。

――――えっ?

 そう、現界が完了した。カレン・オルテンシアという少女の肉体を寄り代に、ルーラーは再びこの世界に降り立った。
 その表情は驚愕に歪んだ。何が起きたのか理解出来ないまま、ルーラーは始まりの痛みを身に受けた。鏡に映るのは異形と化した己。徐々にその姿は一人の少女のモノと変容していく。

「……ジャンヌ・ダルクですか。この身が偉大な聖人の受け皿となれるだなんて、身に余る光栄だわ」

 カレンは嘗ての同じ言葉を一字一句違えず諳んじた。
 カレンの記憶が流れ込んで来る。そこにルーラーの混乱を更に深める情報があった。
 今日が聖杯戦争開始の一週間前であるという情報にルーラーは動揺した。

「どうしました?」

 ルーラーの動揺を感じ取ったのか、カレンが問い掛けた。
 ルーラーは必死に冷静さを取り繕い、カレンに問い掛けた。

――――私と貴女は初対面ですか?

「……はい?」

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