幕間「始まりと終わりの物語」 パート6

「私の事を秘密にしておいて欲しい。私の願いも」
「イリヤちゃんにって意味でいいんだよね?」

 クロエが頷く。フラットは「じゃあさ」と口元に笑みを浮かべてクロエの頬に手を当てた。クロエの目が見開かれる。
 
「これから先、戦いは俺に任せてくれ。それが条件だ」

 クロエの目が大きく見開かれる。
 
「フラット!?」
「事情を聞いたからにはもう、彼女を戦わせたくない」
「で、でも……」

 フラットはしーっと人差し指を口に当てた。
 
「聖杯は俺が取る。そして、イリヤちゃんを必ず救う。その代価として、俺は彼女の愛を頂く。悪い取引じゃないと思うけど?」
「……あなた、まるでゲーテの戯曲に出て来る悪魔みたいだわ」
「メフィストフェレスかい? でも、俺は君達を絶望に導いたりしないよ。必ず、君達の希望になってみせるさ」
「……信じていいの?」
「ああ、信じて欲しい」
「でも、あなたの目的は……」
「愛は全てに優先される」

 フラットはハッキリと言った。
 
「確かに、俺は聖杯に興味なんて持ってなかった。けど、今は違うよ。イリヤちゃんを救う為に聖杯が欲しい」

 フラットは己の相方に視線を投げ掛ける。二人の間に言葉など不要だった。ライダーは何も聞かず、何も言わず、ただ慈愛に満ちた女神の如き微笑みを浮べ、頷くのみだった。

「クロエちゃん。約束して欲しい。もう、二度とイリヤちゃんを戦いの場に向かわせないでくれ。痛みも苦しみも俺が全部引き受ける」
「……フラット。でも、あなたとライダーだけじゃ、セイバーやアーチャーには決して勝てないわ」
「だろうね」
「だろうねって……」

 クロエの責めるような眼差しを真っ向から見据えながら、フラットは言った。

「要は立ち回り方さ。少なくとも、明後日まで待てば、セイバーかアーチャー。どちらか一方が必ず脱落する」

 フラットの言葉にクロエは間桐邸での会話を思い出した。アーチャーのサーヴァントがゲームをプレイしながら言ったのだ。
 
『明後日、我はセイバーと決着を着ける』

 彼はセイバーを最強の敵だと確信している。それ故に、バーサーカーとライダーのコンビネーションによって脱落の危機を迎えたセイバーを彼は救ったのだ。時空を越えて出会った好敵手と雌雄を決する為に。
 明後日、互いに万全の状態を整え、決着を着ける事を誓い合ったという。互いに最強を名乗るに相応しい大英雄。恐らく、その決着は聖杯戦争の決着と同義。
 
「アーチャーとセイバーの戦いに決着が着いた時、戦いの流れは大きく変わる。その時、どう動くかによって、俺達が聖杯を手に出来るかどうかが変わって来る」

 一夜が明け、フラットはイリヤと一日中城の中で過ごした。彼女は情報収集に向かうべきだと主張したが、アーチャーとセイバーの激突による戦局の変化に対応出来るよう、英気を養うべきだというフラットの意見に渋々ながら頷いた。クロエが心の内で彼女を説得した事も功を奏したらしい。
 プールに行けなかった代わりにと、ライダーが提案した樹海の散策に乗り出した三人は城から少し離れた場所に小屋を発見した。その小屋でセラが作った弁当を啄み、楽しい時間を過ごした。
 同じ時間を過ごすに連れ、イリヤのフラットに対する態度の変化は端から見てもあからさまだった。最初は歩く時も座る時も僅かに距離を空けていたが、空が茜色に染まる頃には殆ど距離を空けずに寄り添うようになっていた。
 
「ねえ、イリヤちゃん」
「何かしら?」
「この戦いが終わったら、何かしたい事はある?」

 フラットの問い掛けにイリヤは押し黙ってしまった。彼にはその理由が分かっている。分かっていて尚、待っている。
 微笑みながら答えを待つフラットにイリヤは躊躇いがちに口を開いた。
 
「……故郷に帰りたいかな」
「故郷?」
「アインツベルンの城じゃない。私が昔、両親と暮らしていた街。そこで魔術の事なんて忘れて、勉強やスポーツに励んで……、それで」

 それ以上は声にならなかった。夕焼けの空を見上げながら、イリヤは涙を流した。
 
「イリヤちゃん」

 フラットが抱き締めても、イリヤは彼を拒絶しなかった。出会ってから、まだほんの数日しか経っていないけれど、彼ほど、彼女に優しく接した人間は居なかったから。
 その感情が何なのか、彼女自身にも、彼女の内なる友にも分からない。愛や友情という言葉で形容出来るものとは少し違う気がするから。
 
 夜が更けると、寝室で寝息を立て始めたイリヤを尻目にフラットは城のテラスに出た。彼の後ろには相方と二人のメイドの姿がある。
 
「どこへ行かれるつもりですか?」
「情報集めさ」
「お嬢様に黙ってですか?」

 フラットはセラの表情を観察した。口調もそうだが、表情にも感情の色が全く見えない。これは詰問などでは無く、単なる確認作業に過ぎない。彼女はイリヤの監視を命じられているらしいが、感情を奪ってしまったせいでまともに機能していない。感情とは思考だ。思考が無い以上、彼女はただプログラムされた通りの受け答えをするのみ。
 だから、簡単に騙される。二言三言、空言を並べ立てただけで彼女はフラットを見送った。ただ、厄介だったのはもう一人のメイドだ。
 
「フラット。私も連れて行って」

 もう一人のメイド、リーゼリットはこの提案をどうあっても覆さなかった。弱った事にフラットを疑っての行動では無く、フラットの安全を考慮した上での提案だった。
 純粋な善意。ライダーだけでは戦闘力に不安がある為、力を貸したいと申し出て来たのだ。宝具を抜きにした純粋な戦闘能力に関して言えば、彼女はライダーをも上回る力を秘めている。
 結局、彼女を幻馬に相乗りさせる事になり、フラットは溜息を零した。
 
「おいおい、らしくないよ、フラット!」
「って、言われてもさー。これからやる事って、結構やばい事だよ?」
「大丈夫。フラットは私が守る」
「おっと、フラットを守るのはボクの役目だぜ、セニョリータ」

 わいわいがやがや騒ぎながら、一行は真っ直ぐ北に向かった。その先に見えるのは円蔵山。彼らの目的地はその中腹にある柳洞寺。キャスターの根城。
 
「上から行ったらさすがに門前払いだろうね」
 
 幻馬は真っ直ぐに柳洞寺へ続く石階段の下へ降り立った。
 
「これから、どうするの? フラット」

 リーゼリットの問いにフラットは山の上の柳洞寺を指差して答えた。
 
「まずはキャスターに会う。そんで、ちょっとばかり交渉をするのさ」
「交渉?」
「まあ、見てなって」

 フラットはそう言うと軽い足取りで石階段登り始めた。ライダーとリーゼリットも後を追う。
 ふと空を見上げると、天に四つの光が浮んでいるのが見えた。イリヤと初めて空を飛んだ時は三つだった筈。
 
「あれ?」

 丁度、零時を過ぎた頃、空に五つ目の光が現れた。
 
「何だろう、あれは……」

 奇妙な胸騒ぎを感じ、フラットは目を細めた。
 
「あんまり良い予感はしないね」

 ライダーも空を見上げながら呟く。日を追う毎に増す光。何か、恐ろしい事の前触れのような気がする。
 不吉な凶星から目を背け、彼らは頂上を目指した。
 
「……居るよね、門番くらいさ」

 あと僅かで山門に至るという時、その男は現れた。月を背にしたその男はあまりにも美しく、あまりにも恐ろしかった。
 その出で立ちはこの国に来る前に読んだ雑誌にあった古代日本に実在したという傭兵のソレと酷似している。
 
「サムライ……?」

 嘗て、日本という国は長きに渡る内戦状態にあった。俗に戦国時代と呼ばれる血塗られた歴史の中に彼らは存在したという。
 ライダーとリーゼリットが無言でフラットの前に立ちはだかる。幼子のような無垢な性格のリーゼリットと天真爛漫なライダー。二人の顔に浮ぶのは警戒。
 
「……お兄さん、何者?」

 フラットが問う。すると、男は口元に笑みを浮べて言った。
 
「さて、私にも分からん」

 拍子抜けするような解答にライダーが唇を尖らせた。
 
「秘密ってわけかい?」
「いや、そうではない。元々、名を持てる身分では無かったのでな。そもそも、名乗る名が無いのだ。それに、こうして現世に迷い出た理由もよく分からん」

 男はライダーとリーゼリットを見下ろしながら微笑んだ。
 
「しかし、そなたらのような見目麗しい者達と仕合えるとはな。迷い出た甲斐があったというもの」
「あんた、サーヴァントじゃないッスよね?」

 フラットの言葉に男は「応」と応えた。
 
「私はそんな大層な存在では無い。この身はただの亡霊。山の物の怪も同然だ。だが、そんな私にも一つだけ特技がある。それを見た、ここの主が私をこう呼んだ。佐々木小次郎とな」
「佐々木小次郎! って、あの宮本武蔵の!?」

 フラットはその名を耳にした事があった。確か、史上最強と謳われた侍、剣聖・宮本武蔵の好敵手とされた男の名だ。
 
「まあ、私は佐々木小次郎本人では無いがな」
「えっと、どういう意味ッスか?」
「単に佐々木小次郎の奥義を披露出来るというだけに過ぎん。とは言え、呼び名が無ければ不便であろう? 故、今一時のみ、この名を拝借している」
「佐々木小次郎の奥義って言うと、アレッスか?」
「さて、一介の農民に過ぎぬ私に人の心など読めんよ」

 亡霊は冠する名の基となった剣士の伝承と等しく、長細い刀を鞘より抜き放った。稀代の剣豪、佐々木小次郎の奥義。フラットも名前だけは知っている。
 
「……俺としては別に争う気なんて無いんスけど」
「ならば、何故ここに参った?」
「ここの御主人にちょっと相談事がありましてね。伝言とかって、受け付けてもらえますか?」

 小次郎は薄く微笑んだ。
 
「自分で伝えるがいい。この私を倒してな」
「退がって、フラット!」

 小次郎が動く。ライダーは黄金の槍を、リーゼリットは巨大なハルバードを手に迎え撃つ。三人が交差する直前、フラットは直感した。
 
 ――――勝てない。

 相手は英霊ですらない亡霊。けれど、奴の間合いは紛れも無い死地。踏み込めば死ぬ。
 
「リズと共に上空に逃げろ、ライダー!」

 最期の令呪の発動に躊躇いは無かった。使わなければ、ライダーとリーゼリットが死ぬ。その直感をフラットは信じた。そして、その直後、彼は自らの直感の正しさを目撃した。
 ライダーが令呪の力によって強制的にリーゼリット共に場を離脱した直後、そこに三つの斬撃が奔った。
 刀は一本。にも関わらず、刃の軌跡は三つ存在した。ほぼ同時などでは無く、まったくの同時に三つの斬撃は存在していた。
 存在しない筈の二つの刃が放つ斬撃。フラットはその現象に一つ、心当たりがあった。
 
「……|多重次元屈折現象《キシュア・ゼルレッチ》。まさか、魔力なんて欠片も感じなかったのに」

 一体、どういう原理でそれを為したのだろう。
 
「第二法を何の魔術も使わずにただの剣技で再現した……?」
「第二法? これには既に名があったのか?」
「一体……」

 驚きに目を瞠るフラットに小次郎は嬉しそうな笑みを浮かべて言った。
 
「なに、そう大した芸では無い。昔、気まぐれにツバメを斬ろうと思い立ってな。他にやる事も無く、一心不乱に刀を振るった結果、出来ただけの事」
「つ、ツバメって……」
「ツバメというのはすばしっこい生き物でな。如何に早く振ろうと、風の動きを読んで避けられてしまうのだ。故、どうあっても一太刀では届かなかった。だから、逃げ道を囲う事にした。一の太刀の風を読み逃げるツバメを二の太刀で取り囲んだのだ。しかし、連中を斬るにはどうしても二の太刀が間に合わん。故、三の太刀を用意した」

 淡々と語る小次郎をフラットは恐れた。彼はサーヴァントでは無いが、サーヴァントを殺す術を持っている。魔剣・燕返し。アレは技の仕組みを理解して尚、回避不可能な神域の剣技だ。
 抗う術があるとすれば、それは奴に奥義を使わせないという一点のみ。
 
「ライダー!」

 フラットは片手を天高く伸ばした。その手を幻馬に跨るライダーの手が掴む。
 
「逃げる気か?」

 不服そうに顔を歪める小次郎にフラットはニヤリと笑みを浮かべた。
 
「いいや、勝つのさ!」

 如何に必殺の奥義を持とうと、小次郎に空を飛ぶ手段は無い。そして、天を駆ける幻馬を撃ち落す術も無い。なら、話は簡単だ。
 
「無粋は承知の上さ。けど、俺には勝たなきゃいけない理由がある!」

 ライダーには遠距離攻撃の手段が無い。幻馬の疾走もあの魔剣の前にリスクが高過ぎる。リーゼリットも白兵戦を得意とするホムンクルスとの事。
 なら、戦うのは自分の役割。決して相手の手が届かない場所から一方的に攻撃を仕掛ける。それを卑怯と罵るなら勝手にするといい。罵られても、蔑まれても、戦う理由が彼には出来た。
 指先に魔力を集中する。北欧魔術の一種、ガンド。本来は指差した対象の体調を崩す程度の代物だが、才気に溢れるフラットが使えば、それは物理的な威力を伴う。対魔力を持たない一介の亡霊が相手ならば十分に効果を発揮する筈。
 
「おやすみ、佐々木小次郎」
「……随分と侮ってくれるな」

 フラットの指先からガンドの呪術が放たれた瞬間、小次郎は動いた。すばしっこい動きで木を登り、跳び上がった。ガンドの威力を落とさぬ為、幻馬を低空飛行させていた事が仇となった。
 人間離れした跳躍力によって、小次郎は天を舞う幻馬の下に辿り着いた。
 
「空中で使うのは初めての経験だが――――、受けよ」

 もう、令呪は残っていない。回避する暇も無い。
 失敗した。撤退するべきだった。功を焦った結果がこれだ。殺される。数秒後に迫る死にフラットは深い後悔の念を抱いた。イリヤを救うにはこんな所で死んでなんていられないのに……。
 
『……待て、小次郎』

 その時、天から声が降り注いだ。小次郎の体が強張り、そのまま闇に消える。何事かと周囲を見渡すと、山門の前に一人の男が立っていた。
 
「私に用があると言ったね?」

 フラットの目に景色とは別の映像が映りこむ。サーヴァントのステータスを示す表示だ。間違い無い。あの男こそ、柳洞寺に根を張るキャスターのサーヴァントだ。
 
「……ど、どーも、フラット・エスカルドスです」
「これはこれはご丁寧にどうも。私はキャスターのサーヴァント、ファウスト。我が居城にようこそ、フラット君。そして、見目麗しきお嬢さん方。歓迎するよ」

 アッサリと真名を名乗った事よりもフラットを狼狽させたのはキャスターが柳洞寺内部へ招きいれようとした点だった。
 あそこはキャスターの神殿。敵の本拠地。あの場所では全ての要素がキャスターに味方する。
 
「行こう、フラット」

 恐れを抱くフラットの背を押したのはライダー。
 
「君はボクが守る。だから、君は君の祈りの為に突き進めばいい」

 ライダーの体から香る心地の良い香りにフラットは心を落ち着かせる事が出来た。
 
「君は君らしくいればいいんだ。そうすれば、君の祈りは必ず届くよ」
「……へへ、ありがとう、ライダー」
「お礼なんて要らないよ。ボクらはパートナーなんだからさ」

 山門の前で幻馬から降りると、フラットはリーゼリットに言った。
 
「君はここに残って」
「……駄目。とっても嫌な予感がする」
「大丈夫。ライダーがついてるからさ」

 リーゼリットが尚も食い下がろうとするのを遮り、フラットは頭を下げた。
 
「頼むよ。君を危ない目に合わせるわけにはいかないんだ。だって、君はイリヤちゃんの家族なんだからさ」
「フラット……。死んじゃ、駄目だよ?」
「もちろん、分かってるよ」

 ライダーが幻馬にリーゼリットを安全地帯まで連れて行くよう命じると、二人は柳洞寺の山門を潜って中に入った。
 そこは一言で表すなら『混沌』だった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。