幕間「始まりと終わりの物語」 パート11

 ハリケーンの如き轟音が響き、大地ごと城が大きく揺さぶられた。慌てて窓の外を見ると、森の木々が赤々と燃えている。視線を上に向けると、劫火に包まれた物体が真っ直ぐ此方に向かって来るのが見えた。
 いち早く動いたのはアーチャー。彼はらしくも無く焦燥に駆られた表情を浮かべ、私と凛の腕を掴むと、宝具を展開し、あろう事か、部屋と部屋を分け隔てる壁を打ち壊した。
 私が咄嗟に文句を口にしようとすると、彼は壊した壁へと駆け出した。腕を掴まれたままの私達はバランスを崩し、まるで幼子がぬいぐるみを持ったまま駆け回っているかの如く振り回された。
 彼が足を止めたのは四枚目の壁を破壊した後だった。そこにはライダーとフラットの姿があった。ライダーは私達の登場に目を丸くしているけれど、フラットは反応が薄い。何だか、顔色が悪い気がする。
 私がフラットに声を掛けようとすると、アーチャーが先んじて声を張った。
 
「来い!」

 アーチャーは背後の揺らぎから鎖を出し、フラットとライダーの体を絡め取ると、傍に引き寄せた。抗議の声を上げようとするライダーに向かって彼は私達の体を放り投げる。
 
「動くな」

 身が竦んだ。敵意が篭められているわけでも無いのに、アーチャーの言葉に従う以外の選択肢が見つからなかった。
 次の瞬間、視界いっぱいに赤い炎が広がった。
 同時に何処からとも無く現れた鎖に体を縛り付けられ、私達は空中に縫いとめられた。何が起きているのかサッパリ分からない。分かる事と言えば、アーチャーが私達を守ってくれているという事だけだ。
 やがて、炎が消えると、アーチャーは黄金の船を呼び寄せ、私達を乱暴にその上に乗せた。もくもくと立ち昇る煙を抜け、遥か上空に舞い上がる舟。その舳先から下界を覗くと、私は言葉を失った。
 城は決して木造などでは無かった。重ね掛けされた魔術によって、強固に防御を固めてもあった。にも関わらず、城は燃えていた。
 
 ――――違う。

 クロエが呟いた。そう、違う。燃えているのでは無い。溶けているのだ。
 マグマのように赤々と溶け出す城。私はパニックを起こしそうになった。それを抑止したのは、城が溶けるという異常事態を遥かに上回る驚天動地の存在。
 まるで時が静止したかのような錯覚を覚えた。城から僅かに滑らせた私の視界にソレは映り込んで来た。
 理解を大きく超えた存在。小説やアニメでは何度も見た事があるけれど、現実にソレを見た事は無かった。まるで、蝙蝠のような一対の翼と長く鋭い角を持ち、赤銅色の鱗が覆う獣。
 古今東西、あらゆる地でその種は常に超常の存在として語られている。悪魔とも、神とも同一視される事のあるそのモノの名は――――、
 
「ドラ……、ゴン」

 樹海が今や燃え盛る炎に覆われ、まるで赤い湖面のよう。そこに最強の幻想種は君臨している。立ち昇る魔力は人間はおろか、英霊をも遥かに凌駕している。
 ドラゴンは雄叫びを上げる。まるで、雷雲の中に居るかの如く暴力的な波音が脳を揺さぶる。たった一度の咆哮が私の中から全てを奪い去った。抗う意思、戦う決意、逃げる選択、全てが消え失せる。
 数ある幻想種達の頂点に君臨するモノ。全てを呑み込む巨大な口が開かれる。
 アレは戦うモノに非ず。そもそも、戦いとは対等な力を持つ者同士の間でしか起こらない。ドラゴンにとって、人間も英霊も等しく餌でしかない。食卓に並ぶ活け造りにされた魚がどれほど口を開け閉めしようと意味が無いのと同様に人間如きが彼の存在を前にして出来る事などありはしない。
 
「――――ライダー」

 アーチャーが傍らでフラットを抱き締めるライダーに声を掛ける。
 
「コレを操れるな?」
「……うん」
「ならば、この舟は貴様にくれてやる」

 彼はそう口にすると同時に舟から飛び降りた。凛が静止するより早く、彼は今にも紅蓮の炎を吐き出そうとしているドラゴンに向かって行く。
 
「ダメ、アーチャー!」

 凛が叫ぶ。けれど、彼は振り向きもせず、無数の宝具を展開する。
 
「往け、ライダー! 凛を決して死なせるな!」

 ライダーは舟の舵輪に手を掛けた。
 
「待って! アーチャーを連れ戻さないと!」

 凛の叫びにライダーは応えなかった。彼は理解している。アーチャーの救出に向かう事は全滅を意味していると。
 アーチャー単体ならば、あるいは活路を見出せるかもしれない。けれど、そこに人間である凛が居てはどうにもならなくなる。
 黄金の舟が上昇を続ける。私は眼下の戦いに視線を向けた。アーチャーは鎖や布を虚空から喚び出し、ドラゴンの口を塞いでいる。そして、無数の宝剣、宝槍をドラゴンの全身に突き立てている。
 足手纏いが居なければ、アーチャーは正に最強の英霊だ。もしかしたら、あのドラゴンを打ち倒せるかもしれない。そう思った矢先、ドラゴンは口を縛る拘束宝具を全て引き千切り、吼えた。
 それはもはや音というより衝撃だった。上空に広がる雲が吹き飛ばされていく。燃え盛る炎が僅かに退き、黒焦げの地面が浮かび上がる。間近で直撃を受けたアーチャーは体勢を崩している。
 
「アーチャー!」

 凛が叫ぶ。聞こえる筈の無い距離に居ながら、アーチャーはまるでその声に応えるかのように動いた。虚空に巨大な剣が現れる。山をも斬り裂く巨大な刀身が翠の輝きを放ち、ドラゴンの首目掛けて振り下ろされる。
 決まった。そう思った直後、信じられない事が起きた。ドラゴンの首に当たった刀身に亀裂が入り、天高く舞い上がったのだ。
 アーチャーは続けて紅の光を放つ巨大剣をドラゴンに向ける。赤々と刀身が燃え上がり、ドラゴンの翼を両断せんと迫る。
 ソレをドラゴンは受け止めた。燃え盛る刀身を易々と掴み取り、大きく顎を開く。アーチャーは五重に盾の宝具を展開した。
 
「アーチャー!」

 凛が叫ぶ。アーチャーはドラゴンが吐き出した劫火に包み込まれた。炎が掠った地面が溶け出し、液状に流れ出す。
 怖気が奔る。恐らく、アーチャーの所有する中でも究極に位置するであろう剣を真っ向から受け止め、掠っただけで地面が溶け出す炎を吐くドラゴンという生物が恐ろしくて堪らない。

「お願い、戻って! アーチャー!」

 これは昨夜の再現だ。凛は昨夜の私と全く同じ状況に陥っている。絶対的な強者を前にして、自らのサーヴァントを失う恐怖に理性を絡め取られている。
 冷静に考えれば、撤退以外の選択肢など無いにも関わらず、助けに行かずには居られない。その気持ちが痛い程に分かる。けれど、助けに行かせるわけにはいかない。
 
「凛……」

 魔術回路を励起させる。昨夜、彼女がしたように、今度は私が彼女の意識を刈り取らなければならない。自らのサーヴァントが消滅に危機に瀕しているマスターから意識を奪う。
 これが全く見ず知らずの相手ならばどれほど楽だっただろうか。彼女とアーチャーの事を親しいと言える程知ってしまった今、次の目覚めが相棒との別れとなる絶望の眠りへ誘う事に躊躇いを覚える。きっと、昨夜の彼女もそうだったのだろう。

「ごめん」

 でも、やらなきゃいけない。今は一刻も早くここから離れなければならない。万が一にも凛が舟から飛び降りるような事態を防がなければならない。
 私は彼女の意識を刈り取るべく、魔力を指先に篭め、彼女の首筋に宛がおうとした。その時だった。地上で何かが光を反射した。そちらに視線を向けた時、私は見てしまった。

「……ああ」

 止めるべき立場だった筈なのに、私は何て愚かなんだろう。私は舟から飛び降りてしまった。彼女達を見つけてしまったから。
 リーゼリットとセラが居た。溶け出す城壁の合間に彼女達の姿が見えた。
 彼女達を助ける事は出来ない。助けに行ったとしても、出来る事は共に死んであげる事だけ。叶えるべき祈りがある以上、私はここで死ぬわけにはいかない。だから、私は彼女達を見捨てるべきだった。
 でも、出来なかった。彼女達と過ごした短い日々が私の本能を動かした。動き出した本能は理性を押し退け、彼女達を救えと身体に指令を送る。
 
 ――――どうするの?

 今のままでは彼女達を救うどころか、ドラゴンに立ち向かう間も無く、転落死は免れない。既にこの空間はドラゴンの吐いた炎の魔力によって歪められている。重力操作や転移魔術は使用不可能。肉体を強化した所で高が知れている。
 
「アレを使うわ」

 この状況を覆す方法が一つだけある。
 
 ――――駄目よ! それは駄目! だって、分かってるでしょ!?

 意外だ。クロエがこんな風に取り乱すのを私は始めて感じた。けれど、その気持ちが分からないわけでは無い。
 クロエが取り乱すのも当たり前だ。私の身体にはアハト翁が付与した『|切り札《ジョーカー》』がある。使えば、恐らく寿命を縮める事になるだろう。もしかしたら、聖杯戦争が終わるより先に私の命が終わってしまうかもしれない。
 けど、このままではどちらにしても死んでしまう。私は既に自らの死に王手を掛ける決断を下してしまった。
 全ては手遅れ。故に覚悟は決まらぬながら、諦めはついた。きっと、フラット達と共に楽しい時間を過ごしてしまったせいで情に脆くなってしまったのだろう。だから、無意識にこの選択肢を選んでしまった。
 
 ――――本当にソレでいいの?

「……良くないよ。けど、悔いは無い」

 初め、私はセラを始末するつもりだった。彼女の存在は私の祈りを叶える上で障害にしかならないからだ。
 私の祈りは聖杯を完全に破壊する事。もう二度と、聖杯戦争によって悲劇が生まれないよう、徹底的に破壊し尽くす為に私はこの地に立った。
 でも、そんな事、最初から無理だったんだ。セラを犠牲にして、祈りを叶えるなんて強さ、私には無かった。私は弱い……。
 
 ――――違う。それは強さだよ。

「……ありがとう」

 地上が迫る。あのドラゴンの炎を真っ向から受けて尚ピンピンとしているアーチャーが私を見て愕然としている。
 何故、戻って来たんだ。彼の顔はそう問い掛けているように見えた。だから――――、

「もう、失いたくないから!」

 魔術回路をアハト翁が付与した刻印に繋ぐ。
 
「|起動《セット》――――ッ!!」

 瞬間、時が止まる。
 私は殺された。全身が刃物で貫かれた。
 否、全身を紅蓮の炎によって燃やされた。
 否、全身の皮が削ぎ落とされ、剥き出しになった神経を鑢で削られている。
 世界が回る。まるで度の合っていないメガネを掛けているように視界がぼやけていく。
 内臓が燃えている。熱が心を焦がしていく。私という存在が別のナニカに書き換えられていく。
 入って行く。
 出て行く。
 知らない知識が流れ込んで来る。己の情報がどこかに流れ出して行く。

「ッァア――――」

 光が私を押し潰す。暴風が吹き荒れ、今にも吹き飛ばされそうだ。風に触れられた部分が壊れていく。私という存在が壊れていく。

「ァァアアアアアアアア!!」

 まだ、壊れるわけにはいかない。壊れるのは彼女達を救った後だ。今はもう少し、生にしがみ付かなければならない。
 手を伸ばす。視界を覆い尽くす光の先に必死に手を伸ばす。
 届け。届け。届け。届け。届け。
 後ろに引っ張られる。手が光の先に届かない。
 
 ――――諦めないで!
 
 そうだ。諦めてはいけない。届かせなければならない。どうせ、私はこの戦いで死ぬ。聖杯を得ようと、得られまいと、その結果に変わりは無い。
 だけど、ソレは今では無い。あの怪物を生かしておくわけにはいかない。アレの存在は容認してはいけない。アレは私の大切な人を殺すものだ。それだけは許さない。
 奇跡を願う。奇跡を叶える。その為に必要だと言うならば、この命を捧げよう。これ以上――――、家族を死なせてはならない。
 脳裏に母の死に様が浮ぶ。その次は父。その次は改造を施される間際のセラ。泥に立ち向かうバーサーカー。青白い顔をしたフラット。遺言染みた事を言うライダー。圧倒的強者に挑むアーチャー。彼を助けようと舟から身を投げ出そうとする凛。炎の中に佇むリーゼリットとセラ。
 
 ――――もう、誰も失いたくない。
 
 私は随分と我侭な性格になってしまったらしい。人と人とが殺し合う聖杯戦争に参加しておきながら、誰にも死んで欲しくないなどと願っている。
 そんな事、不可能だと分かっている癖に、願わずにはいられない。聖杯なんて要らない。ただ、皆と一緒に食卓を囲いたい。いっぱい遊んで、いっぱい勉強して、普通の人が普通に得る幸せを得たい。
 欲望が膨らむ。際限無く、私の心は欲しがる。その為に邪魔な存在を打ち倒す力を私の本能が欲している。
 伸ばす。

「届け!」

 カチリと音を立てて接続が完了した。同時に|検索《サーチ》を開始する。この現状を打破する力を|検索す《もとめ》る。
 風が再び吹き荒ぶ。己の魂を磨り潰す凶風。眼球が潰れ、血液が逆流し、全身を切り刻まれる。その痛みと苦しみを力ずくで払い除ける。
 無理矢理視力を甦らせると同時に時が再び動き出した。身体が落下し続けている。このままでは間に合わない。
 だから、長ったらしい工程は全て|省略《スキップ》する事にした。
 
「|全工程《オールプロセス》、|省略《カット》――――、|夢幻召還《インストール》」

 瞬間、私の身に光の嵐を越える力が備わった。思考が冴え々々としている。
 何をするべきかが全て分かる。
 
「転移」

 たった一節の呪文で私は荒れ狂う魔力の渦の中、空間を飛び越えた。
 その先に彼女達は居た。セラは相変わらず無表情。リーゼリットも目を丸くしてこそいるものの、反応が鈍い。
 
「イリヤ。その格好。とっても、可愛い」

 ニッコリと言うリーゼリットに私は呆れたように微笑む。私の服は今や豪奢なドレスに変わっている。髪の色も燃える様な赤い色に染まっている。
 これが夢幻召喚。アハト翁が用意した切り札。私の内にある小聖杯から大聖杯へと接続を行い、過去の参加サーヴァントの情報を汲み取り、自らの身を寄り代として憑依させる荒業。
 今、大聖杯には前回の聖杯戦争に参加したサーヴァント達の魂が消費されないまま漂っている。その理由は単純明快。前回、聖杯が使われぬまま、その機能を休止させたが故だ。
 私が選択したサーヴァントは前回、キャスターのクラスで召喚された英霊。その名はモルガン。アーサー王伝説にその名を記す稀代の魔女。
 彼女を憑依させた私は彼女の力だけでなく、私自身の力の使い方をも理解する事が出来た。彼女の力と私の力を合わせれば、諸刃の剣を最強の護身剣に変える事も出来るかもしれない。
 でも、まずは目の前の厄介事をどうにかしなければならない。
 
「だから、力を貸して――――、モードレッド!」
「……なんつーか、これってどういう展開なんだ?」

 私達の目の前にその騎士は現れた。正確には、私が喚び出した。
 嘗て、カムランの丘で騎士王と刺し違えたという叛逆の騎士に私が出来る事はただ一つ。
 
「いきなり喚び出してごめんなさい。でも、どうかお願いします。私に力を貸して下さい」
「……まさか、アレと戦えとか言わないよな?」

 顔を引き攣らせながら騎士は頭上のドラゴンを見上げる。
 
「お願いします。一緒に戦って下さい」
「お願いしますって……」
「お願いします。私は……、もう誰も失いたくないんです!」

 只管頭を下げるしか能の無い私に騎士は言う。
 
「……ったく、あの時の小娘が随分お転婆に育ったもんだ」
「え?」

 私が目を丸くすると、騎士は微笑んだ。
 
「ったく、死んだ後にまた死んで、この上、更に死ぬのかよ……。死に過ぎだろ、まったく……」

 騎士は私の頭を軽く叩いた。
 
「まあ、これも恩返しって奴かな。貸してやるよ、オレの力」
「い、いいの!?」
「ああ、お前の両親には世話になったしな。その娘のお前の為に命を賭けるくらい、どうって事ねーよ」
「世話に……?」

 騎士は言った。
 
「ああ、オレの過ちを正す手助けをしてくれたんだ。我が父を幸福に導くという母の祈りを叶える手助けをしてくれた。その恩に報いる為、オレはお前の剣になる」

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