幕間「始まりと終わりの物語」 パート10

 戦いは苛烈さを極めていた。黄金の舟に跨り、上空から圧殺するが如く無数の宝具を打ち出すアーチャー。それを真っ向から拳で受けているセイバー。私とライダーはその異常な光景に言葉を失った。もはや、彼ら二人のぶつかり合いは闘争というより天災だ。
 
「うわー。もう、あそこまで行くと笑うしかないね」

 ライダーの言葉に同感だった。宝具を文字通り、雨のように降らせるアーチャーも異常なら、それを拳で吹き飛ばすセイバーも異常過ぎる。というか、セイバーなら剣を使いなさいよ。
 それにしても、凛はどこに居るんだろう。もしかして、アーチャーと一緒にあの黄金の舟に乗り込んでいるのだろうか?
 
「どうしたんだい、ヒッポグリフ?」

 凛を探して辺りを見回していると、ヒッポグリフが嘶いた。ライダーが問い掛けると、彼は嘴で遥か下界を指した。そこに奇妙な光が見える。目を凝らすと、そこに凛が居た。黄金の輝きが魔法陣を形成し、その周りを数十本の剣や槍、杖が取り囲んでいる。その中央に凛は豪奢なドレスを身に纏って立派なソファーに座り寛いでいる。
 パッと見た感じ、まるでお姫様のよう。綺麗な宝石が散りばめられた髪飾りやネックレスが見える。指や耳にも何かを着けているみたいだけど、さすがに分からない。分かるのはそれらが全て一級品の宝具であるという事。恐らく、アーチャーが凛を守る為に用意した結界と装備なのだろう。あの場所だけ、二騎の英霊が生み出す破壊を免れている。
 
「ポップコーン食べてる……」

 黙って座っていたら百人が百人共彼女をどこかのお姫様か何かだと思うだろう。けど、彼女の手に握られている二つの物体が全てをぶち壊しにしている。
 凛はポップコーンとコーラを手にアーチャーとセイバーの戦いを観ている。時折、シャドーボクシングをするような仕草を見せる彼女に溜息が出た。
 心配する必要は無かったのかもしれない。彼女は勝利を確信している。自らのサーヴァントが勝つ事を僅かたりとも疑っていない。だからこそ、あんな風に暢気にコーラを飲んでいられるのだ。
 
「とりあえず、もうしばらく様子を見ておこうかしら……」

 私がそう呟いた瞬間、突然、セイバーとアーチャーが動きを止めた。何事かと首を捻っているとライダーが言った。
 
「イリヤちゃん。凛ちゃんが死んだら嫌だよね?」
「あ、当たり前でしょ!?」

 突然の質問に対して、何かを取り繕う暇も無く、私は本心を口にした。すると、ライダーは額から汗を流しながら言った。
 
「ボクもだよ。掴まってて!」

 ライダーは幻馬を急降下させた。真っ直ぐに凛の下に向かっている。
 瞬間、私は見た。
 
「あれは――――」

 ダメだ。このまま地上に向かったら取り返しのつかない事になる。
 凛の傍にソレは居た。黒い影。それ以外にそれを表す言葉が見つからない。
 奴には絶対に近づいてはいけない。アレと対峙したが最後、サーヴァントに待ち受けるのは絶望だけだ。

「……あ」

 その事をライダーは私より先に察していた。察した上で私に問い、自らに問い、凛を救うという決断を下した。
 
「ライダー……」

 幻馬が地上に降り立つと同時に凛を守る結界が消え失せた。上空でアーチャーが無数の宝具を展開し、影に向けている。少しでも時間を稼ぐつもりだ。
 けれど、アレの前では無意味だ。サーヴァントではアレには敵わない。如何に最強を謳う英雄であろうと、その事実を曲げる事は出来ない。
 影はアーチャーの放つ宝具を意に介さず、真っ直ぐに私達に向かって来る。
 
「凛! 早く乗って! 逃げるよ!」

 私の叫びに凛は目を丸くしながら頷き、私の手を取る。
 直後、聞きたくない声が響いた。
 
「すまないが、お前達を逃がすな、というのが主から下された命令でな」

 飛び掛って来たのはキャスターの根城に居た門番だった。佐々木小次郎と名乗る侍の襲撃をライダーは間一髪の所で防いだ。
 けれど、侍は役目を果たした。ほんの一瞬に過ぎない停滞が運命を分けた。
 
「すまない、ヒッポグリフ」

 ライダーは私と凛を抱き抱えると、ヒッポグリフの背を蹴り跳躍した。
 その直後、ヒッポグリフの悲鳴が轟いた。彼が地面の泥に飲み込まれていく様を私達は呆然と見つめていた。
 
「馬鹿者! 止まるな、ライダー!」

 上空からアーチャーの怒鳴り声が降り注ぐ。アーチャーは黄金の舟の舵を取り、私達の方に向かって来ていた。
 
「この屈辱は忘れんぞ!」

 アーチャーは影に向かって幾つかの宝具を放った。無意味な行動に思われた彼の行動の真意は直後の爆発が教えてくれた。
 アーチャーは自らの宝具を爆弾にしたのだ。内に秘めた幻想を解き放つサーヴァントにとっての最後の切り札。壊れた幻想と呼ばれる奥義。ランクAを越す破壊を受け、さしもの影も動きを止め――――、
 
「……ああ」

 ダメだ。アレは倒すとか足止めするとか出来る存在じゃない。
 もしも、あれの足を止められるとすれば、それは――――。
 
「駄目!!」

 私は命令など下していなかった。内なる友も彼の行動に動揺している。
 バーサーカーは勝手に実体化し、影とその傍らに立つ小次郎に向かって駆ける。
 
「駄目!! 逃げて!! バーサーカー!!」

 令呪が発動しない。
 
「どうして!?」
「もう、無理だ。奴は囚われてしまった。もう、逃げ出せん」

 アーチャーが私達を拾いながら言った。
 
「馬鹿言わないで!! バーサーカー!! 勝手な行動は許さないわよ!! 早く逃げなさい!!」

 二つ目の令呪も意味を為さない。
 私とクロエは同時に悲鳴を上げた。アーチャーが黄金の舟を奔らせたのだ。遠ざかる。私の相棒が遠くに行ってしまう。
 
「ヤダ!! バーサーカー!! 私もそこに行く!!」
「駄目だ、イリヤちゃん!!」
「離して!!」

 ライダーが私の体を拘束する。どれだけ暴れても、所詮、人の域を出ない私の身体能力では英霊のライダーの力には抗えない。
 
「ごめん、イリヤ……」

 凛が謝る声が聞こえたと同時に私の意識は唐突に闇に呑み込まれた。
 
 次に目を覚ましたのはアインツベルンの城の中だった。最初に目が合った凛に私はバーサーカーの事を尋ねた。
 あの時、何が起きたのかは分かっている。恐らく、取り乱した私を凛が眠らせたのだろう。その判断は的確だったと思う。あの場でバーサーカーを救いに戻る事は自殺行為でしかなかった。
 
「バーサーカーは泥に呑み込まれたわ……」

 予想通りの言葉が返って来ただけなのに、私はまた取り乱しそうになった。
 落ち着けたのはアーチャーがいきなり扉を開けて入って来たからだ。
 
「イリヤスフィール。これを飲め。後、これを喰え」

 傍若無人な態度で次々に私の前に彼が突き出して来るのは赤いワインと美味しそうな料理の数々。
 
「料理の方はここの使用人が作ったものだが、この酒は我が蔵の至宝だ。堪能すると良い」
「……う、うん。えっと、アーチャー?」

 わざわざ料理を運んでくるなんて、彼らしくないように思えた。

「……凛を救ってくれた事、心から感謝する。あの時、我は間に合わなかった……」

 アーチャーは悔いるように凛を見た。なるほど、彼なりの感謝の印だったというわけだ。
 
「アレは何だったのかしら……」

 凛は暗い表情で呟いた。
 
「アレは目に付くモノを見境無く呑むモノだ。破裂した魔力であれ、魔力によって編まれた宝具であれ、例外無く喰らい尽くす」
「サーヴァントも……、ね」

 アーチャーの説明に私が補足を入れる。
 バーサーカーとの繋がりが完全に失われてしまっている。呼び掛けても返事が帰って来ない。
 埋めようの無い喪失感に私は涙を流した。
 
「イリヤ……。ごめん……」
「凛のせいじゃない。バーサーカーが勝手に行動しただけだもの……。理性を失ってる癖に、冷静で的確で……」
「そして、勇敢だったな。奴は狂化して尚、己を見失っていなかったらしい」

 惜しむように彼は言った。
 私は窓の外を見ながら頷いた。あんまり涙を見せると凛が精神的に参ってしまいそうだと思ったからだ。
 
「ありがとう、バーサーカー」

 その時だった。突然、城全体が大きく揺さぶられた――――。

 ◆
 
 少年は恐怖のあまり涙を流した。けれど、彼の体は彼の意思に逆らい動き続ける。
 彼は今、人間を食べている。
 それも自分と同い年か年下であろう少女の肉を食べている。幸か不幸か、少女は既に絶命しているが、それでも人間の肉を喰うなど正気の沙汰では無い。にも関わらず、少年は喰う事を強制されている。
 
「どうですかな? 人間の肉の味は」

 少年の傍らで老人が囁く。老人もまた、少女の目玉をくり貫き口に運ぶ。
 
「さあ、心臓を食べなさい。それを喰らえば、お主は正真正銘の戦士となれる。あの凛という娘を救いたいのでしょう?」

 老人の囁きは正に悪魔のソレだ。恐ろしく甘美な響きに惑わされそうになる。けれど、目の前にあるのは人間の心臓。肉を喰らうだけでも正気を失いそうなのに、心臓を喰らうなどどうして出来ようか。
 
「臓硯殿を滅ぼしたいのでしょう?」

 老人の言葉に目を見開く。
 
「重ねて申し上げますが、我が忠誠は貴殿のもの。故、貴殿の本懐を遂げられるよう、助力は惜しみませぬ。ですが、その為には貴殿にも力を付けていただく必要がございます。故、どうかご辛抱を」

 少年の体が勝手に動き出す。真紅の血に塗れた臓物に吐き気が込み上げてくる。
 
「二度と裏切りたくないのでしょう?」

 老人が囁く。
 
「彼女の心が欲しいのでしょう?」

 その囁きが少年の思考を惑わす。その隙に臓物が口に宛がわれる。苦悶の声を洩らしながら、少年は心臓を喰らった。その感触に少年は心を乱した。
 少年の悲鳴が木霊する。人間の心臓を喰らったという事実が彼の肩に重くのしかかる。
 
「おめでとうございます。これで貴殿は正真正銘の戦士となった」

 老人は微笑む。そして、少年の頭を優しく撫でた。
 
「人の心臓を喰らうより恐ろしい事などありますかな?」
「……そんなもの、無い」

 込み上げてくる吐き気と戦いながら、少年は辛うじて言い返した。
 
「結構」

 老人は少年の口に葉巻を咥えさせ、その先端に火を灯した。
 
「今はごゆるりと心を休ませなされ」

 少年は甘い香りに身を委ねた。
 そんな彼に老人は微笑む。
 
「さて、そろそろ本格的に仕掛けるとしようか。のう、セイバーよ」

 老人は部屋の隅で蹲る巨躯の男に微笑みかけた。セイバーのサーヴァントは何も語らず俯いている。
 彼は間に合わなかった。アーチャーと彼が戦っている隙にアサシンの魔の手が彼のマスターたる少女に伸びている事に気付けなかった。
 アサシンは彼のマスターが陣取る拠点を数日前に見つけ出し、手駒にした一般人を周囲に配置していた。そして、刻を待ち続けていた。
 彼のマスターが拠点を離れるその時をだ。使い魔などを使えば警戒されたかもしれないが、アサシンが用いたのはあくまでも一般人。連絡手段も電話というごく一般的な手法を採用した。そして、ついに彼女が拠点を離れる日が来た。別に行動させた手駒からの報告によれば、彼女はセイバーと共に戦場の視察をしに海浜公園に向かったとの事。
 その間にアサシンは侵入経路を探り出していた。如何に優れた魔術師であろうと、急造の工房を完璧に仕上げる事など出来ない。どこかに綻びが出来るものだ。それが通気口だった。
 ドアや窓、壁に至るまで、隙間無く防御の為の術式が組まれていたにも関わらず、トイレの換気扇から連なるダクトには何の細工も施されていなかった。
 所詮、小娘だったという事だ。ただの人間なら侵入不可能なその場所を使い、アサシンは侵入した。そして、アーチャーとセイバーが激突し、戦いがヒートアップするのを待ってから、アサシンは少女を暗殺した。
 令呪を使う暇など与えぬ速攻。所詮、人間に暗殺者のサーヴァントたる彼の暗殺を防ぐ事など出来なかった。そして、彼は少女の肉を喰らい、令呪を強奪した。
 彼が奪った令呪でセイバーに命じた事は二つ。一つは正気を奪う事。もう一つは己を主と認める事。如何に対魔力を持つセイバーであろうと、令呪による命令に抗う事は出来なかった。
 そして、彼は少女の死体を手土産に拠点である旧・遠坂邸へと戻って来た。
 遠坂凛がアーチャーを召喚した直後、間桐臓硯はアーチャーに滅ぼされかけたが、辛うじて生き延びて、ここでサーヴァントの召喚を執り行った。
 彼にとって、ギルガメッシュが単独行動のスキルを持つアーチャーとして召喚される事は想定外だったのだ。本来ならば、セイバーかライダーで召喚される事を期待していた。
 よもや、いきなり蟲蔵を焼き払うなどという暴挙に出るとは思わなかった。
 故に、彼はアサシンを召喚し、凛を御する為の切り札とする為に孫である慎二をアサシンに預けた。
 そうして、彼らは今に至る。臓硯は自らの回復に努め、アサシンは策を練り、慎二は人では無いものに変えられようとしている。
 そして、セイバーは物言わぬ傀儡となり、ここに居る。自らのマスターを殺された事に対し、憤る事も悲しむ事も出来ずに……。
 
「セイバーは我が手に落ちた。もはや、ランサーやライダーは敵では無い。なにやら、妙な輩が蠢いているらしいが、黒幕の検討も大よそついておる。残る障害はアーチャーとキャスターのみ」

 老人はククと笑った。
 
「事は迅速さが肝心だ。完成にはまだ時間が掛かるが、あの娘に対しての切り札とするにはこの状態でも問題無かろう」

 老人は立ち上がり、セイバーに命じた。
 
「往くぞ。これよりアインツベルンの城に攻め込む。貴様には盛大に暴れてもらうぞ」

 老人は哄笑する。

「勝利はこのラシード・ウッディーン・スィナーンの手の内にある」

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