エピローグ「十年後」

 ――――十年後。

「いってきまーす」

 玄関先で手を振る家族に大きく手を振り返しながら、私達は家を出た。今朝も夢見が良くて気分上々。通い慣れた通学路を歩きながら、放課後の予定で盛り上がっていると、遠目に仲良しのクラスメイトの姿が見えた。小学校の頃からの幼馴染だ。
 
「やっほー!」
「おはよう! 美遊!」

 声を掛けると、向こうも私達に気づいたらしく、立ち止まって手を振りながら「おはよう」と返した。その手には英語の単語帳が握られている。

「美遊ってば、相変わらず熱心だねー」

 私が言うと、隣を歩く小悪魔娘がニヒヒと笑みを浮かべながら頬を突いてきた。

「イリヤも頑張らなくちゃね」
「他人事みたいに言っちゃってー。桜だって、油断してると志望校落ちるよー?」

 桜の志望校の偏差値は県内トップクラスだ。油断していると痛い目に合う。

「大丈夫だよ、イリヤ。桜は成績優秀だから」
「そうそう。イリヤは私の心配より自分の心配をしないとだよ」

 成績優秀者の二人は余裕綽々。
 
「姉さんみたいになりたいなら、もっと頑張らなくちゃね」
「分かってますー。センターも近いし、気合を入れ直すわよ」 

 いよいよ高校生活も大詰めに入り、周囲は受験ムード一色。勿論、私も例外では無い。先に夢を叶えた親友の後に続く為にも頑張らないといけない。
 
「学校の先生か……。きっと、イリヤなら間桐先生みたいになれるよ」
「だよね!? 私だって、凜みたいに立派な先生に!」

 美遊に元気付けられ、私は張り切って走り出した。
 
「ま、待ちなさいよ、イリヤ!」
「いきなり走り出さないで……」

 体力無い組でもある二人が抗議の声を上げるけど知った事じゃない。一刻も早く学校で勉強したい。夢を叶える為に。
 
 学校に到着すると、早朝から勉学に励む同級生の姿がチラホラ。
 
「三人共、おはよう」

 教室に入ろうとした途端、声を掛けられた。声の主は振り返らなくても分かる。
 
「おはよう、間桐先生」
「おはよー、凜!」
「おはようございます」

 間桐凛。嘗て、遠坂凛だった少女は異世界で過ごす中で抱いた夢を叶える為に勉学に励み、様々なゴタゴタが漸く解決した五年前に教師になった。
 更に三年前、恋人だった間桐慎二と正式に入籍し、間桐凜となり現在に至る。
 
「イリヤ。何度も言うけど、間桐先生ね?」
「いいじゃん、別にー」
「分別を付けなさい。そんなんじゃ、先生になれないわよ?」

 困ったように言う凜に私はやむなく降参した。
 
「分かりましたー」
「語尾を伸ばさないの!」
「はいはい」
「はいは一回!」
「……はい」
「よろしい」

 細かい。美人英語教師として評判の凜だけど、小言が多いのが玉に瑕だ。
 
「じゃあ、また後で授業でね。センター試験まで時間が無いんだし、しっかりね」
「はーい!」
「はいの間を伸ばさないの!」
「……はい」

 放課後、私は桜と美遊を引き連れて新都の図書館を訪れた。ここにはありとあらゆる最新版の参考書や問題集が完備されているから受験生にとってありがたい場所。
 シャープペンを絶えず動かしながら、私は只管問題を解いていく。特に数学はより多く解く事で問題解決への糸口を見つける練習をする事が重要だ。
 
「そう言えば、イリヤ」
「なーに?」

 医大の分厚い過去問を解いている美遊が声を掛けて来た。彼女が勉強中に話しかけてくる事は非常に珍しい。
 
「高校卒業したら、フラットさんと入籍するの?」

 思わず噴出してしまった。
 フラットさんこと、フラット・エスカルドスとは私の恋人の事だ。様々な理由で小学生からやり直す事になってしまった私をフラットはずっと待ってくれている。
 小学生とお付き合いをしている変態の汚名を被りながらも私の恋人であり続けてくれている彼には感謝と同情を向けずにはいられない。
 
「さすがに大学に居る間は勉強に集中するつもり。でも、卒業したら即結婚する予定よ。油断してると、あの桃色髪に取られそうで怖いし……」

 桃色髪とは勿論、ライダーことアストルフォの事。奴こそが私にとっての最大の懸案事項。性別は男だけど、あの可愛らしさは油断ならない。

「平気で人の彼氏にキスしてくるし……、気付いたらベッドに潜り込んでたりするし……、時々、奴のスキンシップにフラットが鼻の下伸ばしてる事があるし……」

 奴は中世の人間。しかも、フランス人。ゲイに寛容な国の人。本気を出されると本気で奪われかねない恐ろしい存在だ。
 
「イ、イリヤ……。大変だね……」

 顔を引き攣らせる美遊に私は溜息を零した。
 
「大丈夫よ、美遊。何だかんだ言って、イリヤとアストルフォは仲良しだもの。結婚しても、結局三人一緒なのは変わらない気がするわ」
「それは当然よ。結婚しても、アストルフォとはずっと一緒よ?」

 当然の事を口にしたのに、二人は噴出した。何か、おかしな事を言ったかしら?
 
「それより、二人はどうなのよ?」

 言ってから地雷を踏んだ事に気が付いた。桜は他人の色恋は好きだけど、自分の事に関してはどこまでもネガティブだ。
 
「……雁夜さん以上の人なんて居ないし」

 ボソリと呟くように言われ、私はそれ以上聞けなかった。
 
「み、美遊はどうなの?」
「……イリヤ以上の人なんて居ないし」

 聞かなかった事にしよう。そして、二度と聞かないようにしよう。
 そう心に決めて、私は勉強に戻った。
 
 夜になって、私達は美遊と別れた。彼女の家は私達の家とは反対方向だ。
 私達が今住んでいるのは真新しい作りの武家屋敷。その昔、私はここに一時期だけ住んでいた事がある。もっとも、その当時の記憶は殆ど無いのだけど……。
 玄関を潜ると割烹着姿の我が家の家政婦がお出迎えしてくれた。
 
「お帰りなさい、二人共」
「ただいま、士郎!」
「ただいまー!」

 言峰士郎。嘗て、聖堂教会の代行者だった少年。現在は我が家の家政婦さん。十年前、凜と共に生きる事を決意した彼女は家事能力皆無の私達に代わり、家事全般を一手に引き受けてくれた。
 料理は美味しいし、彼女が干した洗濯物は不思議なほどふかふかで気持ちが良い。彼女自身もまるで天職を手に入れたかのようにこの仕事を気に入っている。
 名前は男の時のままだけど、彼女が肉体を男に戻す事は無かった。理由を聞くと……、
 
「男に戻ると凜に惚れてしまいそうですからね。それでは、あまりにも不義理だ」

 との事。ただ、最近、そんな彼女の過去の真実を知らない憐れな男が彼女にプロポーズをして撃沈するという事件があった。
 困り顔で断る彼女に肩を落とす彼の姿は今でも忘れられない。
 
「御飯はもう出来ていますよ」
「今日のメニューは?」
「良い豆腐を持って来て貰ったので、ソレを調理しました」
「……持って来て貰ったって?」

 首を傾げながら居間に入ると、そこにあの男が座っていた。
 
「やあ、お帰り」

 柳洞一成。円蔵山中腹に存在する柳洞寺の次期住職候補が味噌汁を啜っていた。
 
「相変わらず、士郎の味噌汁は美味いな」
「ありがとう。お代わりはたくさんあるからな」
「うむ、忝い」

 まるで、長年連れ添った夫婦のような空気を醸し出す二人に私はよろめいた。
 
「おっと、どうしたの?」

 倒れそうになる私を抱き止めてくれたのは愛しの旦那様候補ことフラット・エスカルドス。
 
「あの生臭坊主は何で居るの?」
「ああ、一成? なんか、士郎が街中で偶然会って、夕食に誘ったらしいよ?」
「士郎から!?」

 思わず目を剥く私に桜が溜息を零した。
 
「知らなかったの? 柳洞さんがあの後も士郎さんにアプローチを繰り返してて、結構仲良くなってるのよ、あの二人」
「い、一大事じゃない!? わ、私達の士郎が、あんな生臭坊主に!」
「まあまあ、人の幸せにケチをつけるなんてナンセンスだよ、イリヤ」

 そう言ったのは何時の間にか現れたアストルフォ。
 
「そうだぜ。ってか、さっさと入れよ。アイツに飯を全部食われちまうぞ」

 後ろからモードレッドも姿を現した。
 
「ぐぬぬ……」

 渋々、私は居間に入り、フラットの隣に座った。
 
「士郎。俺としては、この味噌汁を毎日でも飲みたいのだが……」
「なら、いつでも遊びに来ていいですよ」

 まだ、大丈夫だ。士郎は天然と鈍感という強力なスキルを保有している。そう簡単に陥落したりしない筈だ。
 
「……では、毎日でも夕食のお相伴に預かろうかな。なに、食事代はちゃんと出すさ。ああ、それと、今度の土曜日は暇かね?」
「ええ、大丈夫ですよ」
「では、今度出来た屋内プールに二人っきりで……」
「良いですよ。楽しみにしてますね」

 バキッと音がした。何かと思ったら、私が箸を握り潰した音だった。
 嫌だわ。幻聴を聞いて、ちょっと力の加減を間違えたみたい。
 
「イリヤ。現実を見ろ。多分、お前とフラットより先にゴールインするぞ、あの二人」

 隣に座るモードレッドが言った。
 
「何を言ってるのかしら? 私達の士郎があんな生臭坊主なんぞに……」
「いや、士郎さんも満更じゃ無さそうだし……」

 桜の言葉に士郎を見る。驚愕の真実がそこにあった。あの士郎が頬を赤らめている。
 
「あ、あり得ない。だ、だって、士郎だよ? それに、士郎は元々……」
「恋愛に性別なんて関係無いんだよ」

 恐ろしい事を言い出したのは桃色髪の我が宿敵。
 
「という訳で、ちょっと性別の垣根を越えてみない? フラット」
「越えたら殺す」
「って、マイスイートハニーが言ってるから遠慮しときます」
 
 油断も隙もあったもんじゃない。
 
「お前なー。他人の幸せを祝えないなんて、ちょっと、どうかと思うぞ」

 沢庵を啄みながら言うモードレッド。
 
「だってー」
「泣くなよ……」

 だって、士郎はこの十年間ずっと一緒に居た家族なのだ。
 毎日、誰よりも早く目を覚まし、私達の為に朝御飯とお弁当を作ってくれる士郎。いつも、優しく体をゆすって起こしてくれる士郎。洗濯から掃除、風呂焚きまで私達の生活を支えてくれている士郎。
 その士郎が嫁に行く。悪夢でしかない。
 
「別に一成は悪い奴じゃないだろ?」
「そうだけどー」
「だったら、いいじゃねーか。お前だって、いつかはフラットと結婚してこの家を出てくんだろ?」
「……そうだけど」
「だったら、送り出してやれよ。凜の時みたいにさ」

 正直、凜が間桐慎二と結婚して、この家を出て行った時もとても哀しかった。いつでも会えるとは言っても、毎朝一緒に顔を合わせて食事をするという習慣がある私達の中から二人の人間が同時に居なくなるというのは寂しいものだ。
 
「士郎……」

 士郎はこの十年で変わったと思う。より、人間らしくなった感じがする。
 表情も豊かになり、自らの性質とも今ではある程度折り合いがつけられている感じ。その要因の一つは彼女の義理の姉の存在だった。
 聖杯戦争終結後、聖堂教会から事態の収拾の為に派遣されて来た彼女、カレン・オルテンシアは聖堂教会でも特殊な立場にあった。その為か、彼女は士郎に特殊な体質や性質との折り合い方を教授してくれた。
 曰く、聖杯に望む程の祈りとはどんなものであるかを考えなさい、と彼女は士郎に言った。士郎の起源は『聖杯』であり、その在り方を変える必要は無い。けれど、あくまでも自分が聖杯である事を自覚しろと彼女は言った。
 聖杯に捧げる祈り。それは決して軽はずみに口に出来るものでは無い。そのような祈りを捧げられた時だけ、動けば良い。
 数年前に仕事柄の無理が祟り体を壊し、死去した義姉の教えに従い、士郎は今日まで過ごして来た。彼女曰く、聖杯戦争に参加したマスター達が抱いたほどの強い祈りは未だに無いそうだ。
 だから、彼女は近所で評判の『良い人』という立場で生きている。
 祈りと関係の無い親切。彼女はその在り方を真に発揮する時を待ちながら、その性質を優しさという形で発露している。

「……そうだね。それで、士郎が幸せになれるなら……」

 きっと、一成は士郎を幸せにするだろう。
 悔しいけど、それだけは認めざる得ない。だって、彼はとても彼女を愛しているから。
 
「まあ、泣かせるような真似をしたら取り返しに行くとして……」
「おい……」

 呆れたように私を睨むモードレッドに私は別の話を振る事にした。
 
「それより、道場の方はどうなの?」
「ああ、良い感じだぜ。今日も新しい門下生が入った」

 ニヒヒと笑うモードレッドに桜が言った。
 
「現代の剣道をキチンと学んで、必要な資格まで取って、モードレッドは本当に凄いわ」

 瞳をキラキラさせて言う桜。
 彼女の言う通り、モードレッドは凄い。我が家の家系の為に十年前の事件を切欠に懇意となった藤村家の人の力を借り、戸籍を手に入れたかと思うと、あっと言う間に必要な知識と資格を手に入れて、我が家の境内にある道場で剣道教室を開いてしまった。
 最初は外人の金髪美女が開いた怪しげな道場を訪れる者は少なかったけど、士郎の近所付き合いの成果などもあり、徐々に門下生が増え、我が家の重要な資金源の一つとなっている。
 そう、私達のような多国籍の怪し過ぎる一団がこの街に溶け込めているのも、士郎とモードレッドの努力の成果と言える。街を歩けば、士郎の知り合いかモードレッドの門下生が挨拶をしてくれる程だ。
 
「あ、そうそう! 明日も仕事で出掛けてくるからね!」

 アストルフォが言った。
 驚くべき事にアストルフォも仕事をしている。しかも、仕事内容はファッションモデル。街を歩いていた時、彼の美貌にすっかり騙された間抜けなスカウトマンがガールズファッション誌のモデルに起用してしまったのだ。
 家計の助けになるならば、とよく考えずに引き受けたアストルフォにも問題があると思うけど、性別を隠したまま、謎の美少女モデルとして活躍中だ。

「漫画のキャラみたいな生き方よね、貴女」

 桜が呆れたように言う。同感だ。
 
「モデルの仕事って、結構楽しいよ。色んな服が着れるしね」
「でも、性別とかバレないの?」
「会社の人は知ってるもん。でも、重要なのは見栄えだってさ」

 大らかと言って良いのか、てきとうと言えばいいのか……。
 
「俺も明日はバイトで帰りは遅くなるよ。夕食は外で済まして来るから」
「分かりました。お弁当はどうします?」
「それはお願い」
「分かりました」

 うーん。そろそろ、私も本格的に花嫁修業をした方がいいかもしれない。正直、今の私は完全に皆に頼り切ってる。
 お金を稼げるわけじゃないし、家事が出来るわけでもない。大学に入ったら、バイトとかもしてみよう。
 そう、心に誓いながら、私は味噌汁を啜った。実に美味しい。
 
 夕食後、さっさとお風呂に入って、私は桜と一緒に受験勉強の続きを始めた。美遊と同様、桜も医大を目指している。その理由は過去の罪の償いの為だ。
 少しでも多くの人の命を救う仕事がしたい。彼女はそう言って、医大を目指している。それも、お金の掛からない特待生を目指して……。
 モードレッドが仕事を探したのも彼女の大学資金の調達が主な目的だ。とにかく、膨大な金額が必要だと予想され、モードレッドは必死に彼女為に行動している。遠坂、間桐、アインツベルンの財産をあらかた処分して得た賃金にも限りがあるからだ。
 
「桜……」
「なに?」
「頑張ろうね」
「……うん」

 私も負けていられない。私だって、桜よりランクは下がるものの、教師になる為に大学に行く。そこで、必ず特待生になって、奨学金を貰う。
 聖杯戦争とはまた少し違う、受験戦争という名の闘争に私達は必ず勝利する。そして、夢を叶えるのだ。
 
 ◆
 
 夜遅く、間桐凛は電話を掛けていた。最初は慣れなかったけれど、訓練の賜物で使いこなせるようになった。相手は遠い空の下に居る友人。
 
「元気?」
『ああ、元気だとも』

 電話の相手はライネス・エルメロイ・アーチゾルテ。十年前の戦争終結の後、彼女はバゼットと共に魔術協会に対する聖杯戦争のあらましと状況説明をする為に渡英した。
 一筋縄ではいかなかったようだが、他の面々は誰も彼もが魔術師として半人前、あるいは世間知らず、あるいは能天気だったから、やむなくという感じだった。
 結局、色々とゴタゴタが起きてしまったけれど、五年前に漸く落ち着く目処が立ち、彼女はバゼットと共に旅に出た。
 あの異世界での経験を切欠に彼女は真実を探る楽しさを知ったらしく、様々な遺跡を発掘するフリーランスの|遺跡発掘者《トレジャー・ハンター》になった。
 
「そっちはどうなの?」
『最近、面白い遺跡を発見してな。発掘中だよ』
「面白い遺跡って?」
『どうにも、過去では無く、未来の遺跡らしいのだ』
「未来の? それって、どういう意味?」
『恐らく、何らかの事故があったのだろう。この遺跡は未来からタイムスリップして来たらしいのだ』
「タイムスリップ……?」
『詳しい事はまだ言えんが、魔術だけで無く、科学の力も取り入れられているらしい』
「ふーん。っていうか、この遺跡って、もしかして今……」
『ああ、潜ってる最中だ。バゼットが先行して……っと、戻って来たな』

 ライネスの声が離れて行く。
 
『おいおい、どうしたんだ? 随分と怪我をしているが、トラップにでも引っ掛かったのか?』
『いえ、それが……。非常に不可解な現象と立会いました』
『不可解?』
『何故か……、遺跡の先にエミヤが居たのです』
『はあ?』

 何だろう。凄く気になる会話が聞こえる。耳を澄ましていると、バゼットが語るのが聞こえた。
 
『どうやら、異空間に繋がっていたらしく、学生服を身に纏うマスターと共に居ました。何とか退ける事が出来ましたが、彼らの撤退した後の道を進む事が出来ませんでした』
『異空間か……。一体、何なんだ、ソレは?』
『分かりません。ただ、彼らは『月』という単語を多用していました』
『月か……。興味深いな。この遺跡、徹底的に調査する事としよう。っと、すまないな、凜。待たせてしまった』
「う、ううん。ねえ、今の会話、エミヤって聞こえたんだけど……」
『どうやら、この遺跡は相当特殊らしい。調べ甲斐がある』

 かなり興奮している様子が受話器越しに感じる。
 
「えっと、それよりエミヤの事を……」
『こうとなっては電話をしている暇など無い! すまんが切るぞ! 私も潜ってくる!』
「ちょっ!」

 電話を切られた。昔の冷静な貴女はどこにいったの? 凜はがっくりと肩を落とした。
 
「電話は終わったのかい?」
「うん。ドッと疲れたわ……」
「……電話してて何で疲れるんだ?」
「……とりあえず、夕飯にしましょう」

 気を取り直して、準備していた夕飯を食卓に並べる。
 
「あ、そうだ。慎二にも報告しとかないとね」
「ん? どうしたんだい?」

 首を傾げる彼に私は言った。
 本当なら、電話でライネス達にも報告したかったのだけど……。
 
「赤ちゃんが出来たわ」
「そうか……、って、ええ!?」

 食べていた野菜炒めを口から吹き出して、慎二は立ち上がった。
 
「もう、食事中に立たないの!」
「い、いや、そんな場合じゃなくて! って、ええ!? 本当に!? 僕と凜の!?」
「当たり前でしょ。この子のパパはあなたよ、慎二」

 凜が呆れたように言うと、慎二は慌てた様子でテーブルを回り込み、凜のお腹に耳を当てた。
 
「こ、ここに居るのかい!?」
「い、居るから落ち着いて! まだ、耳を当てても分からないわよ!」
「い、いや、分かるかもしれないじゃないか! い、居るんだよね? ここに僕らの子供が! む、娘かい!? それとも……」
「まだ分からないわよ……。もう、ちょっと落ち着きなさいって」
「こ、これが落ち着いてなんて!」
「落ち着け」
「……はい」

 大人しく自分の席に戻る慎二に凜は微笑んだ。
 
「とにかく、貴方も来年には父親になるんだから、もっとしっかりしてね」
「う、うん!」
「とりあえず、名前を考えないとね。どんなのがいい?」
「えっと、そうだな……」

 夜が更けていく。彼ら彼女らは当たり前のような日常を当たり前に過ごす。
 家族を失った者は新たな家族を手にし、夢を見失っていた者は新たな夢を手にし、彼らは未来を創って行く。
 その様子を彼は見つめていた。太陽が照りつける神殿の奥。
 一人の老いた王が微笑んだ。
 
「中々に面白い。さて、次は別の未来を視るとしよう……。ほう、月の聖杯か……」

 王は楽しげに笑い、未来を視る。そこには人々の営みが映っている。彼が愛でる人の理。それを見守る事こそが人類最古の英雄王の努めであるとして……。

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