第四十九話「目的」

 今、私は自らの死を追想している。暗闇の中、串刺しにされ、焼かれ、窒息させられ、首を切り落とされた。繰り返される死と共に砕け散った筈の記憶が甦る。それは一週目の記憶。|ギルガメッシュ《アーチャー》を召喚し、イリヤやフラットと出会い、キャスターに挑んだ記憶が甦った。
 同時に一つの事実を私は知った。イリヤが一週目の出来事を語る前、どうして、皆が私に彼女の話を聞くべきではないと言ったのか、その理由も理解出来た。
 
「――――私は」

 溢れ出す記憶に翻弄されながら、私は両腕を掲げ、天を仰いだ。疑問が次々に氷解していき、同時に新たなる絶望が芽を出し、すくすくと成長していく。
 何故、二週目から召喚したアーチャーの姿が変わったのか?
 何故、二週目から私は聖杯に『魔術』の根絶など祈ったのか?
 その理由は単純明快。心を捻じ曲げる出来事があったからだ。希望を胸に抱き、最後の戦いに挑み、勝利した私の心を捻じ曲げたのは――――、
 
「死んでたんだ……。とっくの昔に」

第四十九話「目的」

 私はイリヤの手で殺された。『|この世全ての悪《アンリ・マユ》』の呪いを受け、肉体を滅ぼされ、魂すらも穢された。それが真実。恐らく、キャスターは自身の宝具『ヴァルプルギスの夜』の力で私という死者に仮初の命を与えたのだろう。その時に記憶を操作した。けれど、それは完璧では無かった。そもそも、霊魂に手を加えるのは酷く困難な事だ。まあ、だからこそ私は今、こうして記憶を取り戻す事が出来たのだけど。
 私は繰り返される死の中で心を蝕まれた。その内、心の奥底に眠っていた『魔術』そのものに対する憤りが膨れ上がり、憎しみへと転化したのだ。心を負の感情で満たした私は今のギルガメッシュを召喚する事が出来ず、より成熟し、冷酷さを深めたギルガメッシュを召喚した訳だ。
 
「はは……。まさか、私の末路が人間に食い殺される事とはな」

 どうやら、記憶を取り戻したのは私だけでは無いらしい。ライネスの乾いた笑い声が響く。
 
「すまない……」

 虚ろな表情を浮かべるライネスに慎二が頭を下げる。彼女を一週目で食い殺した張本人である慎二。彼の胸に去来する感情を私は想像する事すら出来ない。
 
「……なあ、私の味を覚えているか? 参考までに聞かせてくれたまえ」

 両目を手で覆いながらライネスが問う。
 
「私の腹は美味かったか? 顔は? 手足は? 性器はどうだった?」

 淡々と尋ねるライネスに慎二は答えなかった。否、答えられなかった。彼はみるみる顔を青褪めさせ、膝を折り、嘔吐した。何度も何度も吐き、胃の中が空になっても、胃液を吐き続けた。
 人の肉を食べた感触を彼は思い出してしまったのだろう。全身を掻き毟りながら悶え苦しむ彼を哀れに思ったのか、ライネスは彼を魔術で眠らせた。
 
「ふざけるな!」

 バゼットが青褪めた表情で壁を殴った。

「私がとうの昔に死んでいるだと!?」
「落ち着け、バゼット。お前らしくもない」

 ランサーが取り乱すバゼットを宥めるように言うと、彼女はキッと彼を睨み付けた。
 
「落ち着け?」

 バゼットは目を見開き、ランサーの手を振り払った。
 
「落ち着ける筈が無い! 死んでいるだなんて……、そんな」

 バゼットは瞳を不安げに揺らしながら、力無く椅子に腰を降ろした。消沈する彼女にランサーは困ったような表情を浮かべている。
 
「紅茶を淹れて来るわ。一度、心を落ち着かせましょう」

 私がそう提案し、部屋を出ると、誰かがついて来た。振り返らなくても分かる。
 
「紅茶くらい、一人で淹れられるわよ?」
「……だろうな」

 アーチャーは肩を竦めながら私が紅茶を淹れている間もずっと傍に居た。
 
「もう、どうしたのよ、アーチャー?」
「……無理をするな」

 アーチャーの一言に体が強張った。

「無理って?」
「泣きたいなら泣けばいい。怒りたいなら怒るがいい。だが、それらを押し殺す事は許さん」
「押し殺してなんて……」
「我の目を誤魔化せるとでも? 凛、お前の心は今、大きく揺れている。自らの死と友の裏切り。動揺するのも致し方無い事だ。ならば、今の内に吐き出しておけ」
「べ、別に……」
「今を逃せば、お前は心に重石を乗せたまま、友と対面する事になる。その果てにあるのは絶望だけだ」
「なら、希望はどこにあるの?」

 私の問い掛けにアーチャーは口を噤んだ。
 
「私、もう死んでるのよ? それも、|友達《イリヤ》に殺されて……」

 頬を涙が伝う。溢れ出した感情を私はアーチャーにぶつけた。
 
「どうして!? 私はイリヤと一緒に幸福な日々を取り戻そうと、頑張ったのよ!?」
「ああ、そうだな」
「何で、イリヤが私を殺すのよ!? 何で、こんな訳の分からない世界まで創って……」

 アーチャーの胸を何度も叩いた。泣き叫び、彼に怒鳴り声を上げた。
 彼は終始口を噤んだまま、私の感情を受け止めてくれた。
 やっとの思いで平静を取り戻した頃には紅茶はすっかり冷めてしまっていた。仕方なく、改めて淹れなおしていると、アーチャーは言った。
 
「希望はある」

 単なる励ましの言葉に過ぎないと分かっていても、私の心はずっと軽くなった。英雄王・ギルガメッシュの言葉には特別な力が宿っている。カリスマという稀有なスキルがどんな絵空事をも相手に信じさせる。
 
「……うん」

 紅茶とお菓子をお盆に載せて、皆が待つ部屋に戻ると、誰もが思いつめたような表情を浮かべていた。
 
「遅かったな」

 ライネスが此方を一瞥して言った。
 
「ちょっとね」
「……まあ、いい。それよりも、一旦、話を整理したい。いいかね?」
「ええ、勿論よ。でも、その前に一口くらいは飲んでちょうだいね」

 ライネスは「ああ」とお盆から紅茶を受け取り、口に運んだ。
 
「貰うぜ」

 ランサーが一言断ってから紅茶をバゼットの下に運んだ。
 
「飲んどけよ」
「……要りません」
「いいから、ほれ」

 押し付けるように紅茶を渡し、ランサーはバゼットを椅子に座らせた。
 
「ボク達も頂こうか、フラット」

 ライダーの言葉にフラットが頷く。
 
「どうぞ」
「ありがとう、凛ちゃん」

 紅茶を受け取り、フラットも椅子に腰掛ける。
 
「ルーラーもどう?」
「ええ、頂きます」

 最後にイリヤにも渡し、全員に紅茶が行き渡った所でライネスが口を開いた。
 
「情報を整理しよう。イリヤスフィール。君に幾つか質問をしたいのだが、よろしいかな?」
「ええ、何でも聞いてちょうだい」
「では、単刀直入に聞こう。まず、我々は全員既に死亡している。この事に間違いは無いか?」

 誰もが息を呑んだ。ライネスの質問はあまりにも直球過ぎる。
 イリヤも驚いたのか、目を大きく見開いてから言った。
 
「……ええ、ここに居るメンバーは一人残らず死亡しているわ」

 その言葉に心が大きく揺さぶられた。予想していた事だが、イリヤの口から断定の言葉が飛び出した事で変えようの無い真実となってしまった。
 私だけではない。質問をした当の本人であるライネスまでもが表情を曇らせている。
 けれど、彼女は誰よりも早く立ち直り、再びイリヤに質問をぶつけた。
 
「全員の記憶の照合も兼ね、全員の死因を聞きたい」
「いいけど……」

 イリヤは戸惑い気に私達を見る。死因の再確認なんて、正気の沙汰じゃない。けど、全員の記憶を照合する事は重要な事だ。
 私が頷くと、イリヤはゆっくりと口火を切った。
 
「まず、ライネスの死因からね。ライネスはキャスターと共謀していたアサシンの手によって殺害され、その肉をアサシンのマスター、間桐慎二に食べられたわ」

 人に食べられるという壮絶な結末を迎えたライネス。彼女の表情が僅かに歪む。
 
「……一つ、新たな情報が飛び出して来たな。アサシンがキャスターと共謀していたというのは事実か?」
「間違いないわ。キャスター本人が語った事だし、そう考えると、セイバーとアーチャーの決戦時に彼らが同時に動いた理由も納得がいくし」

 甦った記憶を追想する。アーチャーがセイバーと決着をつけるべく、戦った時、黒い影が現れた。キャスターの手駒たる佐々木小次郎と共に。
 丁度その時、セイバーがマスターの死亡を口にしたと、その後にアーチャーが語った。
 
「付け加えると、アサシンのサーヴァント、ラシード・ウッディーン・スィナーンの宝具は『フィダーイー』を作り出すというもの。生者の肉体を改造し、自らの手駒とする術よ」
「生者をフィダーイーに……」

 私の視線は無意識の内に慎二を介抱しているアサシンに向いた。
 
「恐るべき事なのだけど、スィナーンによって改造を施され、フィダーイーとなった者はサーヴァントに比肩する能力を持つの。しかも、彼は歴代のハサンが持つスキルや宝具を自らのフィダーイーに付与する事が出来る。例えば、一週目の慎二が自己改造のスキルを付与されたわ。だからこそ、彼はライネスの魔術回路と令呪を手にする事が出来た」
「……幾つか、謎が解けましたな」

 アサシンが呟くように言った。皆の視線が彼に集まる。
 
「何故、前周回でマスターがハサンを召喚したのか。何故、この周回でマスターが私を召喚したのか。そもそも、何故、彼はサーヴァントを召喚出来たのか……」
「サーヴァントの召喚に関しては恐らく、私の魔術回路を得た事が要因だろうな」

 ライネスの言葉にイリヤが頷く。
 
「多分、そうだと思う。けど、彼の自己改造のスキルはランクがとても低くて、得られた魔術回路は微々たるものだったわ。だから、召喚を行う度に中身を一気に持っていかれる」

 合点がいった。衰退した間桐の末裔たる慎二がどうしてサーヴァントを召喚出来たのか、その理由を私は英霊召喚という儀式を行う事で聖杯の魔力が彼に流れ込み、無理矢理回路が抉じ開けられたのだろうと推測していた。
 けれど、実際には違った。彼は一週目で得たライネスの魔術回路を使ったのだ。
 
「この世界はあくまで、一週目の聖杯戦争が一度終結した後に作り出された世界。更に、この間桐慎二は私の魔術回路を持っている」

 ライネスは判明した事実を並べ立て、首を傾げた。
 
「不可解だな……」
「ライネス?」
「……いや、この問いは最後に持っていこう。それより、話を続けてくれたまえ」

 言葉を濁すライネスに眉を顰めながら、イリヤは話を続けた。
 
「次はバゼットの死因ね」

 バゼットが体を強張らせた。封印指定執行者という肩書きから、私は彼女に豪傑というイメージを抱いていたけれど、自らの死という現実に立ち会った彼女は酷く儚げだった。
 傍に付き添うランサーが励ますように彼女の肩を抱く。
 
「バゼットの死因はランサーを庇い、アーチャーの宝具を受けた事が原因よ」

 イリヤは言った。
 
「監視していたキャスターから聞いた話だから、私も直接目撃したわけじゃないのだけど、ランサーはアーチャーとの真っ向勝負で破れたの」
「……私の切り札はアーチャーに通用しなかったのですか?」

 彼女の切り札とは逆光剣・フラガラックの事。光の神・ルーの剣。正真正銘の宝具である。フラガ家は代々この宝具を伝え続けてきた|伝承保菌者《ゴッズ・ホルダー》であり、彼女こそ、フラガ家の当代当主なのだ。
 逆光剣の能力は相手の切り札に対するカウンター。相手が切り札を行使した時、後出しジャンケンのように発動し、因果を捻じ曲げ、『相手が切り札を行使する前に既に死亡していた』という事実を作り出す。如何に強大な力を誇る宝具も発動前に担い手が殺されてしまっては発動しない。
 あまりにも反則的な能力を持つこの宝具をアーチャーは如何にして打ち破ったのか、私達の疑問の答えは実にアッサリとしたものだった。
 
「簡単な話よ。彼は切り札を使わなかった。ただ、それだけの話」
「切り札を出し惜しんだってのか?」

 ランサーは苛立たし気に尋ねた。
 
「アーチャーの宝具は終末剣・エンキ。発動したが最後、世界を滅ぼす大海嘯、『ナピュシュティムの大波』を引き起こして、地上全てを洗い流す。キャスターのヴァルプルギスの夜を一撃で打ち破った終末剣の力を彼は地上で振るおうとは思わなかったみたいね」

 そっと、アーチャーの様子を伺う。彼は無言のまま、紅茶を口にした。
 
「ッハ、世界を滅ぼすか……。スケールがデカイな」

 ランサーは吐き捨てるように言った。
 
「アーチャーにとっての切り札は終末剣のみ。他の宝具は如何に強大な力を持とうとも、彼の切り札となり得ないのよ」
「……なるほど」

 腕を組み、バゼットは不服そうに瞼を閉じた。
 
「……記憶通りというわけですね」

 彼女の体の震えは怒りによるものだと思った。けれど、彼女が再び瞼を開いた時、そこにあったのは恐怖の感情だった。
 彼女が敢えて分かり切った事を聞いた理由は一つ。自らの記憶とイリヤの証言に差異を見出そうとしたのだ。自らの記憶に誤りがあれば、自らの死という現実から目を逸らす事が出来ると考えたのだ。
 
「私は死んでいるのですね……、本当に」

 涙を零す彼女の額にランサーが手を当てた。すると、彼女は意識を失った。
 
「ったく……。嬢ちゃん、悪いが、部屋を一つ借りれるか?」
「上の階の客室でいいかしら?」
「ああ、感謝する」

 静かな寝息を立てるバゼットをランサーが部屋の外に連れ出した。しばらくして、戻って来た彼は言った。
 
「話の腰を折って、悪かったな」
「ううん。彼女の反応は至極当然のものよ。自分が既に死亡しているだなんて、悪夢以外の何者でも無いもの」
「……まあ、アイツもか弱い乙女だったというわけだ」

 肩を竦めるランサー。よく考えてみたら、彼を含め、サーヴァント達は皆、既に死亡している存在だ。同じ立場に立って初めて、彼らが自然体で行動している事の凄まじさを理解出来た。
 自らの死を受け入れて尚、歩を進める事が出来る。それが英雄と呼ばれる存在なのだろう。
 
「……次はフラットね」

 フラットが頷くと、イリヤは言った。
 
「フラットの死因は……正直、分からないの」
「分からない?」

 私は首を傾げた。この中で唯一、全ての情報を握っている筈のイリヤが分からない、とはどういう事だろうか。
 その答えはフラットの口から飛び出した。
 
「……俺の体はモルガンが治してくれた。けど、その後に何故か再発した。まあ、十中八九、キャスターの仕業だろうね。君を追い詰める為に……」
「……やっぱり、そういう事よね。大方、呪いを掛けたかなんかでしょうね」
「なるほどね。フラットはイリヤにとって誰よりも尊い人だった。だからこそ、その死に打ちのめされて、あんな暴挙に出た……」

 私が呟くように言うと、イリヤは暗い表情を浮かべ、頷いた。
 
「ついさっきまで元気だったフラットがいきなり苦しみだして、血を吐いたの。本当に恐ろしかったわ。過程はどうあれ、これで全て上手くいくと思った矢先だったのに……」

 その時の恐怖を思い出したのか、イリヤは体を震わせた。
 
「全て……か、やっぱり」
「フラット?」

 不意にフラットが立ち上がった。途惑う私達を尻目に彼はイリヤの目の前に立ち、ジッと、彼女の瞳を覗きこんだ。
 
「やっぱり、君はクロエだね?」

 フラットは言った。
 
「クロエ? 待って、フラット。クロエは数年前に既に死亡してるって、さっきイリヤが……」
「そうじゃないよ、凛ちゃん。彼女はイリヤちゃんが心の内に秘めていたもう一人の人格さ。俺と公園で語り合ったクロエというイリヤちゃんの交代人格。だろ?」

 フラットの言葉にイリヤはニヤリと笑みを浮かべた。
 
「大正解。凄いわ、フラット。よく分かったわね?」
「まあ、記憶が戻った時点で違和感を覚えてたんだけど、それが今、確信に変わったところだよ」

 フラットは言った。
 
「『全て上手くいくと思った矢先』……。これは、君が公園で話してくれた計画の事を言ってるんだろ? イリヤちゃんを救う。その為の条件は揃っていた。夢幻召喚したモルガンによる再調整と凛ちゃんという希望が君の祈りを叶えてくれる筈だった」
「そうよ。けど、最後の最後でキャスターが台無しにした」

 イリヤ……、クロエは怒りを滲ませて言った。
 
「奴はフラットが死に、絶望に呑まれたイリヤにこう言った。『全てをやり直したいとは思わないかね?』ってね」
「全てを……やり直すって……」

 脳裏にイリヤの最後の言葉がフラッシュバックした。
 
『安心して頂戴。上手くいけば、私も貴女も全てを取り戻せる。そう、キャスターが教えてくれたの』

 彼女はそう言った。全てを取り戻せる、と。
 その言葉の意味を私は今になって理解した。つまり、彼女は……、
 
「待て! 全てをやり直す、というのは分かる。それを聖杯に願う気持ちもだ! だが、ならばこの状況は何だ!?」

 ライネスが声を荒げた。
 そうだ。イリヤの祈りが全てをやり直す事であるなら、この状況は実に不可解だ。何の為に死者である私達をヴァルプルギスの夜という箱庭に閉じ込めて、同じ時を繰り返させる必要があるというのか。
 私達は疑問の答えを求め、クロエを見た。
 
「順序立てて説明するわ。彼女達の計画はあまりにも複雑だから、一から説明させてちょうだい」

 じれったく思いながらも私達は頷いた。
 
「キャスターと出会う前、フラットが突然死した直後、イリヤが思い浮かべたのは凛の事だったわ」
「私?」
「そうよ。イリヤは恐怖したのよ。フラットが死んだ以上、もう、残っているのは凛だけ。でも、彼女は自分から離れていってしまうかもしれない。その可能性に怯えたの」
「ど、どうして……」
「だって、イリヤは貴女の大切な人を殺したんだもの」

 クロエの言葉に目を見開いた。
 目を背けていた事実。イリヤが慎二を殺したという事実を私は今になって直視する事になった。

「で、でも、それでも、私は絶対……」
「……うん。イリヤも信じようとしてた。でも、どうしても負い目を感じてしまった。それが凛との離別を想起させ、恐怖を招いた。そして、キャスターにそこを利用されてしまった」
「イリヤ……」

 どうして、信じてくれなかったんだろう。
 慎二を殺した事に対する怒りや憎しみが無かったとは言えない。けれど、私はそれでもイリヤの事が好きだった。今でもその思いは変わらない。
 怒りや憎しみ以上の愛情がある。それに、そもそも、慎二を直接殺したのは夢幻召喚によって、イリヤに憑依し、彼女の肉体を乗っ取ったモルガンであり、彼女が彼を殺したのも、彼が彼女を殺そうとしたからだ。
 イリヤに非なんて無い。その事を私はちゃんと理解出来ていた。理解出来るだけの力を私はアーチャーと共に歩む中で身に着けた。
 だから、信じて欲しかった。どんな甘言を弄されようと、私を信じて欲しかった。
 
「聖杯戦争に参加する以前から、私という交代人格を生み出す程、彼女は心を病んでいた。イリヤは愛情に飢えていたの……。だけど、一番身近に接していたメイドのセラが感情を殺され、相棒だったバーサーカーが泥に飲み込まれて、心がボロボロだったのよ……。そんなあの子にとって、あなた達は正に心の支えだったのよ」
「でも、信じて欲しかったわ……」

 私の言葉にクロエは俯いた。 
 
「ごめんね、凛……」

 記憶を取り戻した弊害だろう。顔が同じでも、心は違う筈なのに、イリヤが泣きそうな顔をしていると思うと、それ以上、怒る事が出来なかった。
 
「話を続けてもらえる? クロエ」
「……ええ。イリヤはフラットを甦らせると同時に、凛から奪ってしまった慎二の事も救いたかった。それに、この聖杯戦争で死亡した他のマスターの事も」
「何故だ? 話を聞いていると、私やバゼットはイリヤスフィールと面識すら無い様子だったが?」

 ライネスが尋ねた。
 
「もう、疲れ果ててたのよ。元々、あの子は聖杯戦争によって、自分と同じような目に合う人を作らない為に聖杯戦争のシステムを破壊する事を目的としていたの……。まあ、私が唆したのもあるんだけど。本当は誰とも争ったりしたくなかったのよ……」
「……別に、私達の死因にイリヤスフィールは関わって居ない筈だが?」
「でも、聖杯戦争には関わっている。聖杯戦争で不幸になる人を作りたくないと願っていたあの子は他の参加者の事も救いたかったのよ。ううん、というより、居なかった事にしたかったの」
「居なかった事に?」
「つまり、聖杯戦争で不幸になった人なんて、居ないって事にしたかったのよ。その為に、全てをやり直すという祈りを抱いたの」
「つまり、私達は子供の我侭に付き合わされているわけか……。自分の思い通りの展開にならないと嫌だと言うわけだ」
「……まあ、そう言う事ね。キャスターに唆された事も要因の一つではあるのだけど、彼女の意思も少なからずあったわ」

 ライネスは深く溜息を零すと、紅茶を一口飲み、再度口を開いた。
 
「それで、肝心な事がまだだ。一体、イリヤスフィールはどうやって、全てをやり直そうとしているんだ? 正直、奴の行動は不可解過ぎる」

 ライネスの言葉にクロエは答えた。
 
「そもそも、キャスターの思惑は士郎と同じものなの」
「どういう事?」

 私は大聖杯前での士郎との出会いを思い出しながら尋ねた。
 
「キャスター……、ファウストの生涯に関しては様々な諸説があるのだけど、その中に悪魔と一体になったというものがあるの。何が言いたいかというと、彼は悪魔そのものなのよ」
「……つまり、悪意の塊って意味?」
「違うな。凛、悪魔に関して、お前の認識は間違っている」
「どういう事?」
「悪魔とは結果はどうあれ、憑いた人間の苦悩を理解し、取り除こうとする架空要素の事だ。そこに明確な善悪は無い。まあ、憑依状態が長引くと、悪魔は人体を自らに近づけようとして、結果、肉体の崩壊を招くから、決して良いものでは無いがな」
「ちなみに、ファウストはその悪魔による変質に耐え抜き、一体化した異端なの。こういう事例は稀とはいえ、報告があるわ。そして、ここからが本題なのだけど、ファウストの精神性は悪魔に近いものなのよ。それ故に他者の苦悩を理解し、取り除こうとする。彼が士郎を大聖杯に接続したのも、それが理由なのよ。彼は士郎から苦悩を取り除こうとしただけだった。だけど、そこで問題が発生した」
「問題って?」

 私が訪ねると、イリヤは言った。

「士郎が大聖杯内部のアンリ・マユの祈りを聞き入れたように、ファウストもまた、その願いを聞き入れた。そして、厄介な事にファウストには士郎と違って、自らの行動が及ぼす結果を考えるという思考が存在しないのよ」
「つまり、士郎は世界の破滅を予測して、私に討たれる事を良しとしたけど……」
「そう、ファウストは良しとしなかった。彼は何としても、アンリ・マユの祈りを叶えようと動いた。その結果、彼は士郎を捨て、イリヤを唆した」
「つまり……、この現状は……」

 ライネスは額から汗を流しながら、
 
「|この世の全ての悪《アンリ・マユ》生誕のプロセスの一つというわけか……?」

 そんな、ゾッとするような事を彼女は口にした。

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