第四十一話「再会」

 夜の街を二つの光が駆け抜ける。薄気味が悪い程、人気の無い繁華街に目も暮れず、光はビルを倒壊させ、家々を破壊しながら新都の中心部に向かって進んでいく。
 片や弓の英霊は無数の宝具を機関銃の如く撃ち出し、片や剣の英霊は一振りで大地を割る。聖杯戦争史上、最強であろう二騎の英霊の激突は壮絶の一言に尽きる。
 双方の一挙手一投足が破壊を生み、その様たるや、もはや戦争などという単語すら生温い。
 災害――――。もはや、そうとしか形容し得ない両者の争いはついに冬木市のライフラインの要たる駅前の広場に到達した。
 
「……人っ子一人居やしねぇ。随分、周到に準備して来たらしいな」
「ああ、今ここに立つは我ら二人のみ! 存分に武勇を競えようぞ!」
「――――ッハ、生憎、戦いに愉悦を求めるには歳を取り過ぎているものでな!」

 吼えるセイバーの剣に真紅の雷が迸る。膨大な魔力が注ぎ込まれ、極光を纏いし魔剣をセイバーはその豪腕をもって振り下ろす。
 真名の解放では無い。ただ、強引に刃に魔力を乗せ、振るっただけの技とも言えないような暴挙。されど、それを振るったのが勇者王・ベオウルフとなれば話が変わってくる。
 伝承に曰く、その腕力は宝剣を叩き割り、その握力は竜の鱗をも引き剥がすという。それほどの豪腕の下で振り下ろされた斬撃の威力たるや、大地に巨大な溝を作り上げる程。
 間一髪で避けたギルガメッシュにセイバーは更なる追撃を行う。真名を解放するという手順の存在しない、宝具クラスの斬撃。
 アーチャーが己の主より伝えられたセイバーの武勇は彼の力の片鱗を示したに過ぎず、今、彼は真の力を発揮していた。
 アーチャーの繰り出す宝具の弾丸はセイバーの繰り出す宝具クラスの斬撃に打ち落とされ、彼は劣勢に立たされていた。にも関わらず、彼の表情に浮かぶのは微笑。
 セイバーは瞠目した。如何に無数の宝具を所有していようとも、セイバーはそれを純粋な力で捻じ伏せる。もはや、このまま戦い続ければアーチャーの敗北は揺るがない。にも関わらず、アーチャーは後退では無く、前進を選んだ。

「――――その蛮勇、愚か也!」

 勝てぬと分かり切った進軍。それをセイバーは勇気とは呼ばない。
 勝てぬのならば退く。それこそが真の勇気。
 
「戯け!」

 だが、セイバーは未だ理解していない。眼前の敵が何者であるか、彼はその正体を見抜くに至っていない。
 人類最古の英雄王がただの蛮勇で敵に立ち向かうなどあり得ない。彼を知る者ならば当然分かる事を彼は知らない。

「くたばりな!」

 セイバーの魔剣が振り下ろされる。例え、直撃を免れようとも死を免れる事は不可能な一撃。ランクAの対城宝具にすら匹敵する斬撃を前にアーチャーは嗤う。
 
「この我の事はともかく――――」

 再び、セイバーは瞠目した。目の前に突如現れたのは黄金の盾。至近距離から斬撃を浴び、罅割れながら、盾は主を鼓舞するが如く吼える。
 前周回で、大英雄の宝具を受けて尚、主を守り通した王の盾はセイバーの斬撃を受けて尚、立ちはだかる。
 セイバーにとっての不覚はアーチャーの宝具が武器のみだと思い込んだ一点に尽きる。無理も無い事だ。アーチャーは無数の宝具を持つというだけで十分にイレギュラーな存在であり、その上更に武器以外の宝具まで所有している等、想定外にも程がある。
 故に発生した刹那の隙。アーチャーは見逃さなかった。無数の拘束宝具がセイバーを捕らえる為に奔る。
 
「――――我の宝具を舐めるなよ!」

 第四十一話「再会」

 高層ビルの屋上に一人取り残された私はアーチャーに渡された礼装を硬く握り締めていた。ギルガメッシュが戦いに赴いた以上、ルーラーが戻って来るまでは自分の力で危険に対処する他無い。
 正直、乗せられるままにここまで着いて来てしまったけど、私は屋敷で待っていた方が良かった気がしてならない。風の吹く音があまりにも大きくて、周囲の小さな音が拾えない。誰かが忍び寄って来たとしても、聴覚はあまり役に立たないだろう。
 視覚だけを頼りに全方位をくまなく警戒するのは容易い事では無かった。ただでさえ、極度の緊張感の中、体力が奪われ続けている今、集中力を持続させる事が酷く難しい。
 けれど、弱音を吐いては居られない。いつ、どこから敵が襲い掛かって来るか分からないのだから――――。
 
「わひゃっ!?」

 突然、礼装が震え出した。魔力が強制的に奪われ、見えない壁に取り囲まれた。
 直後、見えない壁に銀色の何かがぶつかった。
 
「な、なに!? なんなの!?」

 パニックを起こし掛ける私に向かって、銀色の何かはまるで液体のように形を変えて襲い掛かって来た。けれど、見えない壁は頼もしい程に鉄壁で、銀色の何かを決して壁の内側へ入れなかった。
 ギルガメッシュが貸してくれた礼装の名はガンバンティン。あらゆる魔術を無効化するという神の杖だ。持ち主に最高位の対魔力を付与する一級品の宝具で、現代の魔術師ではこの杖の守りを魔術で突破する事は不可能らしい。
 実際に使ってみると、頼もしい事この上ない。このまま、ルーラーが来るまで敵が魔術だけを使って攻めて来るなら凌ぎ切れる。希望に頬を緩めた直後、銀色の液体は刃に形を変え、私の周りの地面を切り裂いた。
 
「ちょ、ちょっと!?」

 突然の浮遊感に私は思わず杖を手放しそうになった。慌てて抱きしめるように杖を掴むと、真っ逆さまに下のフロアへと落下した。
 衝撃が来る。そう、覚悟した瞬間、私は更に下のフロアへと落下した。
 落下が止まらない。落下速度はぐんぐんと上がっていくにも関わらず、一向に衝撃はやって来ない。
 
「ま、まさか……」

 魔術が通じないからって、こんな荒業ありなの!?
 敵は銀の液体で作り出した刃で地面を次々に切り裂き、私を転落死させる気だ。
 予想外にも程がある。このままでは死ぬ。そうと分かっているのに、私はパニックを起こしてしまった。
 
「た、助けて! 誰か! 助けて!」

 どちらにせよ、どうする事も出来ない。何かを掴もうにも、手が届かない。敵はガンバンティンの作る守護結界の周りを切り裂いた。その直径は三メートル弱もある。
 死ぬ。死んでしまう。こんな所で、何も出来ずに死ぬ。
 
「嫌だ! 誰か! 誰か! お願い!」
 
 不味い。意識が薄れていく。死の恐怖から精神を守る為に強制的に脳が意識をシャットダウンしようとしている。それは駄目だ。こんな状態で意識を失ったら、本当にお終いになってしまう。
 考えなきゃ。考えなきゃ。考えなきゃ。
 瞬間、まるで、時間が何倍にも引き延ばされたかのような感覚に陥った。
 主観時間という言葉がある。例えば、人の夢は起きる寸前の二十分の間に見ると言われているが、夢の中ではその何倍もの時間を過ごしている気がする事がある。その現実の時間とは違う夢の中で認識している時間を主観時間と呼ぶ。
 何倍にも圧縮された主観時間の中で、私は様々な過去の記憶を思い出していた。走馬灯と呼ばれる現象であり、脳が過去の記憶から窮地を脱する為の手段を超スピードで検索しているのだ。
 それは意識ではなく、無意識によるもの。そして、幾つかの記憶がまるで寸前にあった出来事かのように鮮明に浮かび上がった。
 一つ目は父との修行の記憶。私は父から魔術刻印を移植されている。
 二つ目は臓硯による調教の記憶。私の魔術刻印を封じる為に特別な刻印虫が埋め込まれている。
 三つ目はギルガメッシュが私の体を清めた時の記憶。全身から全ての刻印虫が洗い流され、肉体の機能全てが修復されていく。
 三つの記憶が指し示す意味。それは即ち――――、
 
「―――――|Anfang《セット》!」

 移植された魔術刻印に魔力を流し込む。
 直後、四つ目の記憶が脳裏に浮かんだ。それは遥か昔に見た英霊・エミヤの記憶。その中で見た、私とは違う道を歩んだ遠坂凛の姿。彼女はこうした高い場所から降下する術を知っていた。
 
「|Esistgros《軽量》,|voxGott《戒律引用》,|EsAtlas《重葬は地に還る》――――!」

 
 ガンバンティンも担い手の魔術は無効化しないらしい。ふわりと落下速度が緩んだ。以前、落下は続いているけれど、これなら足を挫く程度で済みそうだ。

「うきゃっ」

 何とか足から着地する事が出来たが、まるで、二階から飛び降りたかのような衝撃が奔る。痺れるような痛みに涙が滲む。
 
「で、出来た……」

 痺れが取れると、私は湧き上がる喜びに身を震わせた。
 自分の力で窮地を脱する事が出来た。その事が凄く誇らしい。ギルガメッシュにも見てもらいたかった。きっと、褒めてくれた筈だ。
 
「と、とにかく、逃げなきゃ」
『――――どこへ逃げるつもりだ?』

 移動しようと動かし掛けた足が止まる。まるで、老人のようにも、子供のようにも、男のようにも、女のようにも聞こえる不思議な声が響いたのだ。
 危機を脱した安堵により遠ざかっていた恐怖が戻って来た。荒く息をしながら、周囲を見回すが、誰も居ない。
 
『探しても無駄だ。それより、随分と面白い礼装を持っているな。よもや、我が|月霊髄液《ヴォールメン・ハイドラグラム》の攻撃を防ぎ切るとはな……。是非、名前を教えてもらえないか?』
「……あ、あんた、なんかに教える義理は無いわ!」

 怯えている事を悟られないように精一杯の気勢を張る。
 
『そうか、残念だよ、間桐桜』

 知ってるんじゃない。知っていて。敢えて問い掛けてきたのだ。
 それはつまり、私の事をおちょくっているという事。
 私が今、恐怖に慄いている事を察しているのだ。見下されている。その事に腹立たしさを感じ、そんな自分に驚いた。
 こんな反骨心が私の中に残っていたなんて、驚きだ。
 
「出て来なさい! せ、正々堂々真正面から来なさいよ、卑怯者!」

 恐怖を吹き飛ばす為に声を張り上げる。
 すると、笑い声が響いた。
 
『中々、面白いな、お前。魔術師が正々堂々真正面から戦いに挑むなどと……、随分と可愛い事を言う』

 怒りと羞恥で顔が赤くなった。完全に馬鹿にされているのが分かる。
 五月蠅い。私が魔術師として未熟者である事は私自身が一番良く分かっている。それでも、馬鹿にされる事が堪らなく悔しい。

「出て来ないつもりなら、とっととオサラバするだけよ!」

 どうせ、魔術では私を止められない。本人が出て来る以外に私を止める方法なんて――――、

『おいおい、現代の防犯設備を舐め過ぎだぞ?』
「なっ!?」

 突然、目の前でシャッターが降りて来た。火災時に火の回りを堰き止める為の防火シャッターはとても頑丈で叩いてもビクともしない。
 
「こ、これが何だって言うのよ!」

 防火シャッターの隣には扉がある。ここから出ればいいだけの話だ。
 
『甘いな。甘過ぎるよ、桜。このビルは最新式の設備が整っているんだ。当然、扉の鍵も遠隔操作出来る電子式さ。緊急時にはロックが解除されるが、ここからならボタン一つで再ロックする事が出来る』

 なるほど、敵の居場所は分かった。敵は防犯設備の遠隔操作を行える警備室に陣取っているわけだ。でも、それが分かったところでどうにもならない。ここから自力で脱出するのは不可能だ。
 
「自力では無理ね……」

 なら、他力に助けを請うだけよ。もう直ぐ、ルーラーが来てくれる筈。そうすれば、ここから抜け出せる。
 
『どうやら、外の助けを期待しているらしいな。猛スピードでサーヴァントが一体、ここに向かって来ている』

 間違い無い。ルーラーだ。これで形勢逆転よ。
 
『だが、手遅れだな。これでは間に合わん』
「――――え?」
『さて、問題です! コンクリートと鉄筋で出来た床、あるいは天井の重さは一体どれくらいでしょう?』
「……まさか」
『その杖は外敵の魔術を無効化出来るらしいが、さて、物理攻撃まで防いでくれるのかな?』

 敵の魔術礼装、|月霊髄液《ヴォールメン・ハイドラグラム》が天井をくり貫いた。落ちて来る。少なくとも、一トン以上は確実にあるであろう天井が私を押し潰そうと迫っている。
 さすがに、これをどうにかする術は記憶の中に存在しない。落下地点まで戻るにも時間が足りない。
 
「助けて……、慎二」

 咄嗟に出て来た名前は相棒ではなく、恋人の名前だった。
 彼にこんな状況をどうにかする術など無い。そんな事、分かり切っている筈なのに、私、馬鹿みたい。
 そんな風に己の末路を自嘲すると、あり得ない事が起きた。
 
『馬鹿な!? お前のサーヴァントはあのアーチャーでは無かったのか!?』
「ああ、私のマスターは彼女では無い」

 落下して来た天井を片腕で支えながら、彼は言った。
 
「だが、彼女は私のマスターの恋人だ。ならば、窮地に賭け付けるのは当然だろう」
「ア、アサシン!?」

 現れたのはアサシンのサーヴァント。どこからともなく現れた彼に私は目を丸くした。
 
「な、なんで、貴方がここに!?」
「マスターの令呪ですよ、凛殿」
「慎二の……?」
「ええ、マスターはラインを通じて、凛殿の窮地を知り、飛び起きて参られた。そして、私を見るや直ぐに令呪を使われた。恐らく、無意識だったのでしょうな。彼は令呪の使い方など知らなかった筈だ。それでも、私をこの場に送り込む事が出来た。いや、まったく、大したマスターだ」

 実に嬉しそうにアサシンは言った。
 
「仕え甲斐のあるマスターに恵まれた。さあ、凛殿。貴殿の身は私が守ります。何なりと、御指示を!」

 一瞬、彼の姿に嘗て、共に戦った紅白の布を腕に巻いたアサシンの姿を幻視した。最期まで、私を思い、戦ってくれた彼の事を思い出し、心が揺らいだ。
 
「……ここから脱出して、ルーラーと合流するわ! 道を拓いて、アサシン!」
「――――御意!」

 警備室に行こうとは言えなかった。敵にも令呪がある。万が一、敵がファーガスを呼び寄せたら、私がギルガメッシュを呼び出すより早く、敵に先制攻撃を受けるかもしれない。
 そうなったら、アサシンは私を庇って死んでしまう気がした。それが凄く嫌だった。
 
「セイッ!」

 アサシンは暗殺者に見合わぬ強力で防火シャッターを破壊し、道を切り開いた。
 今はとにかく、ルーラーとの合流を優先しよう。
 
「……来てくれて、ありがとう。アサシン」
「マスターの御意向故です。礼ならば、マスターに」
「うん。勿論、慎二にもお礼を言うわ。でも、貴方にも言いたいの。ありがとう」
「……勿体無き御言葉、忝い」

 照れているのか、顔を伏せるアサシン。やっぱり、彼に似ている。遠い過去の美しい思い出を彩るハサン・サッバーハという名の暗殺者。
 
「凛殿!」

 意識が一瞬、過去に向いた刹那、アサシンの叫びが木霊した。
 いつしか、私達は外に出ていた。そして、目の前にあり得ない光景が広がっていた。
 
「これは……」

 アサシンが私を背に庇いながら絶句している。
 当然だ。目の前に六騎ものサーヴァントが並び立っているなど、悪夢でしかない。
 明らかに異常な雰囲気を漂わせているサーヴァントの集団の前に彼女が居た。
 
「ルーラー!」
「退がって、凛! 彼らの狙いは私です! アサシン! どうか、凛をアーチャーの下へ!」

 ルーラーは一人、漆黒の光を纏うサーヴァント達に立ち向かおうと足を踏み出した。
 駄目だ。ルーラーでは、彼らに敵わない。数が多過ぎる。

「逃げて、ルーラー!」

 叫んだ瞬間、私は見てしまった。暗黒の光を帯びた英霊達。その正体を一人残らず私は知っていた。
 その中には私の大切な人達の姿も混じっている。涙が溢れ出した。酷過ぎる。こんなの、あんまりだ。

「ア、アーチャー。アサシン……!」

 嘗て、共に戦った二人が居た。

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