第十二話「裁定者」

 一触即発の空気を打ち破った少女はすいすいと部屋の中へと入って来た。
 新たなサーヴァント。私は確信を持って彼女を見た。重厚な鎧に身を包み、三騎の英霊の動きを同時に止めるという離れ業を為した彼女の正体に疑いの余地は無い。
 彼女は片手にランサーとファーガスを拘束している赤い布の端を握り、もう片方の手をセイバーに向けている。

「貴女、誰?」

 先程までとは打って変わり、クロエは酷薄な表情を浮かべ、少女を睨みつけている。
 警戒している。当然だろう。三騎の英霊を同時に制圧する力が如何に脅威か――セイバー曰く――危機感の足りない私でも分かる。
 少女は私達一人一人にゆっくりと視線を巡らせる。立ち居振る舞いが見事に洗練されている。セイバーやライダーを含めても、今まで見たサーヴァント達はどこか粗暴な雰囲気を漂わせていた。けれど、彼女からはそんな雰囲気を微塵も感じない。

「……その前にアーチャー。それに、アサシンも姿を見せて頂けませんか? ああ、バーサーカーは結構です。マスターがいらっしゃいますからね」
「……は?」
 
 私達の声が重なると同時に部屋の中に更なる侵入者が姿を現した。
 一人は黒い装束に身を包む怪人。顔を髑髏を象った面で隠している。不気味だけど、ホラーやファンタジーというより、ミステリーの世界から飛び出してきたかのような出で立ち。
 もう一人は黄金の鎧に身を包む不遜な表情を浮かべた男の人。彼が現れた瞬間、ランサーの顔が驚愕に染まった。

「何故、生きている!?」
「……戯けが。あの程度で我を討ち取れるとでも思ったか?」

 二人は知り合いらしい。それも、ただの知り合いじゃない。
 話の不穏さからして、恐らく、彼らは既に殺し合った事があるのだろう。
 ランサーは彼が死んでいると思っていたらしい。

「貴様への懲罰は後回しだ。それよりも、女。貴様、何者だ?」

 黄金の鎧を身に纏う英霊は殺気に満ちた視線を少女に向けた。
 セイバーが咄嗟に私を背中に庇いに動く。見れば、ライダーもフラットの前に出ながら油断無く槍を構えている。
 ここには、姿を現さないバーサーカーを除き、六騎の英霊が勢揃いしている。聖杯戦争に招かれるのは七騎の英霊のみだと聞いた。なら、彼女は何者なんだろう。

「私はルーラーのサーヴァント。ジャンヌ・ダルクと申します。此度の聖杯戦争の管理の為、聖杯により召喚されました」

第十二話「裁定者」

「ルーラー……?」

 疑問を口にする私に答えたのはクロエだった。

「聖杯がマスターを介さずに直接召喚した裁定者の英霊ね」
「聖杯自体が?」
「聖杯戦争に大きな歪みが出来た時、召喚されるサーヴァントらしいわ」

 クロエの答えに異論は無いらしく、ルーラーは小さく頷いた。

「此度の聖杯戦争において、重大なルール違反が行われた為、私が召喚されました」
「ルール違反?」

 私が首を傾げると、黄金の鎧のサーヴァントが黒装束の英霊を睥睨しながら言った。

「貴様の事ではないのか? アサシン」
「さて、何の事やら。むしろ、僕はあの『|勇者《ファーガス》』を名乗るサーヴァントこそが怪しいと思うけどね」
「ッハ! 面白い事言うな、アサシン。いっちょ、俺の剣の錆になってみるか?」

 赤い布に拘束されたまま、ファーガスはアサシンを睨み付ける。
 ルーラーの言った『ルール違反』が何の事だかは分からないけど、どうやら、心当たりのある人が何人か居るらしい。

「クロエはどう思う?」
「……さあ、知らないわ。ルーラー。貴女は分かってるの? そのルール違反者が誰なのか」
「いいえ。それについてはこれから調査を行うつもりです。どうやら、名乗り出てくれそうにはありませんし」
「当然ね。よりにもよって、ルーラーが出て来た以上、仮に誰かがルールを破っていたとしても、名乗り出る筈が無いわ」
「どういう事?」

 私が聞くと、クロエは肩を竦めて言った。

「ルーラーには幾つかの特権が与えられているのよ。聖杯戦争を管理する側として、参加者より優位に立つ為に」
「特権?」
「幾つかあるんだけど、例えば、全サーヴァントに対して有効な令呪とか」

 クロエの発言に黄金の英霊を除く全ての視線がルーラーに向けられた。
 彼女は様々な感情の入り混じった視線を受け止めた上で静かに言った。

「ええ、私には各サーヴァントへの令呪の行使が許可されています」

 そう言って、彼女は袖を捲り、腕に刻まれた令呪を私達に見せた。
 そこには計十四もの令呪が刻まれている。

「それに、どうやら相当に鼻が利くご様子だ」

 アサシンが言った。

「僕の気配遮断をアッサリ見破ったし、アーチャーだって、どうやったのか知らないけど、|僕《アサシン》と同程度の気配遮断スキルを発揮していた。にも関わらず、此方もアッサリ見破られた」
「相当な策的能力をお持ちらしいな」

 ファーガスが愉快そうに嗤った。

「否定はしません。それに、私にはもう一つの特権が与えられています。その上で申しましょう。『ファーガス』。少なくとも、貴方の『違反』は私が咎める対象ではありません。前例もありますしね」
「……ほう」

 ファーガスは瞼を細め、笑みを消した。

「潔白を証明してくれるのはありがたいが、俺が少なからず違反をしてるって事をバラすってのは、裁定者としてちと不公平じゃないか?」
「違反は違反ですので、公平さを規す為の処置と思って下さい」
「喰えねぇな」

 舌を打ちながらファーガスは体を揺すった。
 すると、彼を拘束していた布があっさりと解けた。

「破らないで下さいね。借り物なんですから」

 どうやら、ルーラー自身が解いたらしい。赤い布を大切そうに畳みながら言った。
 
「アサシン。貴方には言いたい事が無いでもありませんが、少なくとも、私が咎めるべき『違反』は犯していません。ですが、目に余る行いをするのでしたら、此方からも介入を辞さないつもりです。努々、お忘れ無きように」
「……ああ、了解したよ、裁定者殿」

 ルーラーの視線に初めて敵意のようなものを感じた。
 ジャンヌ・ダルクと言えば、私でも知ってるフランスの英雄だ。彼女の映画を見た事もある。旗を掲げ、剣を構え、祖国の為に戦場を駆け抜けた救国の乙女。
 最後は磔にされ、火炙りにされた。彼女の非業の末路を思い出し、私は思わず息を呑んだ。

「……あの、マジで、ジャンヌ・ダルクさんなんスか!?」

 突然、フラットが大声を上げた。
 ルーラーも驚いている。

「え、ええ、そうですが……」
「サ、サイン下さい!!」
「……へ?」

 ルーラーが目を丸くしている。
 無理も無い。私もフラットのあまりにも突飛な行動に頭が追いつかないでいる。
 見れば、あの傲慢不遜な態度を貫くアーチャーまでが片方の眉を上げながらフラットを見ている。

「サ、サインですか?」
「ハイ!! 俺、フランス出身で、ジャンヌさんの大ファンなんです!!」
「え、えっと、え、ええ!?」

 凄いわ、フラット。この緊張感溢れる状況でも、まったく普段のペースを崩さないで居られるなんて、ある意味凄いわ。

「で、出来れば、このシャツの背中にお願いします!!」
「え、えっと、は、はい」

 サインペンを渡されたルーラーはおろおろしながらフラットの背中にサインした。
 サインを貰ったフラットは感激に瞳を輝かせ、ライダーに見せびらかせた。

「見て見て!! ジャンヌ・ダルクのサイン!!」
「ちょっと、マスター!! ボクのサインはねだらなかったのに、ジャンヌのサインを欲しがるってのはどういうわけ!?」

 すると、今度はライダーがよく分からない怒り方をしながらサインペンを奪い取り、フラットの背中に自分のイラスト付きのサインを書いた。

「ふふーん! シャルルマーニュ十二勇士が一人、アストルフォのサインだよ!」
「おお!! こ、これは!!」

 すると、更に興奮したフラットがランサーの下に駆け寄っていく。
 ランサーは思いっきり顔を引き攣らせた。

「お願いします!!」

 サインペンを渡し、背中を見せるフラット。

「……お前、マジで大物だわ。いや、ほんと」

 呆れながら、ランサーはさらさらとフラットの背中にサインを書いた。

「ひゃっほー!」

 三人の英雄のサインに大喜びするフラットを見てると、段々私も欲しくなって来ちゃった。
 よく考えたら、女優とか俳優とかのサインよりよっぽどレアよね。

「駄目だぞ」

 物欲しげに見ていると、セイバーに先手を打たれた。
 指を唇に当てながらセイバーを見ると、物凄く剣呑な眼差しが帰って来た。

「あんな馬鹿な真似してみろ! さすがのオレも愛想尽かすぞ!」
「そんなー! ごめん、許して、セイバー!」
「だったら、もうちょい賢い選択ってのをしろ!」
「はーい」

 ちょっと、っていうか、本気で惜しい気分だけど、私はみんなのサインを諦めた。
 ライダーに使い捨てカメラで写真を撮ってもらっているフラットが羨ましい。
 
「とにかく……」

 コホンと少し頬を赤らめながらルーラーは口を開いた。
 フラットも慌ててライダーの隣に戻り、居住まいを正す。

「これより先、私も裁定者として聖杯戦争に参加します。私の最大の目的は違反者を発見、及び対処ですが……」

 ルーラーは私達一人一人に視線を向けながら言った。

「無闇に一般人を害する者があれば、その者も私の懲罰の対象となります。その事を肝に銘じておいて下さい」

 ルーラーの言葉にサーヴァント達は挑発的な視線を返した。
 彼らの顔には『やれるものならやってみろ』という言葉が滲んでいる。

「宴の締めに騒ぎ立てした事は謝罪します。それから、ライダーのマスター」
「あ、俺、フラットって言います! フラット・エスカルドス!」
「……でしたら、フラット。貴方の在り方は実に好ましい。ですが、軽はずみな行動で一般人を巻き込むような真似は謹んで下さいね。例えば、令呪を自慢したいからと言って、何も知らない一般人に令呪を見せびらかすなどの行為は控えてください」

 そんな事してたんだ……。
 頭を抱えたくなるようなフラットの奇行にランサーがククッと嗤った。

「そうだな。ああいうのは、もう止めとけよ、フラット。ライダーが居なけりゃ、今頃お陀仏だったんだからよ」
「は、はーい」

 どういう事だろう。ランサーも何だか訳知り顔だ。
 フラットとランサーは今夜が初対面じゃなかったて事かしら。

「では、私はお暇させて頂きます」

 そう言って、ルーラーが身を翻した時だった。
 突然、部屋の隅から声が響いた。

『待て、ルーラー』

 パパの声。
 視線を向けると、そこには一匹の蜥蜴が居た。

「何でしょう?」

 ルーラーは動じた様子も見せずに問いかけた。
 どうやら、彼女はあの蜥蜴の存在に既に気付いていたらしい。

『幾つか確認したい事がある。一つ、お前を召喚したのは、本当に聖杯なのか?』
「……質問の意図が量り兼ねます。もう少し、具体的にお願いします」
『では、言い方を変えよう。君は聖杯の穢れについて承知しているか?』
「聖杯の穢れ……?」
『知らなかったのか……。ならば、尚更疑問が沸く。君を召喚したのが聖杯だと言うなら、聖杯の現状を理解していないのはおかしい。それに、『あの聖杯』が君のような者を呼ぶとは思えない』
「……まず、疑問にお答えしましょう。より正確に言えば、私を召喚したのは|世界《・・》です」
「世界……?」

 疑問を差し挟む私にクロエが言った。

「つまり、ルーラーは『抑止力』なのよ」
「抑止力って?」
「滅びの要因を排除するモノ。世界とは、言い換えると集合無意識の事」
「集合無意識って、ユングの普遍的無意識とかの事?」
「あら、よく知ってたわね。それに近いわ。より、正確に言えば人類の持つ破滅回避の祈り、即ち『|阿頼耶識《アラヤ》』による世界の安全装置の事よ。世界を滅ぼす要因の発生と共に起動するソレは絶対的な力を行使し、その要因を抹消する。本来、抑止力はカタチの無い力の渦なんだけど、具現化する際に幾つかのパターンがあるの。例えば、滅びを回避させられる位置に居る人間を後押ししたり、自然現象として全てを滅ぼしたり……。聖杯戦争の目的が『根源』に至る事だから、当然、聖杯戦争を始めた御三家の頭首達は抑止力について対策を練っていた。それが『ルーラー』。抑止力にサーヴァントという枠組みを与える事で制御出来るようにしたってわけ」
「えっと、ちょっと待って……」

 難しい単語がずらずら並んでいるせいで、頭の中がこんがらがった。
 
「とりあえず、根源って何?」

 私の問い掛けにクロエは深々と溜息を零した。

「あらゆる魔術師が目指す到達点よ。魔術師にとっては常識以前の話」
「ヘ、ヘー。でも、何でその、根源に至ると抑止力が出て来るわけ?」
「幾つか仮説はあるんだけど、基本的に根源に至る事はアラヤにとって望ましくない事だと認識されているからよ」
「どういう事?」
「根源に到達するという事は言ってみれば、無に還るという事。『生きる』というあらゆる人間の持つ『未来』への思いとは正反対の行動なの。だから、アラヤは根源に至ろうとする者を排斥しようとする」
「それが……、抑止力」

 私はルーラーを見た。

『なるほど……。それは初耳だったな。とは言え、それなら納得だ。むしろ、何故、前回の聖杯戦争にルーラーが現れなかったのかが疑問だがね』
「聖杯の穢れですか……。興味深い話ですね」
『詳細を御所望ならば、一つ提案がある。まずはどこか、静かな話し合いの場を設けたい』
「私は構いません。聖杯戦争の歪みを正す事はルーラーのサーヴァントたる私の責務ですから」
『話が早くて助かる』
「私は言峰教会に拠点を置いています。日時や場所についてはそちらの都合に合わせます」
『感謝する』

 パパの声が聞こえなくなると、再び部屋の中の時間が動き出した。

「中々に面白くなって来たな」

 アーチャーはそう呟くと、姿を消した。
 気がつくと、アサシンの姿も無い。

「殺した筈の奴は生きてやがるし、八番目のサーヴァントは出て来る。ッハ、おもしれー。おい、フラット! 俺と戦うまで死ぬんじゃねーぞ」
「勿論ッス!」

 ランサーが姿を消すと、ファーガスもゆっくりとした動作でフラットを見た。

「じゃあな。楽しかったぜ」

 ファーガスも出て行き、残ったのは私達だけになった。
 
「私も行くわ」

 クロエが言った。

「ライダーのマスター。今宵はお招き感謝致します。次は戦場で会いましょう」

 優雅な動作でスカートを持ち上げながらフラットに頭を下げた後、クロエは私に向かって言った。

「もう少し、賢く立ち回りなさいね。じゃなきゃ、死ぬわよ?」
「う、うん……。心配してくれてありがと」

 私が言うと、クロエは小さく溜息を零した。

「生き残りなさいよね。私が殺すまで……」

 それっきり、クロエは振り返らずに去って行った。
 最後の瞬間、その瞳には深い殺意が宿っていた。
 息を呑みながら立ち上がると、私は改めて部屋の惨状を見た。

「とりあえず、みんな、部屋の片付けくらい手伝ってから帰りなさいよ……」
 
 一先ず、私は手近な所から片付けを始めた。
 フラットとライダーは興奮した様子でお喋りに興じているけど、放置して帰るのはさすがに気が引ける。
 セイバーも無言のまま手伝ってくれている。

「イリヤ。どうにもキナ臭い事になってるらしい。確り、警戒心を持て。お前は考えが甘過ぎる」
「……うん」

 夜が更けていく。

「これはどこに置けばいいのでしょう?」

 あ、ルーラーが残ってた。
 その手にはランサー達が飲んだビールの空き缶。
 私はセイバーとルーラーと共にせっせと部屋の後片付けをした。

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