第十七話「戦う理由」

 新都と深山町を繋ぐ冬木大橋から程近い海浜公園。まだ、七時を回ったばかりだと言うのに、辺りに人の気配は全く無い。
 アサシンのサーヴァントは溜息と共に目の前の少女を睥睨している。足下には血の気を失った女性が一人。

「魂喰いなんて、聖杯戦争のセオリーじゃないか。見逃して欲しいんだけど?」

 アサシンの言葉に|裁定者《ルーラー》たる少女、ジャンヌ・ダルクは不快そうに顔を顰めた。

「一日に五人。これを許容しろと?」
「別に殺してないんだし、いいじゃないか。それとも、放置したのが拙かったのかい? 確り、証拠隠滅すれば許してもらえるのかな?」
「……どうやら、改める気は無いようですね」
「待った待った! あるよ、あるある! まったく、せっかちだなー」

 令呪を掲げて見せるルーラーにアサシンは慌てた様子で言った。
 ルーラーには他のサーヴァントに対し、令呪の行使が許可されている。彼女の意向次第であっさり自害させられ兼ねない。
 冗談を言ってる場合じゃないと思い直し、アサシンは肩を竦めつつ言った。

「了解しましたよ、ルーラー殿。金輪際、魂喰いは致しません。これでいいですか?」
「……その言葉に偽りはありませんね?」
「無論ですとも」
「……分かりました。では、その女性は此方でお預かり致します」
「どうぞどうぞ」

 ルーラーは女性を抱き抱えると、アサシンに冷ややかな眼差しを向けた。

「もし、貴方が再び無関係の人間を喰らおうとしたら、その時は容赦しませんので、そのつもりで……」
「怖い怖い。了解であります、裁定者殿」

 軽薄な態度で応えるアサシンに対し、ルーラーは疑念に満ちた眼差しを向けた。
 すると、どこからか声が響いた。

「こっからは俺達に任せときな、ルーラー」

 月下に映える青きサーヴァント。血に濡れたが如き長槍を従え、ランサーのサーヴァントが姿を現した。
 彼は無造作に園内を歩き回る。その様はサーヴァントにあるまじき無防備なものだった。
 しかし、アサシンは先程までの軽薄さを消し去り、警戒の眼差しを向ける。

「臭いな。小蟲の臭いがぷんぷんするぜ。ルーラー。お前は知らないようだから教えておいてやるが、こいつが襲ったのは五人なんてもんじゃねぇよ」
「……どういう事ですか?」
「発見されて、保護された五人は単なる釣り餌という事ですよ」

 ルーラーの疑問に応えたのはランサーのマスターだった。バゼット・フラガ・マクレミッツは空中に球体を幾つも漂わせながら真っ直ぐにアサシンを睨み付けている。

「実際の被害者の数は分かりませんが、少なく見積もっても二桁の人間が殺されています」
「なっ……」

 言葉を失うルーラーを尻目にバゼットは冷然とした態度で言った。

「魂喰いは確かに聖杯戦争における常套手段と言えるでしょう。ですが――――」
「それは、王道ではない」

 バゼットの言葉にランサーが続けた。
 
「小汚い砂蟲なんざ、あんまり相手にしたくないんだが……」

 悪態をつきながら、ランサーは真紅の魔槍をアサシンに向ける。

「マスターの方針でな。外道を放っておく訳にはいかねぇんだよ」
「そうか……」

 刹那、戦闘が開始された。アサシンは一息の内に三本の短剣をランサー目掛けて投擲した。|投擲短剣《ダーク》と呼ばれる凶器がランサーの両目と喉笛に向かって寸分も狂わず高速で迫る。
 その奇襲をランサーは眉一つ動かさずに迎え撃つ。アーチャークラスの弓による射撃にも匹敵する威力を伴ったソレをランサーは己が槍を軽く一薙ぎして全て弾き返した。
 アサシンは高速で移動しながら次々にダークを投げる。その悉くをランサーは事も無く弾き返す。
 それは異常な光景だった。如何にランサーが優れた英霊だとしても、長柄の武器で針の穴をも通すアサシンの投擲をこうも軽々しく防げる訳がない。
 何故だ。斬り返す槍の隙間を縫い、確実に相手の死角を狙う己の短剣が何故こうも弾かれるのだ。
 アサシンが己が胸中に生じた疑念を口にするより早く、ランサーが口を開いた。

「まさかとは思うが……、貴様の芸はそれだけか?」

 彼の纏う空気が一変した。様子見は終わりという事らしい。
 
「ならば、これで仕舞いだ。貴様の心臓――――貰い受ける!!」

 瞬間、アサシンは踏み込もうとするランサー目掛け、迎撃に移った。攻守逆転。アサシンはランサーの動きを牽制する為に無数の短剣を拘束掃射する。
 対して、ランサーは軽く、ほんの僅かに槍の穂先を揺らすのみ。たったそれだけの動きでアサシンの視認すら出来ぬ短剣の嵐を防ぎ切る。
 ここに至り、アサシンは自覚する。己はこのサーヴァントに勝てない、と。
 ステータスや戦闘経験の違い以前に相性が悪過ぎる。

「ック――――」

 逃げの一手。アサシンはランサーが守勢から攻撃に移る一瞬の隙を狙い短剣を投擲した。同時に彼の槍の届く範囲から逃れようと大地を蹴る。
 その刹那、アサシンは理解した。目の前の英霊が如何に破格な技巧の持ち主であるかを――――。
 短剣を弾いた槍は一呼吸の内にアサシンの面を穿った。防御と反撃は刹那の内に行われ、アサシンの体は無様に宙を舞った。それは即ち、絶対的な隙を相手に見せるという事に他ならない。

「あばよ。|刺し穿つ《ゲイ》――――」

第十七話「戦う理由」

「十年前の事を少し思い出したの」

 私の言葉に一番反応したのはセイバーだった。心配そうに私を見つめている。
 大丈夫、と安心させる為に微笑む。

「思い出したって言っても、ほんの一部だけなんだけどね」

 思い出した事。キャスターが衛宮士郎を使い、行った奇妙な儀式について語ると、桜は困惑した表情を浮かべ、セイバーもまた、怪訝な表情を浮かべた。

「断片的過ぎて、よく分からないわね」

 桜が言った。

「でも、納得したわ。キャスターはアーチャーで何かを成し遂げようとしていた。だから、直ぐに殺さなかったのね……」

 回想するように瞳を閉じて言う桜に私は頷いた。

「……まあ、私が衛宮士郎について知っていたのはソレが理由」
「なんか、拍子抜けね……」

 桜の言葉に私は苦笑した。

「それより、聞きたい事があるの」
「何かしら?」
「桜はどうして、聖杯を欲しているの?」

 私の投げ掛けた問いに桜は微笑んだ。

「それを聞いて、どうする気?」
「どうするって、それは……」
「止めたい?」
「……うん」
「じゃあ、教えてあげない」
「え?」

 桜は立ち上がると、すたすたと歩き出した。慌てて追いかけると、桜は身を翻して言った。

「私が足を止めるのは死ぬ時だけよ」

 桜は言った。とても優しい目をしながら、それでも、ハッキリした口調で言った。
 
「私にとって、生きる目的は一つしかない。その目的を見失ったら、もう、生きてる意味が無くなってしまうのよ。だから、止まれないの」
「い、生きる目的なんて、幾らでも――――」
「そう言えるくらい、幸せな人生を歩んで来た貴女が羨ましいわ」

 まるで、刃を突きつけられたような気分。
 お前と私は立場が違う。彼女の目はそう訴えていた。
 届かない。彼女の事を何も知らない私じゃ、彼女の心に声を届ける事なんて出来ない。
 彼女の心に踏み込む事に二の足を踏む私を見て、桜は薄く微笑んだ。

「言っておくけど、今のは嫌味じゃないわよ? 純粋な本心。次に会った時はきっと殺し合う事になるから、ちゃんと、覚悟を決めて置きなさいね」
「待って!!」

 私は叫んだ。

「聖杯は穢れてるんだよ!? 幾ら願っても、叶えてなんてくれない。ただ、災厄を振り撒くだけなんだよ!?」
「それでも私の願いは叶うわ。そういう類の祈りなのよ。私が抱く願いは……」
「そ、それって――――」
「イリヤ。言ったでしょ? 私は悪い人なんだって。だから、私を殺す事に躊躇なんてしちゃ駄目よ」
「桜が悪い人なわけない!! だって、今だって、私の為に忠告してくれてるじゃない!! どうして、自分を悪い人だなんて……」

 涙が浮かんで来る。でも、泣いてる場合じゃない。
 きっと、今が最期のチャンスだ。理由なんて無いけど、私は確信している。
 ここで、彼女を何としても止めなきゃいけない。

「悪い人だからよ。人が大勢死ぬかもしれないって、分かってて聖杯を使おうとしてるんだから。悪い人以外の何者でも無いわ」
「そんな事ない!!」

 次はきっと、もうこうして話す事すら出来なくなる。
 今、彼女と話せているのは私にセイバーが居て、彼女にアーチャーが居ないからだ。嫌な言い方になるが、戦力的に優位に立っている今だからこそ、この会話は成立している。
 このパワーバランスが崩れたら、もう殺し合うしかなくなる。
 勉強が分からなくなって涙を浮かべていた桜。
 私を心配して、敵同士だというのに忠告してくれた桜。
 魔力が暴走した私を助けてくれた桜。
 出会った瞬間から今に至るまで、たった半日しか経っていない。にも関わらず、私は彼女の優しさに十分に触れて来た。
 士郎と目が合う度に赤面し、しどろもどろになっていた彼女の姿を思い出しながら言った。

「士郎はどうするのよ!?」

 桜の表情が強張った。

「貴女の祈りで士郎も死ぬかもしれないんだよ?」
「私は……」
「桜の願いを聞かせてよ!! 私に出来る事なら何でもするわ!! だから、聖杯なんて物に頼らないで、一緒に!!」
「無理よ!!」

 桜の悲痛な叫びが夜の公園に響き渡った。

「無理なのよ!! 私の祈りは聖杯でしか叶えられない。それに、こんな祈りは誰にも理解して貰えない」
「そんなの分からないじゃない!!」
「分かるのよ!! 私の祈りなんて、ただの自己満足な我侭なの!! 大勢の人間を巻き込む最低な女なのよ!! だから、私を止めたかったら殺しなさい!!」
「桜……」

 止まられない。士郎の名前は最後の切り札だった。
 彼の名前を出してすら、彼女は止まらない。なら、もう何を言っても無駄にしかならない。
 私の言葉はあまりにも軽過ぎる。彼女の抱く苦しみや哀しみを理解していない私の言葉なんて……。

「……なら、力ずくで止めるわ」
「……覚悟が決まったのかしら?」

 僅かに身を竦ませながら言う桜に私は首を振った。

「殺す覚悟なんて恥ずかしいもん、私は持たないわよ。ただ、全力で貴女の聖杯戦争を終わらせる。それから、一緒に貴女の悩みを解決出来るように努力するわ」
「……どうする気よ」
「貴女のアーチャーを倒すわ」
「大きく出たわね。言っておくけど、貴女のセイバーじゃ私のアーチャーには敵わないわ。戦っても、セイバー諸共死ぬだけよ。いいのかしら? セイバーを死なせても」
「良いわけ無い。でも、私は|桜《あなた》をこれ以上この戦いに参加させたくない」
「……本気?」

 私はハッキリと頷きながら横目でセイバーに視線を向けた。
 セイバーは困ったような笑みを浮かべながら肩を竦めつつ、鎧を身に纏った。

「随分と身の程知らずな雑種だな」

 すると、桜の前に黄金の鎧を身に纏うサーヴァントが姿を現した。

「ア、アーチャー!?」

 桜が素っ頓狂な声を上げた。
 アーチャーが現れた事にマスターである筈の彼女が一番驚いている。

「喚くな、小娘。貴様は貴様の祈りを叶える為に勝たねばならんのだろう?」
「……ええ」
「ならば、戦場で情けの無い醜態を晒すな」
「うん。ごめん。もう、大丈夫……」

 桜の表情が引き締まった。向こうも戦闘準備は万端らしい。
 アーチャーは冷ややかな目で私達を見ている。そして、無造作に片手を振り上げた。それを合図に彼の背後の空間が揺らいだ。
 何が起きているのか理解するより早く、セイバーが私を抱えて走り出した。

「逃がすと思うか? 雑種」

 音と煙と光の奔流。何が起きているのかサッパリ分からない。
 左右上下に振り回され、今にも吐きそう。

「ック」

 セイバーの苦しげな声が聞こえたと同時に私の体は宙に舞った。
 刹那の瞬間、まるで時が止まったかのように私の目はその光景を焼き付けた。
 足を槍で貫かれ、片膝をつくセイバー。そして、彼女に迫る無数の刃。悪夢のような光景は一秒にも満たなかった筈だ。けれど、私には酷く長く感じた。
 
「逃げて、セイバーッ!!」

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