第二十二話「始動」

「|全工程《オールプロセス》、|省略《カット》――――、|夢幻召還《インストール》」

 分かる。何をどうしたらいいのかが分かる。魔力が私の体を覆い、甲冑を生み出す。紅の外套は嘗て見た憶えがある。だけど、今はそんな余計な事に意識を割く暇など無い。
 私の変化にランサーの動きが止まっている。この一瞬を逃せば、ライダーが死ぬ。

「|投影《トレース》、|開始《オン》――――」

 右手に弓を、左手に矢を投影する。
 |投影《グラデーション・エア》。それは術者の|創造理念《イメージ》によって魔力を束ね、オリジナルの鏡像を物質化する特異な魔術。本来、投影された物質は幻想であるが故に世界による修正を受け、瞬く間に霧散してしまう。だけど、今の私の投影は投影という特異な魔術カテゴリーの中でも更に特殊な位置にある。
 常理を覆し、世界の修正をも撥ね付けるソレは『とある英霊』のみに許された禁呪であり、本来、彼の英霊以外に持ち得ぬ力である。
 私はその力を使い、作り出した矢をランサーに向けて射る。驚きに満ちた表情を浮かべながらもランサーはその悉くを弾き返す。けれど、その刹那、ライダーはランサーから距離を取る事が出来た。彼の隣に駆け寄り、肩を並べる。

「イリヤ……ちゃん?」

 だけど、驚愕しているのは彼も同様だった。
 それも当然だろう。今、私が纏っているのは英霊の力。それも、本来、この世界には存在しない筈の英霊の力。
 |夢幻召還《インストール》は大聖杯に取り込まれた嘗ての|参加者《サーヴァント》達を己が肉体を寄り代に召喚する大魔術。
 そして、私が召喚したのは、前回の聖杯戦争の勝者。この世界とは違う、並行世界の私の弟。

「力を貸して――――、シロウ」

 創る。弓を破棄し、彼の最も信頼する双剣の設計図を展開する。
 中国の伝説的名工がその妻を代償にし、創り上げた稀代の名剣。その創造理念、基本骨子、構成材質、製作技術、成長経験、蓄積年月を|追想《トレース》する。
 彼はこの工程を『投影六拍』と呼んだ。
 手の中に二振りの短刀が生まれる。掴み取った刹那――――、流れ込んで来た。
 それは彼の記憶。彼の原初から始まる彼の記憶の追想。並列世界の歴史が己の内に流れ込んで来る。そこには違う私が居て、違う|桜《リン》が居て、違う|士郎《シロウ》が居て……。
 断片的な記憶を飲み干す。正義の味方の断章を脳裏に焼き付ける。

――――|体は剣で出来ている《I am the bone of my sword.》。

 生み出した双剣、『干将・莫耶』を構える。
 剣の丘で膝を屈する騎士の背を感じながら、その騎士の生き様、戦術、技能を|追想《トレース》し切る。
 
「俺と切り結ぶつもりか?」

 ランサーはからかうように言った。

「面白い芸当だな。だが、その程度の手品で俺に挑もうってのは、幾らなんでも舐め過ぎじゃないか?」

 烈火の如き気性。恐怖に身が竦みそうになる。恐らく、まともに打ち合っても敵わない。
 クー・フーリンとエミヤシロウでは英霊としての格に決定的な差がある。その上、夢幻召喚は英霊を劣化させた上で憑依する術式だ。
 だから、策を弄する。元々、彼は敵に対して真っ向勝負を挑むタイプじゃない。あらゆる状況や相手の動き、仕草、癖を利用し、罠を張り巡らせ、確実な勝利を得る。
 それが、英霊・エミヤの戦い方。干将・莫耶はそんな彼が最も信頼し、愛用した双剣だ。そこには必ず意味がある。他の武器では無く、この武器でなければならない理由。
 干将・莫耶には一つの特性がある。それは互いを引き合う引力。その特性と英霊・エミヤの投影魔術。その二つを組み合わせる。
 その答えは――――、

 鶴翼不欠落
 心技至泰山
 心技渡黄河
 唯名納別天
 両雄共命別
 
 エミヤシロウが辿り着いた必殺。干将・莫耶の真意、それは――――、

「|鶴翼《しんぎ》、|欠落ヲ不ラズ《むけつにしてばんじゃく》――――」

 投擲。両手に握る二振りの剣を力の限り、魔力の限り、全力を振り絞って投げる。敵の首を切り落とすつもりで私は干将・莫耶を投げつけた。
 曲線を描き、剣の軌跡が円を描く。二つの双剣の軌跡が交わる円の頂点にはランサーの首。
 無論、ケルト神話最大の大英雄を相手にこの程度の攻撃は意味を為さない。そんな事は先刻承知の上。
 同時に左右から飛来する双剣を事も無げに躱し、ランサーは獰猛な笑みと共に間合いを詰めてくる。

「――――|凍結《フリーズ》、|解除《アウト》」
「ほう、自分から来るか――――」

 新たな投影。間合いを詰めるランサーに自ら挑みかかる。

「同じ武器……。ッハ、本当に妙な芸当を使う――――だがッ!!」

 ランサーとの戦いにおいて、最も重要な事は宝具の発動を阻止する事にある。
 故に、呼吸の暇を与えない。
 必殺の一撃が迫る寸前、

「――――|心技《ちから》、|泰山ニ至リ《やまをぬき》」

 ランサーの背後から奇襲を仕掛ける。ソレこそが干将・莫耶の真意。
 互いに引き合う引力を持つ干将と莫耶。本来あり得ぬ、同一存在の多重化。
 未だ、ランサーに躱された最初の干将が空中を舞い続けている。ソレを新たなる莫耶で呼び寄せる。
 
「後ろ……ッ!?」

 必殺の一撃を放った直後だというのに、ランサーは予想外の奇襲を間一髪の所で躱した。それが彼の持つ矢避けの加護というスキル故の奇跡なのか、あるいは、彼自身の戦闘能力が可能とした奇跡なのかは分からない。大切なのは、後方からの奇襲を躱されたという一点。
 けれど、この手にはまだ武器がある。後方からの奇襲を躱した手際は見事。けれど、その状態で更なる奇襲を防げるものか――――、

「ッめるな!!」

 魔槍の一撃。後方からの奇襲と全力を篭めた一撃。それはほぼ同時だった。
 にも関わらず、ランサーはそれすら防ぎ切った。
 けれど、驚くには至らない。その程度の芸当、この英霊ならば出来て当然。故に、この身は既に次の奇襲を仕掛けている。
 莫耶が砕かれる刹那、新たに干将を投影した。それ即ち――――、

「――――|心技《つるぎ》、|黄河ヲ渡ル《みずをわかつ》」

 後方からの莫耶の奇襲。最初に投影した二振りの一方がランサーを後方より襲い掛かる。
 連続する奇襲攻撃。既にランサーは二度の奇襲を防ぎ、限界に来ている筈。人体の構造上、これ以上は――――、

「ッめんな、つってんだろ!!」

 鬼神。人体の構造上の限界など知らぬ。物理法則など鼻で笑う。
 もはや、人の域を遥かに超越している。

――――そんな事は先刻承知。

 後方から飛来する莫耶を避け、更なる追撃を撃墜する。
 手詰まり。弾かれた反動に引き摺られ、体勢が崩れ――――、

――――|唯名《せいめい》 |別天ニ納メ《りきゅうにとどき》。

 撃墜の瞬間、干将・莫耶を破棄。反動に引き摺られたのは標的を見失ったランサー。
 
「――――|両雄《われら》、|共ニ命ヲ別ツ《ともにてんをいだかず》」

 ランサーは今度こそ、正真正銘の限界を迎えた。これ以上無い無防備な状態から更なる一撃を繰り出した事は称賛に値する。
 けれど、その先はない。完全なまでの無防備。刹那の瞬間と言えど、敵を前にして致命的とも言える隙を見せている。
 そして、こちらにはその隙に付け込む一手がある。
 新たなる投影により生み出されしは新たな莫耶。スピード勝負の為、この一刀のみを全速力で投影した。
 無防備な青き鎧に白き刃を突き立て――――、

「回避なさい、ランサー!!」

 ランサーを見失った。顔を上げる暇すら与えられず、凄まじい衝撃が腹部を襲った。
 体が宙を舞う。痛みに頭が真っ白になる。

「イリヤちゃん!!」

 誰かの声が響く。守らなきゃいけない人の声。
 気を失っている暇など無い。自分に必死に言い聞かせながら、視界を回復させようと歯を食いしばる。
 徐々に視界が戻る。
 その先に――――、

「セイッ!!」

 紅い髪の女。英霊なのかと思い違いをする程の早さと力。
 彼女の拳が迫る。無我夢中で莫耶を盾にする。
 砕かれた。頑丈さがウリの莫耶があろう事か、人間の拳に砕かれた。
 あり得ない。質より速度を優先した投影故に幻想に多少の綻びはあるものの、人間に砕けるほど、軟な剣では無い。
 
「――――ッガ」

 そんな余計な思考が仇となった。再び、彼女の拳が腹部に叩き込まれる。
 信じられない。殴り飛ばした状態で、更に追撃を加え、落下するより早く留めの一撃を打ってきた。
 魔人。ランサーが鬼神であるなら、この女は魔人だ。
 死ぬ。このままでは確実に殺される。この二人が揃った今、此方の敗北は揺るがない。
 首に手が掛かる。首を絞めて殺す気だ。その思い、新たに投影をしようとして――――、

「ッガ」

 拳が腹部にめり込み、口の中に血の味が広がる。
 痛みと恐怖で涙が滲む。今直ぐ、泣き叫びたい。だけど、目の前の女の殺意がそれを許さない。
 身動き一つ取れない。

「問います。貴方の父、衛宮切嗣の所在を吐きなさい」
「……パパ?」

 呟いた瞬間、再び腹部に拳を叩き込まれた。
 骨が砕けた音が聞こえた。喚きたてると、更なる一撃が加えられ、痛みのあまり、失神しそうになり、更にもう一撃。
 意識が明滅する。

「私の問いに簡潔に答えなさい。衛宮切嗣の所在を教えれば、楽に殺してあげます。これ以上、苦しみに悶えるのは本意では無いでしょう?」

 ああ、私は拷問を受けているんだ。
 ぼんやりとした思考で私はそんな事をふと思った。過激な映画やゲームの中で主人公やヒロイン、あるいは敵の捕虜が情報の為に拷問を受けるシーンを見た事がある。
 私はまさにそんな状況に陥っているわけだ。
 アハハ。なんか、変な気分。痛みも麻痺してきて、頭が寝起きみたいにボンヤリしている。

「イリヤちゃん!! クソッ、そこをどけ、ランサー!!」

 フラットの声。

「こんな事をして、許されると思っているのか!? あんなか弱い女の子を痛めつけて!!」

 ライダーの声。

「ッハ! 戦場で何を寝惚けた事を――――」
「確かに!! ここは戦場だ。そして、ボク達は己の祈りを叶える為に現界したさ!! けど、だからって、何もかも許されるのか!? 英雄として、今の己を恥じる気持ちは無いのか!?」
「……あ?」
「ボクはライダー。だけど、ボクはそれ以前にシャルルマーニュが十二勇士、アストルフォだ!! その誇りがあるから!! そんな横暴、ボクは決して許さない!!」
「……聞き違いか? 俺に、誇りが無いと言ったように聞こえたぞ」
「ああ、ライダーはそう言ったんだよ、ランサー。あんた、超絶かっこわるいぜ。あんたと結んだ友情、捨てさせて貰うよ。女の子を虐める奴なんざ、こっちから願い下げだ!!」

 一触即発の雰囲気に触発され、ぼんやりとしていた頭が徐々に目覚め始める。 
 ライダーとフラットではランサーとこのマスターを相手に決して勝てない。
 私がどうにかするしか無い。

「……少々面倒ですが、私は衛宮切嗣をいずれ見つけ出します。早々に吐いてくれませんか? でなければ――――」

 首に掛けられた手の力が強まる。
 折られる。その意識した瞬間、私は――――!?

「なっ――――!?」

 それは誰の声だったのだろう。
 突然、首に掛かった手の力が緩み、地面に尻餅をついた。
 痛みに顔を顰めながら、何事かと頭を上げると、ソレが目に入った。
 
「……なに、アレ」

 まるで、この世の終わりを告げるが如き光が天を赤々と照らしていた。

第二十二話「始動」

 バーサーカーを縛る黄金の鎖に手を振れ、己が制御下に置いたクロエは頭上を見上げた瞬間、あらゆる感覚が凍結した。逃がしてたまるかと令呪に奔らせていた魔力も霧散する。
 クロエの卓越した視力は数キロ先に佇む人間の表情すら視認する。その瞳に映ったのは一振りの剣だった。あまりにも奇怪な形をした剣。石柱ともとれるソレを見た瞬間、クロエは悟った。
 己の死を――――ではない。この地上が焼き払われる未来を幻視した。あの宝具が発動すれば、死ぬのは自分だけでは無い。この街その物が地図から消滅する。否、その程度で済むなら安い物だとすら思った。あれが真価を発揮すれば、この世界そのものが終わりを迎える。そんな考えが頭を過ぎり、クロエは|頭《かぶり》を振って否定した。
 諦めている暇は無い。あれの発動は何としても阻止しなければならない。さもなければ多くの人が死ぬ。

――――イリヤが死ぬ。
 
 アーチャーの握る三つのパーツによって構成された刃はそれぞれ別方向に回転し、その溝から斬風が巻き起こる。雲が吹き払われ、月が天空に浮かぶ船を映し出している。
 クロエはアーチャーの口の動きを読んだ。

『いざ仰げ! |天地乖離す、開闢の星《エヌマ・エリシュ》を!!』

 天空に皹が入る。世界の終わりを告げる光が夜天を照らし、大気が悲鳴を上げる。
 刻を同じくして、冬木の棲む全ての動物が一斉に逃走を始めた。彼らは今起きている現象の恐ろしさを鋭敏に感じ取り、選択した。
 巣を捨て、餌場を捨て、動けぬ仔を捨て、全身全霊を掛けて逃げる。空を鳥が覆い、地面を鼠や猫、蟲共が駆け回る。その光景を人々は目撃し、上空の異変を目撃した。
 破滅の光。滅びの渦。動物に遅れる事、数分。人々は漸く迫り来る滅びを理解し、立ち尽くす。逃げる為に即座に足を動かせた者は居ない。あまりにも常識離れした光景が彼らから『現実感』を奪い去ったのだ。|知恵《理性》を得た代償に|知恵《本能》を鈍らせた人間達は瞳に映るその現象の奇怪さに首を傾げ、今、何をするべきなのかに迷い、周囲の人達の様子を伺う。
 やるべき事など一つに決まっている。逃げる以外の選択肢など存在しない。だが、彼らはその選択に直ぐに辿り着けぬまま、その時を迎えてしまう。
 さあ、滅びの刻は満ちた。全ての魂が終焉を迎える。この地に住まうあらゆる命に逃げ場など無く、防ぐ手立ても無い。逃走を選択した動物も立ち竦むだけの人間も等しく死ぬ。
 それが運命なのだから――――、

「何か、手助けする事はあるか?」

 にも関わらず、抗う者が居た。
 紅洲宴歳館・泰山――――。冬木に住まう人々に、ある種の恐れを抱かせるその中華飯店から一人の少女が飛び出して来た。
 マウント深山商店街に買い物に来ていた主婦はその少女の出で立ちに目を丸くしている。学生達はコスプレだと騒ぎだし、老人達は可愛らしい子だと穏やかな微笑みを浮かべる。
 頭上の脅威を忘れてしまったかのように暢気なリアクションを取る彼らに少女は穏やかな眼差しを向ける。

「恐れる必要はありません」

 優しい声。全ての人々がその一声に心を奪われる。まるで、理想の娘を見るかのように、理想の友を見るかのように、理想の恋人を見るかのように、理想の孫を見るかのように、彼らは少女を見つめ、少女もまた、彼らを見つめ返す。
 その瞳に宿る輝きは彼らの押し殺した恐怖を溶かしていく。その微笑が彼らの心を希望で満たす。

――――嘗て、絶望に満ちた村があった。
 百年という長きに渡り続けられた戦争による貧困とペスト、飢饉により、人々は疲弊していた。気力を根こそぎ奪われ尽くし、無数の分派によって引き裂かれた民を少女は力強く鼓舞し、一月にも満たない僅かな時間で輝かしい勝利へと導いた。
 その名はジャンヌ・ダルク。過去、現在、未来に於いて、彼女に比肩する者は神の子・イエスの他に存在しない。古にその名を刻みし王達も伝説にその名を轟かせし英雄達も彼女の力には及ばない。
 ソレは超常の力では無い。ソレは腕力では無い。ソレは武器では無い。ソレは知識ですら無い。
 彼女の力とは心の力。光満ち溢れる勇気と優しさ。絶望を希望に塗り替える計り知れぬ人徳。彼女の祈りは全ての民の祈りとなり、彼女の勇気は全ての民の心を突き動かし、彼女の優しさが全ての民の心を癒す。
 
「貴方達は私が必ず守ります」

 その言葉を疑う者は一人も居なかった。
 この現象に対する疑問も沸かない。目の前の少女の正体にも問いを投げ掛ける者は一人も居ない。
 ただ、信じた。目の前の少女が守ると言ったからには必ず守ってもらえる。恐れは消え去り、人々の視線が天に注がれる。

「葛木先生。貴方はこの方々と共にここに。食事の礼は必ずします。ですが、今は――――」
「……無理はするな」

 まるで、無茶をする生徒に注意するかのように、葛木という男は聖女たる少女に告げた。
 ああ、本当にこの方はよく似ている。戦場にありながら、常に少女を心配し、時に褒め、時に叱ってくれた彼とよく似ている。
 
「ごめんなさい」

 だから、素直に謝った。

「その約束は守れません」

 何故なら、この身は裁定者のサーヴァント。聖杯戦争の調律の任を担いし者。
 そして、この身は英雄。無垢な民草を守る使命を担いし者。
 
「私はこの命に代えても、人々の笑顔を守ります」

 嘗て、己を火刑に処した者達にまで許しの言葉を与えた聖女。
 嘗て、火刑に処される己の運命を呪わず、ただ、己の死に涙する民の為に涙した聖女。
 嘗て、神に従い、神に救われず、それでも神を愛した聖女。
 
「人々の笑顔こそが我が祈り――――」
「……そうか」

 葛木という男は感情の起伏が乏しい人間だ。それは彼自身の生い立ちによるものである。
 枯れ木の如き男。それが葛木宗一郎という男だ。
 だが、そんな彼でさえ、ルーラーたる少女、ジャンヌの命を惜しく思った。

「終わったら、甘い物を御馳走しよう」

 葛木とて、高校教師である。ルーラーくらいの年頃の少女が甘い物を好む事は承知している。
 だから、彼女がこれから頑張るというなら、その御褒美を用意してやろうと思ったまでの事。
 それで、彼女が少しでも生きて帰ってくる可能性があるならば、と思ったまでの事。

「是非、お願いします!!」

 効果は覿面だった。ルーラーは満面の笑みを葛木に向けた。
 さっきまでの超然とした雰囲気とは違う、年頃の少女らしい笑顔。
 その笑みに葛木もつられ、僅かに頬を緩ませた。

「では、行って参ります」

 その言葉と同時にルーラーは姿を消した。
 葛木は上空を見上げながら呟いた。

「……ああ」
  
 世界の滅びを告げるが如き光景。
 されど、その場に居た人々の表情に不安の色は無い。
 きっと、何とかなる。彼女の声、彼女の表情、彼女の纏う空気。
 それらが彼らに彼女の言葉を信じさせた。

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