第三十四話「アンサー」

 奇妙な夢――――。
まるで、貴賓席から舞台を眺めているかのよう。舞台の上の役者の中には見知った顔も並んでいる。演目はイタリアの劇作家、ルイジ・ピランデルロの代表的戯曲『Sei personaggi in cerca d’autore』。
 よくよく見てみると、役者達の体にはマリオネットのような紐が結ばれている。ギクシャクと舞台の上を動き回っているが、どう見ても、自らの意思によるものとは思えない。天から垂れ下がる糸に本意でない動きを強要されている。
 それだけでも、十分に奇妙な光景だが、舞台上の混沌に更なる拍車を掛ける要素が一つ。同じ顔が並んでいるのだ。一人の役者につき一人、全く同じ顔を持つ者が居る。双子でもここまで似ているという事は稀だろうという程、瓜二つの顔を持つ存在。ドッペルゲンガーというものだろうか……。
 一方は|役《・》。もう一方は|役者《・・》。役が役者に己を演じるよう懇願している。役者は役の懇願を聞き入れ、役を演じるも、完全な役自身にはなれない。それを不満に思った役は役者に完全な己自身を演じるよう懇願する。それは無理だと役者は言う。役はその言葉に納得せず、役者はやむなく役を演じる。
 六人の役の紡ぐ物語が役者の手によって再現されていく。物語が舞台の上で再現される度、役達の悲劇が秩序を乱し始める。役者達は己の現実を仮想によって塗り潰されていく。やがて、新たなる登場人物が現れ、物語には無かった筈の悲劇が起こる。
 虚構が現実と逆転すると共に舞台の幕が下りる。そして、また上がる。舞台は何度も上演される。何でも何度も上演される。観客からのアンコールに律儀に応え、舞台は何度でも幕を上げる。その度に悲劇の内容が変わる。役と役者を変えぬまま、虚構が現実を塗り潰し続ける。
 もう、何度アンコールしたか分からない。望む結末が中々やって来ない。いつかは来る筈なのに、中々来ない。それでも、順調に芝居が続けば、必ず来る筈だ。
 なのに、時折、芝居の流れを無理に変えようとする者が現れる。時折、舞台そのものを壊そうとする者が現れる。それが堪らなく苛々する。そんな事は許されない。己の望んだ結末がやって来るまで、役と役者には舞台で踊ってもらわないといけない。客席から芝居の進行を阻害する者を奈落へ落とす。落とすのは至って簡単。手元にある銃の引き金を引くだけだ。
 一番の問題児はいつも舞台を壊そうとする乱暴者。だけど、彼は大切な役であり、役者。だから、完全には舞台から降ろさない。だけど、最近増えた狼藉者の事は許容出来ない。あの女のせいで、ここ十数回の芝居は酷いものだった。みんなが彼女の存在を注視するが故に彼らの関係が中々深まらなかった。
 明るくて活発なムードメイカーの少年が開く一夜の宴が彼らの絆を深める筈だったのに、毎度毎度邪魔をして、本当に目障りだ。最初の頃は少しだけ、彼女の存在に期待をしていた分、余計に苛立たしい。彼女が己の望む結末を導いてくれるのではないかと期待したのに、全くの役立たずだ。これではただの邪魔者でしかない。|機械仕掛けの神《デウス・エクス・マキナ》となれないなら、この舞台に彼女の存在は要らない。
 拳銃を構える。バイバイ、期待外れな聖女様――――。

第三十四話「アンサー」

「つまり、貴女は時間遡行をした可能性があると?」

 信じ難い話だと語っている当人である私自身も思う。時間遡行とは五つの魔法の領域に位置する現象だ。しかし、そうとしか考えられない。
 サーヴァントは例え、同じマスター、同じ時間軸、同じ場所、同じ条件で召喚を行ったとしても、以前召喚された時の記憶は継承されない。にも関わらず、私の記憶が継続している。カレンの事、教会の前任者の事、葛木先生の事、フラットの事、ライダーの事、イリヤさんの事、アーチャーの事、アーチャーが守れと言った少女の事、全て覚えている。
 故に、これが単なる再召喚や憑依召喚のエラーなどでは無いと推測した。啓示によれば、その判断は正しいとの事。これにより、推論は真実に変わった。
 
――――信じられないかもしれませんね。ですが、これは……、

「信じます」

 カレンは言った。

「聖女、ジャンヌ・ダルクの御言葉を疑うとなれば、それは主をも疑うという事。主を疑うなどありえません。ですから――――、信じます」

 今はカレンの内に潜み、肉体を持たない身でありながら、私は思わず頬を緩めそうになった。
 カレンはやはりカレンだった。初めて――再召喚される前の時間軸における――彼女と出会った時も彼女は私の言葉を信じてくれた。己がジャンヌ・ダルクである事、裁定者のクラスとして召喚されたサーヴァントである事、カレンが己のマスターに選ばれた事、何一つ疑問を口にせず、ただ、彼女は「そうですか」と答え、受け入れてくれた。
 訳の分からない状況下に於いて、己の言葉を信じてくれる存在の有り難さを私は胸に刻みつけた。

「それにしても――――」

 カレンは頬に手を沿えながら悩ましげな表情を浮かべた。

「何故、時間遡行をしたのでしょう?」

 その疑問の答えこそ、私の求めているものだ。啓示は疑問に対して明確な答えを指し示してくれるわけでは無い。例えるなら、右か左、どちらに向かうか迷った時、正解の道を指し示してくれる程度のものだ。理由をしりたいと願うなら、自分で調査する他無い。
 時間遡行をする直前の出来事を追想してみる。脳裏に浮かべるイメージはカレンにも共有される筈。アーチャーと彼のマスターの姿を脳内のスクリーンに投影する。彼の言葉の一字一句を違わず再生する。彼の言葉こそが真実に至る標であると啓示を告げている。
 追想を終えると共にカレンが口を開いた。

「どうやら、アーチャーのサーヴァントは裁定者の為すべき真の責務に辿り着いていたようですね」

 真の責務――――。
 初め、私はバーサーカーのマスターやイリヤさん、そして、アサシンのサーヴァントが行使した夢幻召喚という大魔術こそ、己が招かれた理由であると考えた。けれど、その考えは大聖杯を目撃した瞬間に掻き消えた。
 あの禍々しい柱を破壊する事こそが己の責務なのだと確信した。けれど、カレンの今の物言いでは、その考えもまた、違うかのように聞こえる。

――――どういう意味ですか?

「恐らく、貴女が裁定者として招かれた真の理由は他にあるのだと思います。夢幻召喚や穢れた大聖杯の他に何か、裁定者が招かれねばならない事象があるのかもしれません」

 あれほどの災厄の具現の他に抑止力が動く理由。寒気がした。世界を絶望で包み込む意思とそれを可能とする力を持つ悪の化身さえ、その奥に潜む私が真に挑むべき存在に比べてればマシという事だろうか……。
 
「まず、挑むべき真の敵を見定める事が先決でしょう。一介の修道女の身でありながら、聖女様に意見を申し上げるのは心苦しいのですが、よろしければ一つ提案があります」

 心苦しいだなんて言わないで欲しい。今や私とカレンは一身同体。ある意味で、家族や恋人よりも近しい距離に居る。他の誰よりも信頼するに足るし、他の誰よりも対等でありたいと願っている。

――――どうか、聞かせて下さい。貴女の言葉は私にとって何よりの道標です。

 私の思いが通じたのか、カレンはそっと微笑んだ。

「では、アーチャーとの会談の席を設けましょう」

 一瞬、言葉が詰まった。カレンの提案は至極真っ当なものだし、それが最善の方法であると瞬時に理解出来た。ただ、相手はあのアーチャーだ。私にとって、彼は恐らく天敵とも言える存在だ。
 何も、彼の傲慢不遜な態度が気に喰わない、などと言うつもりは無い。彼の強さやその在り方には尊敬に値する部分も多くある。まさしく、並ぶ者の無い王の器を持つ者。
 けれど、彼の考え方全てに賛同する訳にはいかない。
 人類最古の英雄王――――、彼は己の価値観を世の理と考えている。絶対的な支配者にして、超越者。彼の価値観は人のものでありながら、人にあらず。さりとて、神のものですらない。唯一絶対の個。彼は人一人の命を己の価値観次第で決定する。
 故に相容れない。英雄として、それ以前に人として、彼の在り方とは相容れない。
 けれど、彼は私が辿り着けなかった真実へ辿り着いた。彼に助力を求める事は間違いなく真実に至る大いなる一歩となる。僅かな逡巡の後、私は決意した。

――――カレン。やはり、貴女は私にとって、何よりの道標です。きっと、私一人ではこれ程早く、この道を選ぶ事は出来なかった。

「この汚穢な身が聖女様に助力出来ましたのなら、私にとっても幸いです」

――――どうか、自らを卑下するような事を言わないで下さい。そして、願わくば私の事はジャンヌと呼んで下さい。私は貴女と良き友になりたいのです。

「……では、不遜ながら、ジャンヌと呼ばせて頂きます」

――――ありがとう、カレン。

「では、準備を始めましょうか――――」

 アーチャーとの会談の席を設けると決めて、即行動、という訳にはいかなかった。
 カレンは聖堂教会に身を置いている。本来、魔術師が参加する聖杯戦争に首を突っ込むとなると、それなりに準備が必要となるのだ。
 それに、カレンは多忙の身であり、その類稀な資質と能力、そして、心が多くの人々に求められている。まこと、尊敬に値する女性だと思う。私は所詮、戦によって名を挙げただけの者。彼女のように、己の身を削り、多くの人の救済の為に奔走する者にこそ、聖女の名は相応しい筈だ。
 そんな彼女を闘争の世界に引き摺り込もうとしている私はやはり魔女なのかもしれない。嘗ての戦いを悔いる気は無いが、あの結末はやはり正しかったのだと思う。
 私は戦を先導した。だが、それは扇動したとも言い換えられる。だからこそ、私はあの結末を迎えたのだ。
 けれど、私は彼女と共に戦う。既にこの迷いは晴らしてある。彼女と出会った日の五日後の事、私はカレンに己の迷いを勘付かれてしまった。その時の事を思い出す。
 
『迷っているのね、ジャンヌ』

図星を突かれ、私は言葉が出て来なかった。

『……勘違いをしているわ』
 
――――『え?』

『貴女は私を戦いへと導く事に躊躇いを感じている。でも、それは間違いよ。私は私の意志で貴女と共に戦場へ向かうのよ。きっと、嘗ての貴女の仲間達がそうしたように――――。貴女に扇動されたのではないわ。貴女に立ち上がる力を与えてもらったのよ。その違いはとても大きいわ』

 カレンの言葉は大いなる励みとなった。今また、彼女と共に歩める幸運に胸が躍る。
 全てが終わった後、必ずやお礼をしよう。私に何が出来るかは分からない。けれど、彼女が望む祈りを可能な限り叶えたい。
 だから、まずは全ての根源を見つけ出そう。真実の奥に潜む更なる真実を私は何としても見つけ出さなければならない。
 そして、全ての準備が終わったのは召喚から一週間後の事だった――――。

 冬木市の新都にある小高い丘の上にその教会は建っている。これから、私達は教会に住む前任者と会合する。本来、聖杯戦争の監督役を担う筈だった男性。

「行きましょう」

 カレンは僅かに緊張している。無理も無い。この教会に居る前任者は彼女にとって特別な相手なのだ。
 中に入ると、広く荘厳な礼拝堂には予想通りの人物が建っていた。

「来たか――――、久しいな」
「……意外だわ。覚えていたのね」
「無論だ。娘の顔を忘れる親など居るまい」

 そう、彼こそカレンの父親。名は確か――――、言峰綺麗。カレンのオルテンシアという姓は亡き母のものらしい。
 言峰はゆっくりとカレンの顔に視線を向ける。そして、静かに微笑んだ。
 意外だった。前に一度、同じように彼に挨拶をしに来た時は彼のこのような表情を見る事は出来なかった。親子の再会だというのに、酷く淡白な会合だった事を覚えている。
 
「どうやら、招かれざる客を呼び込んでしまったらしいな」
「……どういう意味かしら?」

 カレンは僅かに目を細めた。警戒しているのがラインを通じて分かる。
 その瞬間、啓示が下ると共に私はカレンの肉体を寄り代に表に出た。間一髪の所で私は襲撃を躱す事が出来た。まるで、初めからそこに居たかのように、その騎士は唐突に現れ、剣を振り下ろして来た。
 黒塗りの鎧を身に纏う禍々しい剣士。ルーラーの感知能力ですら彼の存在を寸前まで探知出来なかった。躱せたのは啓示が下ったが故だ。啓示が無ければ、既に私はカレン共々殺されていただろう。
 
「娘に苦しい思いはさせたくなかったのだが、一撃で即死させるのは難しそうだ」

 分からない。彼は一体、何を言っているんだ。それに、これは一体どういう事なのだ。前任者が突然襲いかかって来た理由も、彼が従える騎士の存在も何もかもが分からない。
 混乱する頭にカレンの声が響く。

――――どうやら、アーチャーとの会談の席を設けるまでもなかったようね。

「それはどういう――――ッ」
  
 思考を割く余裕が無い。目の前の騎士は紛れも無く英霊だ。だが、こんなサーヴァントは知らない。

「一体、何が……」

 騎士が踏み込んで来る。回避に専念しながら戸口に向かう。この狭い空間内ではあまりにも不利だ。
 外に飛び出すと同時に私は我が目を疑った。

「こ、これは……」

 そこには騎士以外のサーヴァントが待ち構えていた。しかも、一体や二体では無い。
 総勢五体のサーヴァントが各々の武器を構えて待ち構えていた。全てのサーヴァントに共通するのはルーラーの感知能力に探知されない事と黒い光を身に帯びているという事。
 
「さて、裁定者のサーヴァントよ。君の真名は確か、ジャンヌ・ダルクといったかね?」
「言峰綺礼。貴方は一体……?」

 言峰は薄く微笑んだまま言った。

「私の事よりも君の後ろで君を見つめている彼を気にしてあげるべきではないかね?」
「後ろ……?」

 周囲を警戒しながら背後を見やる。その瞬間、時が凍り付いたかのように、全ての音が止み、全ての色が消え、私は身動き一つ取れなくなった。
 そこには一人の騎士が居た。相変わらず、目が少し飛び出し気味の彼が居た。ずっと傍で私を支え続けてくれた人。私のせいで道を外れてしまった人。
 ジル・ド・レェが黒い光を帯びながらジッと私を見つめていた。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。