幕間「始まりと終わりの物語」 パート9

「ふざけるな!」

 少年は自らの怒りを抑制出来ずに居た。
 
「何で、アイツを逃がしたんだ!?」

 少年の怒りの矛先は一人の老人に向けられている。
 
「そう猛りなさるな」

 老人は手元の作業に集中しながら言った。くちゃりくちゃりと音を立てながら、老人が弄っているのは人の脳。
 
「さあさあ、これでも吸って、気分を落ち着けなされ」
「アサシン!」

 アサシンが差し出した葉巻を少年は振り払った。
 
「答えろ! 何故、逃がしたんだ!?」
「……聊か、ライダーを甘く見過ぎておりました。あの場で倒しきれなかったのは私の失態に御座います」
「嘘を吐くな! ライダーのペットは上空に居た! アレが掛けつけるまでの間にライダーのマスターを殺せた筈だ!」

 喚き立てる少年にアサシンは溜息を零した。
 
「そう、焦る事も無いでしょう」
「何を悠長な事を言ってるんだ! アイツは凛を潰すつもりなんだぞ!」

 少年は狂っている。悪魔の囁きに耳を貸してしまった時から破滅の道を歩み続けている事にも気付いていない。自分自身に課せられた役割も彼は理解していない。
 
「僕の命令に従えよ! この『偽臣の書』を持つ限り、お前は僕のサーヴァントなんだからな!」
「言われずとも、我が忠誠は貴殿のものに御座います」
「なら、さっさと追撃に出ろ! 夜までにライダーのマスターを殺すんだ!」
「少し落ち着かれよ。焦らずとも、布石は既に打ってあります故」
「布石……?」
「然様。今はどうか私を信じ、心を鎮められよ」

 アサシンは再び少年に葉巻を差し出した。少年はふんと鼻を鳴らすと老人の手から葉巻を奪い取り、火をつけた。脳髄を痺れさせる心地良さに身を委ね、少年は恍惚の笑みを浮かべる。
 
「さてさて、作業を再開せねばな」

 アサシンは再び脳を弄り始めた。これで二十人目。己の手駒が揃いつつある。
 魔術師という輩は一般人の存在を軽んじている。彼らの事を盤上の駒か障害物程度にしか思っていない。そこが狙い目だ。彼らを使えば、最強の英霊達をも打ち倒すことが出来る。
 
「君には特に期待しているぞ」

 作業を終え、アサシンは一息入れる事にした。
 
「どうだ、アサシンよ。調子の方は」
「ああ、臓硯殿か。首尾は上々。明日は大忙しとなる事でしょう」

 部屋を訪れた老人にアサシンはカカと嗤った。
 老人の名は間桐臓硯。彼は床に寝そべる孫の腹を杖で突いた。
 
「コレの仕上がりはどうだ?」

 アサシンは無言のまま首を横に振った。
 
「中々に強情でしてな。未だ、自我を強固に保っておりますよ」
「別に遠慮はいらんぞ? 必要ならば如何様にもするがいい。薬に頼らずとも心を壊す手段など幾らでも――――」
「いやいや、心を壊してはならんのですよ。心を持ちながら、自我を薄れさせるのです。廃人では戦士となり得ませんからな」
「ソレは所詮、桜を御する為の駒に過ぎん。無理に戦士になんぞする必要は無いだろう」
「まあ、これは私なりのこだわりというものですな。私にとって、フィダーイーとは芸術なのですよ。手を抜く事は出来ません」
「難儀な性格よのう。まあ、好きにするがいい。最終的に聖杯を儂の下に持ち帰るならば文句は無い」
「ええ、それはお任せ下さい。必ずや聖杯は貴殿の手に」

 臓硯が立ち去った後、アサシンは頬を歪めた。
 
「……しかし、多少の荒療治は必要かもしれぬな」

 ◆
 
「ここだな」

 結局、イリヤ達はフラットを探し出す事が出来ず、アーチャーに頼る事となった。彼は約束通り、自らの宝具を使って彼の居所を調べてくれた。
 
「灯台下暗しって奴じゃない? イリヤ」

 凛が半眼になってイリヤを睨む。アーチャーの宝具が指し示した場所はアインツベルンの森だった。

「えっと、ごめんね、凛。引っ張りまわしちゃって……。アーチャーも」
「まあ、別に構わないけどね」
「暇潰しにはなった。奴はここから一キロメートル先だ」
「うん。本当にありがとう」

 イリヤが頭を下げると、凛は躊躇いがちに言った。
 
「イリヤ。あのさ……」
「なに?」
「その……、もし、良かったらだけど……」

 歯切れの悪い凛の物言いに首を傾げるイリヤに対して、アーチャーがどこか嬉しそうな表情で言った。
 
「まあ、此度の借りを返すつもりで聞いてやれ」
「う、うん」

 言葉の先を待つイリヤに凛は息を大きく吸い、言った。
 
「ま、また、一緒に出掛けない?」
「え?」

 目を見開くイリヤに凛は慌てた口調で先を続けた。
 
「そ、その、私達、確かに敵同士だけど……、別に直ぐに戦わなきゃいけないわけじゃないし……」
「凛……?」
「つまり!」

 凛は叫ぶように言った。
 
「お互い、最後まで勝ち残って、それから……、お互いに納得出来る形で勝敗を決しましょう! それまでは……、また一緒に遊んだり、出掛けたり、その……」
「いいの?」

 取り留めの無い凛の言葉の意味をイリヤは正確に理解していた。
 凛は深く頷いた。
 
「……うん」

 イリヤは花が咲いたような満面の笑顔を浮かべた。彼女につられ、凛も笑みを零す。
 
「じゃあ、明日、一緒にプールに行こう! フラットと前に話してたの!」
「うん。いいよ」
「約束よ、凛!」
「ええ、約束。明日、一緒にプールに行こうね、イリヤ」
「うん!」

 フラットを追い掛ける為に手を振りながら遠ざかるイリヤを凛は眩しそうに見つめ続けた。
 
「まあ、勝者は我に決まっているが、明日、プールに行こうね、か」
「えっと、その……ダメ?」

 不安そうな表情を浮かべる凛にアーチャーは首を横に振った。
 
「ダメな筈が無かろう。現世の娯楽を楽しみ尽くす。前に言ったであろう? ならば、プールには我も行くぞ。否とは言わせん。精一杯、楽しもうではないか」
「うん!」

 元気いっぱいな返事をする凛にアーチャーは笑った。
 
「良い笑顔だ。実に良い表情をするようになったな、凛」

 アーチャーは凛の頭に手を乗せた。乱暴な撫で方だったが、撫でられる事自体、久しぶりの感覚だったから、つい嬉しくなって、頬を緩ませる。
 
「あの雑種――――」
「イリヤよ、アーチャー!」
「ぬう……」
「イリヤの事を雑種って呼ぶ事は今後一切許しません!」
「……分かった。分かったから、そう怒るな、凛。まったく、表情豊かになったものだな」

 くくと笑うとアーチャーは表情を引き締めた。
 
「だが、そろそろ約束の刻限だ。気を引き締めろ」
「……うん」
「往くぞ」
「うん!」

 凛はアーチャーが蔵から取り出した黄金の舟に乗り込んだ。

 ◆
 
 一キロ先とは即ち、アインツベルンの城の中という事。イリヤは身体能力をフルに発揮して森の中を駆け抜けた。城に到着すると、セラが出迎えてくれた。 
 一刻も早く彼に会いたい。彼の無事を確認したい。イリヤはセラにフラットの居所を尋ねた。

「彼でしたら治療の為に自室のベッドでお休みになられております」
「治療って……?」

 背筋がゾクリとした。一瞬、思い出したくない光景が脳裏に浮んだ。
 父と母の死に様がイリヤを走らせた。階段を駆け上がり、彼に貸し与えた部屋の扉を大きく開け放つ。
 中に飛び込んだイリヤの視界に飛び込んで来たのはベッドの上で絡み合う男女だった。
 
「……な、何してんの!?」

 正確には男女では無かった。一方は一見すると女の子にしか見えないけれど、あくまで男。フラットとライダーがベッドの上で絡み合っていた。
 恐怖と焦りは一瞬で吹き飛び、脳裏に男と女の夜の営み的な情景が広がる。一瞬にして顔が沸騰したみたいに赤くなる。
 
「わ、私のお城で何をふしだらな!!」
「え、ちょっと、イリヤちゃん!?」
「あっ」

 イリヤの存在に気付いたフラットが慌てて起き上がる。その拍子に上に跨っていたライダーがベッドの上で転がった。すると、イリヤは目を見開いた。
 ライダーの頬には涙の後があった。一瞬にして、イリヤはさっきの光景とライダーの涙を結びつけた。
 
「フ、フラット。あ、あ、あなた……」

 あわあわと後ずさるイリヤにフラットはハッとした表情を浮かべて叫んだ。
 
「違うよ!? これ、そういうんじゃないからね!」
「違うって、何が違うって言うのよ!? あ、あなた、幾ら可愛いからって、男のライダーを手篭めに……」
「違うってば! 誤解だよ!」
「ご、誤解って、この状況を見て何を誤解してるって言うのよ!?」
「だから、俺達は別にセックスしてたとかそう言うんじゃ……」
「セ、セセ……」

 顔を真っ赤にして壊れたラジカセみたいに『セ』を連呼するイリヤにフラットは頭を抱えた。
 
「オーマイゴッド。君、十八歳なんだろ?」
「う、うるさい! 人の城でそ、そんな破廉恥な真似して、許されるとでも――――」
「イリヤ、違う」

 拳を振り上げるイリヤを静止したのは彼女にとって予想外の人物だった。
 
「リズ!?」

 リーゼリットは水差しとコップをお盆に載せて部屋の中に入って来た。
 
「違うって……?」
「フラットは――」
「リーゼリットさん!」

 突然、フラットが元気良く立ち上がった。
 
「そこから先は自分で説明するよ」

 そう言って、フラットはリズからお盆を受け取った。何故か、リズが瞳を揺らしたように見えた。
 
「リズ、どうし――――」
「いやぁ、まいっちゃったよ。実はこっそり情報収集を名目に夜の空中散歩にしゃれこんだんだけど、怖い人を怒らせちゃってさー」
「……聞いたわよ。あなた、キャスターの根城に行って、何か交渉して来たらしいじゃない」

 イリヤの瞳に浮ぶのは猜疑心では無く、不安と恐れだった。フラットは彼女の心情を察し、肩を竦めて見せた。
 
「友達になりませんか? って交渉しに行ったのさ。凄いんだよ。キャスターはあのゲーテの戯曲で有名なファウスト博士だったんだ!」

 フラットの言葉にイリヤの表情は一転して呆れ顔に変わった。
 
「あなた……、キャスターまで友達の輪に加えるつもりだったの?」
「勿論さ! 言ったろ? 俺は英霊の皆と友達になるのが目的だって。キャスターだって例外じゃないのさ」
「まったく、無事に帰って来れたからいいものの、一歩間違えたら殺されてたかもしれないのよ!?」
「いやー、いけると思ったんだけどさー」
「認識が甘い! とにかく、今後二度と無茶な事をしちゃダメよ! どうしても行きたいなら、私に声を掛けて! 一緒に行くから!」
「……イリヤちゃん」
「な、何よ……?」

 キョトンとした表情を浮かべるフラットにイリヤは首を傾げた。
 
「……いや、ますます好きになっちゃった」
「好きにって……、それより、さっきのライダーとの絡み合いに関しての言い訳をまだ聞いて無いんだけど?」
「いや、あれはライダーが怪我の様子を見てくれてただけで……」
「じゃあ、どうしてライダーが泣いてるのよ?」
「それはさっき、イリヤちゃんに声を掛けられた拍子に頭をぶつけ合っちゃったからだよ。凄く痛かったんだよー?」

 抗議の視線を向けて来るフラットにイリヤは「うっ」とライダーの方を見た。
 
「えっと、本当?」

 ライダーはいつもより起伏の小さな声で「うん」と応えた。
 
「ちょっと、痛かったなー」
「ご、ごめんね。私ってば、勘違いしちゃったみたいで……」
「あはは。イリヤちゃんって、意外とおませだね」
「お、おませとは何よ!?」
「冗談だよ。怒らないで、ほら、リラックス、リラックス」

 まるで獣をあやすかのようなフラットの仕草にイリヤは憤慨しながら背を向けた。
 
「あれ? どこかに行くの?」
「治療って聞いて慌てて来たけど、大丈夫そうだし、アーチャーとセイバーの決戦場に向かうわ」
「あ、危ないよ!」
「危険は覚悟の上よ。でも、凛には今日一日、凄くお世話になっちゃったの。だから、万が一の場合、凛を保護する事も検討してるわ」
「お世話って?」
「フラットを一緒に探してくれたのよ」

 そう言うと、イリヤは思い出したように振り向いた。
 
「凛が明日、一緒に遊ぼうって言ってくれたの。フラットもどう? 前に一緒にプールに行こうって話をしてたじゃない。明日、皆で……」
「……う、うん。考えとく……」
「フラット?」

 何だか様子がおかしい。イリヤは心配になって彼の額に手を当てた。
 
「熱は無いみたいね。でも、ちょっと変よ? 本当に大丈夫?」
「……元気いっぱいさ。それより、君が行くなら俺も――――」
「待って、フラット」

 フラットの言葉を遮るようにライダーが立ち上がった。
 
「君はちょっとお疲れ気味だから留守番していたまえ。イリヤちゃんの事はこのボクがエスコートするよ」
「ライダー?」

 イリヤが驚きに満ちた表情をライダーに向けた。
 
「今からだと徒歩や車じゃ間に合わないかもしれないじゃない? ヒッポグリフに乗って行けば一瞬さ」

 ライダーの言葉はもっともだ。今から車を走らせても決戦に間に合うかは微妙。
 
「じゃあ、お願いしてもいいかしら?」
「勿論さ」
「えっと、ライダー……?」

 フラットが何故か慄くような表情でライダーを見ている。
 
「どうしたの、フラット?」

 問い掛けると、ライダーがフラットをベッドに寝かしつけた。
 
「お疲れなんだよ、フラットは。ほら、早く眠った方が良い」

 強引なライダーにフラットは抗議の声を上げようとする。すると、ライダーは信じられない行動に出た。
 
「ちょっと!?」

 ライダーはフラットの唇を啄んだ。フラットの目が大きく見開かれる。イリヤもその光景に言葉を失った。
 
「へへ、御馳走様。じゃあ、しっかり体を休めてくれたまえ、マスター殿。行くよ、イリヤちゃん!」

 呆然とした表情を浮かべるフラットを尻目にライダーはイリヤの手を取り走り出した。
 
「ちょ、ちょっと!?」

 目を白黒させるイリヤをライダーは抱き上げた。まるで、王子様がお姫様にするような抱っこ。
 
「ほら、行くよ!」

 ライダーは近くの窓から私を抱えたままジャンプした。すると、空からヒッポグリフが姿を現し、ライダーを背に乗せて一気に上昇した。
 高度が安定してしばらく経ち、イリヤは正気を取り戻してライダーに詰め寄った。
 
「ちょっと、ライダー! あれは一体全体どういうつもりなの!? あ、あなたまさか、フラットの事……」
「あ、そうだった。返すね、フラットの唇」
「へ?」

 イリヤは理解出来なかった。ライダーの顔が凄く近くにある。近過ぎる。
 唇には柔らかい感触。脳髄が痺れるような快感が全身を駆け巡る。
 
「わ、わた、私のファーストキスが……」
「はい。ちゃーんと、返したからね」
「か、返したからねって、ライダー!」

 イリヤはライダーの肩を掴んで前後に揺らした。
 
「い、一体何のつもりよ!?」
「えー? ただ、フラットのキスをイリヤちゃんに返しただけだよー?」
「それが意味分かんないって言ってんのよ! 本当に何を考えてるの!?」

 イリヤが怒鳴ると、ライダーは可憐な顔に物憂げな表情を浮かべた。
 
「ボクが考えてる事は単純明快さ」
「ライダー?」
「イリヤちゃん。ボク、君の事も大好きだよ」
「……え?」

 予想外の告白にイリヤは目を丸くした。そんな彼女に御構い無しでライダーは言った。
 
「フラットの事も大好き。だから、二人には幸せになってもらいたい。ねえ、イリヤちゃん。ボクは難しい事とか考えるのは苦手だけど、二人の為に出来る事は無いかって必死に考えてるんだ。だけど、全然思いつかなかった。皆、色んな事を思って、考えて行動している。誰が正しくて、誰が間違ってるのかも分からない。でも、一つだけ分かる事があるんだ」
「なに……?」
「イリヤちゃんは生きなきゃいけないって事。どんなに苦しくても、辛くても、生きてさえいれば、いつかは幸せを掴める筈だからさ」

 イリヤは瞳を揺らした。ライダーの言葉はとても嬉しい。でも、とても残酷だ。だって、そんな事は不可能だからだ。
 イリヤはこの戦いが終われば、その勝敗に関わらず死ぬ。それは必定だ。だから、ライダーの願いはどうあっても叶わない。

「……私は」
「諦めないで、イリヤちゃん」
「ライダー」
「君が生きてくれさえすれば、皆、それだけで報われるんだ。ボクもフラットもリズも皆、君の幸福を願っている。その事をどうか忘れないで欲しいんだ」
「どうして……」

 酷い胸騒ぎがした。どうして、ライダーは急にこんな事を言い出したんだろう。まるで、遺言を残すかのように……。
 
「どうして、そんな事をいきなり?」
「うーん、何となく、かな」

 誤魔化された気がした。でも、それ以上聞く事が出来なかった。
 怖かったのだ。深く追求したら、良くない答えが返ってくる。そんな予感に囚われ、イリヤは口を閉ざした。
 
「見えて来た。どうやら、戦いは既に始まっているようだね」

 ライダーの言う通り、眼下に広がる海浜公園で既に戦いは始まっていた。

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