幕間「始まりと終わりの物語」 パート4

 発端は店から出た後、フラットが口にした余計な一言。
 
「皆で一緒にゲームしようよ!」

 賛成したのはライダーだけだった。いずれ、戦う事になる敵同士なのだから、当然だろう。アーチャーとそのマスターの顔に浮ぶのは呆れ顔だろうと顔を向けると、予想に反して、アーチャーは愉快そうに笑みを浮かべていた。
 
「対戦ゲームとか、パーティーゲームは人数が多い方が楽しめるし」

 アーチャーはくくっと笑った。
 
「確かに、人数を揃えて初めて、真価を発揮するゲームもある。いだろう。ならば、ついて来るがいい。我が屋敷に招待してやろう」

 なんと、アーチャーはフラットの誘いに乗ってきた。唖然としているのは私だけではない。彼のマスターたる少女もまた、言葉を失っている。
 
「マリオカート64なんてどうッスか?」
「ほう、現代ならではの趣向だな。面白い! まずはこれで戯れるとしよう」
「じゃあ、ボク、このお姫様使う!」
「俺はマリオ!」
「我はこの亀にするぞ」

 ゲームのパッケージを覗き合いながら意気投合してる。何となく、置き去りにされたみたいな気分。
 
「ま、待ちなさいよ、フラット! 相手はアーチャーなのよ!?」
「うん。知ってるよ?」
「なら、どうして意気投合してるのよ!? 敵なのよ!?」

 私が捲くし立てるように言うと、彼は困ったように微笑んだ。
 
「俺の目的は英霊の皆と友達になる事だから、折角の機会だし、親睦を深めたいんだよ」

 そうだった。彼はそんな馬鹿馬鹿しい理由で参加したのだった。
 
「で、でも……」
「イリヤちゃんにまで、無理強いする気は無いよ」
「え?」

 突き放すような彼の物言いに私は目を見開いた。自分でも意外な程、彼の言葉にショックを受けた。私を傷つけた事を察したのだろう、フラットは慌てた口調で捲くし立てた。
 
「ち、違うよ!? やっぱり、危険が全く無いとは断言出来ないから、俺の目的の為にイリヤちゃんにまで危ない橋を渡らせるわけにはいかないってだけで!」
「わ、分かってるわよ」

 安堵のあまり、涙が滲みそうになり、私は慌てて顔を逸らした。馬鹿みたいだ。彼の言葉を勝手に邪推して、一人で盛り上がって。
 どうにも情緒が不安定だ。アインツベルンの城に居た頃、こんな風に感情に振り回される事は滅多になかった。深い悲しみと孤独感が心を覆い尽くしていたせいだ。なのに、冬木に来てから慣れない感情に振り回されっぱなし。
 一年中、雪と氷に閉ざされた冬の城を出た事で凍結していた心が溶けだしたのかもしれない。
 
 ――――それだけじゃないって、分かってるでしょ?
 ――――さあね。
 ――――彼って、太陽みたいな人よね。貴女の心を優しく温めてくれる。

 夢見がちな乙女の妄想に耳を傾けるつもりはない。
 
 ――――素直じゃないなー。
 ――――うるさい。

「……私も行く」
「いいの?」

 私が頷くと、フラットは満面の笑みを浮かべた。全身全霊で喜びを表現している。緩みそうになる頬を必死に引き締める。
 浮ついた気持ちで言ったわけじゃない。フラット達だけで虎穴に入らせるわけにはいかないからってだけ。
 
「ちょっと待って! 何で、うちに来る流れになってるのよ!?」
「我の決定に異論でもあるのか?」
「あるに決まってるでしょ! 敵を陣地内に招待するなんて、何考えてるのよ!?」

 アーチャーとそのマスターが揉め始めた。どうやら、マスターの方は賢明な判断を下せる人らしい。でも、二人の会話の内容を聞いていると、マスターの方が劣勢に立たされている。
 マスターは理性的に説得を試みるも、アーチャーは聞く耳を全く持たず、挙句の果てに酒のツマミを作るようマスターに命令を下した。なんとも不思議な主従関係だ。
 
「それに、凛。相手が誰であれ、我が敗北するなどあり得ん。もっと、余裕を持て」
「別に貴方が負けるとは思ってないけど……」

 結局、マスターが折れる結果となった。それにしても、アーチャーの物言いは本当に傲慢だ。確かに、バーサーカーにとって、彼は天敵だし、あの無数の宝具による物量攻撃は並のサーヴァントが相手なら無双の力を発揮するだろうけど。
 
「油断してると痛い目を見るわよ?」

 私は言った。この挑発は一種の試金石だ。アーチャーがどういった英霊なのかを見定める為に、まず彼の性格を知る必要がある。傲慢不遜な外面。その奥に潜む内面を知る事はとても重要だ。この挑発に彼がどう返すかによって、ある程度、彼の内面を測れる筈。
 この挑発によって、彼の怒りを買い、戦いに縺れ込むのは出来れば避けたいが、なったらなったで、敵の陣地で戦うよりはずっとマシだ。この程度の挑発に乗るような相手なら、どの道、戦いは避けられない。

「我を試す真似をするな、雑種」
 
 恐怖のあまり、全身に鳥肌が立った。研ぎ澄まされた、彼の殺気はまるで首筋にあてられた鋭利なナイフ。彼の選択次第で抵抗する間も無く殺される。
 この場での戦いは避けたい。そんな事を考えていた自分が愚かだった。この場に限らず、この英霊とは決して戦ってはならない。戦うにしても、十分過ぎる程の準備を整えた上であらゆる手段を使い、奇襲する以外に道は無い。それでも、戦いになるかどうか、それすら疑問を抱く程だ。

「我が敵と認めたのはセイバー唯一人。貴様のバーサーカーも中々の英傑だが、狂気に蝕まれている状態では木偶にも等しい。まったく、つまらん真似をしたものだな。せめて、他のクラスであったなら愉しめただろうに」

 そういう事らしい。私のバーサーカーは彼の敵になり得ないと判断された。悔しさが込み上げてくる事に自分自身、驚いている。
 
 ――――バーサーカーを馬鹿にしないで!

 クロエの言葉は私の思いだ。アーチャーは最強の英霊だ。その事に疑いの余地は無い。けど、私のバーサーカーだって強いんだ。強くて、かっこいいんだ。
 
 ――――眼中に無いみたいに言って……。

 こんな風に憤るのはおかしいのかもしれない。アーチャーとの直接戦闘は避けるべきだと分かっている筈だ。なら、彼の剣先が他者に向けられ、作戦を練り、戦う準備をする時間を得られた事はむしろ喜ばしい事の筈。
 
「私のバーサーカーを馬鹿にしないで……」

 悔しさを滲ませた声が漏れる。
 
「勘違いするな、雑種。奴を馬鹿にしたのでは無い。奴に狂気の枷を嵌めた貴様を愚かと言ったのだ」

 アーチャーの言葉が私の間違いを正した。私の怒りはバーサーカーを思ってのものじゃない。
 最強の英霊を最強たらしめるのは宝具やパワーでは無く、それらを運用する理性だ。それを狂気で封じたのはアハト翁の指示だったけど、それを素直に承諾してしまったのは私。反抗する事に意味など無かったかもしれないけど、あったかもしれない。アーチャーのバーサーカーに対する評価を貶めたのは私。
 私が感じた悔しさや怒りはそれを指摘されたが故だ。
 
「この聖杯戦争。勝者は既に確定している。ならば、無為に過ごすのも勿体無いだろう。聖杯になど興味は無いが、現世の娯楽には興味がある。精々、我の遊興に付き合い、慈悲を請え。さすれば、貴様等マスターの命は救ってやらぬでもない」

 この男の内面は外面と何も変わらない。傲慢不遜だ。けれど、それが許されるだけの力を有している。この戦いの勝者は彼だ。私の心臓は彼の物になる。私の願いは叶わない。
 
 ――――諦めないで! きっと、抗う術はある筈だよ。

 そんなの無い。あらゆる策も彼には通じない。なら、せめてフラットの命だけは助けてもらえるよう慈悲を請おう。
 
 ――――駄目よ! 祈りを叶えるんでしょ!? 何の為にあの子達を犠牲にしたの!?

 クロエの叱責に何とか持ち直す事が出来た。そうだ。無駄に死ぬ事は許されない。私が戦う限り、消費される命がある。
 バーサーカーを運用する為に必要な魔力を作り出す。ただ、それだけの為に生み出された命が既に最初の戦いで消費されてしまっている。何人死んだのかは分からない。けど、彼らの命を使ってしまった以上、諦めるなんて許されない。
 彼らの命を消費したくないなら、即刻自害するべきだった。それでも、戦ったのは祈りがあるからだ。祈りを諦めたら、その時点で死んでいった彼らの命が無駄になる。
 
 ――――そうだよ。だから、諦めちゃ駄目。
 ――――ありがとう、クロエ。

 そうだ、諦めちゃ駄目だ。戦うんだ。どんなに敵が強大でも抗う事を辞めてはいけない。
 私は誓ったのだから……。
 
 そして、今に至る。私はアーチャーのマスターと共に間桐の屋敷のキッチンに立っている。どうして、こんな場所で私は包丁を握っているのだろう。
 隣に視線を向けると、真剣な表情で料理の本を読み耽っている少女が一人。
 
「……そろそろ、始めない?」
「待って! 今、包丁の握り方を調べてるから!」
「そこから!?」

 屋敷に着いて直ぐ、アーチャーはマスターに酒のツマミを用意するように命じて、ニンテンドウ64なるゲームを起動した。今、フラットとライダーは彼と共にマリオカート64をプレイしている。
 私はアーチャーのマスターがあまりにも不安そうに料理本と睨めっこを始めるものだから、心配になって手伝いを申し出た。彼女に手を出す事は簡単かもしれないけれど、アーチャーには単独行動のスキルがあるから、下手を打てない。
 アーチャーに追い回されて逃げ切れるかどうか分からない以上、今は情報収集に徹するべきだろう。彼女の事を知る事も大切だ。そう思っての行動だったのだけど、包丁の握り方すら知らないとは予想外だった。
 
「そんなの、こう持てばいいの」

 私が包丁を構えて説明すると、彼女は料理本と私の手元を見比べながら感心したように目を見開いた。
 
「料理、出来るの?」
「出来るって程じゃないけど、昔、少し習った事があるから」
「……そっか。じゃ、じゃあ、これ作れる?」

 アーチャーのマスターが開いたのはカレーのページ。
 
「作るのって、酒のツマミじゃなかったかしら?」
「えっと、これの作り方を覚えたくて……」

 カレーの作り方くらいならさすがに分かる。昔、母に習った事があるからだ。けど、いいのかしら。
 
「アーチャーに怒られるんじゃないの?」
「それは……」
「っていうか、何で、そんなのの調理法を知りたいのよ」
「それはその……」

 彼女は頬を赤らめながらもじもじし始めた。
 
 ――――あ、分かった。
 ――――何? トイレでも我慢してるのかしら?
 ――――鈍感! そうじゃなくて、彼女、恋してるわ。

「……もしかして、アーチャーの為?」
「なんでよ!? あんな趣味の悪い傲慢金ぴかなんか!」
「おい! 誰が趣味の悪い傲慢金ぴかだ!?」

 ゲームをプレイ中のアーチャーが怒りの声を上げる。さっきの私に対して向けた殺気は欠片も無い。友好的な怒鳴り声。アーチャーのマスターもその怒鳴り声に敵意が無い事を理解してるのだろう、謝罪と弁明の言葉を返しながら、笑みを浮かべている。
 
「じゃあ、誰の為なの?」

 不思議な主従関係に興味を引かれた。当初の目的とは無関係に彼女達の事を知りたいと思っている自分が居る。
 
 ――――良い関係だよね、羨ましい。
 
 そう、私は心底羨ましがっている。相棒たるサーヴァントと友好的なやり取りをする彼女の事が羨ましい。私の羨望の眼差しに気付く事無く、彼女は言った。
 
「……兄さんが好きなのよ」
「お兄さん?」

 彼女はハッとした表情でうろたえた。
 
「ち、違うわよ! 兄さんが好きって意味じゃなくて、兄さんはカレーが好きって意味だから!」
「……あ、うん」

 何を一人でテンパってるんだろう。首を傾げる私を見て、彼女は顔を赤くして俯いた。
 
「と、とにかく、カレーを作るの!」
「分かったわよ。でも、材料はあるの?」
「えっと、何が必要なのかしら?」

 料理本に視線を落とすと、彼女は青褪めた表情を浮かべた。
 
「えっと、どっかにあったかな?」

 あわあわしながら戸棚や冷蔵庫を開けて材料を探し始める彼女を私は黙って見つめていた。何だか、見ていて飽きない子だ。
 
「えっと、ルウって必須かしら?」
「……さすがにスパイスを混ぜて作るなんて無理よ?」

 どうやら、カレーのルウが無かったらしい。
 
「諦めて、別のにしたら?」
「ま、待って! アーチャー!」
「なんだ?」
「貴方の蔵にカレーのルウ入ってない!?」
「……は?」

 ――――あの子、何言ってるのかしら……。
 ――――あるのかな? カレーのルウの宝具。
 ――――いや、無いでしょ、そんなの……。

「無いって言われた……」
「あったらびっくりよ。っていうか、なんで彼が持ってると思ったのよ……」
「いや、それは……」

 この子、ちょっと頭が悪いのかもしれないわ。サーヴァントがカレーのルウを宝具として所有してるなんてあり得ないじゃない。
 
「ほら、諦めて別のを作りましょう。カレーの作り方なんて、その料理本にも載ってるんだから、今日作る必要は無いでしょ?」
「……そうね。じゃあ、今日は――――」

 料理中、私は彼女から片時も目を離せなかった。包丁で自分の指を切り落としそうになるは、塩と砂糖を間違えるはで、わざとやってるんじゃないかと思った程だ。
 でも、三品目を作る頃には大分上達した。一品目や二品目の時の失敗は初めての経験だったからみたいで、彼女は呑み込みがとても早かった。
 
「ところで、ツマミは用意したけど、お酒はあるの?」

 料理を運び込むと、アーチャーは不適に微笑んだ。
 
「無論。我が蔵には至高の酒が入っている」

 そう言って、彼はどこからともなく杯と酒瓶を取り出したカレーのルウは無くても、酒はあるらしい。意味が分からない。彼はどこの英霊なんだろう。
 
「お粗末な出来だが、まあ、許してやろう」

 イラッと来る事を言いながら、アーチャーは酒を飲みながらツマミに手を出した。フラットとライダーも便乗する。三人はいつの間にかすこぶる仲良くなっていた。
 
「次はゴールデンアイをやろうよ!」
「ハッハッハ! アーチャーたるこの我にソレで挑もうとは、片腹痛い!」

 盛り上がっている三人の後ろで私とアーチャーのマスターは作ったキンピラゴボウを口に含みながらテーブルで向かい合っていた。
 
「ところでさ……、私の事、覚えてる?」

 彼女に言われて、私は目を丸くした。
 
「覚えてたの? 私の事……」

 彼女の事は昼間、遭遇する前から知っていた。と言っても、直接会話をした事すら無かったけど。
 十年前の聖杯戦争。その終焉の地で私は彼女と一度会っている。他の事はおぼろげだったけど、あの時の事はかなり鮮明に覚えている。いや、思い出したというのが正しいかもしれない。
 アインツベルンに攫われるまで、私は十年前の事をほぼ完全に忘れ去っていた。だけど、魔術の修練に励む内、徐々に記憶が甦っていった。
 まさか、彼女も私を覚えているとは思わなかった。
 
「覚えてる。っていうか、あの時の光景はとにかく鮮烈だったから」
「そうね。あんな光景、さすがに忘れられないわよね」

 特に記憶に色濃く残っているのはエクスカリバー。あの光景があったからこそ、私はあの日の事を鮮明に思い出す事が出来た。
 嘗て、騎士王が振るったという約束された勝利の剣。あの輝きは私の魂に刻み込まれた。
 
「そっか……。ねえ、名前を聞いてもいい?」
「……別に構わないわ。イリヤスフィールよ。イリヤスフィール・フォン・アインツベルン」
「私は遠坂凛。今は間桐桜って名乗ってるけど、遠坂凛が本当の名前」

 わざわざ真名を名乗った理由。間桐の家に居る理由。間桐桜を名乗る理由。
 分からない事が山程あるけど、自分からは聞かなかった。彼女の事を知る事は今後の戦いで確実にプラスになる事が分かり切っているにも関わらず、彼女の心に踏み込む事が躊躇われた。
 
「そっか、遠坂凛だった頃の事を知ってる人がまだ居たんだ……」

 心底嬉しそうな笑みを浮かべる彼女に私は理解が出来なかった。私が彼女の過去を知っている事がどうしてそんなに嬉しいんだろう。

「……ね、ねえ、私達もちょっと遊んでみない?」
「え?」
「そ、その、ほら、私達だけ参加しないってのも、感じ悪い気がするし」

 言い訳染みた物言いには少しイラついたけど、別に異論は無かった。
 
「何をするの?」
「えっと」

 凛はアーチャーに私達が楽しめるゲームが無いか尋ねた。すると、彼は実に嬉しそうに微笑み、一本のゲームを彼女に渡した。
 
「自分から動くのは良い兆候だ。許す。ニンテンドウ64を使うが良い」
「う、うん!」

 ――――アーチャーは凛の事を大切に思ってるみたいだね。
 ――――みたいね。サーヴァントとマスターの関係なのに。
 ――――まるで、兄妹か親子みたいだね。

「ほら、イリヤちゃん。コントローラーだよ」

 フラットも嬉しそうに笑みを浮かべている。なんだか、むず痒い思いをしながら、私は彼からコントローラーを受け取った。
 
「えっと、これはどうやってプレイするの?」

 凛が問い掛けると、アーチャーは彼女に丁寧に説明を始めた。私もフラットに手解きを受けながらコントローラーを握る。昔、父とプレイしたスーパーファミコンのコントローラーとは大分赴きが違う。
 
「ぷよぷよは単純ながら奥深いゲームだ。まさに、コンパイルが生み出したマスター・ピースよ!」
「ボクはテトリスの方が好きだけどなー」
「俺はどっちも大好きッスよ!」

 誰かとこうして遊ぶのは本当に久しぶり。少しだけ、胸が浮き立つのを感じた。
 そして、私は知った。凛が如何に機械オンチであるかを……。
 
「ぷよぷよSUN……、何て難しいゲームなの!?」
「いや、そういう問題じゃないから」

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。