幕間「始まりと終わりの物語」 パート3

 翌日から私達はチームで動き始めた。兎にも角にも情報が必要だと考えて、私は今、ライダーに幻馬に乗せてもらい、上空から冬木の街並みを俯瞰している。夜とはまた違った趣があり、私もクロエもついつい聖杯戦争の事を忘れて夢中になりかけた。
 二回目の遊覧飛行の成果は上々。幾つか、情報を得られた。城に戻り、昼食を摂った後、私達は作戦会議を開始した。
 
「まず、一番注目すべきは円蔵山の中腹にある柳洞寺ね」

 テーブルの上に広げられた地図上の円蔵山を指差す。この地図はフラットが持っていた冬木市観光ガイドの付録だ。城に備えられた地図よりずっと詳細に描かれている。しかも、所々に観光スポットの写真が散りばめられているおかげで分かり易い。
 
「キャスターかな?」
「間違いないと思う」

 柳洞寺には神殿が築かれていた。無論、ローマやギリシャにあるような石造りのソレとは違う。要は魔術師が自分に有利になるよう手を加えた土地、即ち、魔術工房を指す。それも、並の工房とは一線を画す巨大かつ強大な陣。それが神殿だ。
 柳洞寺に敷かれた神殿は到底現代の魔術師に築ける規模では無かった。間違いなく、陣地形成のスキルを保有するキャスターの仕業だ。
 
「キャスターは最弱のクラスなんて呼ばれてるけど、油断ならないわ。出来れば、誰かが踏み込むのを上空から観察出来ればいいんだけど……」
「さすがにずっと空から監視するのは難しいと思うよ?」

 ライダーが言った。勿論、私だって、それが現実的な作戦じゃないって事くらい分かってる。相手は策謀に秀でたキャスターなのだから、何らかの対抗策を打ってくるだろう事は確実だ。
 
 ――――どうするの?
 ――――打つ手なし。

 肩を竦めながら内なる声に応え、私はセラに紅茶を淹れるよう命じた。キチンと三人分用意するあたり、メイドとしてはパーフェクトだ。

「美味しい!」
「これってどこのッスか?」

 フラットの質問にもセラはスラスラと答えを口にする。昔の彼女だったら、きっと不満そうに顔を歪めながら無視した事だろう。
 
 ――――元気を出して。

 クロエに慰められてしまった。どうしても、昔と今の彼女の違いを見てしまうと、心が波打つ。あんまり好きじゃなかった筈なのに、どうしてだろう。
 
 ――――彼女を愛していたからよ。

 だとしたら最悪だ。愛する人を私は見殺しにしたんだ。脳を削り取るなんて蛮行を許した私に彼女を愛する資格など無い。哀しんだり、寂しがったりする資格なんて無い。
 
 ――――逃げちゃ駄目。愛は不滅よ。

 時々、クロエは残酷な言葉を口にする。純真無垢な彼女は悪意無く、一番痛い場所を抉ってくる。
 愛が不滅だとしたら、この苦しみもまた、不滅という事。言い訳をして逃げようとしても、結局、奈落の底に引き摺り込まれる。
 
 ――――逃れられないなら、どうすればいいの?
 ――――耐えるのよ。

 溜息が零れる。答えになってない。
 
「どうしたの?」

 フラットが私の顔を覗きこんで来た。顔が近過ぎる。
 
「何でも無いわよ」

 異性と接した経験が少ない事を悟られないように平静を装う。
 
「本当に?」
「本当よ」

 心配そうに瞳を揺らす彼に私はにべもなく言った。
 
「嘘だね」

 確信に満ちた口調。彼の両手が私の頬を包み込んだ。顔を逸らせないようにガッチリ固定される。
 
「やっぱりだ。とても哀しそうだよ?」
「別に……」

 私は膝の上で固く握った両手を見つめた。
 
 ――――相談してみたら?
 ――――嫌よ。
 ――――どうして? 心配してくれてる。きっと、力になってくれる筈。
 ――――フラットは赤の他人なのよ? 踏み込まれたく無い。
 ――――嫌いなわけじゃないでしょ?
 ――――好きなわけでもない。

「どうしたの?」

 目に掛かる髪を彼の手が払い除けた。
 
「とても、苦しそうだ。悩みがあるなら相談くらい乗れるよ?」
「いいから、離して」

 フラットは溜息を吐くと私を解放した。
 
「オーケー。じゃあ、せめて気分転換をしよう。午後、新都の方に行ってみない?」
「いいけど、気分転換って?」
「デートしようよ。エスコートするからさ」

 噴出しそうになった。いきなり、何を言い出すんだ、この男。
 
「デートなんてしない!」
「どうして?」
「出会って、まだ二日なのよ!?」

 フラットは目を丸くしながら口を開いた。
 
「君って、可愛いね」

 躊躇いがちに彼は言った。
 
「深い意味で言ったつもりは無かったんだ。気分転換に遊びに行く程度だったんだけど……」

 恥ずかしさで顔が真っ赤になった。酷い早とちりだ。自意識過剰も甚だしい。会話の前後を考えれば、容易に言葉の意図を掴めた筈なのに、私はデートという単語に意識を持っていかれてしまった。
 穴があったら入りたい。瞳が潤み、呻き声をあげた。彼の顔が見れない。
 
「ごめんね。からかうつもりは無かったんだ。こっちを向いてよ」
「……嫌よ」

 彼はふーっと息を吐いた。
 
「前言撤回したいんだ」
「意味わかんない」
「逢引がしたいって意味さ」
「……これ以上、私をからかわないで」
「からかってなんかいないさ」

 嘘吐き。よく考えてみたら、私を逢引に誘う男なんて居る筈が無い。だって、私の体は十二歳の時に成長を止めてしまった。今年で十八になるのに、女性的な魅力が欠片も無い。仮にこの戦いの後も人生が続いていくとしても、これから先、対等な男女関係を築く事は不可能だ。
 小さい頃の夢は母のような素敵な女性になる事だった。そして、素敵な男の人と結婚して、奥さんになる。子供は二人。男の子と女の子。
 
「子供みたいに見えるからって馬鹿にしないでよ。これでも、今年で十八なんだから」
「馬鹿になんてしてないよ」
「してるでしょ」

 顔を歪める私の目をフラットの鮮やかな瞳がとらえた。
 
「どうして、そんな風に考えるんだい?」
「だって、変だもの。私は自分に女性的な魅力が無い事を承知してる」

 フラットはしかめ面で鼻を鳴らした。

「君は間違ってる。分かってないよ。君は実に魅力的だ。魅力的な女性を逢引に誘う。どこも変じゃない」
「あなたって、ペドフィリアなのかしら?」

 彼はやれやれと首を振った。
 
「俺が魅力を感じたのは君の内面だよ。君はまだ二日って言ったけど、そのたった二日で幾つも君の魅力を発見する事が出来た」
「他の女の子にもそう言ってるんでしょ」
「まさか」

 到底、彼の言葉を信じる気になれない。
 
 ――――信じるべきよ。

「どうやら、一筋縄ではいかないらしいね」

 フラットは囁くように言った。
 
「でも、きっと君の心を動かしてみせるよ」

 納得が出来ず、顔を顰めた。本気の筈が無い。私と比べたら、彼の隣で紅茶を啜っているライダーの方が遥かに魅力的だ。私と彼が一緒に街中を歩いていたら、誰の目も彼の方に向く筈。
 
「まずは第一歩からだ。街に繰り出そう」
「お断りよ」
「どっちにしたって、情報を集める為に街に出る必要があるだろ?」
「でも、デートをするつもりは無いわ」
「はいはい」

 結局、フラットの思い通りになってしまった。幻馬に乗り、新都のビルの一つに着陸すると、情報収集の名目で私達は街を練り歩いた。彼が誘うのは到底魔術師が近寄りそうに無い所ばかり。ファンシーショップに水族館。映画館で流行りらしい恋愛物まで観てしまった。
 久しぶりに触れる文明は抗い難い魅力に満ち溢れていた。何だかんだと言い訳をつけて、フラットに誘われるまま、デートを堪能してしまった。気がつくと、片手にペンギンのぬいぐるみを持ち、反対の手で映画のパンフレットが入った袋を提げていた。
 
「……今日だけね。明日からちゃんと情報収集するわよ!」
「えー!? 明日はプール行きたいよー」
 
 大きなウサギのぬいぐるみを片手に抱くライダーが抗議の声を上げた。
 
「その為に水着買ったのに!」

 そう、買っちゃったのだ。浮かれていた事を否定する気は無い。
 
 ――――折角だし、明日も聖杯戦争は休みにして遊びに行こうよ!

 クロエの提案に乗ってしまいたい誘惑に駆られる。何せ、娯楽に触れるのは六年振りなのだ。正直言えば、もっと遊びたい。
 どうせ、この戦いが終われば、結果がどうなろうと死ぬ事になるのだから、ちょっとくらい、羽目を外しても許される筈。
 
「し、仕方ないわね。そこまで言うなら……」
「やったー!」
「さっすが、マイ・フェア・レディ!」
「……もう」

 あんまり喜ばないで欲しい。いけないと分かってるのに、頬が緩んでしまう。私と一緒に遊ぶ事を喜んでくれるなんて、まるで友達みたいじゃない。
 六年前、私は家族と故郷を奪われ、友達との縁もそれっきりになってしまった。今頃、彼女達は何をしているんだろう。

「あ、そうだ。一箇所、よりたい場所があるんだけど、いいかな?」

 フラットが思いついたように言った。
 
「別にいいけど、どこ?」
「ゲームショップ! 日本のゲームに興味があったんだ」
「ゲーム……」

 惹かれる響き。昔、父と一緒にスーパーファミコンで遊んだ時の事を思い出した。父は私と遊ぶとき、いつも子供のようにはしゃいでいた。友達が話しているのを聞いて、試しにおねだりしたら、翌日、居間に当時発売していたゲームが全機種勢揃いしていた。母に雷を落とされて涙目になっていた父の姿が今でも鮮明に瞼の裏に浮かぶ。
 
「どうしたの?」

 いつの間にか、フラットの顔が直ぐ傍にあった。心配そうな顔。申し訳無い気持ちになるのはどうしてだろう……。

「……パパの事を思い出したの」

 呟いてから、しまった、と思った。言うつもりは無かった。彼を私の心に踏み込ませるような真似はしたくなかった。
 
 ――――どうして?
 ――――分かるでしょ?
 ――――分からないわ。嫌いなわけじゃないんでしょ?

 勿論、嫌いになるわけ無い。今日一日過ごして、彼が如何に魅力的な男性かを深く理解したつもり。ルックスも文句無しだし、性格も良いとなったら、どうやって嫌えるというの?
 でも、それとこれとは違う。常に彼との間に一線を引くべきだ。
 
 ――――どうして?
 ――――分かるでしょ?

 今度はクロエも分かってくれた。私達に未来は無い。あるのは避けようの無い死。恋をしたとしても、待ち受ける未来は悲劇なのが確定している。だからこそ、彼と距離を取る必要がある。
 
「お父さんの事? 何を思い出したの?」

 なのに、彼は易々と一線を踏み越えて来る。
 
「昔、一緒にゲームをした事があったの」
「そうなんだ! 今は――――」

 どこに? という言葉を彼は呑み込んだ。私の顔を見て、全てを悟ったみたい。
 
「ほら、ゲーム買いに行くんでしょ? 早く、行きましょう」
「……うん」

 駅前のゲームショップに到着すると、結構な人だかりが出来ていた。

「色々あるねー」

 ライダーはCDのケースを手に取りながら言った。
 
「ゲームのサウンドトラックかしら?」

 首を傾げる私にフラットは「ゲームだよ」と言った。私の知ってるテレビゲームのソフトはこんな形じゃなかった筈なんだけど……。
 六年も経つと、ゲームも進歩するものらしい。
 
「あ、これ面白そう」
「これもいいね」

 三人で買うゲームを選んでいると、突然、入り口の方が騒がしくなった。
 
「店主よ! この店の商品を買い取りたい」
「あ、かしこまりました。では、どういったソフトがよろしいですか?」
「全てだ!」
「……えっと?」
「全てと言ったのだ。金ならばある」

 私達は顔を見合わせた。どこの王侯貴族だろう。店の商品を全て買うだなんて、暴挙も甚だしい。一体、どんな奴なんだろう。こっそり顔を確認してやろうと思い、顔を向けると、私は目が点になった。

 ――――あの人、どこかで見たような……。

 きっと、目の錯覚に違いないわ。少しはしゃぎ過ぎたみたいね。疲れてるみたいだわ。
 
「あれって、アーチャー?」
「何言ってるのよ、フラット。アーチャーがこんな場所に居る筈無いじゃない」

 肩を竦める。フラットも疲れているみたいだし、今日はこの辺で帰った方がいいみたいね。
 
「でも、あの顔と声は間違いなく……」
「だから、見間違いの聞き間違いよ! サーヴァントがゲームショップの商品を買い占めるなんて、ある筈無いでしょ!」

 早く帰ろう。帰って、買ったばかりのデジモンワールドをやろう。育成ゲームらしく、選んだのはフラットだけど、私も興味を惹かれている。
 
「やっほー! ねえねえ、ここで何してるの? アーチャー」
「貴様、ライダーではないか! それに、そこに居るのはバーサーカーのマスターか?」

 聞こえない。何も聞こえない。聖杯戦争で敵のサーヴァントと遭遇するのは戦場の筈。こんな街中のゲームショップで遭遇するなんてあり得ない。
 
「貴様らもゲームを買いに来たのか?」
「うん! アーチャーも?」

 ――――素直に認めなよ。あそこに居るのはアーチャーだよ。

 溜息が出た。バーサーカーの天敵であるアーチャー。彼とこんな場所で遭遇するなんて夢にも思わなかった。しかも、ゲームソフトを買い占めようとしているシーンなんて見たくなかった。
 
「人間が生み出す娯楽というのは無限の可能性を秘めているものらしい。このような物まで生み出すとは、まこと、人間の欲望とは計り知れぬな」

 かっこいい事言ってるけど、この人、ゲームを買いに来たのよね。
 
 ――――自分だって、ゲームを買いに来た癖に。

 私はクロエの言葉を無視した。兎にも角にも、ここで戦闘になる事だけは避けなければならない。周りに一般人が多過ぎる。犠牲者を出すのはあまり好ましくない。隙を突いて逃げよう。
 フラットに声を掛けようとした、丁度その時、再び店の扉が開いた。

「い、居た! アーチャー! 貴方、こんな所で何してるのよ!?」
「……アーチャーのマスター?」

 顔を強張らせながら尋ねる私に入店して来た黒髪の少女は顔を引き攣らせた。
 
「……こ、こんにちは」
 
 それが彼女とのファーストコンタクトだった。何とも言えない微妙な雰囲気の中で出会った彼女と私の運命はこうして交わった。

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