幕間「始まりと終わりの物語」 パート15

 暗闇の洞窟を鞄片手に歩き続ける。生々しい生命の息吹が満ちる通路をひた歩く。重苦しい空気がのしかかって来る。比喩では無く、本当に重い。視覚化出来る程の濃厚な魔力が洞窟の奥から流れ込んできているのだ。私とアーチャーは周囲に気を配りながら前を往く。
 この先に最後の敵が待ち受けている。キャスターを倒せば、全てが終わる。モルガンのお陰で後顧の憂いは晴れた。フラットは快復に向かい、イリヤも魂の崩壊を免れた。
 これで漸く、全てに決着をつける事が出来る。この戦いに勝てば全て上手くいく。聖杯を使い、イリヤの体を癒し、大聖杯を破壊する。それで、聖杯戦争の歴史は幕を閉じる。
 完璧だ。非の打ち所の無い輝かしい未来が待っている。その筈なのに、何故か心がざわついた。

「……未だ、迷いは断ち切れぬか?」

 アーチャーが見透かしたように問う。

「別に、そんなんじゃないわ。ただ……」

 咄嗟に否定の言葉を口にするけど、先が続かない。脳裏にチラつく映像が私の歩を鈍らせる。
 
 ――――関係無い。

 自分に言い聞かせる。例え、イリヤが|兄さん《シンジ》を殺したのだとしても、それは彼女に憑依したモルガンがした事だ。イリヤ自身に罪は無い。
 兄さんは聖杯戦争に参加して戦い、その結果、敗北した。ただ、それだけの事だ。非があるとすれば、それは兄さんの方にある。
 大きく息を吐き、兄さんの映像を脳裏から打ち消すと、今度は別の映像が浮んで来た。それは一人の少年の映像。この先に待ち受けているであろう少年。名は言峰士郎。キャスターのマスターだ。柳洞寺で一戦を交えた時、彼は自らをそう名乗った。その顔は十年前、私の相棒だったアーチャーのサーヴァント、衛宮士郎の若かりし頃と瓜二つだった。
 言峰の姓を聞いた瞬間、ある程度、彼の辿ったこれまでの経緯に察しはついたけれど、動揺を隠す事は出来なかった。そんな私を守ってくれたライダーは私とアーチャーを逃がす為に宝具を使い、消滅した。
 |恐慌呼び起こせし魔笛《ラ・ブラック・ルナ》は魔力を大量消費する類の宝具では無い筈だが、フラットからの魔力供給を自ら遮断していた彼にとっては致命的だった。戦闘を一時的にストップさせる魔笛の音色が響く刹那、私達は戦場を離脱する事が出来た。
 この先に言峰士郎が居る。倒すべき敵として、私を待ち受けている。私はずっと前から彼に会ってみたかった。どこかに居る筈だと分かっていたからだ。でも、まさかこんな風に出会う事になるとは思っていなかった。思いは複雑だけど、頭を振って、迷いを吹っ切る。
 彼は|アーチャー《エミヤシロウ》じゃない。それに、例え、相手が|アーチャー《エミヤシロウ》だろうと、戦うからには勝つだけだ。今の私の相棒は|アーチャー《エミヤシロウ》じゃない。隣に並び立つのは人類最古の英雄王・ギルガメッシュなのだ。

「ねえ、アーチャー。貴方と過ごした一週間。短かったけど、それなりに楽しかったわ」
「ッハ! 言うようになったな。だがまあ、我もそれなりに愉しめた」

 彼との思い出は少ないながらも濃密だ。傲慢不遜。その癖、とても優しい彼と出会ってからの一週間が私を大きく変えた。暗闇から無理矢理眩い光の下に連れ出され、私は様々な初体験をした。
 楽しかった。イリヤやフラットとの出会いも彼が居たからこそ。そんな彼との別れの時も近づいている。
 
「……凛。良いのだな?」

 アーチャーが問う。そこに秘められている様々な問いに私は迷い無く頷く。
 兄さんの顔。言峰士郎の顔。ライダーの顔。次々に浮ぶ、彼らの映像を振り払い、たった一人の友達を思う。

「うん。だって、あの子に大見得切っちゃったしね」

 ヴァルプルギスの夜は驚異的な力を持っている。下手をすれば死ぬかもしれない。例え、この戦いに無事勝利出来たとしても、ギルガメッシュとは別れなければならない。
 けれど、私は戦う。そして、勝利する。だって、イリヤと約束したから。
 
『私は絶対に帰って来る。だから、待っててね。全部終わったら、今度こそ、一緒にプールに行きましょう。プールだけじゃない。いっぱい、色んな事をして遊びましょう』

 嬉しそうに頷く彼女の顔が瞼の裏に焼き付いている。彼女の笑顔があれば、私は迷わない。
 多くの人が狂い、そして、死んだ。全ての惨劇の元凶、聖杯戦争は今日、私の手で終わらせる。それで漸く、私もイリヤも解放される。この呪われた運命から解放される。

「確かに、大見得切ったからには完遂せねばなるまい。王たるもの、有言実行でなければならぬ」

 私はアーチャーと共に再び歩き出す。暗い場所。冷たい空気。静かな水音。やがて、視界が広がる。暗闇を抜けたその先に広大な空間が広がっていた。
 果ての無い天蓋と、嘗て見た黒い孔。あれこそ、戦いの始まりにして、終着点。二百年の長きに渡り稼動し続けてきたシステムがそこにある。
 見た目はエアーズロックのようだが、その上部は大きく陥没していて、巨大な魔法陣が敷設されている筈。それこそが大聖杯と呼ばれるものの正体だ。
 最中に至る中心。円冠回廊。心臓世界。天の杯。計測不能なまでの魔力を孕むソレは名に恥じぬ異界を創り上げている。
 そして、その中央から黒い柱が天に向かって伸びている。空間内を照らすのは黒い柱が発する魔力の波動。

「アレが|この世の全ての悪《アンリ・マユ》……」

 大聖杯に満ちている魔力はまさに無尽。世界中の魔術師がこぞって好き放題に魔力を汲み上げたとしても、決して尽きぬ貯蔵量。あれだけあれば、確かにあらゆる願いを叶える事が出来る筈だ。
 コレを今、キャスターが手中に収めている。その事実に息を呑む。動悸が激しくなり、額に汗が滲む。緊張と恐怖が胸の内で渦巻いている。

「恐れるな、凛。お前にはこの我がついているのだからな。覚えているか? 貴様と初めて対面した時に我が告げた言葉を」
「……ええ、勿論よ。『喜ぶがいいぞ、小娘。この瞬間、貴様の勝利は確定した』って」

 胸を張り、高らかに言った。似てたかな? 視線を向けると、彼は笑っていた。
 
「その通りだ。貴様の勝利はとうの昔に確定している。この我、人類最古の英雄王・ギルガメッシュを召喚した時点でな!!」

 そう、恐れる必要なんて無い。私には最強の相棒がついている。

「ええ、そうよね。こんなのただの消化試合でしかないわ。さっさと終わらせて、あの子を安心させてあげましょう」

 頭上を見上げる。そこに彼は居た。
 いつぞや見た、別世界の彼とは色々と差異がある。赤銅色の髪は黒く染まり、その肌もどす黒く染まっている。けれど、変わらぬ色の瞳が私を見下ろしている。
 思わず溜息が出る。
 
「こういう出会い方はしたくなかったわ。まったく、あの腐れ神父は余計な事しかないわね、本当に……」

 私の父を殺し、衛宮士郎となる可能性を秘めた少年を自らの娯楽の為に育てたという兄弟子、言峰綺礼は既に死去しているらしい。好き放題した挙句、仕返しすらさせないとは本当にどこまでも嫌な奴だ。
 けど、死んでしまったなら仕方が無い。死人に対してとやかく言うのは全くの無駄だ。そんな余裕があるなら、その分を生者に向けるべきだろう。
 
「さあ、決着をつけましょう」

 アーチャーが無言で私の前に出る。瞬間、声が響いた。
 
「|いと美しき世界《とき》よ、|永劫な《とま》れ!」

 世界が塗り替えられていく。漆黒の太陽はそのままに、壁や天蓋は消え失せ、代わりに夜天の空と草原が広がる。
 
「逃げずに立ち向かう君達の勇気を称え、精一杯のもてなしをさせてもらうよ」

 声はどこからともなく聞こえて来る。
 
「ッハ! 今こそ、決着の時だ、キャスター! 我をガッカリさせるなよ?」

 アーチャーが双剣を抜き放つ。同時に、彼の背後の揺らぎから次々に宝具が飛び出す。最初に飛び出して来たのは黄金の舟、|天翔る王の御座《ヴィマーナ》。次に飛び出して来た鎖によって、私の体はヴィマーナの上に連れて行かれ、その後現れた複数の宝具がヴィマーナを中心として、大神殿に匹敵する結界を構築した。見た目はヴィマーナに後天的に刻まれた小規模な魔法陣の周りを剣や槍、ナイフ、槌が取り囲んでいる。一つ一つが計り知れない魔力を含有する守護の宝具であり、どれか一つあるだけで鉄壁の防壁を築く事が出来る。それがおよそ三十。
 ヴィマーナが浮き上がると同時にアーチャーが動き出す。草原には柳洞寺の時と同じく、異形の姿を象る亡霊達が居る。彼らは楽しげに歌い、踊っていたが、アーチャーが動くと同時に一斉に動きを止め、アーチャーを見た。
 直後、亡霊達は一斉にアーチャーに襲い掛かった。
 
「ッハハハハハハハハハハ!」

 哄笑はアーチャーの口から発せられている。狂気染みた笑い声を響かせ、アーチャーは巨大な剣を振るう。到底、人が振るうには適さない、巨大過ぎる剣。嘗て、ドラゴンを相手に振るいし、その翠の剣の名はイガリマ。メソポタミア神話の戦いを司る女神ザババが振るいし、斬山剣。山を斬るに相応しき巨大な剣は一振りで亡霊達を薙ぎ払う。
 
「かような雑種共を嗾け、我を倒せるとでも思ったか?」

 アーチャーが浮かべる嘲笑に対し、亡霊達の動きが止まる。
 
「なるほど、英雄王を相手に彼らでは荷が重いか……」

 再び、キャスターの声が響き渡る。
 
「やはり、出し惜しみをして良い相手では無いらしい。彼らの力を借りるとしよう」
「彼ら……?」

 私の疑問の応えは黒い柱の下から現れた。
 
「あれは――――ッ!」

 そこに現れたのは二十八の人影。その内、私が知るのは七名のみ。けれど、その七名の正体が、残る二十一人の正体を暴くヒントとなった。
 私が知る七人。それは、前回の聖杯戦争に参加したサーヴァント達。
 
「嘘でしょ……」

 そこには|アーチャー《エミヤシロウ》の姿がある。そこには|アサシン《ハサン》の姿がある。

「これまで、聖杯が役目を果たせぬまま、聖杯戦争は五度目に縺れ込んだ。その度に炉にくべられ、消費される筈だった彼らの魂は大聖杯の中で眠り続けていたのだよ。我が宝具は死者の魂を呼び起こす。どうかね? 壮観だろう。今、聖杯戦争史上に名を連ねる歴戦の勇者達が並び立っているのだ!」

 そう、そこに並び立つ二十八人は全員がサーヴァント。一人一人が一騎当千の実力者であり、伝説にその名を遺す勇者達。
 これがキャスターの切り札。|セイバー《ベオウルフ》が|とんでもないもの《ドラゴン》を隠し持っていたように、キャスターもまた、とんでもない切り札を用意していた。

「さて、これなら君をガッカリさせる事もあるまい?」

 キャスターの問いにアーチャーの返答はシンプルな一言だった。
 
「……ガッカリだ、キャスター」

 その一言と共に百を越える宝具がアーチャーの蔵から打ち出された。
 しかし――――、
 
「いやいや、強がらなくていいよ。如何に君が強くても、彼らは一人一人が名のある英霊だ。魔術師達がこぞって勝利を目指し召喚した最強のサーヴァント達だ。それが二十八体だ。しかも、彼らは今、大聖杯から無尽の魔力を供給されている。それが何を意味するか、君になら分かる筈だよ?」

 キャスターが言葉を区切ると同時に閃光が奔った。複数の大軍宝具が同時に放たれたのだ。アーチャーの無数の宝具が瞬く間に灰燼に帰していく。
 にも関わらず、アーチャーの表情に聊かの動揺も見当たらない。ただただ、つまらなそうに目を細めている。
 
「雑兵ばかりでは無い。それだけは認めてやろう。カルナ、ゲオルギウス、アキレウス、ジークフリート。確かに、名だたる英雄達だ」
「負けを認める気になったのかい?」

 キャスターの問いにアーチャーは鼻を鳴らした。
 
「惜しいだけだ。奴等に理性があれば、まだ愉しめただろうにな」
「……何を言って」

 アーチャーは無言で天を指差した。つられて上空を見上げると、そこには満天の夜景が広がっている。けど、それが何だと言うのだろう?
 私が首を傾げていると、突然、キャスターの焦燥に駆られた叫び声が木霊した。
 
「アーチャーを殺せ! 今直ぐに!」

 キャスターの命令を受け、サーヴァント達が動き出す。対して、アーチャーは呟いた。
 
「つまらん幕引きだったな」

 そこから先は一瞬だった。王の財宝を最大展開したアーチャーは飛行宝具によって天に昇り、追って来る四人のライダーと飛行能力を保有する幾人かのサーヴァントを相手に巨大な石弓を放った。
 矢はドラゴンを象る光に覆われていた。アーチャーを追撃しようとしていたサーヴァント達はまるで生きているかのように襲い来る矢の対処に動きを一瞬縫い止められ、刹那、無数の拘束宝具が彼らを縛り上げた。
 地上から大軍・対城が放たれ、それらを幾重にも展開した盾の宝具で易々と防ぎ切ったアーチャーはお返しとばかりに無限の宝具を地上にばら撒き、その間にお黄金の双剣の形状を変化させた。
 双剣の柄同士が融合し、弓を形作る。
 
「さあ、雑種共よ、天を仰ぐが良い」

 弓の先に奇怪な陣が描かれ、矢が放たれる。それを地上のサーヴァント達は易々と回避する。理性を失って尚、それを脅威と感じ取った彼らは迎撃では無く、回避という選択肢を取った。その選択に何の意味も無い事を知りもせずに……。
 その矢はただの照準に過ぎない。その事を彼らは知らなかった。アーチャーの切り札とは、その矢では無く、遥か上空、衛星軌道上に展開された『|終末剣《エンキ》』である事を知らなかった。
 この固有結界の外、遥か衛星軌道上でソレは輝きを増した。その現象が多くの人工衛星によって目撃され、世界を大いに騒がせている事を私はこの時、まだ知らなかった。
 衛星軌道上で世界を賑わせているのは七つの光。それはイリヤやフラットが幾度も目撃した上空の光であり、それこそがアーチャーの持つ切り札だったのだ。
 
「さあ、滅びの火は満ちた!」

 アーチャーは高らかに叫ぶ。それは警告では無く、宣告。逃れ得ぬ、滅びの決定を告げる言葉だった。
 
「来たれ、ナピシュテムの大波よ!」

 衛星軌道上の『滅びの星』が矢となって地上に墜ちる。やがて、円蔵山へ到達すると、そのまま矢は空中消滅し、そして、私達の居る固有結界の内部へと出現し、地上にぶつかる間も無く、空中で四散した。
 呆気に取られる私達の前で四散した矢の光が突如、巨大な魔法陣を展開した。同時に空間が割れ、ノアの洪水の逸話の原型となった大海嘯、ギルガメッシュ叙事詩の語るナピシュテムの大波がヴァルプルギスの夜を呑み込む。

「識れ、雑種共。これが世界を滅ぼすという事だ! 凡百の英霊風情が、理性すら持たずにこの英雄王に歯向かった愚を呪え!」

 己が全魔力を解放した一撃。それは正に、人類最古の英雄王が誇る最強。もはや、指一本動かせない状態にありながら、アーチャーは勝利者の義務として、哄笑する。
 そして、世界は再び塗り替えられた。元の世界に戻って来た私達は大聖杯の下で立ち竦む言峰士郎の下へ向かう。全ての決着をつける為に……。

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