幕間「始まりと終わりの物語」 パート13

 あれ、ここはどこだろう? 目が覚めると、私は霧の中に居た。前も後ろも何も見えない。皆はどこに居るんだろう? 心の中の友人に問い掛けてみても、答えが返って来ない。
 途端、不安に駆られ、私は走り出した。すると、後ろから何かが手を掴んで来た。言い知れぬ恐怖を感じ、私は悲鳴を上げた。
 頬に衝撃が奔り、同時に霧が晴れた。目の前には凛が居た。
 
「イリヤ!」

 凛は不安そうに私を見つめている。
 何だか、前後の記憶が曖昧だ。一体、眠る前に何があったのかしら。
 
「ねえ、ここはどこ?」

 私の問いに凛は余計、不安そうな表情を浮かべた。
 
「ここは間桐の屋敷よ。覚えてないの?」
「えっと……」

 曖昧に口を濁す私を見て、凛は苦々しい表情を受けべた。
 
「やっぱり、英霊を憑依させるなんて無茶だったのよ!」

 大きな声に身が竦んだ。
 
「あ、ごめん……」

 謝る凛に私は首を横に振る。
 
「みんなは?」
「フラットは二階の兄さんの部屋で寝かせてる……。ライダーとアーチャーは外で作業中。メイドの片方がフラットと一緒で、もう片方は別室に居るわ」」
「フラット! そうだわ、フラットは大丈夫なの!? 彼、毒を受けてたのよ! 早く、治療してあげなきゃ!」
「待ちなさい!」

 凛は立ち上がろうとする私の両肩を掴んだ。
 
「今、自分がどんな状態か分かってるの!?」
「え?」

 意味が分からない。私はピンピンしている。一刻も早く、フラットの所に行きたい。こんな所で問答をしてる暇なんて無い。
 
「凛! 私、早くフラットに会いたいの!」
「じゃあ、約束して!」
「約束?」

 凛は肩に手を乗せたまま言った。
 
「絶対に、あの夢幻召喚とかいうのを使わないで」
「夢幻召喚……?」

 首を傾げる私に凛は瞳を揺らした。
 
「ほら、記憶が曖昧になってる……。貴女、今、壊れかけてるって自覚あるの!?」

 凛の言葉の意味が分からなかった。壊れかけてる? 誰の事を言ってるんだろう。私は逆に凛の事が心配になってきた。言葉に脈絡が無さ過ぎる。
 
「凛。あなた、疲れてるんじゃない?」
「違う! じゃあ、あの時何があったか言ってみなさいよ!」
「あの時って?」
「ドラゴンが現れた時の事よ」

 ドラゴン。覚えている。突然、城に現れたドラゴンと私達は戦った。
 あれ?
 
「私達……? あれ? 誰かと一緒に戦ったような……」
「モードレッド! 貴女はそう呼んでいたわ」
「……えっと」

 思い出せない。おかしい。ドラゴンが現れて、アーチャーの舟に乗り、逃げ出そうとした所までは覚えているのに、その後の事が酷く曖昧だ。断片的な事しか思い出せない。
 不安に駆られた私は涙を零した。
 
「凛……。私、どうしちゃったの? 何で、思い出せないの?」
「……イリヤ」

 凛は私を強く抱き締めた。そして、そのまま語り始めた。あのドラゴンが現れてからの経緯を事細かく。
 私は夢幻召喚という魔術によって、前回の聖杯戦争で召喚されたキャスターのサーヴァント、モルガンを自らに憑依させたらしい。そして、彼女の宝具であるモードレッドを召喚し、共にドラゴンに挑んだそうだ。
 アーチャーにドラゴンの主人であるセイバーの討伐を任せ、私はモードレッドと共に戦った。私は自分自身の小聖杯としての能力をフルに使い、モードレッドと連携して只管時間を稼ぐに徹したみたい。
 あらゆる魔術を無効化させる絶対的な対魔力を持つドラゴンを相手に私は転移や強化の魔術を駆使してモードレッドを援護した。
 結果的に言えば、私達は勝利を収める事に成功した。私達が死ぬ前にアーチャーがセイバーを討伐してくれたのだ。その結果、寄り代たる主人を失ったドラゴンも消滅し、燃え盛る森をモードレッドの宝具で消し飛ばした後、私達は一旦、間桐邸に身を寄せる事となった。
 その道中で私に異変が起きたらしい。私の言葉が支離滅裂になり、夢幻召喚が解除され、モードレッドも消滅した。どうやら、ドラゴンと同じく、主人であるモルガンが存在しない状態ではモードレッドは現界する事が出来ないらしい。
 アーチャーの私見によれば、私の内側は大分酷い状態らしい。英霊の魂を憑依させるという無茶をした結果がこの様という訳だ。
 
「貴女は今、時限爆弾のスイッチが入ってしまった状態なのよ……。だから、大人しくしてて。絶対に助けるから」

 凛は言った。
 
「アーチャーとライダーも納得してくれてる」
「納得って……?」
「今日中に聖杯を手に入れるわ」
「……え?」

 大胆不敵な凛の発現に私は目を丸くした。
 
「聖杯で貴女の身体を治す。これから、私達全員がその方針の下で動く」

 丁度その時、部屋の扉が開かれた。
 
「準備が出来た。我が蔵にある一級品の宝具でこの屋敷を包囲した。これで何者もこの領域を侵す事は出来ない」

 アーチャーの後ろにはライダーの姿もある。彼は私を見るや否や駆け寄って来た。
 
「目が覚めたんだね! 大丈夫? 痛い所は無い?」
「う、うん。大丈夫よ、ライダー」
「……本当に?」
「え、ええ」

 何だか、随分と彼の笑顔を見ていない気がする。天真爛漫な彼の笑顔は心のもやもやを取り払う力があるのに……。
 ライダーは疑わしそうに私の表情を見つめ、それから溜息を零した。
 
「無理だけは絶対に駄目だからね……」
「う、うん」

 ライダーはそう言うと部屋を出て行ってしまった。不安が過ぎる。
 
「フラット。凛。フラットは上の階に居るのよね?」
「……ええ」

 凛の表情が暗くなった。不吉な予感に私は部屋を飛び出していた。前に来た時に階段の場所は把握している。転がるように階段を駆け上がり、一番近くの開きっぱなしの扉から中に入る。
 すると、そこにはライダーとリーゼリットの姿があった。二人はベッドに視線を落としている。
 
「フラット……?」

 言葉を失った。一瞬、死体では無いかと思った。土気色の顔に苦悶の表情を浮かべている。
 よろよろと近づく私にライダーが場所を空けてくれた。胸に耳を押し当てると、心音の小ささに悲鳴を上げそうになった。呼吸も荒く、いつ死んでもおかしくない状態に見える。
 
「は、早く……、早く治療をしなきゃ……」

 震えながら私は追い掛けてきた凛に縋った。
 
「お願い、凛。フラットを助けて」
「……ごめん、イリヤ。私には無理。アーチャーにも……」

 頭を下げる私に凛は申し訳なさそうに言った。
 
「どうして……? アーチャーには色んな宝具があるんでしょ!?」
「あるにはあるが……」
 
 アーチャーは歯切れ悪く言った。
 
「今の小僧の状態では我の宝具に耐えられん。何しろ、生命力が弱まり過ぎているからな。心を壊し、廃人となるか、あるいは一線を越え死徒となるかのどちらかだろう」
「でも!」
「イリヤちゃん……」

 食い下がろうとする私をライダーが引き剥がした。
 
「フラットはどっちも嫌だって言ったの……。俺は人間として死にたいって……」

 涙を浮かべながら言うライダーに私は耳を塞いだ。
 
「聞きたくない! 死ぬって何よ!? 私の事、好きって言ったじゃない!? なら、どうして――――」
「イリヤちゃん!」

 ライダーの怒鳴る声に私は言葉を紡げなくなった。
 
「フラットの気持ちを考えてよ。一番苦しいのはフラットなんだよ!?」

 ライダーが怒っている。その事実がフラットの死をより現実的にした。
 
「嫌だ……」
「イリヤちゃん。お願いだよ。傍に居て、手を握ってあげてくれ」

 私は為す術無く、ベッドの横に膝をつき、彼の手を握った。
 
「本当に救う手立ては無いの……?」

 私は自らに問い掛けるように呟いた。きっと、ある筈だ。彼ほどの善人がこんな所で苦しんで死ぬなんて理不尽、許される筈が無い。きっと、救う方法がどこかにある筈。

「……そうだ」

 一つある。どうして、直ぐに思いつかなかったんだろう。私は以前、彼の容態に気付いた時に彼を救おうとした。それはつまり、あの時の私は彼を救えるという確信があったという事に他ならない。
 
「夢幻召喚で、もう一度モルガンを召喚すれば……」
「駄目!!」

 立ち上がり、再び夢幻召喚を行おうとした私を凛が押さえつけた。そこにライダーが不思議な本を手に立ちはだかる。
 
「やっぱり、使おうとしたわね……」
「させないよ、イリヤちゃん」
「どうして!?」

 魔術回路を起動する事が出来ない。まるで、スイッチをコンクリートで固められてしまったみたいだ。
 
「今、ボクの本で君の魔術回路を封じてるんだ。絶対に君に夢幻召喚をさせない為にね」
「どうして!? だって、モルガンの力なら、きっとフラットを救える!」
「でも、君は今度こそ完全に壊れてしまう……」

 ライダーの言葉に私は息を呑んだ。
 
「あくまで、アーチャーの私見だけど、君はドラゴンとの戦いで力を使い過ぎたんだ。そのせいで、君の中身は今滅茶苦茶になってる。その上、更に夢幻召喚をしたら、今度こそ、完全に壊れてしまう可能性が高いって……」
「でも、フラットを救えるならいいじゃない! ライダーはフラットのサーヴァントなんでしょ!? 私の事より、彼を優先して!」
「出来ないよ……」
「どうして!?」
「だって、それがフラットの祈りだもの。フラットは君の命と自分の命を秤に掛けて、君の命を取ったんだ。だったら、彼のサーヴァントであるボクは彼の意思を尊重するしかない」
「そんなの――――」
「言ったでしょ? フラットの気持ちを考えてってさ」

 私は二の句を告げなくなった。足下がふらつく。倒れ込むように膝を折り、フラットの頬に手を伸ばす。
 彼が死んでしまう。悪夢のような現実に私は涙を流した。壊れるなら、壊れてしまいたい。彼を失って、私だけが生き延びて、それでどうなるというの?
 
「イリヤ。一つだけ、彼を救う方法があるわ」
「……凛?」

 凛の言葉に私はハッとした表情を浮かべて彼女を見る。
 
「聖杯なら、フラットの事も救える筈。だからこそ、私達は今日中に決着をつけるつもり」
「り、凛!」

 私は彼女のスカートにしがみついた。
 
「本当に? フラットを助けてくれるの?」
「ええ、嘘なんて吐かない。その為にも私達は全力を尽くしたい。だから、一つ約束して欲しいのよ」
「約束……?」

 凛は言った。
 
「絶対に早まった真似をしないで。夢幻召喚をしないって、皆に誓ってちょうだい。その約束があれば、私達は安心して戦える。聖杯を手に入れる事が出来る」

 誰かに後ろから抱き締められた。甘い香りがする。きっと、ライダーだ。
 
「ごめんね、脅かすような事ばっかり言っちゃってさ。でも、お願いだから、自分の命を軽んじる真似はしないで。きっと、二人共救ってみせるからさ」
「ライダー……」

 ライダーのぬくもりを感じ、私は小さく頷いた。
 
「約束する……。だから、お願い……、フラットを助けて、みんな」
「ああ、承った」

 応えたのはアーチャーだった。
 
「我が命を違えるなよ? 貴様は生きるのだ。さすれば、活路は我が必ず切り開く」

 そう言って、彼は部屋を出て行く。
 
「イリヤ。絶対に貴女を救ってみせる。フラットの事も。だから、もう少しだけ我慢してて」

 凛はそう言うと、アーチャーの後に続く。
 
「絶対、二人共助けるから、待ってて」

 ライダーは私から身体を離し、凛の後に続いて出て行く。
 
「イリヤ。私も行って来る。セラ、暴れるから、違う部屋で寝てる。でも、大丈夫だから、心配いらない。待っててね」

 リーゼリットも出て行ってしまった。残されたのは私とフラットだけ。
 彼の傍に寄り添い、近くのお盆に載せてあるボウルから氷水で冷やした手ぬぐいを手に取り、彼の顔を軽く拭う。
 
「……みんな、ありがとう」

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