第三話『ゼロの使い魔』

 私はトリステイン魔法学院の本塔にある図書館に来ていた。30メイルを越える巨大な本棚が壁に立ち並んでいる。サイト君が研究室を訪ねてくる予定だが、今は昼食を食べている時間の筈だ。
 始祖ブリミルがハルケギニアに新天地を切り開いてからの歴史が全て内包されているこの図書館。私が居るのはその中の一角。教師だけが閲覧出来るフェニアのライブラリーだ。
 私が捜しているのは使い魔のルーンに関する書物。サイト君の左手に刻まれた珍しいルーン、私は前にどこかで見た気がした。
 レビテーションの魔法で手の届かない書棚まで浮かびながら、重厚な背表紙に刻まれている文字を追い、遂に一冊の本を見つけた。
 それは、始祖の使い魔に関する記述だった。ただの直感だったが、私はその本を手に取り、とある記述に眼を留めた。

“神の左手ガンダールヴ。勇猛果敢な神の盾。左に握った大剣と、右につかんだ長槍で、導きし我を守りきる”
“神の右手がヴィンダールヴ。心優しき神の笛。あらゆる獣を操りて、導きし我を運ぶは地海空”
“神の頭脳はミョズニトニルン。知恵のかたまり神の本。あらゆる知識を詰め込みて、導きし我に助言を呈す”
“そして最後にもう一人……。記すことさえはばかれる……。四人の僕を従えて、我はこの地にやってきた……”

 有名な一説の直ぐ近くに、三枚の挿絵が描かれていた。
 神の左手ガンダールヴのルーンと羊皮紙に複写したサイト君の左手のルーンを見比べる。すると、驚く程似ていた。ほぼ同じと言っていい。
 そうだ。何故、私がこの本を選んだのか、それは、ルーンが現れたのが左手だったからだ。そして、唯一の人間の使い魔の前例でもあるからだ。
 虚無の使い魔……。私は戦慄した。
 ミス・ヴァリエールの魔法は常に失敗する。火も水も土も風もあらゆる系統魔法で失敗する。

「そういう事なのか……?」

 彼女の魔法が成功しないのは、系統魔法が彼女の属性では無いからなのだろうか?
 私はあまりの衝撃にレビテーションを維持出来なくなってしまった。地面に体を打ちつけてしまった。
 ヨロヨロと立ち上がり、私は唯一、相談出来るであろう人物の下へ急いだ。こんな事を話せるのは、あの方しか居ない。偉大なる魔法使い、オールド・オスマンしか――――……。

ゼロのペルソナ使い 第三話『ゼロの使い魔』

 沈黙が重い。俺とルイズは眼を覚ましたシュヴルーズに教室の修理を命じられた。その間、ルイズは一言も発する事無く、黙々と作業を行っている。吹き飛んだ教卓の変わりを持ってくる様にと言う時だけ、口を開いたがその後は再び黙りだ。
 息が詰まりそうになり、俺は恐る恐るルイズに話しかけた。

「そ、そういえば、俺達、朝御飯もまだだったよな? この星の料理って、ちょっと興味あるんだよねぇ」
「あんたの料理は無いわよ」
「……は?」

 聞き間違えだろうか? ルイズの口からありえない言葉が出た気がする。

「だから、あんたの料理は無いって言ってるの! 朝からごたごたしてたから、あんたの食事を用意する様に手続きをするの忘れてたのよ」

 そう言えば、俺はルイズが起きてからずっと一緒に居るけど、どっかで何かの手続きをしている様な様子は無かった。

「って、はああああああああ!? じゃあ、俺はどうすればいいんだよ!?」
「アルヴィーズの食堂には、使用人以外の平民は入れられないわ。我慢して頂戴。夕食は食べれる様にしてあげるから」

 俺は自分の顔が引き攣っているだろう事を確信していた。

「納得出来るか! 朝食も喰ってないんだぞ!?」

 俺が怒鳴ると、ルイズが不機嫌そうな眼で俺を見て来た。

「あんたは未だ何にも私の使い魔としての仕事をしてないでしょ? 働きもしないで食べれるだなんて甘い考えね」
「お・ま・え・が! 俺をこんなとこに召喚しなけりゃ、ちゃんとあったかい飯が喰えたんだよ、俺は! 仕事なんかしなくても!」

 俺は空腹のせいで我慢出来なかった。確かに、鏡を通ったのは俺の判断だから、全部をルイズのせいにするわけにもいかない。そんな事は分かってる!
 だけど、そもそも、召喚魔法を俺の前にルイズが出さなければ、今頃は母さんの料理でお腹いっぱいになりながらネットが出来てた筈なんだ。
 帰れない事に対する不安や恐怖も絡み合って、俺は不満を爆発させた。

「だいたい! お前、成功率ゼロだから、ゼロのルイズって呼ばれてんだろ? どうして、よりにもよって召喚魔法だけ成功させるんだよ! こっちはいい迷惑だ!」
「な、何よ! 私だって、あんたなんか召喚したくなかった! 本当なら、グリフォンとかマンティコアとかの幻獣を召喚するつもりだったのに!」
「そんな凄いの、成功率ゼロのルイズが召喚なんて出来るわけないだろ! たまたま成功して、俺が来てやったから、お前は進級出来るんだろ? 俺に感謝するくらいしたらどうなんだ? 俺が来なきゃ、お前なんて何にも召喚出来なくて、進級も出来ない未来ゼロのルイズになってただろうさ!」
「な、何ですって……?」

 ルイズの冷水の様な声に、俺は思わず言い過ぎてしまった事に気が付いた。空腹でまともに考えて喋る事が出来なかったのだ。
 俺はルイズに声を掛けようとしたが、何も言えなかった。ルイズは泣いていたのだ。
 あの時、初めて会った時もルイズは泣いていた。コルベールの言っていた事が分かった気がする。
 こいつは、そんなに強い人間じゃない。

「ルイ……」
「馬鹿使い魔!!」

 俺が声を掛けようとすると、ルイズは耳が痛くなる程の大声で怒鳴ると、走り去ってしまった。
 俺は嫌な気分になりながらルイズが走り去った跡をのろのろと歩いた。女の子を泣かせてしまった。元々、女の子の扱いには慣れてないから、追いついても何を言えばいいか分からない。
 溜息を吐きながら歩いていると、慌てて走っているコルベールを見かけた。

「コルベール先生?」
「おや、サイト君。ミス・ヴァリエールはどうしたのかね?」

 コルベールは立ち止まって聞いてきた。

「ちょっと、喧嘩しちゃって……」
「喧嘩? 穏やかじゃないね。一体、何が原因なんだい?」
「その……、俺の昼御飯を用意して無いって、ルイズが言うもんだから、お腹空き過ぎて腹が立って……」
「それで、喧嘩になってしまったのか。先に謝らせてもらうよ。実は、さっきまで調べ物で図書室に行っていたんだが、その前に食堂に立ち寄って、サイト君がやって来たら食事を出す様に指示を出して置いたんだ。ただ、調べ物に意識がいってしまってね、ミス・ヴァリエールにその事を伝える様に言うのを忘れていた」
「そうだったんですか、ありがとうございます」

 俺はコルベールに頭を下げながら、ルイズに何て言おうか考えていた。
 よく考えると、ルイズの言い分は言い方は悪かったけど、ルイズに過失は無い。食事には手続きが必要なようだし、その時間が無かったのも事実だ。
 それに、ルイズの言うとおり、俺は未だに何の仕事をしていない。働かざる者、喰うべからず。
 さすがに、食事を用意してもらって当然ってのは、考えが甘かった。

「反省しているのなら、謝ってしまうのが一番早いよ。でも、誠意を見せないとね。ミス・ヴァリエールは聡い子だ。君が誠意を見せれば、きっと分かってくれるし、自分の非も認める筈だよ。彼女はちょっと頑固なだけだからね」
「分かりました。ちゃんと謝ります」
「うん。ああ、それと、食堂に行ったら、シエスタという使用人の女の子を探しなさい。君に洗濯や掃除の仕方を教える様に言っておいたから」
「なんか、何から何まですいません」
「かまわないさ。では、私は少しやる事があるのでね。夕方にでも研究室を訪ねなさい。君の荷物を渡すから」
「はい!」

 コルベールと別れてから、俺はルイズを探す事にした。何を言えばいいかなんて、未だ分からないけど、それでも誠意を見せないといけない。ちゃんと謝って、許してもらえるようにお願いするしかない。
 ルイズは意外と簡単に見つかった。何だか重厚な作りの建物の傍にある広場だった。その隅で、ルイズは小さくなっていた。見つかったのは、彼女のブロンドの髪があまりにも鮮やかで、視界の隅に入った瞬間に、ルイズだと分かったからだ。

「何よ、また馬鹿にしに来たの? 使い魔のくせに、平民のくせに! あんたまで、私を馬鹿にするの!?」

 俺が近づいた瞬間、ルイズは目元を真っ赤に腫らしながら怒鳴って来た。
 ずっと、色んな奴に馬鹿にされてたんだな。使い魔のくせに、平民のくせにって言ってるけど、それで自分を余計に貶めてる気がする。
 怒りも湧いてこなかった。本当は弱いのに、強い振りをしている。何だか、その姿が可愛かった。

「悪かったよ。腹が空いてて、苛々してたんだ」
「うるさい! あれが、あんたの本音でしょ? 私が魔法の成功率ゼロのルイズだって分かって、馬鹿にしてるんでしょ!」
「違う! 俺はただ、この星に来て、帰れないって言われて……。それで、不安で、怖くて、だから! だから、とにかく何かにあたりたかったんだ。お前が、成功率ゼロのルイズって言われてたの、殆ど何も考えずに言っちまったんだ! 本当に、ごめん!」

 頭を下げる。そうだ。俺はただ、ルイズに八つ当たりしたんだ。ルイズに全部の責任を押し付けようとしたんだ。自分の責任まで、女の子一人に押し付けたんだ。
 かっこ悪い。自分でそう思いながら、ルイズに頭を下げ続けた。

「でも……、成功率ゼロは本当なのよ? メイジの癖に、魔法が使えない。皆、私の事笑ってる。平民の使用人だってそう。お父様やお母様にも期待されてないの」
「俺は馬鹿にしない!」

 俺は発作的にそう言った。頭を上げて、ルイズの眼を真っ直ぐに見た。

「何があっても、絶対に俺はルイズを馬鹿にしない。お前がゼロのルイズってのが嫌って言うなら、俺がその名前に誇りを持てる様にしてやる! 使い魔の力はメイジの力なんだろ? だったら、強くなってやるよ。その、ゼロのルイズの使い魔として」

 言ってから後悔した。恥し過ぎる。つい、見栄を張ってしまった。だって、女の子の前でかっこ悪い事言えないじゃないか。
 ルイズは何も言わない。反応が怖くて、視線を合わせられなかった。

「……じゃない」
「ん?」
「当たり前じゃない。あんたは……、私の使い魔なんだから」

 鼻を鳴らしてルイズはソッポを向いた。けど、少し機嫌が直ったみたいだ。
 俺はルイズにコルベールが食事が出来る様に手配してくれた事を言うと、一緒にアルヴィーズの食堂に向かった。
 俺達は大分遅かったみたいで、食堂にはあまり人気は無かった。

「お祈りも終わっちゃってるし、急がないと食べる前に授業が始まっちゃうわ」
「次の授業までどのくらいなんだ?」
「あそこに砂時計があるでしょ」

 食堂の隅に大きな砂時計があるのが見えた。

「あれが落ちきると授業の始まる時間よ」
「って、あのペースだと五分も無いぞ?」
「だから、急いで食べるのよ!」

 ルイズが手近な席に座り、俺も隣に座った。ルイズが近くに居たメイドさんに声を掛けると、メイドさんは大急ぎでどこかへ行ってしまった。多分、俺達の食事を取りに行ったんだろう。
 黒い髪で可愛い女の子だった。
 食事が運ばれて来ると、既に残り時間は三分を切っていた。教室までどのくらい掛かるか分からないけど、早く食べないとまずいだろう。
 俺もルイズも大急ぎで食べ物を口の中に入れた。どれも涙が出そうになる程美味い。

「う、美味すぎる!」
「由緒正しい名門魔法学校のトリステイン魔法学院の食堂なのよ? 当然よ」

 ルイズが誇らしげに言った。確かに、これは誇れる美味さだ。

「あの、ミス・ヴァリエールの使い魔であらせられる、サイト・ヒラガ様でございますか?」

 すると、さっき食事を運んで来てくれた女の子が俺の名前を呼んだ。俺とルイズが振り向くと、女の子は恐縮した様に口を開いた。

「あの、私はシエスタと申します。ミスタ・コルベールより、お仕事の指南をする様に申し付けられたのですが……」

 上目遣いでおどおどした視線を向けてきながら、シエスタは言った。

「あ! コルベール先生が言ってた人か!」
「どういう事?」

 怪訝な顔をしているルイズに、俺はコルベール先生が使い魔としての仕事の指南をする人を見つけてくれた事を言った。

「ああ、なるほど。って、時間やば! あんたはちゃんと仕事を習いなさいね! 私は授業に行って来るわ!」

 ルイズは慌てて駆け出した。

「慌て過ぎて転ぶなよ!」
「分かってるわよ!」

 ルイズが去って行くのを見届けると、改めてシエスタに向かい合った。

「えっと、俺はサイト・ヒラガです。その、よろしくお願いします」
「あ、はい! よろしくお願いします、サイトさん」

 黒い髪に黒い眼の日本人みたいな感じで何となく親近感が湧いた。
 俺はとりあえず残りの昼飯をルイズの残したのも一緒に食べ切った。こんなに美味い料理を残すのはいかんと思う。
 俺が食べ終わると、シエスタが皿を運ぼうとするので、自分でやると言った。

「さすがに、これから指導して貰うんだからさ」

 俺が言うと、シエスタはキョトンとした顔をして、すぐに笑みを浮かべた。

「これは私の仕事ですので」
「あ、でも!」
「先生の言う事はちゃんと聞いてくださいね?」
「うっ……」

 ルイズといい、シエスタといい、この星の女の子はずるい。可愛過ぎる。多少の事はその可愛さで無条件に許してしまいたくなる。
 ちょっといいかっこしたくて皿を持っていこうとしたんだけど、こう言われてしまったら仕方ない。
 俺はシエスタが戻って来るまでガランとした食堂を見渡していた。

「何か、夜中とか動きだしそうだな」
「動きますよ?」
「ほあっ!?」

 なんとも為しに、食堂の周りに並べられた精巧な作りの彫像を見ながら呟くと、いつの間にか近づいてきていたシエスタが言った。

「お、脅かさないでよ……。ってか、あれって動くの?」
「ええ、魔法によって動く様になってます。っていうか、躍ります」
「へ、へぇぇ」

 俺は改めてファンタジーな星だなと思った。

「それじゃあ、お仕事の指導を始めましょうか」
「あ、ああ。よろしく頼むよ」

 いつの間にか、俺達の間にあった緊張は解れていた。
 シエスタが教えてくれたのは、食事の時はまず、主の椅子を引く事。朝は主よりも必ず先に起きて、洗顔の為のお湯を持って来て起す事などの基本だった。

「それでは、洗濯や掃除の仕方をお教えしますね。付いて来て下さい」

 シエスタに案内されて、俺は水場にやって来た。他にもメイドさんが居て、皆で洗濯していた。
 メイドさんの一人が、シエスタと俺に気が付いた。

「あれ? シエスタ、その人は? 新入りさん?」
「違いますよ。サイトさんです。サイト・ヒラガさん。ほら、ミス・ヴァリエールの使い魔の方ですよ。洗濯の仕方を教える様にミスタ・コルベールに言われて」

 俺はシエスタに教わりながら、ルイズの洗濯物を洗った。元々はルイズの洗濯物もメイドさんが洗う事になっている筈なんだが、俺がやる事になるらしい。メイドさんに洗って貰った方が綺麗になるんじゃないかとも思ったけど、下着まで洗わせてもらえるなんて役得は手放したくない。
 何となく、“根気”と“寛容さ”が鍛えられた気がする。
 それから、二人でルイズの部屋に向かった。ルイズの部屋は掃除する必要があるのか? という程に整理整頓されていて、床を磨く程度しかする事が無かった。
 それでも、部屋の掃除が終わった頃には、空は茜色に染まっていた。

「あ、もう夕方になっちゃったか」
「お夕食の時間ですね。多分、ミス・ヴァリエールもアルヴィーズの食堂に居ると思いますから、行きましょうか」
「そうだな。今日は本当にありがとうな、シエスタ」
「いいえ。何かあったら、何でも仰ってください」

 俺達がアルヴィーズの食堂に着くと、中は満員になっていた。シエスタと別れて、ルイズを探すと、後ろから突然声を掛けられた。

「突っ立っていたら邪魔になるわよ?」
「あ、ルイズ」
「あ、ルイズ……じゃないわよ。ちゃんと、仕事は教えてもらった?」
「ああ、バッチリだ! 早速仕事をしてやるぜ」

 俺はシエスタから習った、椅子を引くという仕事をした。それにルイズは呆れた顔をした。

「それは仕事っていうより……。まぁ、いいわ。あんたもさっさと座りなさい」
「おう! んで、ルイズは何の授業だったんだ?」

 椅子に座りながら聞いてみた。

「魔法薬と世界史の授業よ」
「へぇ、魔法薬の授業は見たかったな……」
「……あんまり面白い授業じゃないわよ?」
「でも、使い魔の仕事に素材探しってのがあんだろ? 勉強になるじゃん」

 俺は何となく色取り取りの煙や奇怪な薬品、不気味な生き物のホルマリン漬けを想像しながら、好奇心が沸き立つ思いをギリギリで抑えながら言った。

「あ、明日もあるから見に来れば?」

 ルイズは目を丸くすると、顔を逸らして言った。

「いいのか?」
「使い魔を同伴するくらい問題無いわ」

 食事をしながらルイズと話をして過ごした。
 夕食はかなり豪勢で、食べきれるかどうか不安になるくらいだった。
 お腹が膨れてきた頃、いきなり金髪のふとっちょがヒステリックな声で怒鳴って来た。

「どうして、平民をこのアルヴィーズの食堂に入れているんだ! ゼロのルイズ!」
「マリコルヌ……」

 マリコルヌの怒声に、周りに居た生徒達が一斉に顔を向けて来た。

「そこは僕の席だぞ! 平民を座らせるなんて、何を考えているんだ!」

 高圧的な物言いに、サイトは苛立ちを覚えた。

「なあ、席って決まってるのか?」

 憮然としながらルイズに尋ねると、ルイズは首を振った。

「別に決まって無いわ。まあ、いつも座ってる場所に平民が居たら、貴族なら不満でしょうね」
「なるほど」

 どうするべきだろう。意地でもここに残るか、それとも、お腹もいっぱいになったし素直に退くか……。
 俺はさっさと退く事にした。正直、洗濯や掃除をしたから疲れが溜まっていたのだ。

「はいよ。退いてやるからさっさと座れよ」

 俺がすんなり退くと、何故かマリコルヌは不機嫌な顔を更に強めた。

「なんだ、その態度は?」
「はい?」
「平民が舐めた口を効いてくれるじゃないか」

 何故か、マリコルヌを怒らせてしまったらしい。顔を真っ赤にして、まるでトマトの様だ。

「ゼロのルイズ! お前は使い魔の躾すら出来ないのか! 本当にどうしようもないな! さすがは何をやっても失敗する希望ゼロのルイズだ!」
「な、なんだよソレ!」

 訳が分からない。なんで、いきなりルイズに振るんだ? 

「おや? ルイズ。ゼロのルイズ! 君は落ちるところまで落ちたみたいだね。平民なんかに庇われるなんてさ」
「はぁ? 意味わかんないんだけど」

 マリコルヌがルイズに嘲る様に言った。いきなり自分に振られてルイズは怪訝な顔をしている。俺も意味が分からない。話の流れがおかしい気がする。

「お前……」

 大丈夫か? と聞こうとしたが、マリコルヌが先に口を開いた。

「そもそも、この由緒正しいアルヴィーズの食堂に平民を連れ込むなんて、君には貴族の誇りがないんじゃないか?」
「なんですって?」

 マリコルヌの挑発に、ルイズはギロリとマリコルヌを睨みつけた。

「睨んだって怖くないよ。魔法も碌に使えない落ち零れの癖に、使い魔の躾すら出来ないなんて、君ってここに居る意味あるのかい? ここはトリステイン魔法学院だよ? ま・ほ・う・が・く・い・ん・だよ? 分かるかい?」
「な、な、な……」

 ルイズはわなわなと震えている。怒りの余り、声も出ないらしい。

「お、お前の席に座っちまったのは謝るよ! けどさ、ルイズの事悪く言う理由にはならないだろ!?」

 俺は我慢できなくなって叫んだ。幾ら何でも言い過ぎだ。ここまで酷い虐めは見た事無い。
 完全に俺の事は虐めのダシ扱いになってる。

「ああほら、また庇われた。躾は出来ないみたいだけど、手懐ける事は出来たみたいだね? ひょっとしてさ――」

 マリコルヌの顔が愉悦の笑みに歪んだ。何を言い出すつもりなのか分からないけど、これ以上我慢出来る自信は無い。
 俺の握り締めた拳が震えた。

「――使い魔を誑し込んだのかい? 顔だけは上物だもんな。まったく、何て――」

 そこまでだった。俺は力の限りマリコルヌを殴っていた。自分でも気持ちの良いストレートがマリコルヌの頬に命中した。
 マリコルヌの体は面白いくらい飛んで床に倒れた。
 周りで見ていた生徒達は唖然としながら俺とマリコルヌを見た。

「何なんだよ……」
「サ、サイト……?」

 ルイズが毒気を抜かれた様な表情で俺を見てくる。

「お前の席座ったのは俺だろ! なのに、関係無いルイズにヒデェ事言いやがって! 男だったら拳で来いよ!」
「ちょ、あんた何言ってんのよ!」

 ルイズが俺を止めようとするけど、我慢出来なかった。
 美味い飯食べて、ルイズとも上手くやっていけるかなって思ってたのに、いきなり茶々入れてきやがって。
 その上、女の子に言っていい事と悪い事があるだろ!
 俺はもう一度殴ってやろうと拳を握り締めた。

「デル・ウェンデ!」

 マリコルヌの叫びが聞こえた瞬間、俺の体は吹飛ばされていた。
 胸に激痛を感じて、見ると、パーカーの胸の辺りが斜めに切れていた。
 薄皮も少し切れたらしく、薄っすらと血が滲んでいた。
 これが魔法か……。胸の痛みを我慢しながら立ち上がった。少し離れた場所で、マリコルヌが憤怒の表情で俺を見ている。
 いいぜ、来いよ! 俺が拳を握り締めて走り出そうとした。その時だった――。

「止めたまえ」

 突然、俺とマリコルヌの前に緑色の金属で出来た甲冑姿の女の子の人形が立ちはだかった。

「君達、ここをどこだと思ってるんだい? アルヴィーズの食堂だ。食堂って分かるかい? 食事をする場所だ!」

 俺の前に居るのとマリコルヌの前に居る金属人形の間に、赤いバラを持った胸を大きく開けている金髪の少年が居た。
 青銅のギーシュ・ド・グラモンとか、シュヴルーズに呼ばれてた奴だ。

「マリコルヌ、君の憤りも分かる。僕だって、平民の、それも男に自分の席を取られたら怒るだろう。けど、ルイズに対しての暴言は酷過ぎるよ」
「ギーシュ! 先に手を出したのはあの平民だ!」
「分かってるよ。けど、ここで暴れられたら迷惑だ。言っただろう? ここは食堂だ。食事に埃が入ってしまうじゃないか! どうしてもやりたいって言うなら外でやりたまえ!」

 ギーシュの言葉は正論だ。証拠に、周り中から俺とマリコルヌに非難の眼差しが向けられている。
 食事中に暴れた俺達が非常識なんだ。けど、俺の怒りは収まってない。

「おい、平民! 外で続きだ。ヴェストリの広場に来い!」
「おう、行ってやろうじゃねぇか!」
「待ちなさい!」

 俺も鼻を鳴らしてマリコルヌに付いて行こうとしたら、ルイズに止められた。

「何だよ? 俺は今からあいつをボコりに行くんだ!」
「あんた学習能力無いわけ? エア・カッターで胸を切り裂かれても未だ分からないの? 平民じゃ、貴族には勝てないの。下手したら殺されるかもしれない。言っとくけど、今のあんたの立場じゃ、殺されたってあんたが悪いって事で処理される事になるのよ?」
「知るか! 俺はあいつをぶん殴るんだ! だいたい、お前悔しくないのかよ! あんなデブに好き勝手言わせて」

 俺が言うと、ルイズは唇を噛んだ。

「悔しいわよ。けど、それであんた行かせて、ムザムザ殺させるわけにはいかないでしょ! 私はあんたの主人なんだから!」

 俺は思わず目を丸くした。正直言って、意外だった。ルイズは俺を心配してくれたらしい。
 だから、マリコルヌにあれだけ言われても必死に耐えて俺を止めてるんだ。
 俺は思わず嬉しくなった。単純だって思われるかもしれないけど、短い人生経験の中でも飛び抜けた美少女が、自分の屈辱に耐えて俺を心配してくれたんだ。
 余計にあの馬鹿殴らないと気が済まなくなった。

「やっぱ行く」
「なんでよ! 御主人様の命令を聞きなさい!」
「何言ってんだ。これって、使い魔の仕事だろ?」
「あんたこそ、何言ってんのよ! 使い魔の仕事は主を護る事! 貴族に喧嘩売る事じゃないの!」
「だったら間違ってないね」
「はぁ?」

 ルイズは俺の事を馬鹿を見る様な眼で見てくる。けど、そんなの関係無い。

「俺はご主人様の誇りを護りに行くんだ。言ったろ? お前がゼロのルイズを誇りに思えるようにするって。だったら、あんなデブに言わせたままになんかしてらんねぇよ」
「中々言うじゃないか」

 俺達の話を聞いていたらしいギーシュが愉快そうに笑った。

「ああ、僕から見たら、君は馬鹿だよ。敵わない相手に挑むのは勇敢ではなく無謀だ」
「知るかよ! あの野郎はぶん殴る! そんだけだ」
「暑苦しいね」

 俺はギーシュをジトッと睨んだ。

「喧嘩売ってんのか?」

 俺が言うと、ギーシュはキザな動作で首を振った。

「違うよ。ただ、君のそのルイズへの忠誠心……と言うか、女の子の為に怒る姿は好意に値すると思ってね。行くんだろう? ヴェストリの広場に」
「当たり前だ!」
「だったら、付いて来るといい。僕が案内するよ。僕も食べ終えた所だしね」
「な!? ちょ、ギーシュ!」

 ギーシュが俺を連れて行こうとすると、ルイズが慌てて止めようとした。
 だが、ギーシュはさっさと歩いていってしまい、俺も遅れない様にギーシュを追った。

「悪いな」

 ルイズに片手を上げて言うと、俺はギーシュに連れられてヴェストリの広場へとやって来た。
 金髪ふとっちょのマリコルヌは憎憎しげに俺を睨んでいる。顔は真っ赤で、憤怒のあまり歪んでいる。

「覚悟はいいな、平民!」
「テメエの方こそ、覚悟は出来てんだろうな?」
「覚悟? 要らないな。これは決闘じゃない、処刑だ!」

 合図も無しに、マリコルヌは風の刃を放って来た。俺は咄嗟に両手をクロスさせてガードした。少し後ろに滑ったが、鋭さはあまり無いらしい。今度はパーカーに少し切れ込みが入っただけだった。

「大した事無いじゃねぇか! メイジさんよぉ!」

 俺は拳を握り締めて駆け出した。あの程度なら、多少当っても大丈夫だ。

「あまり、メイジを嘗めるものじゃないよ? 使い魔君」

 ギーシュの声が響いた。次の瞬間、俺の体は宙に浮いた。
 しまった。そう思った時には遅かった。俺の体は建物の三階くらいの高さまで上昇して手も足も出なかった。

「ひ、卑怯だぞ! こんなの! 正々堂々と勝負しろ!」

 俺が両腕を振り回しながら叫ぶと、マリコルヌが嘲る様に笑った。

「馬鹿か、お前? これは決闘じゃない。言っただろう? 無礼な平民の処刑だと」
「ちっくしょおおおお!」

 更に高度が上がっていく、このまま落下したら死んでしまう。
 突然、体の浮遊感が消失した。マリコルヌが魔法を解いたのだ。凄まじい勢いで落下していく俺をマリコルヌが笑ってみている。
 死ぬ。このまま落ち続けたら死んでしまう。俺は必死に助けを求めた。

「ああ、だから言っただろう? 貴族を嘗めるものじゃないって」

 地面に衝突する寸前、俺の体は浮いた。どうやら、ギーシュが助けてくれたらしい。
 ストンと俺の体は地面に降ろされた。

「あ、ありがとう。えっと、ギーシュだっけ?」
「いきなり呼び捨てとはね。まあ、いいさ。それより、これで君も貴族相手にこれ以上喧嘩を――」

 ギーシュが何かを言い切る前に、マリコルヌのヒステリックな怒鳴り声が遮った。

「何で邪魔した!」

 マリコルヌの怒声に、ギーシュは怪訝な顔をした。

「何でって、君、幾ら何でも理性を失い過ぎじゃないかい? 人殺しは平民相手でもさすがに不味いって」
「うるさい! 僕を愚弄した平民を庇うなんて、お前こそ正気か!?」

 ギーシュはおかしな者を見るめでマリコルヌを見た。

「何かおかしいな。マリコルヌ、君、何かあったのかい? さっきのルイズの事もそうだが、普段の君ならあそこまで言ったりしないだろ!」
「黙れ! 黙れ黙れ黙れ! 黙れえええええええええええ!!」

 突然、地面に皹が入った。俺とギーシュは顔を見合わせた。ギーシュも目を丸くしている。
 見ると、マリコルヌの周りを霧の様な白いモヤが包み始めた。

「な、なんだよコレ!? なあ、これって何が起きてるんだ!?」

 俺がギーシュの肩を掴んで聞くと、ギーシュも訳が分からないという顔で首を振った。

「僕にも分からない。地割れを起すなんて、マリコルヌには無理だ。っていうか、彼は風属性だし、土属性の僕にだって、こんな事は出来ないよ。それこそ、ラインか、いや、トライアングルクラスじゃないと!」

 その時だった。

「サイト!」

 遠くからルイズが走って来た。どうやら追い掛けて来たらしい。
 ルイズが息を切らして駆け寄って来ると、息を整えて言った。

「サ、サイト。貴族に、喧嘩なんか、売ったらただじゃ、済まないの! だから――」
「悪い、ルイズ! それ所じゃない!」

 俺はルイズを抱えて横に跳んだ。見れば、ギーシュも横に跳んでいた。
 マリコルヌの立っていた場所から俺達の立っていた場所に向かって、風の塊が通り過ぎていった。

「今のって、エア・ハンマー!? 嘘、あんな威力のマリコルヌが撃ったっていうの!?」

 ルイズが驚いてマリコルヌの立っていた場所を見た。すると、ルイズの顔が凍り付いた。

「何……アレ?」

 マリコルヌの立っていた場所には濃い霧が立ち込めていた。
 そして、霧の中にナニカが居るのが見えた。
 巨大なナニカ。霧が深くてよく見えないが、動いている。

「魔法の暴走……とも違うね。何だろう、アレは――――」

 ギーシュが霧の中に居るナニカを見ようと眼を細めながら言うが、霧の向こうから風の大砲が俺達目掛けて襲い掛かってきた。
 一撃一撃がシャレにならない威力だ。俺はルイズを抱き抱えるようにして走り回った。

「クソッ! 使い魔君! ここは、僕が引き受けるよ。君は、ルイズを連れて先生を呼んできてくれたまえ!」

 ギーシュが赤いバラを振って、地面からさっきの緑色の金属の人形を七体作り出した。

「何言ってんだ! あれは何かヤバイ! 早く逃げろ!」
「サイト、降ろして!」
「な、ルイズ!?」

 ルイズがバタバタと暴れたせいで、俺はルイズを落としてしまった。
 ルイズは服に付いたドロを拭おうともせず、杖を霧の向こうのナニカに向けた。

「サイト、あんたは先生を呼んで来て」
「ルイズ! お前まで何言ってるんだ! ギーシュも! 殺されちまうぞ!」

 俺が言うと、ルイズとギーシュは変なモノを見る眼で俺を見てきた。何なんだよ、一体。

「あんた、私が死ぬわよって言ったのに、マリコルヌと戦おうとしたじゃない」
「君にだけは、死ぬから逃げろ……なんて、言われたくないね」
「そ、そんな事言ってる場合か!?」

 瞬間、俺達目掛けて、さっきよりも大きな風の塊が降り注いできた。
 ギーシュの人形が俺とギーシュとルイズを抱えて走った。

「あ、危ねぇ」

 地面に出来た巨大なクレーターに、俺は思わず息を呑んだ。

「使い魔君。前言撤回だ! あれの足止めは僕にも無理だ!」

 ギーシュが悲鳴に近い声を上げた。最初の風の塊なら、何とかギーシュの人形でも耐えられたのかもしれない。でも、今のは無理だろう。あんなものが当ったら、幾ら金属で出来てても木っ端微塵になってしまう。

『逃がさないぞ』

「――――声!?」

 霧の向こうから声が聞こえた。ギーシュとルイズも目を丸くして霧の向こう側を見ている。
 すると、徐々に霧が薄くなり始めた。霧の向こうのナニカの影が鮮明になっていく。
 そこに居たのは――、醜悪な豚に似た巨大な生き物だった。

「何、あれ……」
「豚……?」

 ルイズとギーシュが呆然と呟いた。全身は真っ黒で疣だらけで、赤いラインが様々な模様を体中に描いている。
 黒豚の全身の疣をよく見ると、それは人間の顔の様な形をしていた。
 あまりの気色悪さに鳥肌が立った。ルイズとギーシュも震えて声すら出なくなっている。
 このまま、何もしなければ死ぬ! そう思った瞬間、俺は何故か、“あの部屋”に居た。

『ようこそ、ベルベットルームへ』

 それが、運命の幕開けだった――――……。

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