第十五話「聖杯問答?」

 監督役による緊急招集を受けた日の翌朝、タイガ達は冬木市市民会館前に集合していた。
「それじゃあ、犯人探しに出発よ!」
 イリヤスフィールがライダーに肩車をされながら言った。
「ふふふ、事件の真相は我が解き明かす」
 昨日、聖杯戦争を再開すると宣言していたセイバーは虫眼鏡片手にノリノリだ。
「犯人探しと言っても、どこから探せばいいんだ?」
 ウェイバーはもはや敵同士が普通に待ち合わせしている事に何も突っ込まなかった。
「聖堂教会がわざわざ参加者に捜査を命じるくらいだ。恐らく、犯人は聖杯戦争の参加者だ」
 アーチャーの言葉に大河が驚きの声をあげる。
「参加者って、マスターやサーヴァントがやってるって事!?」
「それ以外に考えられん。わざわざ監督役が我々を捜査に動員する理由など」
 手掛かりはない。分かっている事は犯人が聖杯戦争の参加者である可能性が高いという事のみ。
「ふはははは! いいか、犯人探しの基本を教えてやる!」
 楽しそうにシャーロック・ホームズを読んで齧った俄仕込みの探偵知識を披露するセイバー。イリヤとタイガが楽しそうに聞いている手前、アーチャーとライダーも止められない。
 コンカラーはセイバーが持ってきた単行本を読むのに夢中。
「……いつ、出発するんだ?」
 ウェイバーの呟きに応える声は無く、彼等が出発する頃には正午になっていた。

「そう言えば、お前等は聖杯に何を願うんだ?」
 結局、捜査を始める前に腹拵えをする事になり、近くのファミリーレストランにやって来た一行。
 ウェイバーはハンバーグを食べながらおもむろに問いかけた。
 なんとなく、気になったのだ。
「そういう貴様の望みはなんだ?」
 まずいまずいと笑いながらコーンスープを啜るセイバーの言葉にウェイバーは墓穴を掘ったという表情を浮かべる。
「背を伸ばす事だよね?」
「違うよ!! 勝手に決めるな!!」
 コンカラーの口を塞ぐウェイバーに「じゃあ、何を望むの?」とイリヤ。
「ぼ、僕は正当な評価を得るために参加したんだ」
「正当な評価って?」
 大河が聞くと、ウェイバーは時計塔で受けた不当な仕打ちについて語り始めた。
 折角寝ずに書き上げた論文。それをよりにもよって授業中に取り上げ、笑い者にした教師。
 彼は立ち上がった。魔術師の才能は血で決まるのではないという主張を記した論文の正しさを証明し、教師の鼻をあかすために。
 聞けば聞くほどみみっちい。
「そ、それで聖杯戦争に?」
 大河でさえ、その理由はあんまりだと思った。
「そうだよ!! 悪いか!?」
「悪くないけど……」
 大河とイリヤは呆れている。コンカラーは腹を抱えて笑い、ライダーは端からウェイバーに興味がないらしく延々とパスタを食べ続けている。
「……鼻をあかすか」
 セイバーとアーチャーだけが表情を変えずにウェイバーを見ていた。
「な、なんだよ……」
 彼等にも馬鹿にされると思っていたウェイバーはセイバーとアーチャーの反応に戸惑った。
「ウェイバー・ベルベット。君の望みは生き残りさえすれば叶うだろう」
「え?」
 アーチャーの言葉に首を傾げる。
「ああ、貴様は勝者になる必要が無いな。もう少し成長すれば、貴様を笑う者はいなくなる」
「……て、適当な事言って内心馬鹿にしてるだろ」
 真剣な表情で何を言うかと思えば……。
 不貞腐れたようにウェイバーが言うと、セイバーは笑った。
「信じる信じないは貴様の勝手だ」
 そう言って、セイバーは笑っているコンカラーを見た。
「それで、貴様は何を願う?」
「僕? 僕は……、とくに無いかな」
「なんだと?」
 コンカラーはコーラを口に含みながら言った。
「もっと大人になった僕なら受肉でもして、再び世界を征服しようとしたかもしれない。でも、今の僕はそれほど聖杯を求めていないんだ。こうして、一時の夢を楽しむだけで満足してしまう。ある意味、マスターが召喚してくれた時点で僕の望みは叶ってしまっているんだ」
「コンカラー……」
 召喚される事自体が望み。そうした例は珍しくない。アーチャーの経験した聖杯戦争では戦いそのものを望み参加するサーヴァントもいたし、彼自身も目的は聖杯というより、聖杯戦争に召喚される事で《機会》を得る事が目的だ。
「そういう君は? 僕としては英雄王の抱く願望に興味があるんだけど、聖杯に何を願うつもり?」
 話を振られたセイバーは鼻を鳴らした。
「聖杯自体には我も興味など無い。万能の願望機など無くとも、我に叶えられぬ望みなど無いからな」
 そう言った後に彼は笑みを浮かべた。
「だが、この戦い自体は素晴らしい。そうだな、貴様と同じだ。我も召喚された時点でほぼ望みが叶っていると言える。群雄割拠の時代を生き抜いた英傑達と矛を交える機会なんぞ、そうそう無いからな」
 クククと笑うセイバーにウェイバーは呆れた。
「戦闘狂かよ」
「そう邪険にするな。英雄の性というものだ」
 コーラを一気飲みし、「たまらん」と満面の笑みを浮かべ、セイバーは十回目のおかわりをしようとしているライダーを睨んだ。
「おい、腹ペコキング。貴様はどうだ? 何を願い、参加した?」
「……モキュモキュ」
「一端、喰うのを止めろ! 貴様も王ならば、もう少し上品にだな……」
 眉間に皺を寄せるセイバーにライダーは舌打ちをした。
「まったく、静かに食事も出来んのか、貴様等」
 イラッとする物言いだ。セイバーの皺が一層深くなる。
「それで、願いだったな。私も特に無い」
「え?」
 意外そうに声を上げたのはアーチャーだった。
 彼の知る彼女は確かに願いを持って聖杯戦争に参加していた。その願いは尊くも悲しく、愚かなものだったが、その祈りを持って戦う彼女に憧れた身としては、ライダーの言葉を捨て置くことが出来なかった。
「本当に無いのか?」
「《聖杯》に託す|願い《もの》などない。私の今の目的はイリヤを勝者にする事だけだ」
 嘘をついているようには見えなかった。彼女は心から聖杯を無用と考えている。
 そんな馬鹿な……。アーチャーはライダーから目をそらす事が出来なかった。
 彼女と彼が知るアルトリアとの違いは今までも幾つかあった。だが、これはあまりにも……。
「それより、私はお前の願いに興味がある」
 そう言って、ライダーが見たのは大河だった。
「え、わたし?」
 ライダーは頷いた。
「イリヤも気になっているのだろう? この話題になってから、ずっと彼女を見ているじゃないか」
「……ええ、とっても興味があるわ」
 それはまるで|天使《■■■》のような微笑み。とても愛くるしくて、とても優しくて、何故か大河は|既視感《デジャビュ》に襲われた。
「わ、わたしは……」
 大河は言った。
「ただ、この街を守りたいだけ……。この街に生きる者として、この街に根を張る極道の娘として、なによりーーーー」
 ノイズが走った。何かを喋ろうとして、その瞬間脳が揺さぶられた。気持ち悪い。吐き気がする。
「ご、ごめん。トイレ行ってくる!」
「タイガ!?」
 タイガは慌てたようにトイレに駆け込む。慌てて追いかけようとするアーチャーをイリヤスフィールが止める。
「ちょっと、アーチャー。デリカシーが足りないわよ? わたしが見てくるわ」
 そう言うと、彼女は立ち上がって大河を追いかけた。
「ま、待て、イリヤ」
 彼女の背を追いかけようとして、ライダーに腕を掴まれた。
「まあ、イリヤに任せておけ」
「……私のマスターに何か仕掛けたのか?」
 体調の急変。それはイリヤスフィールと彼女の質問が切っ掛けだった。
 殺意を向けるアーチャーにライダーは嗤った。
「私達は何もしていない。それにこれからも彼女に何かするつもりはない」
「なに……?」
 その言葉はあまりにも不可解だった。聖杯戦争において、マスターを殺す事は定石の一つだ。それをイリヤとアルトリアが否定するなど、彼の常識からは考えられない事だ。
「そう、不思議そうな顔をするな。彼女はあくまで迷い込んできただけの一般人だ。巻き込まれただけの人間に手を下さなければ勝てない程、私達は弱くないというだけの事だ」
 それは強者としての自覚と自信によるもの。確かに、彼女ならばそれだけ言っても大言壮語にはならない。
 だが、妙に違和感を感じる。まるで、汚泥が絡みついてくるかのように得体のしれない恐怖を覚える。
 そう、それはまるで……、
「おい、いつまでくだらん事を話しているんだ?」
 セイバーが口を挟んだ。
「女二人が便所に行っただけだぞ。その程度で騒ぐな戯け共。それより、午後からは本格的に調査を開始するぞ。やはり、捜査の基本は聞き込みだ」
 有無を言わさぬ語気で話を変えるセイバー。アーチャーとライダーの不穏な空気を払拭すべく、ウェイバーも乗っかかる。
「聞き込みって、そんなの聖堂教会が粗方済ませてるだろ」
「貴様、この我に意見するつもりか?」
 睨まれて、ウェイバーは慌ててコンカラーに縋り付いた。
「あはは、あんまり僕のマスターを怖がらせないでくれないか?」
 コンカラーは微笑みながら言った。笑顔なのに、不思議と寒気がする。
「可哀想に、怯えてしまったじゃないか」
「べ、別に怯えてなんか!」
 顔を真っ赤にして反論しようとするウェイバーの口に人差し指を当てるコンカラー。
「強がりは無駄だよ、マスター。君って、かなり分かり易いからね。それと、聞き込みが全くの無駄って意見には反対だな」
「ど、どうしてだよ?」
 ウェイバーが聞くと、コンカラーは言った。
「そもそも、聖堂教会は本格的な調査なんてしていないと思うよ」
「え?」
 不思議そうな顔をする主にコンカラーは微笑みかける。
「彼等はあくまでも傍観者だ。この街の守護者でも、聖杯戦争の参加者でもない。加えて、この時期にこの地で大量の失踪者を出すなんて、参加者以外にあり得ない。人の身では決して敵わない英霊を従えるマスターを止めるために進んで自分の身を投げ出す事なんてしないさ。そんな事をする聖者がいるなら、そもそもこの聖杯戦争自体を止める為に動いている。こうして聖杯戦争が続行している時点でそんな聖者はいないという事さ」
「な、なるほど……」
「マスターの相手は同じくマスターにしか務まらない。失踪事件の犯人を見つける事も、捕まえる事も僕達にしか出来ないわけさ」
 コンカラーは言った。
「そういうわけだから、地道に頑張ろうよ、マスター」

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