第二話「朝食美味いッス!」

 薄暗い地下室でラッパ型スピーカーから有名歌手の歌声の代わりに罅割れた老人の声が響く。懐古主義者が好む骨董品だが、遠くの場所に居る相手との会話を可能とする正真正銘の魔術礼装である。電話の方がコストの面でも、効率の面でも、利便性の面でも優れているのだが、持ち主である遠坂時臣は敢えてこの魔術礼装を愛用している。現代科学の粋を集めた機械を使うなどナンセンス。
【時代が移り変わろうと、魔術師は旧き物、古き伝統を尊ぶべきだ】
 それが彼の主張である。彼の魔術師としての弟子である言峰綺礼には不可解な心理だ。
『――――というわけだ。まさか、大聖杯のある円蔵山地下で召喚を行う者が居るとは……』
「マキリか……、あるいはアインツベルンか。いずれにしても、大聖杯に細工をされた可能性がある以上、捨て置くわけにはいきませんね」
『うむ。時期尚早かと思うが、サーヴァントを召喚し、調査に向かって頂きたい。下手を打てば、聖杯戦争が根幹から崩れ去る可能性もある』
「承知しました。丁度、今宵は綺礼にサーヴァントの召喚を行ってもらう予定でしたから。……しかし、フフッ」
『どうしたのかね?』
 微笑を零す時臣にスピーカーの向こう側で言峰璃正は眉を顰める。
「いえ、不幸中の幸いとでも言いましょうか……。召喚における不安要素が取り除かれた事に安堵しているのですよ」
『不安要素……?』
「ええ、私が用意した聖遺物で召喚出来る《最強の英霊》を単独行動が可能なスキルを保有するアーチャーのクラスで召喚してしまう憂いが無くなった。大聖杯に近づく暴挙は許し難い。だが、その点に関してのみ、感謝しよう」
 時臣は璃正との通話を終え、傍らに佇む綺礼を見つめた。
「さて、聞いての通りだ。早速、召喚の儀式に取り掛かろう」
「かしこまりました」
 
 ◇

 暗闇の中、呻き声をあげる男が一人。彼が無数の陰茎を模した蟲に体を弄られ、人ではないナニカに変えられていく苦痛に耐えていると、急に痛みが晴れた。
「雁夜。些か事情が変わった。お前には何としても勝ってもらわねばならん」
「……ッハ。顔色が随分と悪いな、臓硯」
 挑発的な眼差しを向けると、いつもなら鼻で笑う老獪が苛立ちの篭った表情を浮かべ、杖で雁夜の背中をついた。すると、体内で蟲が暴れ始め、耐え難い激痛が走った。意識を失う事も許されず、脳内麻薬の分泌も抑制され、人間が感じ得る最大級の痛みが駆け巡る。
 数時間にも、数日にも感じられる数秒後、臓硯は雁夜から杖を離した。
「口を開けろ」
 臓硯は雁夜が救いたいと望む少女の胎内で育った数匹の蟲を雁夜の口に捩じ込んだ。
 朦朧とする意識の中、激しい嘔吐感に襲われパニックを起こす雁夜の口を他の蟲に閉じさせる。
「お前の中に桜とのラインを構築した。これで少しはマシなマスターになれるだろう」
 体内の急激な変化に雁夜の意識は闇へ沈む。

 目を覚ました時、そこは同じ場所だった。意識を失う前と異なる点は二つ。一つは無数の蟲が退去し、床に魔法陣が刻まれている事。もう一つは幼い少女がいる事。
「さく、ら……ちゃん?」
 起き上がると、妙に体の調子が良かった。
「これは……」
「言っただろう。お前の中に桜とのラインを構築した。今、お前の中には桜の魔力が循環しておる」
「桜ちゃんの魔力が……?」
 桜はいつもと変わらぬ諦観の表情のまま小さく頷いた。
「これより、お前にはサーヴァントの召喚を行ってもらう。召喚陣と触媒は用意してある。後は呪文を唱えるのみ」
 臓硯は召喚陣の前に雁夜を立たせた。陣の前には台座が置かれ、その上には小さな木片が置かれている。
「あれは?」
「アーサー王伝説は知っているな?」
「一応、一通りの伝承や伝説、逸話には目を通してる」
「ならば、この木片の価値が分かるはずだ。これは件の伝説に登場する円卓の欠片。サーヴァントの召喚システムについては以前渡した資料にある通りだ。触媒を使えば、召喚する英霊を事前に選別する事が出来る。逆に触媒を使わなければ、召喚者の性質と似通った英霊が召喚される。前者のメリットは言わずもがなだが、後者にもそれなりのメリットがある。自らの性質とサーヴァントの性質が近い故に意思の疎通が図りやすい。前者の場合では、性質が合わない場合があり、それ故に内輪揉めを起こし、自滅する可能性もある。そこで、この触媒だ」
 雁夜は妙に饒舌な臓硯に違和感を感じながら、円卓の欠片を見つめる。
「なるほどな……。これなら、両方のメリットを獲得する事が出来るって事か」
「その通り。ソレを触媒にする事で召喚される英霊は当然、円卓の騎士。アーサーにしろ、ランスロットにしろ、ガウェインにしろ、誰が呼び出されても英霊としては一級品よ。加えて、選別の縛りは円卓の騎士のみ故、その一級品の中から召喚者と最も相性の良いサーヴァントが選ばれる。さて、呪文は覚えているな?」
「当然だ」
「ならば、始めよ」
 雁夜は一歩、召喚陣へ近づいた。

 ◇◆

 サーヴァント召喚の儀式は魔術的儀式の中でも比較的簡素なものだ。令呪と召喚陣があれば、後は呪文を唱えるだけで完了する。
 故に成功率を高める方法は限られている。召喚陣を描くインクには魔力を篭めた宝石を溶かした物を使い、呪文には遠坂家の祖の大師父の名を追加する。
 悪足掻きのようなものだが、一世一代の大勝負だ。失敗の要因は可能な限り取り除かなければならない。
「さて、始めるか」
 時臣は綺礼を壁際まで下がらせると、深く息を吸い込んだ。
 予定では、今宵綺礼にアサシンを召喚させ、頃合いを見てから自身もサーヴァントの召喚を行う手筈だった。不届き者の為に順番が狂ってしまった。痛手という程では無いが、不快ではある。
「……いかんな」
 瞼を閉ざし、意識を完全に切り替える。人間としての遠坂時臣は死に、魔術師としての遠坂時臣が息を吹き返す。体内を巡るは酸素に非ず。大気中を漂うマナがその身を通り抜け、オドを生成し、循環する。
 全身の神経にヤスリを掛けるような慣れ親しんだ痛みを受け流し、右手を陣に翳す。
「素に銀と鉄。礎に石と契約の大公。祖には我が大師シュバインオーグ。降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」
 吹き始めるエーテルの嵐に負けまいと、時臣は左手を右腕にそえる。
「|閉じよ《みたせ》。|閉じよ《みたせ》。|閉じよ《みたせ》。|閉じよ《みたせ》。|閉じよ《みたせ》。繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」
 召喚陣の向こう側には台座に置かれた触媒がある。嘗て、不死の霊薬を飲んだ蛇の抜け殻。それに導かれるは最強の英霊ただ一人。
 喚び出す事が出来れば、その時点で勝利が確定する程の圧倒的な力の持ち主。仮に単独行動のスキルを持つアーチャーで召喚されれば制御に骨が折れた事だろう。だが、その枠が埋まった今、憂う事は何一つ無い。
「――――|Anfang《セット》」

 時を同じくして、遠坂邸から少し離れた場所にある間桐邸の地下でも雁夜が召喚の呪文を唱えていた。
「――――――――告げる」
 背後で蠢く蟲も、生気を感じさせない少女の瞳も、悍ましい気配を漂わせる老獪の視線も、吐き気がするような激痛も全て意識から遠ざける。
 この瞬間、全てが決まる。失敗したら、この一年間が無駄になり、桜を救う事も出来なくなる。
「――――告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るベに従い、この意、この理に従うならば応えよ!」
 不可視である筈の魔力が目に見える程の濃度に圧縮されていく。
 そこに何かが現れようとしている。来る――――ッ!
「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」
 
 異なる場所で二人の男が同時に最後の一文を謳い上げる。
「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ――――!」
 眩い光が眼球を焼く。物理的な衝撃を伴う魔力の波動と共に、召喚陣の中央から人影が現れた。

 ◇

「サーヴァント・アヴェンジャー。召喚に応じ、参上した」
 降り立った英霊は昏い瞳を雁夜に向けた。基本のラインナップから外れたクラスを口にする。
「アヴェンジャー……?」
「ほう、復讐者のサーヴァントとは」
 雁夜は呆然と己のサーヴァントを見つめた。己と同じ性質を持つ筈のサーヴァント。それが復讐者。その昏い瞳、醜悪なオーラから目を背けたくなる。
 嘘だ。これは何かの間違いだ。そう、癇癪を起こしたくなる。
 清廉潔白な騎士を望んでいたわけじゃない。そこまで、己を誇れる人間だとは考えていない。だけど、ここまで醜悪なのか?
「……お前の名は?」
「ランスロット。湖のランスロットで御座います」
 その名は愛に狂い、王国を滅びへ導いた裏切りの騎士の名前。騎士物語の最大の汚点。
「お前が……、俺か」
「マスター……?」
「……なんでもない。それより、自己紹介をしないとな。俺の名前は間桐雁夜だ。よろしく頼む」

 ◆

「――――聖杯戦争。至宝で酔わせ、英雄同士を殺し合わせる。実に度し難い……そして、素晴らしい」
 黄金の甲冑を身に付けた赤い瞳の男が時臣を見据える。
「名乗れ、召喚者」
 時臣は膝を折り、頭を垂れた。
「遠坂家五代目当主。名を遠坂時臣と申します」
「時臣、面を上げよ。我は英雄の中の英雄。王の中の王。最強の英霊ギルガメッシュである。この瞬間、貴様の勝利は確定した。栄光も、聖杯も貴様にくれてやる。だが、我の目的の邪魔だけはするな」
 目論見通り、最強の英霊を引き当てた。しかも、暴君と名高き最古の王が聖杯を渡すと言った。良い意味で想定外の事に口元が緩みそうになる。
「……目的とは?」 
 確認しなければならない。決して、このサーヴァントの機嫌を損ねてはならない。
「戦いだ」
 ギルガメッシュは口元を歪めて言う。
「この我こそが最強であると証明する」
「……かしこまりました。決して、王の邪魔立ては致しません事を誓います」
「話が分かるヤツだな。さて……、そこの男は何だ?」
 ギルガメッシュは壁際に背を預ける綺礼を睨んだ。
「どうにも好かんな、その顔」
 苛立ちを覗かせる表情を浮かべるギルガメッシュに時臣は慌てた。
「彼は私の愛弟子に御座います。決して、王に無礼は働きません。むしろ、彼にもサーヴァントを召喚させ、王に助力を――――」
「ならん」
 ギルガメッシュは言った。
「その男は気に食わん。それに、貴様は言ったな。邪魔立てはしないと。その男がサーヴァントを召喚し、我に助力だと? それでは我が戦うべき敵が減るではないか」
「……かしこまりました。彼の召喚は取り止めます」
 予想外だ。まさか、敵が減るから召喚を止めろと言われるとは思わなかった。これでは何のために彼を弟子に取り、鍛え上げたのか分からなくなる。
 だが、ギルガメッシュの機嫌を損ねてまで召喚を強行する事は愚策だ。この英霊の前ではあまねく英霊が劣等種に貶められる。それほどの力を持っている。
 マスターに備わる透視能力が彼のステータスを時臣に知らせる。最強の英霊は最優のクラスであるセイバーで召喚され、あらゆるステータスがアベレージを超えている。負ける要因は一つもない。
「全ては御身の為すがまま、思うがままに……」

 ◇◆◇

 それは運命ではない。
 それは偶然ではない。
 一人の少女が巻き起こした嵐に人々は巻き込まれていく。
「アーチャー! この味噌汁美味すぎるッスよ! どうなってるんスか!? わたしの好みにドンピシャッスよ!」
「ははは。喜んで頂けて従者冥利に尽きるよ、タイガ」
 その事に少女自身も気付かない。少女に生前培った技術の粋を集めて朝食を提供しているアーチャーのサーヴァントも気付かない。
 一方は舌に染み渡る美食に酔い痴れ、一方はその笑顔に酔い痴れている。
「アーチャー!」
「なんだ、タイガ?」
「美味しい朝食、ありがとう! ご馳走様!」
「……ああ、お粗末さま」
 幸福な笑顔を浮かべる二人の戦いはもうすぐ始まる。

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