第一話「召喚するッス!」

 その輝くような笑顔に何度も救われた。あの人がいたから、曲がりなりにも人間の真似事なんぞが出来たんだろう。
 守れなかったもの。捨て去ったもの。切り捨てたもの。その価値に気付く事もなく、最後まで突き進んだ挙句、このザマだ。きっと、この姿を見たら、あの人は怒るに違いない。
 なにをやっているんだ! そう言って、泣いてしまうかもしれない。あれで、結構繊細な所もあったからな……。
「それにしても……」
 溜息が出る。まさか、こんな事が起こるとは思わなかった。
 正義の味方を目指した十数年。守護者として、人類の後始末に奔走した幾星霜。
 一度だって、考えなかった。だって、こんな事が起きると誰が想像出来る?
「ちょっと、アーチャー!! どこに居るんスか!?」
 ポニーテールを揺らしながら、彼女が私を呼んでいる。
 まさか、あの頃よりも更に元気な声を聞く事になるとは思わなかった。あれで、若い頃より落ち着いていたのだという事実に衝撃を覚えたものだ。
 活発な性格は変わらない。ただ、私が知っている彼女よりも若々しい。
「何か用か? マスター」
「……そのマスターっていうの、いい加減止めて欲しいッスよ。背中が痒くなるッス!」
「分かったよ、マスター」
「分かってないじゃないッスか! もう、意地悪ッスね!」
 ああ、こんなやりとりを昔もしていた。
「なに、笑ってるんスか!? わたしは怒ってるんスよ!」
「おお、恐い。頼むから、哀れな従僕を虐めないでほしいな」
「だから、虐められてるのわたしの方ッスよ!?」
 そろそろ爆発する。後三秒……二、一、ドン!
「アーチャー!!!」
「ハッハッハ! 今日も元気だな、タイガ!」
 涙が出る程、このやりとりが嬉しい。
 彼女の名前は藤村大河。私が生前、散々世話になっておきながら、恩も返さずに置き去りにした女性だ。
 

 数時間前――――。
 藤村大河は山篭りをしていた。現役女子高生が山篭りをしていた。その時点で一般常識的観点から見るとおかしいのだが、彼女にとっては平常運転だった。
 剣の修行は山篭りにかぎる! それが彼女の主張だ。
「……お腹すいたよー」
 哀しげにリュックサックの中を覗いている。
 山道を走り回り、竹刀を振る。その結果、お腹が空く。実に自然な流れだ。彼女はそのまま、自然の流れに身を委ね、食料を食べ漁った。その結果、これまた自然の流れで食料が底をついたのだ。
 当然の結果を前に彼女はシクシクと涙を流し、うなだれる。
「お腹が切ないよ―」
 山の動物達はそんな彼女に同情の視線を送る。そして、通り過ぎる。同情はしても、食料は恵まない。それが自然の摂理なのだ。
 ただし、仏様は例外だ。
「チクショー……、ブッダさんには食料分けてあげる癖にー……。手塚治虫の漫画で読んで知ってるんだぞー……」
 限界だ。さすがの彼女も悟った。山を降りよう。そして、ご飯を食べよう。
 だが、ここで一つ大きな問題が発生した。
「……暗くて道が分からない」
 今は夜だという事。そして、彼女はリュックサックに寝袋と食料以外、何も入れずに入山した事。
 黙って朝まで待てばいいものを……。
 彼女は空腹を我慢する事が出来なかった。光源一つ無い山道を勘だけで進んでしまったのだ。
 結果、よく分からない場所に出た。
「うわー、すごい! こんな所に洞窟なんてあったんスね!」
 暗かったせいで、岩の中に突っ込み、その中を通り抜けた事に気付かなかった。
 超常現象をアッサリとスルーして、彼女は生暖かい空気の流れる洞窟を歩く。
 空腹を忘れる程の好奇心が彼女に冒険をさせた。
 驚く程広い洞窟。大河は新聞の一面に自らの写真が掲載される光景を妄想した。
『現役美少女高校生が謎の洞窟を発見!!』
 洞窟の発見程度ではニュースになどならない。だが、彼女はなると思った。
 明らかに異様な空間。まるで、生き物の体内のような薄気味悪さが漂う洞窟を意気揚々と歩いて行く。
 その姿は初めて訪れる遊園地にはしゃぐ小学生のようだ。
「おお、ゴールっスか!?」
 何時間も歩き続けた直後とは思えない程元気いっぱいの声を張り上げ、彼女は広々とした空間に躍り出た。
 その場所は明らかに異常だった。まず、広過ぎる。東京ドームがすっぽり入ってしまう程広い。そして、中央に『|地球のへそ《エアーズロック》』を思わせる小高い丘があり、その中央には禍々しい光の柱がある。
「おお、カッケーっス!」
 その光景を見た第一声がコレだった。
「なんスか、コレ!? よく分からないけど、大発見ぽくないッスか!?」
 心の底から嬉しそうにはしゃぎ回る。
 禍々しいオーラを発する光の柱を『渋谷のハチ公』や『上野の西郷さん』と同列に扱っている。
 ある意味で大物かもしれないと思った者が一人。
「……ふむ、何者かと思えば藤村の家の娘か」
「ほえ?」
 まさか、声を掛けられるとは思っていなかった。
 大河は慌てて振り返る。そこには一人の老人が立っていた。
「えっと……、お爺さんは誰ッスか?」
「誰ッスか……と聞かれれば、間桐臓硯と答えよう」
「間桐さんって、先週の町内ゲートボール大会で優勝した、あの!?」
「その間桐さんじゃ」
 老人はカカと笑みを浮かべながら大河の下へやって来る。
「しかし、あまり感心出来んな。このような場所におなごが一人で来るなど……」
「あー……、ちょっと迷っちゃいまして……」
「なるほど、迷ったか……。ならば、仕方がないな」
「えへへー。そうそう、仕方ないんスよ!」
「ああ、仕方がない。山で遭難したおなごが死体となって発見されても、それは仕方のない事だ。血と獣の歯型を付けた肉の一部を置いておけば、誰もが納得するじゃろう」
「……えっと、すっごく物騒な事を言ってません?」
「いや、至って普通の事を言っているだけだ」
「そ、そうかなー……。なーんか、ヤバイ感じの事を言ってたようなー……」
 それは野生の勘とでも言うべきか、大河は目の前の老人に警戒心を抱いた。
 ジリジリと近づいて来る分だけ後ろに下がる。
「これこれ、どこに行く?」
「いやー……、わたしはここいらで失礼するッスよ」
「それはいかん。いかんぞ、藤村の娘よ。ここを見られたからにはただで帰すわけにもいかん」
 あ、ヤバい展開だ、コレ。そう気付いた瞬間、大河は脱兎のごとく走りだした。出入口に向かって一目散に。
 だが、何故か入って来た方の道が塞がっている。
 初め、大河には何が道を塞いでいるのか分からなかった。だが、近づくにつれ、それが生き物の集合体である事に気付いた。
「あっ……ああ、あ……」
 言葉も出ない。以前、父親の股間にあったものを見た事がある。それとソックリなイヤラシさの塊みたいな生き物がウジャウジャ壁を張っているのだ。
「ほっほっほ。逃しはせんぞ」
 好々爺の如き笑みを浮かべ、危険なオーラを放つ臓硯に大河は涙目だった。
「エ……エッチなのはイヤッス!!」
 とにかく、蟲の大群から離れようと走る大河。だが、どこからともなく蟲は湧いてくる。逃げれば逃げた先、立ち止まれば足元に蟲が現れる。
「ギニャアアアアアア!?」
「ほっほっほ。ほれほれ、捕まってしまうぞ」
 遊ばれている。捕まったら、明らかにマズイ事態なのだが、それでも尚、人生初の老人虐待にトライしたくなる程、大河はムカついた。
「このエロジジイ!! 絶対に許さないッスよ!!」
「ああ、許す必要はない。いきり立つ心根を折る事こそ至高よ」
「何言ってるか分かんないッス!!」
 叫びながら、大河は気付いた。徐々に追い詰められている事実に!
「あ……ああ、ヤバいッス。これは明らかにヤバいッス」
 大河は思った。
 
     誰でもいいから助けて欲しい。
 
              救世主でも、正義の味方でも、この際、仮面ライダーとかウルトラマンとかポケモンマスターでもいいから来て欲しいと!

 その願いを汲み取るものがいた。

 目の前で珍劇を繰り広げる少女の叫び声を禍々しさ全開の光の柱の中で聞き届けた者がいた。
「だれか……、誰かわたしを助けてェェェェェ!!!」
 彼女は知らない事だが、この街には今、魔術師と呼ばれる存在が集まりだしている。
 彼等の目的は一つ。如何なる願いも叶う万能の盃……、『聖杯』を手に入れる事。
 その為の戦いを彼等は『聖杯戦争』と呼ぶ。
 彼等は『聖杯戦争』のシステムを使い、英霊と呼ばれる人類の上位に位置する存在をサーヴァントという枠に嵌めて現世に召喚し、使役する。
 伝説に名を残す英雄達が日本の片隅で激突するという裏の世界の危険度MAXな伝統行事。
 そこに本来、彼女が入り込む余地などなかった。なぜなら、彼女は魔術師ではなく、その才能も無かったからだ。
 だが、ここに『聖杯戦争への参加表明を聞き入れ、マスターの選別を行う者』の本体がある。
 そして、マスター自身の魔力を一切使わずとも召喚に事足りる程の潤沢な魔力が循環している。
 結果、彼女の手に真紅の聖痕が浮かび上がった。そして、陣も無い状態かつ、詠唱すら一言も呟いていない状況で、突風が吹き荒れた。
「ば、馬鹿な!?」
 叫ぶ老人に突風の中心から白と黒の刃が走る。
「……実に乱暴な召喚だが、なるほど。化生の者に追われていては仕方がない」
 突風が止み、大河の前に赤い外套を纏う男が現れた。
「出会いの問答も、名乗りすらも後回しになるが許してくれ、マスター。まずは目の前の害虫を処理するとしよう」
「……よもや、藤村の娘がマスターに選ばれるとは」
「なに?」
 男が老人の言葉に動きを止めた一瞬を突き、老人は地面に染みこむように姿を消した。
「イ、イリュージョン!?」
「ッチ、逃げられたか……」
 男は忌々しげに老人の消えた地面を睨むと大河に向き直った。
「すまない、マスター。初仕事に失敗するとはサーヴァント失格だな」
「えっと……」
 頭を下げる男に大河はドン引きしていた。
 まず、格好が変だ。どんな趣味!? と叫びそうになる。
 次に見た目が明らかに外人だ。日本語が通じるみたいでちょっと安心。
 そして、言ってる言葉の意味が理解出来ない。やっぱり、日本語通じない人かもと思い、悲鳴を上げそうになる。
「……マスター?」
「あ、あの……、失礼するッス!!」
「お、おい、マスター!?」
 エロ生物の壁が消えた道に走って行く大河。だが、直ぐに立ち止まり、戻って来た。
「マ、マスター……?」
 あまりにも奇抜な行動に男は困惑している。
「助けてくれてありがとうございます!」
「え? あ、ああ!」
 ペコリと頭を下げる大河。
 大河はお礼を言える女の子なのだ。
「……マスター。君は……」
「えっと……その、マスターっていうのはわたしの事ッスか?」
「ああ、それ以外に誰が……っと、君はもしかして一般人か?」
「一般人……? うーん、微妙ッスね。親が極道だから一般人とは少し違うかもッス」
「ご、極道……? そ、そうか……。だが、聖杯戦争の事は何も知らない。違うか?」
「正妻戦争? むかし、お父さんを巡ってお母さんと四人の女が争いあったという、あの!?」
「いや、それはどんな状況だ!? ……そうじゃなくて」
 男は『聖杯戦争』について大河に簡単なレクチャーをした。
「なるほどなるほどー」
 大河は男の話を聞き終えると、さっき大河を密かに救った禍々しい光の柱を見て言った。
「よし、ぶっ壊そう!」
 ひどい裏切りだ。さっき、助けてあげた恩を自覚も無く仇で返そうとしている。
「……短絡的過ぎるぞ。確かにそれも解決策ではあるが……」
「なら、何を迷うんスか!?」
 これがあると街が大変な事になる。そう言われたからには街に根を張る任侠者として放ってはおけない。
「これを壊す為には強力な宝具が必要だ。私も用意出来なくはないが……、あいにく魔力が足りない。魔術師ではない君からは魔力を貰う事が出来ないからね。加えて、仮に破壊したとして、その後、魔術協会と聖堂教会が雁首揃えて君を殺しにくるぞ」
「な、なんスか? その物騒ななんちゃら教会って……」
「要は魔術師の世界のマフィアだ。しかも、表世界のマフィアの質の悪さを何倍にも膨らましたような連中だ。ちなみに、君を殺した後は君の家族や友達も殺しかねない。そういう連中だと思ってくれればいい」
「じゃ、じゃあ、どうすればいいんスか!?」
 涙目になる大河に男は言った。
「このまま私との契約を断ち、すぐに監督役の下へ駆け込む。それが最善の道だ」
「この物騒なのは?」
「残るな。だから、監督役に相談でもして街の外へ出る事を勧める」
「で、でも、それじゃあ街のみんなが!!」
「どうせ、他人だろう?」
 男は冷たく言った。
「家族や友人だけなら逃してやれるだろう。それで満足するんだな」
「そ、そんなの――――」
「君がどんなに頑張っても、誰かが犠牲になる。それが君自身や君の知人になるか、赤の他人になるかの違いだけだ。なら、君は君自身を守るべきだろう」
 男は淡々と彼女の取るべき選択を説明する。
 その男の気づかぬ所で大河は拳を握る。
「ウルセェッス!!」
「ほあ!?」
 頬をグーで殴られた。あまりの事に言葉を失う外套の男。
「いいから、みんなを助けられる方法を教えるッス!! ほら、ハリー!! ハリー!!」
「ひ、人の話を聞いていなかったのか? 結局、どちらかが……」
「どっちも犠牲にしない方法を取る!! それ以外は認めないッスよ!!」
「そんな無茶苦茶な道理は通らないぞ、マスター!」
「マスターじゃないッス!!」
 大河は叫ぶように自らの名を口にした。
「わたしには藤村大河っていう、立派な名前があるんス! マスターとかいうこそばゆい名前じゃないッス!!」
 その名を聞いた瞬間、男は顔を歪めた。
 その顔があまりにも哀しそうで、大河は咄嗟に口元を押さえた。
「そ、そんなシュンとしなくても……。いや、わたしも怒って悪かったッス。だから、そんな泣きそうな顔をしなくても……」
「……シ、……いや、アーチャーだ」
「へ?」
「私の事はアーチャーと呼べ」
「お、おう?」
「分かったよ、マスター。君の方針に従おう」
 拍子抜けするくらい素直な言葉。
 呆気に取られる大河。そんな彼女にアーチャーは言った。
「ッフ。君の覚悟を試したんだよ。いいだろう! 全てを救えと言ったな? サーヴァントには相応しいオーダーだ」
 嬉しそうに男は言う。
 大河は完全に置いてけぼりをくらっていた。
「ああ、いいだろう。君の言う通り、全てを救ってやろう。じゃないと、君に認めてもらえないらしいからな」
「えっと……、そこまで怖かったッスか?」
「ああ、怖かった。この世でこんなに恐ろしい事があるのかと思うほどな! まったく、召喚早々サーヴァント虐めとは実に恐ろしいマスターだ」
「い、虐めてなんかいないッスよ!! わ、わたしは優しいマスターッス!!」
 それが二人の出会い。本来、二度と交わる筈の無かった二人の糸が絡み合う。
 まだ、出会わぬ筈の二人。もう、出会わぬ筈の二人。
 彼等の物語が今、はじまる――――……。

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