第十九話「Sei personaggi in cerca d’autore」

 アーチャーはその闇の光を以前にも二度目撃していた。その暗黒を最初に目撃した日、彼は全てを失い、二度目に目撃した時は……。
「投影開始」
 創り上げる。あれが本格的に活動を開始すれば手遅れになる。
 ウェイバーの推理は正しかった。アサシンのマスターは間桐であり、おそらくは《あの老獪》も動いている。
「イリヤ……」
 投影した宝具を弦に番えながら、囚われている筈の少女の泣き顔を想像してしまう。
 苦悩がその手を絡めとる。一度救えなかった少女。もしかしたら、救えるかもしれない大切な人。
 彼の心はいつの間にか生前の頃……それも、まだ未熟だった若い頃の状態に戻っていた。心を鉄に、体を剣に、ただ悪夢の元凶となるものを取り除く装置に戻るには少しの時間が必要だった。
 その僅かな時が全ての明暗を分けた。
 間桐邸に立ち上った闇が一気に広がり、彼の意識は途切れた。

 ◆

ーーーーそして、わたしは目を覚ました。
 いつ眠ったのかも、今どこで寝ていたのかも分からない。
「起きろー、タイガ!」
「え? え?」
 目を開けると、そこにはたくさんの人がいた。
「まったく、藤ねえは……。寝るならせめて炬燵じゃなくて、布団で寝てくれよ」
 知らない男の人が困ったように言う。
「先輩! 藤村先生はずっと待っててくれたんですよ!」
 知らない女の子が怒っている。
「はいはい、そこまでにしてやってよ桜。そいつもそいつなりに色々頑張ってたわけだし」
 知らない女性が二人を宥めている。
「ねぇ、タイガ」
 知っている女の子がたった数時間見ない内に急成長を遂げていた。
「折角、シロウが帰って来たんだよ? はやく起きてよ!」
「イリヤ……ちゃん?」
「もう、寝ぼけてるの?」
 目を擦りながら周りを見る。
 知らない場所で知らない人達に囲まれている。だけど、何故か気持ちが落ち着く。
 まるで、漸く居るべき場所に帰ってくる事が出来たような気分。
「……大丈夫か?」
 赤毛の男性が心配そうに私を見つめる。
「あ……っ」
 何故か、彼と会えた事が嬉しくなった。
 涙が溢れる。
「士郎!! もう!! もう!! 全然帰って来ないから、お姉ちゃんは心配してたんだぞ!!」
 気が付けば、そんな言葉を口にして、彼に関節技を決めていた。
「イテェェェェ!! 痛い!! たんまたんま!!」
「タンマなど聞かん!! ええい、このお姉ちゃん泣かせ!! 絶対に許さんぞ!!」
 周りの人は私達を見てやれやれと肩を竦めている。まるで、それが日常の一コマであるかのように……。
「それにしても、お姉ちゃんは安心したよ! どこかで危ない事でもしてるんじゃないかって、ずっと心配してたんだから! これからはどうするの? また、ここで暮らすの?」
「……いや、ちょっと用事を片付けに来ただけなんだ。そうだ、知り合いを紹介するよ。入って来てくれ!」
 士郎は部屋の外で待っていたらしい年配の男の人を呼んだ。
 長い髪、鋭い眼光、ちょっと怖い感じのお兄さんだ。
「紹介するよ。向こうで世話になった人で、ウェイバー・ベルベットさんだ」
 知っている名前。だけど、面影があるだけで見た目が全然違う。
「どうも」
「あ、こちらこそどうもです。えっと、私はこの子の保護者のようなもので、藤村大河と申します」
「聞き及んでおります」
「えっと、いつも士郎がお世話になっているようで、ありがとうございます」
 頭を下げると、ウェイバーは苦笑した。
「彼にはさほど……。そちらのお嬢さんには散々手を焼かされたがね」
「ちょっ、どういう意味ですか、プロフェッサー!」
「戯け、貴様とあのツインドリルがしでかした馬鹿騒ぎ、忘れたとは言わせんぞ」
「うっ……」
「遠坂……」
 ウェイバーの言葉で小さく縮こまる遠坂と呼ばれた少女。彼女の苗字には聞き覚えがある。
「もう、リンってばかっこわるーい」
「うるさいわよ、イリヤスフィール!」
「もう、遠坂先輩も大人げないですよ!」
「ぅ、ぅぅ、私の味方はいないの!?」
「居ないよ」
「居ません」
「居るわけなーい」
 彼等の掛け合いに思わず吹き出してしまった。
「あはは、みんな変わらないわねー」
 懐かしいやりとりだ。少し前まで、それが日常だった。もう戻ってこないのかもしれないと思っていたけど、ちゃんと戻ってきてくれた。
 安心した。
「えっと、ところで用事って?」
「ああ、それはーーーー」
 
 ◇

 こんな筈ではなかった。息を潜め、必勝の時を待っていた老獪は目の前の光景に呆然としている。
 アサシンを差し向けて、アヴェンジャーを追跡した結果、思わぬ収穫があり、勝利を確実なものに出来たと確信していた。
 漸く、五百年掛けたマキリの悲願を達成する事が出来ると思った。
「図りおったな……、アインツベルン」
 憎々しげに間桐臓硯は暗黒を従える聖女を睨みつける。その為の|部分《パーツ》は辛うじて残されている。
 腐敗する身体、溶けていく魂、その苦痛を一欠片でも相手に味あわせようと憎悪を向ける。
「ーーーーバーカ。この期に及んで、まだ分からないのかよ」
 幼い少女が口汚く罵る。闇に染まる髪、一層赤みを増す瞳。その肌には奇妙な刺青が浮き上がる。
「耄碌したな、マキリ」
 次の瞬間、彼女の髪は白かった。瞳は赤いままだが、肌は透き通るように白い。刺青など痕跡一つ存在しない。
「我が仇敵よ。汝には分かっていた筈だ。だからこそ、あの夜、あの場所に赴いたのだろう?」
 その鈴の音のような声はマキリという名の老魔術師にとって、懐かしいものだった。
 数百年を経てなお、心の中で些かも色褪せぬ乙女。アインツベルンの黄金の聖女。第三魔法を再現する為に創り出された始まりのホムンクルス。
 二百年前に大聖杯を完成させる為、自らを礎とした|天の杯《ユスティーツァ》が、彼の焦がれて止まなかったあの日の瞳を向けている。
「……分からぬ」
 本当に分からなかった。何故、あの夜、あの場所を訪れたのか、その事を思い出せない
「何故、貴様はよりにもよって、《そんなモノ》に……」
「見てみたかった」
 少女の声はあどけないものに変わる。
「見てみたかったのよ」
 また、声色が少しだけ変わる。少し大人びた声だ。
「あの子が全てを知った後に選ぶ選択を見届けたかったの」
「何故だ?」
 マキリは問う。
「何故、それほどあの娘に入れ込む?」
「だって、あの子は否定したもの」
 聖女は言う。
「《師匠を泣かせる悪いやつは全部わたしがやっつけるのです!》」
 その彼女らしからぬ言葉遣いに老魔術師は困惑する。
「あの子の真似よ。あの子は私を連れだそうとしてくれた。あの人のように、《わたしはわたしの信じた道を行きたいのです!》って……、連れだそうとしてくれたのよ」
 その髪が再び闇に染まる。
「そんな優しい子がどんな風に歪むか見てみたいと思ったわけよ。だから、この茶番劇に招待したわけ」
 歪んだ笑み。
「……お前は何者だ?」
「とっくにご存知なんだろう? 既に《|完成した《おわった》筈の物語》を畳もうとする生真面目共にちょっかいかける物好き。そんなもの、《オレ》以外にいると思うか?」
「|この世全ての悪《アンリ・マユ》……」
「大正解」
 アンリ・マユが指を鳴らす。すると、闇が広がり、同時に街に変化が起き始めた。
「なんだ、これは……」
 目の前で倒れている間桐雁夜だったものが全く違う人間に作り変わっていく。
 否、それは元に戻っただけの事。役者は役という名の仮面を剥ぎ取られた。
 雁夜だった青年の真名は間桐慎二。この年の年号は2010年。爆破解体されたホテルは二十年前にも爆破された経緯を持つ冬木ハイアットホテル。
 今は第四次聖杯戦争の真っ最中などではなく、それどころか第五次聖杯戦争の終結から十年後である事を臓硯は思い出した。
 
 大聖杯を解体する為に戻って来た遠坂と衛宮の倅達。そして、時計塔にその名を馳せる|ロード・エルメロイⅡ世《ウェイバー・ベルベット》。
 彼等が大聖杯の下へ向かった晩、臓硯もまたひっそりと大空洞に潜り込んでいた。五百年の悲願を台無しにされては堪らぬが故に。
 争いは起こらなかった。起こる前にソレが起きた。
 脈動する大聖杯。天蓋にまで届く闇の柱が彼等を呑み込んだ。十年前、決着がつかないまま戦いは終わった。その時の魔力が消費されぬまま残っていたのだ。
「どうせ、黙ってたら破壊されるんだ。なら、最後にオレがオレ自身の願いを叶えたっていいだろ?」
 悪魔は嗤う。
「だが、それもここまでだな。見ろよ、ジジイ」
 悪魔の指さした先で暗黒の光と黄金の光が煌めいている。
「オレの中に刻まれた|十三日に及ぶ戦い《第五次聖杯戦争》。その期間がまんま戦いの期限だった。それ以上先の事はオレも知らないからな。あれがその幕引きの|闇《ひかり》だ」
 そう言うと、アンリ・マユは臓硯から視線を外し、歩き出した。
「どこへ行くつもりだ?」
「まだ、ちょっと用事があるんでな。お姫様を迎えに行くぜ」
 そう言って、間桐邸を後にした彼はすぐに足を止める。
 そこに不機嫌そうな顔の男が立っていたからだ。
「ファック。今の今まで……、種明かしをされるまで気付け無いとはな」
「あらら、御機嫌斜めか? ロード・エルメロイ二世」
「……口を閉じろ。その顔、その声で貴様の下劣な性根から出る腐ったような言葉を吐くな」
「ヒッデー。それが一週間苦楽を共にした仲間に言うセリフか?」
「一週間、我々を嘲笑っていた性悪には相応しい言葉だと思うが?」
 睨み合う二人。やがて、アンリ・マユの方が音を上げた。
「嫌な成長遂げやがって。ファックはこっちのセリフだっつーの。お前の相手なんかしてる暇はねーよ。こいつ等に遊んでもらえ」
 そう言って、アンリ・マユが指を鳴らすと彼等の周囲に無数の影が現れた。
「……ふーん。そんな悪霊や人形如きで僕の相手が勤まると思ってるんだ」
 そう言って、コンカラーがロード・エルメロイ二世の前に躍り出る。
「馬鹿にするなよ、征服王。中にはサーヴァント級も混じってる。っていうか、そこの侍は一応サーヴァントとして戦った実績の持ち主だ」
 青い陣羽織を羽織る侍が口元に笑みを浮かべてコンカラーの前に立つ。
「雌狐の後は仔狸だ。まったく、因果なものよ」
 侍は言う。
「だが、折角だ。存分に死合おうではないか」
「やれやれ……、本当に舐めてくれるね」
 そう言うと、コンカラーは天に手を翳す。
「|神の祝福《ゼウス・ファンダー》」
 神の祝福が彼を包み込む。
「んじゃ、自由にやってろ。あばよ!」
 その間にアンリ・マユはスタコラサッサと離脱した。
「あっ、ちょっと!! 変身中はーーーー」
 コンカラーの叫びが掻き消える。白き雷が彼の姿を変化させていく。
 現れ立つ巨漢にロード・エルメロイ二世は懐かしむと同時に悲しくなった。
「お前、あれがどうしてそうなるんだ?」
「……そうあからさまに嫌そうな顔をするでない。余はこっちの方がイケてると思うのだが?」
 その漢の名は征服王・イスカンダル。主が少年から大人に変わったように、|少年《アレキサンダー》は成熟し、その本来の力と姿を取り戻した。
「まあ、あっちにはアーチャーもおる。まずは任せるとしよう。先にこっちだ。こやつらを始末してからでなければ面倒な事になる」
 そう言って、イスカンダルはロード・エルメロイ二世の頭をわしゃわしゃと乱暴に撫でた。
「おい、何をする!!」
「ハッハッハ!! なんとなくだ!! それより、刮目せよ!! 我が最強宝具を!!」
 刮目する必要などない。ロード・エルメロイ二世は心の中で呟いた。
 何故なら、その最強の姿を彼はとうの昔に見ている。
「|王の軍勢《アイオニオン・ヘタイロイ》!!」
 そして、世界が一変した。

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