第十七話「暗黒神殿」

 地獄とは人が創り出した概念だ。今の世の地獄に対するイメージはダンテ・アリギエーリの神曲による影響が大きい。
 人は死後、地獄に落ちる。それは宗教に縁の浅い者でさえ心のどこかで信じている。
 どんなに品行方正で清貧な生き方をしていても、人は後ろめたさを感じる生き物だからだ。
 その罪悪感が悍ましい世界を空想させる。いずれ、己の罪を精算する為の場所を求め、それに相応しい痛みや苦しみを夢見る。
 結局、《地獄》も《地獄のような光景》も創り出すのは人間だ。
「……はは」
 アヴェンジャーはこの光景を前にも見た事がある。
 全てが終わった跡。誰一人救えず、誰一人守れず、ただただ、失われたモノに涙を流す事しか出来ない。
 そこに死者は一人もいない。だが、生者も一人としていない。
「ははは……ッ、アッハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」
 楽器がある。家具がある。他にもたくさん。
 全て、人間を材料にして作られている。
 もはや、人としての原型など一切留めていない。なのに、彼等は生きている。生かされている。生かされながら、殺されている。
「なんという事だ……、なんという事だ!!」
 アヴェンジャーは喜んだ。
 この世にはこれほどの悪がいる。それがどれほど嬉しい事か他人には到底理解出来ないだろう。
「ーーーーああ、私などよりもずっと罪深い」
 裏切り者。不埒者。痴れ者。多くの罵倒を浴びた。それだけの事をして来たのだから、仕方のない事だ。
 口元が歪む。
「騎士として、許し難い蛮行だ」
 穢れに満ちた剣を振り上げる。
「哀れな者達よ。必ずや、君達の無念は私が晴らす」
 彼は復讐者。彼の望みは罪を濯ぐこと。騎士の誇りを取り戻すこと。
 |悲劇の主人公《マスター》と|ヒロイン《桜》を救うよりも、この地獄を造り上げた悪を滅ぼす方が騎士の名誉を取り戻すのに相応しい。
「だから、待っていてくれ」
 アヴェンジャーは地獄の底へと進んでいく。殺してくれと懇願する者を無視して、助けてくれと縋る者をはね除けて、彼は自らの騎士道を貫くために突き進む。
 そこには一人の聖女がいた。両腕両足をもがれ、石版に埋め込まれながら呻き声をあげる白い髪の女。
 その前にあの男が立っていた。アヴェンジャーが第七のサーヴァントに関係する者だと当たりをつけていた男。
 アヴェンジャーをこの地獄に連れて来るなり、手錠を掛けるだけで奥に引っ込んでいた彼は楽しそうに拷問器具を見繕っていた。
「あれ? あんた、誰?」
 アヴェンジャーは微笑んだ。
「……そうだな。正義の味方とでも名乗っておこうか」

 ◇◆◇

 もうすぐ、日付が変わる。静かな夜。黄金の鎧を纏うサーヴァントが円蔵山の麓にある柳洞寺の山門に立っている。
 ここが監督役の指定した戦場だ。
「時臣よ」
 セイバーは背後に控える自らの召喚者に笑い掛けた。
「楽しかったぞ」
 その言葉に時臣もまた、微笑む。
「それは何よりでございます」
 時臣はセイバーが現世の娯楽にうつつを抜かす事を終始咎めなかった。それは彼が約束を守ってくれているからだ。
 戦場を用意するまで、大人しくしている。戦闘を望み召喚に応じた彼にとって、それが如何に意にそぐわぬ事か彼の記憶を夢で見た事で知ったからだ。
 彼は超越者として世界に君臨していた。神々が人の世を裁定する為に地へ使わせた者、英雄王・ギルガメッシュ。
 誰もが彼に傅く世界。彼は常に退屈していた。
 その退屈を紛らわせたのが彼の親友であるエルキドゥ。彼との出会いが退屈を持て余していた王を冒険に駆り立てた。
 友と共に駆け抜けた黄金の日々。彼の隣には常に親友の影がある。この戦いは彼にとって、あの日々の冒険の続きなのだ。
 だからこそ、時臣は彼の望む事に何も口出しをしなかった。ただ、彼の為に戦場を整えた。王が思うがままに戦えるよう、この地の周辺から人を余さず退去させてある。
「どうか、御身の心行くままに」
 世界を支配した王。そのカリスマは魔術の世界にどっぷりと浸かり続けてきた堅物をも虜にした。
「我が召喚者よ。よくぞ、我をこの戦いに招いてくれた! そしてーーーー」
 セイバーは眼下に立つ英雄達を見下ろした。
「よくぞ来たな、歴戦の英雄達よ!」
 この六日間。彼等と過ごした時間は確かに楽しかった。
 現世の娯楽は素晴らしく、飽いてる暇など無かった程だ。
 それもここまでーーーー。
「天を見よ! 滅びの火は満ちた!」
 セイバーが指差す先、そこには黄金の光が浮かんでいる。《眼》の良い者は気付く。それが衛星軌道上にある事を。
 午前0時、そこに最後の火が灯る。
「この街を守りたければ、祈りを叶えたければ、我と決着をつけたければ挑むがいい!」
 彼の背後の空間が揺らぐ。黄金の水面から顔を出す無数の宝具はどれもAランクを超える一級品ばかり。
 それが彼の示す、彼等との日々に対する返礼。
 今宵、最強の英霊は一欠片の慢心も無く、一欠片の油断も無く、全身全霊を戦いに注ぎ込む。
「さーて、行こうか、ブケファラス! 蹂躙を始めようじゃないか!」
 コンカラーは愛馬の首を撫で、爛々と瞳を輝かせる。
 偉大なる人類最古の王。彼が夢見た世界の全てを手に入れた覇王。これ以上、蹂躙のし甲斐がある相手などいまい。
 彼の愛馬にして、英霊であるブケファラスもまた、その闘争心を燃え上がらせている。
「さて、回り道をさせてくれた返礼をしてやらねばな、ラムレイ」
 ライダーは竜を思わせる全身鎧を纏い、魔馬の腹を蹴る。その仮面の内側で禍々しき形相を浮かべながら、剣に纏わせていた風の守りをラムレイに纏わせる。
 そこから数キロ離れた場所ではアーチャーが弓を構えている。
「……英雄王よ。生前に出会った君はまさしく暴君だった。苦い思いを散々させられたよ」
 アーチャーはこの一週間を思い出して微笑む。
「君のおかげで藤ねえは凄く楽しそうだった。その君が戦いを望むなら、私も全霊でお相手しよう」
 今日までの楽しかったとさえ思える日々が異常なら、この戦いもまた異常だ。
 そこに恨みも怒りもない。なのに、手を抜く気など一切起こらない。
「……ああ、これが英雄の戦いなのだな」
 その果てに求めるものなどない。その戦いこそが求めるものなのだ。
 それが英雄と呼ばれる者達の戦場。セイバーが望んだもの。戦いという者を人という種が延々と続ける理由。
 人を殺す事は悪であり、糾弾されるべきだ。
 それは戦争も例外ではない。多くの人間を殺し、英雄と呼ばれた者も結局は罪人なのだ。
 それでも、人は剣をとる。
「幼い子供は些細な事で喧嘩をするものだ。でも、それは大人になっても変わらない……、そういう事だな」
 それが人の本質なのだ。互いの意思をぶつけ合う為に言葉や体を使う。
 エスカレートしてしまえば悲劇を生み出すだけの災厄になり下がるそれも、人が人である為に欠かせないものなのだ。
 それを躍起になって取り除こうとしてもうまくいく筈がない。
 散々迷い、尚至れなかった答えにこんな喜劇のような状態で気付く事になるとは……。
「正義の味方……か、笑ってしまうな」
 それを目指すなら、まずは《人》を知らなければいけなかった。
 それが《正義の味方》の第一歩。それを教えてくれる人はとても近くにいた筈なのに。

 英雄達はそれぞれの思いを胸に動き出す。
 この日、全ての決着がつく。
 
 ◇◆◇

 戦いの音が聞こえる。イリヤスフィールの魔術で眠らされた大河は自宅のベッドで目を覚まし、二人から事の経緯を聞いた。
 アーチャー達はセイバーと決着をつけにいった。出発した後に起こされた理由は彼女自身も分かっている。
「止めちゃいけない事なのかな……」
 涙を浮かべる大河にウェイバーは困り果てた。
 彼女が至って普通の……とは言い難いかもしれないが、魔術の世界とは無縁に生きてきた事はこの一週間でよくわかった。
 芯が強くて、心優しい、普通の女の子に殺し合いを肯定させる言葉など思いつかない。
「タイガはやさしいねー」
 ウェイバーが悩んでいると、イリヤスフィールに先を越された。
「思ったとおりだよ」
 ニコニコと笑顔を浮かべる小さな妖精。ウェイバーは少しホッとした。彼女ならうまく大河を慰める事が出来るだろうと。
 だから、咄嗟に動く事が出来なかった。
「……は?」
 腹部に深く突き刺さる刃。痛みが遅れてやってくる。
 なんらかの魔術を仕込まれたのだろう。彼の意識は一瞬で闇に呑まれた。

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