第十六話「イヤッス!」

 犯人捜しは思うように進まなかった。なにしろ手掛かりが少な過ぎる。魔術の痕跡を辿ろうと試行錯誤を繰り返しているけど、いまいち成果が上がらない。
 今はウェイバーくんの提案で川を調べているところ。そこから糸口が見つかるといいけど……。
「ねぇ、タイガ!」
「わっ!? な、なに?」
 川の水を採取しているウェイバーくんの背中を見ていると、急にイリヤちゃんが飛び掛ってきた。
「喉乾いちゃったー」
「ありゃりゃ。じゃあ、ジュースでも買ってくるね」
「わたしも一緒に行くー!」
 さすが外国人。スキンシップが実に情熱的。サーヴァント達がゲームに興じている間、ずっとわたしが相手をしてあげたからか、随分と懐いてくれたみたい。
 背中に抱きつく《子泣きじじい》が落ちないように手を回し、わたしはアーチャーに声を掛けた。
「ちょっと、ジュース買ってくるね!」
「それなら、私もついて行こう。二人だけでは危険だ」
「えー、いいよ別に。すぐ近くの自動販売機で買ってくるだけだし」
「しかしな……」
 難色を示すアーチャー。すると、セイバーさんが蔵から何やら綺麗な宝石を取り出した。
「おい、タイガ」
 放り投げられた宝石を慌ててキャッチすると、彼はそれを首にかけろとジェスチャーした。
 言われた通りに掛ける。
「それを身に付けておけ。一回限りだが、如何なる災厄からも貴様を守る」
「い、いいの?」
「駄目なら渡さん。貴様に死なれては困るからな」
「困るって……?」
 セイバーさんは微笑んだ。
「貴様にはまだ負け越しているからな。我が勝つまで死ぬ事は許さん」
 それっきり、セイバーさんは持参した小説を読み始めた。
 既に捜査開始から三日が経過している。初日こそ張り切っていた彼だけど、二日目からは飽きてきたらしく、暇さえあれば読書に没頭している。シャーロック・ホームズシリーズにハマってしまったみたい。
 コンカラーくんも彼と背中を合わせて別の小説を読んでいる。彼はイーリアスにご執心だ。
「これがあれば安心だよね?」
 宝石を指でつつきながら言うと、アーチャーは渋い顔をした。
「しかし……」
「アーチャー」
 尚も渋るアーチャーにライダーさんが言った。
「しつこい男は嫌われるぞ」
 その言葉に彼はショックを受けた表情を浮かべた。
「それじゃあ、ちょっと行ってくるね!」
 わたしはイリヤちゃんを背中に抱えたまま走りだした。
 アーチャーの気持ちは嬉しいけど、彼は少し過保護過ぎる。たまには息抜きをさせて欲しい。
 四六時中《心配オーラ》を向けられ続けるのは結構キツイ。
「飛ばすよー!」
「わーい!」
 イリヤちゃんと二人っきりになると、大分肩の力が抜けた。
 近くにある筈の自動販売機に向かって走ると、心が晴れやかになった。
「イリヤちゃんは何が飲みたい?」
「うーん。今の気分はオレンジジュースかなー」
「オレンジね」
 自動販売機に到着すると、私は大変な事に気がついた。
 その自動販売機にはオレンジジュースが無かったのだ。その事を彼女に伝えると、途端に癇癪を起こした。
「ヤダヤダ! わたしはオレンジジュースが飲みたいの!」
「わー、わかったよ! 他の自動販売機を探そう!」
 慌ててなだめすかしながら、他の自動販売機をあたる。ところが運の悪い事にどれも外れ。
「ねー、どうしてもオレンジジュースじゃなきゃダメ? リンゴジュースとかコーラじゃ……」
「ダメなの! ダメダメ! わたしはオレンジジュースがいいの!」
 気が付けばみんなのいる場所から随分と遠ざかってしまった。
「ーーーーねえ、君達」
 漸く、オレンジジュースが売っている自動販売機を発見して喜んでいると、急に声を掛けられた。
 どこか軽薄そうな男の人。年齢はわたしよりも少し年上に見える。
「な、なんスか?」
「ちょっと、道を聞きたいんだけど」
 ホッとした。いつの間にか人気のない場所に来ていたから、変な人に絡まれてしまったのかと思った。
「いいッスよ。どこに行きたいんスか?」
「地図を見てもよく分からなくてね。ここなんだけど」
 そう言って、彼はポケットから地図を取り出した。その一点を指さしている。
 よく見ようと彼に近づくと、わたしは咄嗟に飛び上がった。
「あれ?」
 足払いに失敗した彼は戸惑っている。
 前言撤廃。どうやら、変な人に絡まれてしまったみたいだ。
 彼の瞳を見る。そこには値踏みするようなイヤラシさが垣間見えた。
「悪いけど、ナンパはお断りだよ」
 伸ばしてきた手を蹴りあげ、そのまま彼の脇腹を蹴り飛ばす。
 手加減はしたから怪我はしていない筈。
「行くよ、イリヤちゃん」
 わたしは返事を聞かずに走りだした。
 気づけばみんなが待っている川辺の近くまで戻って来ていた。
「すごいよ、タイガ!」
 疲れ果ててイリヤちゃんを降ろすと、彼女は興奮したように瞳を輝かせていた。
「ビシッ、バシッって、魔術師でもないのに!」
「えへへ、これでも武闘家だからね」
「すごいすごい! ねぇ、わたしにも出来るかな? こう、バシッと!」
 さっきのわたしの真似をして蹴りのポーズを決めるイリヤちゃん。
「もっと、脇を締めて。こうだよ!」
 褒められて嬉しくなり、わたしはついつい藤村家に代々伝わる門外不出の藤村殺法を一つ伝授してしまった。
 夢中になっていると遠くからアーチャーが駆け寄ってきた。
「遅いじゃないか」
「あはは、ごめん。ちょっと、イリヤちゃんにキックの仕方を教えてて」
「キック……?」
 困惑しているアーチャーにイリヤちゃんはニヤリと笑い、教えたばかりのキックを放った。
「といやー!」
 可愛らしい掛け声と共にアーチャーの股間を蹴り上げる。
 ところが、アーチャーは悲鳴一つあげない。
「……タイガ。それに、イリヤ」
 ゾクッとした。彼の顔を見上げると、そこには笑顔があった。ただ、笑顔なのに凄く怖い。
「淑女としての嗜みについて、一つ説教してやる必要がありそうだな」
 結局その後、ウェイバーくんの調査が終わるまで延々と私達はアーチャーのお説教を聞かされ続けた。
 涙目になるわたし。すると、イリヤちゃんがわたしの脇を小突いた。
「タイガ。日本では武道の先生をシショーって呼ぶのよね?」
「そ、そうだけど……」
「じゃあ、わたしもタイガの事、シショーって呼んでもいい?」
「し、師匠? わたしが……?」
「うん! シショー!」
 その響きはとても心地よいものだった。
 師匠。なんと甘美な……。
「もちろんいいよ! じゃあ、イリヤちゃんはわたしの弟子一号って事だね!」
「弟子一号かー……。うん! わたし、弟子一号!」
 そんな風にわたし達が楽しく話していると、ウェイバーくんは落胆した様子で川の調査の結果を口にした。
 結局、今日も進展無し。明日で四日目だ。
 あれ? 何か忘れているような……。

 ◆

「明日で七日だな」
 帰り際、セイバーさんがつぶやいた。
「ここまでか……、存外悪くない時間だったが」
 その言葉の意味をわたしは思い出した。
 アーチャーから聞いた話だ。彼は六日前の晩、宝具を発動した。それは七日以内に決着がつかなければ全てを破壊するもの。
 その期限がついに明日切れる……。
「セイバーさん……?」
 そんなの冗談に決まってる。数日一緒に過ごして、彼の人となりは分かったつもり。
 悪い人じゃない。それどころか、陽気でやさしい。そんな人が街を……何の罪も無い人達を殺す筈がない。
「今夜、我は監督役が指定する戦場で待つ。我が宝具を止めたければ、挑むがいい。さもなければ、明日、この地は滅び去る事になる」
「ま、待ってよ! 冗談なんだよね!?」
「冗談?」
 わたしの叫びに対して、セイバーさんは苛ついた表情を浮かべた。
 尻込みしそうになるけど、わたしは必死に声を振り絞った。
「セイバーさんは戦いが好きだから、みんなのやる気を出させる為に大げさに言っただけなんだよね?」
「タイガ」
 セイバーさんはわたしに今まで見た事のない冷たい視線を向けた。
「我が嘘をついた事があるか?」
「で、でも……、だって!」
「この街の者を見捨てるつもりなら、そのまま愚かな妄想に浸っていろ。その果てで貴様が如何に後悔しようが我には関係がない」
「だって、まだ犯人を見つけてもいないんだよ!? 捜査はどうなるの!?」
 セイバーさんは嗤った。とても、とても怖い笑顔を浮かべた。
「知りたいのなら、我を倒してみろ」
「え?」
「我が宝具からこの街を救い、尚この街に忍び寄る悪意を打ち払いたくば、貴様が挑め」
「どういう事……?」
 まるで、犯人を知っているかのような物言いだ。
「前に言った筈だぞ、我は全知全能だと」
「知ってたって事……? なら、どうして……」
「これも言った筈だ。存外、悪くない時間だったと……」
「セイバーさん……」
 セイバーさんはいつものように微笑んだ。
「先に言っておいてやろう。知れば、貴様は確実に後悔する。それでも、真実を求めるのなら止めはしない。その力の限りを我にぶつけることだな」
 それだけを言い残すと、セイバーさんはわたし達に背中を向けた。
「待ってよ! わたしに勝つって言ってたじゃない!?」
 返事は返ってこなかった。彼は背中を向けたまま歩き去り、そのまま姿を消した。
 取り残されたわたし達は互いに顔を見合わせた。
「どうしよう……」
「どうするって……、アイツと戦うしかないだろ」
 ウェイバーくんが言った。
「だって、相手はセイバーさんだよ!? 一緒に、いっぱい遊んだ友達だよ!?」
「友達じゃない」
 そう言ったのはアーチャーだった。
「タイガ。奴はあくまでも私達の敵だ。ライダーとコンカラーも。それを忘れるな」
「敵じゃないよ! だって、あんなに楽しかったじゃない!!」
 気づけば涙が溢れていた。
「友達だよ!! 一緒に笑ったり、遊んだりする人を友達って言うんだよ!!」
「タイガ……」
 イリヤちゃんが蹲るわたしの頭を撫でた。
「少し休んだ方がいいわ」
 不思議な感覚。まるで、闇の中に沈んでいくかのような気分。わたしは意識を失った。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。