第三話「出番が来ないッス!」

 その日はたまたま寝付きが良くなかった。いつもなら熟睡している筈の時間に目が覚めてしまった少女は傍らに母の姿が無い事に気付く。
「お母様……?」
 父の姿が無い事は珍しくない。だけど、母はいつでも隣に居た。不安に駆られ、部屋を飛び出す。
 普段、歩き慣れた廊下も夜の暗闇によって昼間と異なる不気味な様相を見せる。
「お母様……。キリツグ……」
 少女は恐怖に怯えた。今にも泣き出してしまいそうな顔でゆっくりと歩き始める。戻って、空っぽの部屋で一人眠る事の方が恐ろしかったから。
 両親の名を飛びながら廊下を歩き続ける。幸い、窓の外から月明かりが差し込み、薄っすらと先を見通す事が出来る。
 歩き慣れた道の途中に両親の姿は無かった。ただ、見知った顔を見つける事が出来た。両親が忙しい時に時折相手をしてくれているメイドだ。
「このような夜更けにどうなさったのですか?」
「お母様が部屋に居ないの! きっと、私に内緒でキリツグと一緒に遊んでいるんだわ!」
 ほっぺを膨らませる少女にメイドは苦笑した。実のところ、彼女は少女と殆ど同い年だ。ただ、彼女はホムンクルスと呼ばれる人造生命体であり、鋳造された時に既に成人の肉体を持たされていただけの事。生まれてから生きる意味や目的を見出す人間とは違い、彼女のようなホムンクルスは初めに己の生をどう使うか決められ、それに沿うように肉体を生成される。
 彼女の生きる目的は少女――――、イリヤスフィールの身の回りの世話をする事。ただ、その為だけに生み出された。彼女はその事に不満を抱いた事など無い。むしろ、自分とは違い、様々な感情を発露するイリヤスフィールの姿に心を満たされてすらいる。
「では、わたくしもお供いたします。恐らく、奥方様は旦那様と御一緒に聖堂にて英霊召喚を行っている筈です。なんでも、予想より早くサーヴァントが揃いつつある為、急遽召喚の日時を早めたのだとか」
「英霊召喚……?」
 メイドはイリヤスフィールの両親が何をしているのか正確に知っていた。ただ、その事を彼女に話してはいけないと誰にも命じられていなかった。
 故にイリヤスフィールが望む答えを口にしてしまった。両親の居場所。両親の為そうとしている事。
「過去の英雄を召喚する儀式でございます。既に三騎士のクラスが埋まってしまって、皆様大慌ての御様子です」
 メイドの話を聞いたイリヤスフィールの顔に浮かぶもの、それは好奇心。英霊召喚という過去に偉業を為した英雄を召喚する大儀式は子供の好奇心を刺激するには十分過ぎる材料だった。
 イリヤスフィールはメイドに聖堂へと案内させる。すると、扉を僅かに開いた先で父が陣を前に片手を突き出していた。
「――――告げる」
 いつもとは違う父の雰囲気。少女は息を呑みながら、父の背中を見つめ、その言葉に耳を傾けた。
「汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」
 気が付けば、父の真似をしていた。遠くの魔法陣に向けて手を伸ばし、父の発した言葉を繰り返す。
 ただ単に、かっこいいと思ったから真似をしただけだ。それがどのような結果を生み出すかなど考えていない。子供が好奇心に乗せられて父親の真似をしただけに過ぎない。
 その結果――――、
「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ――――!」
「なんじ、さんだいのことだまをまとうしちてん! よくしのわよりきたれい! てんびんのまもりてよ!」
 拙い言葉で紡がれた呪文は誰にとっても予想外の結末を引き起こした。

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンは奇跡の存在である。本来、生まれる筈の無い|人工生命体《ホムンクルス》が人間と交わり産んだ究極のホムンクルス。人間でありながら、ホムンクルスとしての側面を持つ、アインツベルン史上最高傑作とされている。
 彼女には特別な力がある。次の【聖杯】として産み落とされ、生まれた瞬間に存在を弄られた彼女には【願望機】としての性質が備わっている。未だ、調整は不十分だが、その性質故に彼女は魔術を行使する際、理論を求めない。ただ、祈りを捧げるだけで魔術を完成させる事が出来る。
 父親の真似事をしながら、彼女は世話係のホムンクルスに聞いた英霊という存在を欲した。
 理由は――――ただ、会いたいから。
 
 生きた魔術回路とまで呼ばれる膨大な魔術回路によって生み出される莫大な魔力と願望機としての性質が合わさり、彼女の好奇心が英霊召喚の儀式を侵食していく。
 既に召喚準備を終え、呪文の詠唱を完了させつつあるマスターに刻まれた刻印が剥がれ落ちていき、代わりに少女の腕に真紅の聖痕が刻まれていった。
 本来ならあり得ないイレギュラー。だが、聖杯戦争において、彼女以上にマスターに相応しい人間など存在しない。例え、大聖杯を穢す悪意が選定条件を歪めようと、彼女が望み、儀式に臨んだ以上、マスターになる資格を最優先で受け取るべきは彼女。
「な、何が起きている!?」
 突然、令呪が消滅した事に慌てふためく父親の姿を無視して、彼女は聖堂内に足を踏み入れる。彼女の視線の先には一人の女が立っていた。
 女もまた、彼女を見つめている。
「サーヴァント・ライダー、アルトリア・ペンドラゴン。召喚に応じ、参上した」
 凛とした表情でライダーはイリヤスフィールに手を伸ばす。
「問おう。貴女が私のマスターか」
 その問いにイリヤスフィールは意識する前に頷いていた。
「そうよ。わたしがあなたを呼んだの!」
 満面の笑みを浮かべるイリヤスフィールにライダーもまた、笑みを零す。
「我が愛馬は雷雲を呑むように駆け、我が剣は万軍を斬り払い、我が槍はあらゆる城壁を打ち破る。貴女の道行きを阻むものは、その悉くを打ち破ろう。ここに契約は完了した」
 その光景を誰も阻む事が出来なかった。吹き荒れる魔力とライダーの発する圧倒的な覇気が口を開きかけた者達の言葉を禁じる。
 契約は完了し、ここに最強の主従が誕生する。
「わたしはイリヤよ。イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。よろしくね、アルトリア!」
「ええ、よろしくお願いします。妖精のように麗しき我が主よ」

 ◇

 一人の少女が齎した変化は止まらない。蝶の羽ばたきがやがて竜巻を起こすように、人々は嵐の中へ呑まれていく。
 冬木市郊外にある森の中で鶏を絞め殺している少年もその一人。彼もこれから英霊召喚を行う腹積もりだ。
 必死になって書き上げた論文を一笑に付した教師を見返す為、彼は偶然手に入れた聖遺物を手に日本までやって来た。
 資料片手に鶏の血で召喚陣を描いている。
「完成っと!」
 ウェイバー・ベルベットは会心の笑みを浮かべて完成した召喚陣を見下ろした。
 上出来だ。形に歪みは無く、綴りにミスもない。後は呪文を唱えるだけでいい。
 既に五体のサーヴァントが召喚されている事も知らず、残されているクラスがキャスターやアサシン、バーサーカーという一癖も二癖もあるものばかりという事も知らず、喜んでいる。
 魔力を循環させ、意を決して呪文を唱え始める。
「|閉じよ《みたせ》。|閉じよ《みたせ》。|閉じよ《みたせ》。|閉じよ《みたせ》。|閉じよ《みたせ》。 繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」
 もしも、彼が触媒も持たずに召喚を行っていたら、バーサーカーを召喚してしまい、魔力が枯渇して何も為せぬまま死んでいたかもしれない。
「――――告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」
 もしかしたら、冷酷な魔術師を召喚してしまい、無惨な末路を辿ったかもしれない。
「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」
 運良く、誠実な魔術師や暗殺者を召喚出来たとしても、血の浅い未熟者には未熟なサーヴァントが選ばれていた事だろう。
「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ」
 彼は運が良かった。
「天秤の守り手よ――――!」
 エーテルが渦を巻き、その中央に一人の少年が姿を現す。
 彼が偶然手に入れた聖遺物。それは偉大なる王の衣服の切れ端。
 その英霊には魔術師の適正も、暗殺者の適正も、狂戦士の適正さえ無かった。
 何故なら、彼は王。民を束ね、威風堂々と君臨する者。彼にそれらの適正など必要無かった。
「――――君が僕を喚び出した人?」
 ウェイバーはサーヴァントと向き合った時、言おうと思っていたセリフが幾つもあった。
 それが全て消し飛んだ。
 召喚された英霊のあまりの美貌に圧倒されたのだ。
「そ、そうです」
 バカ面下げて、そんな返答しか出来なかった。
「ハハッ。そんなに緊張しないでよ。僕はアレキサンダー。アレクサンドロス3世でもいいよ。勿論、他の名前でも構わない。クラスは|征服者《コンカラー》……、どうやらラインナップからは外れたクラスみたいだ」
 魅惑的な微笑みを浮かべ、ウェイバーの手を握り締める。
「よろしくね、マスター」
「よ、よろしくお願いします」
 その声はまるで鈴の音のように甘く響く。ウェイバーは顔を真っ赤にして、何度も頷いた。
「ところで、一つお願いがあるんだけど」
「な、なに?」
 コンカラーは言った。
「イリアス、どこかにない? どうしても読みたいんだ」
「それなら多分、図書館にでも行けば……」
「なら行こう! よし行こう! すぐに行こう!」
「え、って、まだ夜だぞ!?」
「イリアスが僕を待っている!」
 ウェイバーの手を引っ張り、コンカラーは走り出す。目的地も知らず、ただただ真っ直ぐ走り続ける。
 その先に何が待ち受けているかも考えず、万人を魅了する微笑みを浮かべながら――――。

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