第十六話『魔女』

第十六話『魔女』

 昼食を終えた後、俺は道場に来た。竹刀を手に取って、軽く振ってみる。
 昔、ここで切嗣に剣を教えてもらった事がある。剣道とも、実践的な剣術とも違う……、無心になる為の剣。

「……イリヤ」

 明日の朝、彼女の下へ向かう事になった。なんでも、アリーシャの能力が幾らか判明して、ヘラクレスに対する勝算が生まれたらしい。
 ヘラクレスを倒せば、イリヤを聖杯戦争から脱落させる事が出来る。セイバーとアリーシャが居れば、ほぼ間違いなく達成できる見込みだと言われた。
 喜ぶべき事なのに、なんだかモヤモヤしている。

「馬鹿か……、俺は」

 モヤモヤの正体には気付いている。俺がしたい事の為にみんなを巻き込んでいるのに、俺自身は何も出来ない。口ばっかりで、俺はどこまでいっても足手纏にしかならない。
 
「……シロウ。悩んでいるのですか?」

 いつの間にか、道場の隅にセイバーの姿があった。

「悩みって程の事じゃないよ、セイバー。ただ、あんまりにも無力だから……」
「シロウ。貴方は決して無力などではありません」
「……慰めてくれるのは嬉しいけど」
「慰めではありません。昨夜の事、貴方は忘れてしまったのですか?」
「昨夜の事……?」
「ランサーとの戦いの最中、貴方は彼の宝具の正体を看破して、令呪を使った。あの判断は実に見事でした。貴方ははじめ、出来る事は強化と解析だけ、と己を卑下していましたが、敵の宝具の能力を看破する程の解析能力は聖杯戦争において、十分な武器になります」
「……セイバー」

 セイバーは竹刀を手に取った。

「それでも、己の無力を嘆くのなら、私が貴方を鍛えます」
「いいのか?」
「もちろんです。ただし、やるからには厳しくいきますよ?」
「……ああ、頼む!」

 セイバーは稽古をつけながら何度も俺を鼓舞してくれた。
 無力ではない。足手纏ではない。そう言って、真っ直ぐにぶつかって来てくれる。

「シロウ。貴方は出会ったばかりの少女の為に立ち上がり、人々の安寧の為に戦い、その為に辛く苦しい覚悟を背負った。そんな貴方だからこそ、私は心から信頼を置く事が出来る。貴方になら、私は躊躇う事なく、背中を預ける事が出来る。……ええ、初めは不安もありました。ですが、それは昔の話です。もう一度言います、シロウ。貴方は足手纏などではない」
「セイバー……」

 ここまで言われて、奮い立たない男はいない。彼女と交える一刀一刀に全身全霊を掛ける。
 彼女が背中を預けてくれるのなら、その背中を守れる強さが欲しい。
 気付けば、日が傾くまで夢中になって剣を振っていた。何度も吹っ飛ばされて、何度も叩き伏せられて、それでも彼女に挑まずにはいられなかった。
 もっと強く、もっと速く、もっと鋭く、もっと……、もっと……、もっと! 

「シロウ、大丈夫?」

 気付けば道場の真ん中でひっくり返っていた。アリーシャが濡れたタオルをおでこに乗せてくれる。ひんやりして気持ちがいい。
 どうやら、体力の限界を迎えたらしい。指一本まともに動かせないくらい疲れ果てている。だけど、心はセイバーとの鍛錬を始める前とは比べ物にならないくらいスッキリしている。

「……ありがとう、セイバー」
「シロウ。打ち合ってわかりました。やはり、貴方は強い。そして、これから更に強くなっていく」
「強く……、か」

 だけど、セイバーの強さは遥か遠い先にある。手を伸ばしても、とても届きそうにないくらい……。

「強くなりたいな」

 それでも、諦めきれない。彼女のような力があれば、きっと多くの人を救う事が出来る。
 口だけで理想を語るんじゃなくて、行動で語れるようになる。助けを求める人々の手を取る事が出来る。

「シロウ……」

 その時だった。急に道場の照明が落ちて、カラカラと音が鳴った。

「これは!?」
「リン!」

 アリーシャが道場を飛び出していく。セイバーも武装して俺の下へ駆け寄ってきた。

「今のって……」
「どうやら、侵入者のようです」
 
 俺は慌てて腑抜けた体に活を入れった。

「大丈夫ですか?」
「ああ、問題ない。行くぞ」

 セイバーの後に続いて道場を出る。すると、そこにはアリーシャが立っていて、彼女の前には……、イリヤとメイドの姿があった。

 ◇

「蹴散らしなさい、バーサーカー!!」

 柳洞寺へ続く石畳の階段を狂戦士が駆け上がる。頂上の山門では藍色の陣羽織を纏う侍が身の丈程もある刀を構えて待ち受けている。
 イリヤスフィールは佐々木小次郎と名乗った|その侍《アサシンのサーヴァント》を単なる障害物程度にしか思っていなかった。
 所詮、この男はニセモノだ。本来、アサシンのサーヴァントは|山の翁《ハサン・サッバーハ》と呼ばれるアサシンの語源ともなった暗殺教団の歴代頭領の中から選ばれる。加えて、冬木の聖杯に招かれる英霊は西欧で名の知られている者に限られる。故、佐々木小次郎などという、実在したかどうかさえ曖昧な日本人の男が召喚される事など、まずあり得ない。
 これはキャスターのサーヴァントが、《サーヴァントがサーヴァントを召喚する》というイレギュラーを起こした事で起きたイレギュラー。
 魔術に傾倒したという逸話すら持たない十把一絡げの剣士風情にギリシャ神話最大の英雄であるヘラクレスが負ける道理などない。

「――――あまり、舐めてくれるなよ」

 その言葉と共に道理が覆される。鋼をも砕くバーサーカーの渾身の一刀をアサシンは鮮やかに受け流し、その首を切り落とした。

「……なっ」

 その存在自体があり得ない男は、いとも容易く、半神半人の大英雄の首級を落とす偉業を為した。

「さて、これで一つ。残るは十一だったな?」

 また、あり得ない事が起きた。
 バーサーカーが|十二の試練《ゴッド・ハンド》の効果で蘇生した瞬間、その腕が飛んだ。

「なんで!?」

 |十二の試練《ゴッド・ハンド》はヘラクレスが生前乗り越えた十二の難行が宝具として昇華されたものだ。
 バーサーカーは十二回までなら死亡しても蘇生する事が出来る。加えて、Bランク以下の攻撃を無効化し、それ以上の攻撃も一度受ければ耐性が生まれる。
 一度殺しただけでもあり得ない事であり、同じ攻撃でバーサーカーの肉体を両断するなど不可能な筈だ。

「……ふむ、理由を問われても困るな。この刀に細工を施したのは雌狐だ。聞けば、バーサーカーとは同郷であったそうな。なればこそ、その能力も対策済みという事なのだろう」
「魔女メディア……。なるほど、すこし甘く見すぎていたようね」
「老婆心ながら忠告しておくが、あの雌狐を相手に力で押せばいいなどと思わぬ事だ。油断すれば……、そら、この通り」

 その言葉と同時に悪寒が走った。

「イリヤ!!」

 リーゼリットが巨大なハルバードを振り上げる。その矛先にはイリヤスフィールの肌へ奇妙なカタチの刃を持つ短剣を突き刺す魔女の姿があった。

「うそっ……」

 イリヤスフィールが呆然とした表情を浮かべる。自身の身から大切な繋がりが途切れた事を悟った。

「リーゼリット!! お嬢様を連れて逃げなさい!!」
「わかった!」

 リーゼリットはイリヤスフィールの体を抱き上げ、主人の制止も聞かずに走り出した。
 残されたセラはキャスターに襲い掛かる。一秒でも撤退する為の時間を稼ぐ為に――――。

「無駄よ、お人形さん」

 その意思は瞬く間に砕かれた。
 魔女メディア。神代の時代を生きた稀代の魔術師にとって、現代の魔術師が鋳造したホムンクルスを手玉に取るなど児戯にも等しい。
 
「……おじょう、さま」

 石畳に転がるセラを尻目に、キャスターはイリヤスフィールとリーゼリットの逃げた方角に視線を向ける。
 あの方角にはセイバーとアーチャーの拠点がある。

「……いいわ。今は見逃してあげる」

 キャスターはクスリと微笑むと令呪の縛りに抵抗しようと藻掻くバーサーカーに目を向けた。
 
「今はこの暴れ馬を手懐けないといけないものね」

 怒りを滾らせるバーサーカーの眼にキャスターは嗜虐心を唆られた。
 
「屈服させてあげるわ、ヘラクレス。時間をたっぷり使って、丁寧に……」

 その光景にアサシンのサーヴァントは顔を引き攣らせた。

「クワバラクワバラ……」

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