第十八話『不穏』
――――アレはなに?
赤銅色の髪、色白な肌、真紅の瞳、端正な顔立ち。
そうした外見的特徴を確認する前に、その存在を認知した瞬間に、イリヤスフィールは彼女と繋がった。
ユスティーツァ・リズライヒ・フォン・アインツベルンという第三魔法を再現する為に魔法使いの弟子によって鋳造された|存在《ホムンクルス》を|基礎《ベース》にして造り上げられた後継機達には魂の繋がりが存在する。
目の前の女と繋がったという事は、目の前の女も自身と同じユスティーツァの後継機であるという事。今は咄嗟に防壁を張る事で向こう側からの流入を防いでいるけれど、それを緩めれば、彼女の意思や記憶と共に、その正体も判明する筈だ。
だが、イリヤスフィールは防壁を崩さなかった。相手は得体が知れない上に、サーヴァントだ。英霊という格上の存在の魂を断片的にでも取り入れた瞬間、イリヤスフィールという個は決定的に破綻する。言ってみれば、彼女の意思と記憶の流入は、猛毒を杯一杯に煽るような暴挙と同義なのだ。
「……イリヤ?」
士郎が声を掛けると、イリヤスフィールは思考の海から浮上した。泣き崩れた同朋はマスターと共に母屋へ向かっていく。
「えっと、急にどうしたんだ?」
彼女の正体を気にしつつ、イリヤスフィールは事情を士郎に語った。
バーサーカーをキャスターに奪われた事。セラが囮となり、リーゼリットが自己判断でこの場所に自身を連れて来た事。
荒ぶる感情はアリーシャと士郎が呼ぶサーヴァントを見た途端に冷めていた。
「……大変だったんだな、イリヤ」
士郎は心からイリヤスフィールを気遣い、彼女の頭を優しく撫でた。
彼にとって、この状況は悪いものではなかった。バーサーカーが奪われた以上、彼女に戦う術はなく、彼女の聖杯戦争は終わった。
戦う決意を固めても、本心では戦いたくなどなかった。
「もう、大丈夫だぞ。イリヤの事は俺が守るから……」
「シロウ……」
その意思は彼女にキチンと伝わった。イリヤは士郎に抱きつき、セラとバーサーカーを失った哀しみを癒やした。
彼女が落ち着いたのは、それから一時間も経った後だった。
「ねえ、シロウ」
「なんだ?」
母屋の居間に移動して、士郎が淹れた茶を口に含み、彼女は頭の中を整理した。
「アリーシャと言ったわね。あのサーヴァントはなに?」
整理した結果、彼女がキャスター討伐に動いた理由を思い出し、点と点が一本の線で繋がった。
「なにって聞かれも……。アリーシャは遠坂のサーヴァントだよ」
「……バーサーカーのマスター。貴女は何を気にかけているのですか?」
それまで黙したままだったセイバーが問い掛けた。
「……あのサーヴァント。わたしと同じなのよ」
「同じ……?」
「きっと、アインツベルンのホムンクルス」
その言葉に士郎とセイバーは驚くと同時に納得した。
なんとなく、アリーシャとイリヤスフィールは似ていると、彼らも感じていた。
アインツベルンが生み出したホムンクルス同士なら、似ていて当然だ。
「……でも、わたしの前の世代に英霊化したホムンクルスはいない。っていうか、後にも先にもあり得ない筈なのに」
ホムンクルスは人ではない。
生まれてから自分の役割を自覚する人間とは真逆の存在。初めに役割があって、次ぎに生まれるという工程を経る異常な存在。
故に、英霊化など、そういう目的で作られない限り、本来はあり得ない。
特にアインツベルンのホムンクルスは総じて聖杯を手に入れ、第三法に手を伸ばす為だけに鋳造される。英霊化を目的に掲げる事など無い筈だ。
「……バーサーカーのマスター」
「イリヤスフィールでいいわよ、セイバー」
「では、イリヤスフィール。……彼女が固有時制御の使い手であると言ったら、推理を先に進める事が可能ですか?」
その言葉に士郎は首を傾げたが、イリヤスフィールは大きく目を見開いた。
「……それ、キリツグの」
「ええ、間違いありません。彼女の固有時制御は本来のソレと些か異なる。似ているだけだと思っていましたが、おそらく、アレは切嗣が編み出した独自の魔術だ」
「ど、どういう事だ!? なんで、アリーシャが親父の魔術なんて……。っていうか、セイバーは親父の事を知ってるのか!?」
士郎の言葉にイリヤスフィールは肩を竦めた。
「話してないのね、セイバー。ええ、彼女はキリツグを知っている。だって、前回の聖杯戦争でキリツグが召喚したサーヴァントこそ、セイバーだったんだもの」
「えっ、親父が聖杯戦争に参加してたってのか!?」
「……そこからなのね」
イリヤスフィールがセイバーを睨みつける。すると、セイバーはすまなそうに頭を下げた。
「シロウに切嗣の事を話すのは躊躇いがあったもので……」
「なんで……」
「食事の席などで貴方に断片的に聞いた衛宮切嗣の人物像と私の知っている彼の人物像があまりにも食い違っていた為です……」
「……セイバーの知ってる人物像って?」
「冷酷無比。一言で説明すると、そうなります」
「冷酷無比って……、親父は何をやったんだ?」
セイバーは少し躊躇った後に口を開いた。
「ホテルを爆破し、敵マスターの人質を取り、一名を除いた全ての敵を圧倒しました」
「爆破に人質……」
士郎が顔を顰めると、セイバーは後ろめたそうに言った。
「勝利の為には最善でした。決して、卑劣な手段というわけではなく、無益な殺生も避けていました。効率化を突き詰めた結果、最低限の被害で最大限の戦果を得る。彼のそれは王の采配に近い」
「……セイバーは親父の事をどう思ってたんだ?」
「あまり、好ましくはなかった。その在り方、理想、生き様に同族嫌悪にも似た感情を抱いていました。おそらく、彼もそうだったのでしょう。だから、私達の間には殆ど会話が無かった。そもそも、あまり必要でもありませんでした。彼の思考パターンは説明されずとも理解出来ましたから、令呪の発動を除けば、彼の声を聞いたのは三回程度でしょう」
士郎は言葉を見つけられなかった。切嗣とセイバー。二人の事を知っている気になっていた。
だけど、ホテルの爆破や人質を必要と割り切る姿をまったく想像する事が出来なかった。
「……貴方は切嗣とも、私とも違う。だからこそ、あまり話したくなかった。申し訳ありません……」
「セイバー……」
「話を戻すわよ」
イリヤが手を叩きながら言った。
「……キリツグの固有魔術を使えるアインツベルンのホムンクルス。つまり、彼女はわたしの後継機ね」
「後継機って……」
「あり得ない事じゃない。英霊は時の流れから外れた存在だもの。未来の時間軸から召喚されるサーヴァントだっているわ」
「未来の……」
イリヤスフィールはさっきの光景を脳裏に浮かべた。
「話をしてみたいわ。彼女はわたしを知っているみたいだし」
「そうなのか?」
「あんな風にわたしを見て泣き崩れるなんて、他に理由がないもの。それとも、知らない人間を見たら泣いちゃうような人見知りなの?」
「いや、そんな事はないと思う……。そっか、イリヤの事を話した時、イリヤの名前を気にしてたみたいだけど、そういう事だったのか。ただ、知ってはいても、覚えてない可能性があるぞ。アリーシャは記憶喪失らしいから」
「記憶喪失……?」
イリヤスフィールはセイバーを見た。彼女が頷くのを見て、イリヤスフィールは首を傾げた。
「サーヴァントが記憶喪失って、リンはどんな召喚の仕方をしたのかしら……」
イリヤスフィールが不思議そうに呟くと、居間の戸が開いた。
「遠坂! アリーシャは大丈夫なのか!?」
士郎が立ち上がると、凛は居間に入らずに言った。
「士郎。同盟はここまでにしましょう」
「……は?」
何を言われたのか、士郎は咄嗟に理解する事が出来なかった。
「さすがに後ろ足で泥を掛ける気は無いわ。そうね、同盟は無くなっても、三日は休戦にしておく。その間に貴方の方から仕掛けてくるのは構わないわ」
――――その時は心置きなく迎え撃てるから。
そう、彼女は笑顔で言った。今朝までと、何かが決定的に違う。
「ど、どうしたんだよ、遠坂! なんで、急に……」
「士郎。悪いんだけど、わたしはどうしても聖杯を手に入れないといけなくなったの。どんな手を使っても、誰を殺しても、絶対に……」
彼女は微笑んだまま、だけど、目はどこまでも冷たく、その声に一切の迷いもない。
「セイバーを死なせたくないでしょ? なら、この同盟はいずれ破綻する。だって、わたしはセイバーを殺すもの。そうしないと、聖杯が手に入らない。貴方はそれを阻止しようと動く。そうなってからドロドロの殺し合いなんて、なんかイヤでしょ? だから、ここで終わり」
「遠坂……、なんで、いきなり。聖杯を何に使うつもりなんだ?」
「教えないわ。教えたところで意味なんてないし、なにより……、一度捨てたヤツにとやかく言われたくないもの」
その瞳には純粋な殺意が浮かんでいた。深い憎悪と怒りを滲ませて、それでも笑顔で彼女は言う。
「衛宮くん。貴方との同盟、悪くなかったわ。だから、どうしてもセイバーを死なせたくなかったら、聖杯をわたしに奪われたくなかったら、他に理由が出来て戦う意思を固めたら、その時は全力で殺しに来なさい。わたしは貴方を殺すから、貴方もわたしを殺していい。迷ったりしちゃダメよ?」
「と、遠坂……、なんで」
凛は答えなかった。そのまま、荷物を抱えて出て行った。
「なんで……」
呆然と立ち尽くす士郎にイリヤスフィールは言った。
「必要になったんでしょ。……たぶん、あのサーヴァントの為に」
「サーヴァントって、アリーシャの……?」
「捨てた……。つまり、あのサーヴァントはシロウと関係を持っているって事ね」
「ど、どういう意味だ!?」
「未来……。遠い先、シロウはあのサーヴァントの生前と出会う事になるのよ。そこで、リンが気に入らない事をする」
「……遠坂が気に入らない事」
まだ、彼らにとっては起きていない出来事。
彼女達にとっては、起きてしまった出来事。
それが何なのか、分からない。分かる筈もない。
「俺は……、アリーシャに何をしたんだ?」
イリヤスフィールも、セイバーも、誰もその問いに答える事は無かった。
◇
魔女は嗤う。
「この状況下で仲間割れを起こすなんて、どこまでも愚かな子達」
背後には延々と続く責め苦に耐え忍ぶ巨人の姿がある。この偉大なる男を屈服させる為には、もうしばらく時間がかかるだろう。
「ええ、しばらくは猶予をあげる。それまで精々、残された時間を有意義に過ごす事ね」
セイバーとアーチャーはどちらも難敵だ。だが、ヘラクレスさえ支配出来れば勝利は揺るがない。
セイバーの対魔力も、アーチャーの固有時制御も、稀代の魔女たるキャスターのサーヴァントにとって、さして障害ではない。
「……これで、ようやく」
聖杯はもう目と鼻の先だ。魔女は華やかな未来を夢想して鼻歌を歌った。
まるで、夢見る乙女のように、それはそれは幸せそうに……。