第六話『アンノウン』
召喚されてから三度目の朝を迎えた。今日もリンを叩き起こして一緒に朝食を作る。
彼女と肩を並べて料理をしていると幸せな気分になる。他愛ない話で盛り上がったり、料理の味付けを工夫してみたり、聖杯戦争なんて放ったらかして、延々とこういう時間を過ごしていたい。
それを言うと、彼女は困ったように笑った。
「……それも悪くないって思っちゃうのよねー」
正直言って、少し驚いた。また、手厳しいツッコミが来ると思っていたから、彼女が同意してくれるとは思わなかった。
嬉しくなって、朝食を食べ終わった後にお菓子作りに挑戦した。
今日は日曜日で、リンの学校も休みらしい。
作るのはクリームも手作りの本格パンケーキ。
「バター20gを溶かしてっと……」
この家に電子レンジがあって良かった。調べてみたら、フードプロセッサーは普通に売っていた。
単にリンが極度の機械音痴で、調理器具でさえアナログなモノばかり使っていただけみたい。電話でさえ梃子摺ると聞いた時はリンの方が古の時代から召喚された英霊なのではないかと本気で疑いを持った。
英霊・トーサカ。なんだか、すごい格好をしたリンの姿が脳裏に浮かぶ。ぷくくと笑うと叩かれた。
「今、失礼な事を考えたでしょ!」
どうして分かったんだろう……。
「ほら、材料加えていくわよ! 上白糖40gに塩一摘み、卵を一個分と牛乳100cc、それからプレーンヨーグルトを100gっと」
ボウルに入れた材料をかき混ぜているリンの手元の上から薄力粉とベーキングパウダーを混ぜたモノをザルに入れて振るう。
上手く混ざるように三回に分けて加えた後、さらに混ぜる。
「それにしても、重曹じゃなくていいんだ」
「どっちでもいいみたいね。重曹なんて滅多に使わないから置いてないのよ。ヨーグルト買っといて良かったわ」
フライパンを少し温めてから弱火で生地を焼く。
「泡が出てきたらひっくり返すわよ」
「あっ、それ、やりたい!」
「いいけど、失敗しないでよ?」
「ふふふ、アーチャーを舐めてもらっては困るね」
「パンケーキひっくり返す事とアーチャーのクラスである事はまったく関係無いわよね」
真顔でツッコミを入れてくるリンに思わず吹き出してしまった。
「とりあえず、焼くのは任せるわね。こっちはクリーム作るから」
そう言って、リンは練乳と生クリームをシャカシャカと混ぜ始めた。
「果物あったっけ?」
「えっと、ミカンならあるわよ」
完成したパンケーキを皿に乗せる。ふんわりとしていて、完璧な出来栄えだ。
「ミルククリームも完成したわ」
リンがミルククリームを絞りに入れて、パンケーキの上にトッピングしていく。その周りにわたしは筋を取ったミカンを飾る。
うーん、ビューティフル。
「紅茶淹れるね!」
「じゃあ、パンケーキはわたしが運んでおくわ」
わたし達のチームワークは完璧だ。もはやツーカーの仲と言っても過言ではないかもしれない。
あったかい紅茶を飲んで、あまーいパンケーキを食べて、至福の時を過ごす。
「あー、幸せ。このままお昼寝したい」
「分かるわー」
そのまま、しばらくのんびりしていると、急にリンが表情を引き締めた。
「……ねえ、アリーシャ」
「なに?」
「いろいろと聞いてもいい?」
「どうしたの? 藪から棒に」
リンは姿勢を正すとわたしの目をジッと見つめた。
「学校の結界。あれを破壊出来るって言ったわよね。どうやるの?」
「……えっと、少し待ってね」
どうやら、平穏な時間はここまでみたいだ。あの悍ましい結界の事を思い出すと殺意が湧いてくる。アレを仕掛けた存在を生かしておいてはいけない。
だけど、まずはリンの言うとおり、結界の破壊を優先するべきだ。その方法はわたしの中にある。
今のところ、わたしの記憶は部分的に蘇っている。わたしの過去は空白に近いけれど、一般常識や料理などの日常的な知識と技能は思考と同時に蘇る。
魔術に関しても、やりたい事を思い浮かべると、出来るか出来ないかの判断がつく。そこから更に発展させる事でやり方も分かる。
例えば、壊れたモノを直したいと思った時、直った結果をイメージすると、その通りに直る。空間転移も移動したい場所をイメージすれば、後はそのイメージに向かって飛び込むだけだ。
この話をした時、リンは若干殺気立った。わたしの魔術は《結果》ありきで発動する。だから、どうやって行使しているのかを詳しく説明する事が出来なかった。
おそらく、結果に対応する過程を無意識の内に処理しているのだろう。空間転移をそのレベルで行使出来る魔術師はまさしく規格外らしく、昨日は機嫌が直った後もグチグチと文句を言われた。優秀過ぎて困っちゃうわー。
「……うーん」
それにしても、出来ると分かっているのに、結界を破壊する手段が中々浮かんでこない。
「どうしたの?」
「出来る筈なんだけど、どうやるのか浮かんでこないの……」
「……やっぱり、過程は思い出せないってわけね」
実際、やってみたら出来るのだろう。だけど、それは結果として出来るだけで、どうやるのか理解する事が出来ない。
「厄介な記憶喪失ね……」
リンは溜息を零しながら言った。
「次の質問。貴女、自分がどういう人間だったか分かる?」
「……えっと、記憶喪失なんだけど」
「うん。それは分かってるわよ。ただ、記憶喪失である事を踏まえた上で、自分をどういう人間だと思うのかって話」
「自分をどう思うか……?」
随分と哲学的な質問だ。わたしはどんな人間なんだろう。
割りと明るい性格だと思う。それに、学校の結界を視て、張ったヤツを殺してやりたくなる程度の正義感もある。
料理が出来て、コミュニケーション能力も悪くない。魔術の腕は超一流で、クラスはアーチャー。
顔だって、そんじゃそこらの女には負けない自信がある。まあ、リンと並ぶと票が二分されそうだけど……。
「才色兼備のスーパーガールだね!」
「……質問を変える。自分を善人だと思う?」
返ってきた声は想像以上に冷たかった。
「……えっと、悪人では無いと思うけど」
「はっきりと善人って言える? 例えば、人殺しについてどう思う?」
「それは相手によるよ」
「……相手って?」
「人を殺す事は悪い事だよ。だけど、悪人を殺す事はいい事だと思う」
「……え?」
リンは呆気にとられた表情を浮かべた。
「ど、どうしたの?」
「……悪人を殺す事はいい事なの?」
「当たり前でしょ? って言っても、誰かれ構わずってわけじゃないよ。どうしようもない程の悪党。例えば、リンの学校に結界を張った外道は何としても殺すべきだと思ってる」
おかしい。なにもおかしな事は言っていない筈なのに、リンの表情が引き攣っていく。
「……ねえ、わたしはどうなの?」
「え?」
「わたしは魔術師よ。それに、この不特定多数の人間の命を脅かす聖杯戦争の参加者。貴女の定義の中でわたしはどうなってるの?」
不思議な事を言う。
「リンは悪い人じゃないよ? だって、あの結界を視て、怒ってたもの。それに、リンは死を容認する事はあっても、死を弄ぶ事は決してしない。そういう人だって事は分かるから」
「……違いが曖昧ね。死を容認して、他の参加者の命を狙うわたしは広義において悪だと思うのだけど?」
「他の参加者の命を狙うのは仕方のない事だよ。だって、相手も命を狙ってくるんだもの。それに、リンはただ勝利したいだけでしょ? 欲望に塗れて、外道に走る真似をするなら悪だけど、貴女はそうじゃない」
「……仮にわたしが欲をかいて外道に走ったら、貴女はどうするの?」
「そうはならないよ。リンが悪に染まりそうになったら止める。もし、それでもダメだったら……、うん」
――――その時は残念だけど、殺すと思う。
「……そう。貴女はそういう性質なのね」
「えっと……、顔が怖いよ?」
リンは溜息を零した。
「学校に結界を張ったヤツは相応の報いを受けさせる。そこは賛成よ」
「うん! リンならそう言うと思ってた!」
「……もう一つ、質問」
「なに?」
「貴女の本音はどっちなの?」
「え?」
リンは言った。
「わたしとこうしてのんびり過ごしている方が良いのか、学校に結界を張った外道を殺しに行く方が良いのか。貴女が今したい事はどっち?」
「……わたしは」
不思議な気分だ。わたしはリンとのんびりしていたい。楽しい時間をもっと過ごしていたい。
だけど、同時に早く殺したいとも思ってる。今なら被害を喰い止められる筈だから、一刻も早く行動したいと思ってる。
「わかんない」
「分からない……?」
「なんだろう……、変な感じ。わたしはリンと一緒にいたいのに……、だけど、わたしの中には早く外道を始末しに行きたいっていう衝動もあるの」
「……そう」
リンは深く溜息を零した。
「……なら、行動しましょうか」
「リン?」
「メリハリを付けましょう。のんびりするべき時はのんびりする。聖杯戦争をする時は聖杯戦争をする!」
「……リン」
リンは快活に笑った。
「貴女と過ごす時間、わたしも好きよ。だけど、聖杯戦争もわたしにとって大切なの。だから、どっちも蔑ろにせず、両立するわよ!」
「リン!」
どうしてだろう。嬉しくてたまらない。
「……どうしたの?」
「え?」
リンが首を傾げている。頬に冷たい感触が走った。
手を当ててみると、自分が涙を零している事に気がついた。
「あれ?」
それで分かった。さっきまで、わたしは不安だったのだ。
間違った事を言っているつもりはないのに、自分の本音を口にしたら、リンが離れていくのではないかって、怖かったのだ。
自覚した途端、頭を掻き毟りたくなった。
――――悪魔。
誰かの声が聞こえた。
――――疫病神。
誰かの声が聞こえた。
――――人殺し。
誰かの声が聞こえた。
――――誰がこんな事をしてくれって言ったんだ!!
……誰かの憎悪がわたしに向けられた。
「あっ……、そっか」
記憶は戻っていない。だけど、一つ分かった。
「リン……」
涙が止まらない。
「――――わたしって、おかしいんだ」
涙を拭うと、瞼の裏に一つの景色が視えた。
それは一つの地獄。血の雨が降り注ぐ、惨劇の舞台。それを造り上げたのはきっと、わたしだ。
「わたしって、何なんだろう……」