第二十話『禁忌』

第二十話『禁忌』

「……アリーシャ、ごめんね」

 その言葉を聞いた瞬間、時が自動的に加速され、刹那が永遠に置き換わる。
 これまでの加速とは比較にならない。偶然近くを飛んでいた蜂の羽ばたきすら停止している。

『……どうした? 見ているだけか?』

 声が聴こえる。

『このままでは、彼女が殺されてしまうぞ』

 分かっている。だけど、あの男は強すぎる。

『だから、我が身可愛さに見殺しか?』

 そんな訳ない。敵わなくても、わたしが死ぬ事になっても、リンの事だけは絶対に助けたい。

『ならば、迷う理由などあるまい。守るべき者が窮地に陥り、眼前には倒すべき悪がある』

 そうだ。迷う理由なんて無い。たとえ、それでわたしが消えて無くなっても、彼女を失う事に比べたら断然マシだ。
 わたしにだって、自分の命より大切なものがある。
 この世界の全てを敵に回してでも、守りたいモノがある。
 
『さあ、身を委ねるがいい。そうあれと望まれ、仕組まれた運命を歩み、世を呪い、人を憎み、手に入れた正義の力。今こそ、解き放て――――!』

 この声に身を委ねたが最期、後戻りは出来なくなる。きっと、ギルガメッシュはこうなる事を止める為に現れたのだろう。
 たしかに、それは慈悲かもしれない。いっそ、ここで死んでいた方が良かったのかもしれない。
 それでも、わたしはリンを守りたい。彼女のいない世界なんて……、

「……リン」

 意識を己の中に埋没する。そして――――、空間が割れた。
 わたしは痛みの渦に呑み込まれた。ここがどこだか分からない。わたしが何者なのか分からない。今、するべき事が何なのかさえ、分からない。
 それでいい。ここより先は人の道に非ず。もはや、|表層人格《わたし》の出る幕は無い。

 ――――目標、英雄王ギルガメッシュの打破、及び|遠坂凛《マスター》の救出。
 ――――必要情報の検索を開始。
 ――――失敗。現機能では英雄王ギルガメッシュに対抗する事は不可能。
 ――――能力の拡張を申請。
 ――――規定条件をクリア。
 ――――霊基再臨を開始。
 ――――完了。保有スキル《ネガ・マリス》、《自然の嬰児》、《自己改造》を復元。
 ――――第二段階移行に伴い、一部機能を封印、不要な記録を消去。
 ――――割り込み申請。外部記憶領域にバックアップを作成。
 ――――目標達成まで、感情を一部封印。その他、全機能を戦闘行動に集中。
 ――――タスク形成、処理を開始。
 ――――宝具《|第八禁忌・人類悪《アンチ・アンリマユ》》……、起動。

 ◇ 

 まばたきの間に、世界は一変していた。
 目の前にあった筈の山が消えてなくなり、代わりに彼方まで広がる荒野が現れた。
 曇天の下、歯車が顔を出し、大地には無数の剣が突き刺さっている。

「固有結界……。これが、《|無限の剣製《アンリミテッドブレイドワークス》》」

 気付けばギルガメッシュの姿が無くなっている。何が起きているのか、理解が追いつかない。

「――――ようやく、会えたな」
「え?」

 声を掛けてきたのは、夢で視た|鎧の騎士《セイバー》だった。
 モードレッド。アーサー王伝説に登場する、叛逆の騎士。
 アリーシャが聖杯戦争で召喚した相棒。彼女を守り、彼女が殺してしまった大切な人。
 その顔は衛宮くんの召喚したセイバーと瓜二つだ。

「なんで……」
「オレがここにいるのかって? それはオレが願ったからだ」
「願った……?」
「ああ、聖杯に願った。結果、オレはここにいる」
「……聖杯って、アリーシャのこと?」
「そうだ。……アリーシャのことだ」

 モードレッドは頬を緩ませた。

「良い名前だな。アイツも気に入ったみたいだ。オレもそう呼ぶ事にするぜ」
「……わたしはどうなったの?」
「ギルガメッシュに首を刎ねられる直前、この世界に引き摺り込んだ。外の戦闘が終わったら、直ぐに解放してやるよ」
「外の戦闘って……、アリーシャが戦ってるの?」

 先刻の戦いで、アリーシャはギルガメッシュに手も足も出なかった。
 外の様子を知りたい。一人で戦わせたくない。
 殺されるなら、一緒に殺されてあげたい。

「心配はいらねーよ。今のアイツに勝てる人間は一人しかいない。アイツも、せめて真っ当な状態なら相手になったんだがな」
「……どういう意味?」
「それより、お前に話しておきたい事がある」
「ちょっと、はぐらかさないでくれる?」
「はぐらかしてるわけじゃない。アリーシャはそういう存在なんだ。アトラス院の錬金術師がアインツベルンと結託して造り上げた《正義の味方》という名のシステム。|この世全ての悪《じんるい》を滅ぼす為の殺人機構。いずれ、人類悪に至る人造のガイアの怪物。人である限り、アイツには勝てない。まあ、一部の例外を除いてな」
「ガイアの怪物って……」

 話には聞いた事がある。ガイアの抑止力であり、人類種に対する絶対的殺戮権を持つとされる存在。
 たしか、知り合いの話では死徒二十七祖の第一位がソレだと聞いた。

「生前、アイツはアラヤの抑止力に討たれたが、ガイアが拾い上げた。アイツは他のサーヴァントを取り込む事で、己を作り変える事が出来る。今は第二段階だが、最終段階になれば、完全に《霊長の殺人者》として覚醒して、また人類世界を滅亡させる。今の御時世、大抵のヤツがアイツの殺害対象に該当するからな。しかも、今回はガイアのお墨付きだ。今度こそ、人理を完全に破壊して、人類史に終止符を打つだろうな」
「ばっ、馬鹿言わないでよ! あの子がそんな事……ッ」
「ああ、本心から望んでるわけじゃない。だけど、アイツはそういう存在になっちまった」
「なによ、それ……」
 
 嘘だと言って欲しい。もう、十分過ぎる程、彼女は辛い目にあってきた。
 人の都合で産み落とされて、勝手な理由で戦わされて、理不尽な動機で人間を辞めさせられて、その上、また望まない人殺しを強要させられる。
 そんな事、認められる筈がない。

「……リン。お前には二つの選択肢がある」

 モードレッドは言った。

「一つ、衛宮士郎にアリーシャを討伐させる事」
「……なに、言ってんの?」

 怒りで頭がどうにかなりそうだった。そもそも、衛宮くんにアリーシャを殺せるとは到底思えない。

「現に、あの野郎は一度アリーシャを殺してる。要は、衛宮士郎がアリーシャにとって唯一の弱点なんだよ。あの錬金術師はアリーシャの目指す姿として、衛宮士郎をモデルにした。血を取り入れたのも、それが理由だ。己の正義の原典故に、アリーシャはあの野郎の事を否定する事が出来ない。悪と認識する事が出来なくて、力を振るえなくなる。だから、衛宮士郎ならアリーシャを簡単に討伐する事が出来るわけだ」
「……巫山戯んな!! そんな事、させるわけないでしょ!! あの子をまた父親に殺させるなんて……、そんな事!!」
「だが、人類史を救う為にはそれ以外の方法がない」
「なっ……」

 突きつけられた選択肢に、わたしの体は震えた。
 モードレッドの言う事が真実なら、彼女を衛宮くんに殺させなければ人類が滅ぶ。
 だけど、それはアリーシャを裏切る事。孤独のまま、終わらぬ地獄に戻す事。また、父親に殺される絶望を味合わせる事。

「……なあ、リン」

 モードレッドは言った。

「それでも、アリーシャを救いたいと思うか?」
「当たり前でしょ!!」

 涙が溢れ出した。あの子を救いたい。もう、あんな地獄に送り返したくない。
 たとえ、それで人類の歴史が終止符を打つとしても、それでも……、

「なら、アイツの為に地獄の底まで付き合えるか?」
「……そこに、あの子の救いがあるなら」

 その答えに、モードレッドは大口を開けて笑った。

「なっ、なによ、バカにしてるの!?」
「あ? ちげーよ。逆だ! あの野郎の言ってた通りだな、お前」

 そう、モードレッドは嬉しそうに言った。

「あの野郎って……?」
「アリーシャの親父だ。あの野郎はアリーシャを殺す時、万に一つにも満たない可能性に賭けた。『オレには出来なかった。だけど、彼女なら……』って、あのペンダントをアリーシャに持たせた」

 脳裏にアリーシャの身に着けている紅い装束が浮かぶ。アレに隠されていた、この世に二つと無い筈の赤いペンダント。

「まさか……、わたしに召喚される可能性に賭けたって言うの?」
「……ああ、情けない話だけどな。オレにも、あの野郎にもアリーシャを救う事は出来なかった。だけど、だけどな! お前なら……、アイツを救えるかもしれないんだ!」
「どういう……、事?」

 モードレッドはわたしの肩を掴んで言った。

「これは、ほとんど勝ち目のない賭けだ。負ければ、人類史が終止符を打たれる。それでも、お前はアリーシャの為に背負えるか!?」
「……背負えるわよ。あの子を救うって決めた時から、何もかも犠牲にする覚悟は出来てる!! だから、教えなさい!! わたしは何をすればいいの!?」

 モードレッドは言った。
 アリーシャを救う為の、たった一つの道筋。
 もはや、賭けが成立していないほど、理不尽な難易度だ。
 それでも、わたしは人類史よりも、あの子の救いを選んだ。

「これで、お前も共犯だ。地獄の底までついて来てもらうぜ、リン」

 叛逆の騎士と謳われた英雄が手を伸ばす。
 わたしはその手を力強く握り締めた。
 
「……ええ、わかっているわ。これで、わたしも立派な人類に対する反逆者ね」

 はじめは遠坂家の悲願である聖杯を求めて参加した戦い。
 だけど、蓋を開けてみれば、召喚したサーヴァントに振り回されっぱなしの毎日。
 それでも、振り返った日々をわたしは尊いものと感じている。
 確実に人類を救える道に背を向けて、父や先祖に背を向けて、この時の為に研鑽を重ねていた過去の己に背を向けて、勝ち目の薄い戦いに挑む。

 ――――これがわたしの聖杯戦争。

 わたしにだって、自分の命より大切なものがある。
 この世界の全てを敵に回してでも、守りたいモノがある。

 ◇

 ギルガメッシュは、掴んでいた少女の消失と、目の前のサーヴァントの異変を察知して、顔を顰めた。

「……愚かな。これで、貴様は哀れな娘ではなく、滅ぼされるべき災厄に成り果てた。もはや、貴様に与える慈悲は無い。我が全霊を持って滅ぼすとしよう」

 それは、最強の英霊が慢心を捨て、すべての力を解き放つ決意を固めた事を意味する言葉。
 サーヴァントという仮初の肉体を得て、一時の遊興に耽るのも悪くなかった。だが、コレが現れた以上、是非もない。
 嘗て、彼は超越者として世界に君臨していた。神々が人の世を裁定する為に地へ使わせた者、それが英雄王・ギルガメッシュ。
 宝物庫の扉を最大まで展開し、秘奥を握る。たとえ、この地を灰燼に帰す事になったとしても構わない。

「肉片一つ残らず滅ぼし尽くしてくれよう」

 彼が振り上げたそれは、英雄王・ギルガメッシュが持つ宝具の中でも別格である。元々の銘は無く、彼は便宜上、|乖離剣《エア》と呼んでいる。
 無銘にして最強の剣。円柱状の刀身を持つ、剣としては歪な形をしたソレは、星を生み出した力そのもの。
 あまねく生命が遺伝子に刻む、世界を破壊し、世界を創った原初の存在。一度振るえば、現世に地獄を現出させる神造兵器。

「さあ、|乖離剣《エア》よ。目覚めの時だ」

 主人の命に従い、乖離剣は軋みをあげる。誰が知ろう。これこそが、あまねく死の国の原典。生命の記憶の原初。
 ソレが齎すはあらゆる生命の存在を許さぬ地獄のみ。

「いざ仰げ! 《|天地乖離す開闢の星《エヌマ・エリシュ》》を!!」

 乖離剣が唸りを上げる。空気が……否、空間そのものが悲鳴を上げる。
 異変に気付いた冬木の人々が見たものは、天と地の始まりの光景。
 これが、|天地乖離す開闢の星《エヌマ・エリシュ》。上にある天が名付けられておらず、下にある地にもまた名が無かった時代。この世を構成する全てが母なる混沌より生まれ出でる前。水が混ざり合い、野は形が無く、神々すら生まれぬ原初の光景。
 滅びであり、創造。驚天動地の力。これが人類最古の英雄王の真の力。この宝具を評価出来る存在など天上天下に一人として存在しない。
 故にランクは|評価規格外《EX》。如何なる英雄だろうと、世界そのものに勝てる道理無し。その世界すら滅ぼす光に抗える道理無し。

「……無駄だよ」

 だが、その光が彼女に届く事はなかった。
 なにが起きたのか、それを理解した時、すでにギルガメッシュは致命傷を受けていた。

「――――貴様、既にそこま、ガッ」

 苦し紛れに飛んできた宝剣宝槍を躱し、アリーシャはトドメとばかりにギルガメッシュの首を刎ねた。
 消滅した彼の魂を取り込み、更に力を強める彼女の前に凛が現れた。

「……アリーシャ。終わったのね」

 ――――目標達成。感情の一部封印を解除。
 ――――霊基再臨中断。第三段階への移行に失敗。《単独顕現》、《嗤う鉄心》の復元失敗。

「……うん、終わったよ」

 少女は思う。この世界を敵に回しても、この少女の事だけは守ってみせよう、と。
 少女は思う。この世界を敵に回しても、この少女の事を救ってみせよう、と。
 
「帰りましょう。夕飯、何を作る?」
「……うーん、肉じゃが!」
「渋いわね……。まあ、いっか。じゃあ、帰りに商店街に寄りましょう」
「うん!」

 二人は歩いて行く。そこから先が地獄である事を知りながら、それでも前を向いて――――。

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