第二十二話『幕間』
赤い瞳に魅入られた。手足の感覚が無くなっている。
「イリヤスフィール!?」
異変に気付いたセイバーが殺気を向けると、イリヤは言った。
「これはシロウのためよ。今のシロウには足りないものが多過ぎる。だから、わたしが補ってあげるの」
「補うって……、あっ」
セイバーは何かを察したらしい。何故か、頬が赤い。
「……あの、大丈夫なのですか?」
セイバーが心配そうに問い掛けている。
「どうかな。知識はあるけど、実践するのは初めてだもの。だけど……、うん。シロウが相手なら、痛くても大丈夫」
何が大丈夫なのか教えて欲しい。イリヤが俺の頬に触れると、ビリッとした感触と共に視界が途切れた。
意識は継続しているのに、何も感じる事が出来ない。完全な闇の中、強烈な閉塞感にパニックを起こしかけた。
急に、白い光が飛び込んできた。
体が熱い。五感が戻って来た。だけど、手足はいくら力を篭めても動かない。
「……シロウ」
イリヤの声が聞こえた。随分と近い。
視線が真上に固定されているせいで、彼女を探す事が出来ない。
せめて、音で状況を分析しようと、耳を澄ませてみる。すると、聞こえてきたのは衣が擦れる音と、何かが床に落ちる音。
何が起きているのか、さっぱり分からない。
「シロウ」
イリヤが視界の中に現れた。
彼女は……、何も身に着けていなかった。
「……戸惑ってる? 大丈夫だよ。シロウはジッとしてるだけでいいの」
全然、大丈夫じゃない。イリヤが手を伸ばすと、まるで直に触れられたような感触が走った。
おかしい。俺は服を着ている筈だ。
「それじゃあ、始めようか」
何を始める気なのか、どうか教えてほしい。
「うん。まずは……、キスからだよね」
彼女の顔が近付いてくる。
なんとなく、嫌な予感がした。これから、なにか、とても大変な事が起きてしまう気がした。
そして、俺はイリヤと……、
――――拝啓、親父殿。もう……、正義の味方になれないかもしれません。
◇
終わった後、シロウは真っ白になって、部屋の片隅で蹲ってしまった。
思っていたより痛かったけど、最終的には上手くいったと思う。
「えーっと、終わったのですか?」
リズに呼びに行かせたセイバーが入って来た。ベッドを一瞥して、真っ赤になりながら問い掛けてくる。
「ええ、バッチリよ。たしかに、わたしとシロウの間でパスが通ったわ。これで、いろいろと出来る事が増えた筈」
「そうですか……。シロウ、大丈夫ですか?」
「……俺は、……俺は、最低だ……」
シロウはブツブツと独り言を呟いている。その態度にカチンときた。
「もう、シロウ! わたし、がんばったんだよ! 一言くらい、褒めてくれてもいいじゃない!」
「……俺ってヤツは」
まるで聞いていない。
「落ち着いて下さい、イリヤスフィール。さすがに、仕方のない事かと……」
頬を膨らませると、セイバーがやんわりと言った。
「まったくもう! それより、セイバーの方はどう? わたしの魔力が流れ込んでいる筈だけど」
「ええ、以前とは比べ物にならない量です。この分なら、わたしも全力を出す事が出来そうです」
言葉通り、彼女のステータスが軒並みAランク以上に上昇している。
「なら、後は切り札ね」
「切り札……、ですか?」
「してる最中に確認したけど、やっぱり、シロウの中には聖剣の鞘が埋め込まれていたわ」
「鞘……、まさか、《|全て遠き理想郷《アヴァロン》》ですか!?」
「そうよ。きっと、キリツグが埋め込んだのよ。元々、前回の聖杯戦争でキリツグにあなたを召喚させる為に、アインツベルンがコンウォールから発掘したもの。シロウがあなたを召喚した時点で、身近な所に保管されているとは思っていたの。だけど、探してみても無いから、もしかしたらって」
「なるほど……」
聖剣の鞘。アーサー王の助言者であった|花の魔術師《マーリン》は、聖剣よりも、むしろ鞘を大切にするよう、王に忠告した。
担い手をあらゆる災厄から守る魔法の鞘。それは紛れもなく、セイバーの切り札になる。
「……問題は、シロウのメンタルですね」
「まったく、シロウにも困ったものね」
シロウは亀のように頭を抱えて丸くなっている。
三人掛かりでシロウを説得して、なんとか持ち直した頃には夜になってしまった。
やる事がまだまだたくさんあるのに、困った子ね!
◆
賑やかな喧騒を掻き分けて、わたしはアリーシャと一緒に遊び歩いた。
冬木の観光スポットを見て回ったり、海浜公園でお弁当を食べたり、ゲームセンターというものにも、初めて入った。
わたしは機械が苦手だ。だから、ここに来る事は生涯ありえないと思っていた。
「ねえ、リン! 二人でプリクラ撮ろうよ!」
アリーシャは初めて触るものを何でも巧みに操る事が出来た。
プリクラという小さな写真を、前に買ったお揃いのアクセサリーに貼り付ける。
「次は音ゲーやろうよ!」
初めての事ばかりで、戸惑いも多い。だけど、楽しくてしかたがない。
わたしは魔術師だから、今までは他の人との間に一線を引いていた。だから、本当の意味で友達と言える人間は、誰もいなかった。
普通に友達と遊んでいるクラスメイトが羨ましくなかったと言えば、嘘になる。だけど、そういう幸せは、わたしじゃなくて、今は赤の他人になってしまった妹にって、そう思っていた。
「アリーシャ。負けないわよ!」
「かかってこーい!」
対戦型の音ゲーで遊んだ後は、射撃ゲームに興じた。
時間を忘れて楽しみ、気がつけば夕方になっていた。
「今日も楽しかったね!」
「そうね! さーて、夕食の材料を買いに行きましょう!」
「うん! 今日は何にするの?」
「鍋物なんてどう?」
「最高!」
今日一日は何事もなく終わった。
いずれ、敵がやって来る。それが、キャスターなのか、衛宮くんなのか、それは分からない。
だけど、その時が来るまでは精一杯楽しもう。
それが、今のわたしに出来る事。
これが、わたしが彼女を救う為の道筋。
絶対、この日々を絶望で終わらせたりしない。
◆
――――実に心踊る展開だ。
何もしなければ、人類は終末を迎える事さえなく淘汰される。
遠坂凛が召喚したサーヴァントは、そういうモノだ。あれは人の皮を被り、人を真似ているだけの獣であり、その在り方を世界に肯定されたモノ。
「文明より生まれながら、文明を滅ぼす魔性。人間が、自ら産み出した災厄。人類の自滅機構。それがアレの正体だ」
目の前の女の表情が歪む。
「……冗談でしょ?」
「ああ、冗談だ。そう言えば、君は満足するのかね?」
「黙りなさい! 貴方、これがどういう事か、分かっているの!?」
「分かっているとも。人類の破滅は秒読み段階に入っている。ガイアが動く事はない。それは、ガイアに属するギルガメッシュが敗北を見れば明白だ。アレは彼女の存在を肯定している」
そもそも、ガイアは星を守る為の抑止力だ。星にとっては無害な彼女の所業を阻む動機がアレには無い。
彼女が牙を剥く対象は、人類が重ねてきた罪業。|救世主《メシア》が持ち去った七罪とは別の、知恵を持つモノ故の|性《さが》。全人類が等しく内包しているであろう、大いなる悪。
ある意味で、彼女のソレは救済を意味している。
「……何故、笑っていられるの?」
「おかしな事を聞く。人が己の産み出した業によって焼き尽くされるのだ。これほど愉快な事も、そうはあるまい」
「他人事……って、雰囲気でも無いわね」
顔を顰めて、女は言った。
「言峰綺礼。情報提供には感謝します。これは、わたしでは手に入れる事が出来なかったもの。……まだ、打つ手は残っている」
そう言って、女は姿を消した。
「ああ、存分に足掻くといい」
その分だけ、絶望は深くなっていく。