第九話『鮮血神殿』

第九話『鮮血神殿』

 ――――それは困ります。

 目眩がした。猛烈な吐き気に襲われて、地面に転がる。
 頭でも切ったのか、見開いた眼球に赤いベールがかかっている。

「なんだ、これ……」

 体が燃えるように熱い。

「気をしっかり持って下さい、シロウ!」

 セイバーの声だ。顔をあげると、意識が急にクリアになった。その代わり、変わり果てた学校に唖然となった。
 天を見上げた先には巨大な瞳が浮かび、世界は赤一色に染め上げられている。
 考えるまでもない。遠坂が口にしていた結界が発動したのだ。

「準備段階じゃなかったのか?」
「……おそらく、破壊されるよりは、と言ったところでしょう」
「監視されてたって事かしら……」

 遠坂が険しい表情を浮かべながら周囲を見渡している。

「アリーシャ。確認するけど、まだ壊せる?」
「……ごめん。発動前なら壊せた筈だけど、今は無理みたい」
「仕方ないわ。未完成の状態でコレだもの。たぶん、魔法の一歩手前まで踏み込んでる」
「魔法の一歩手前って、そこまでなのか!?」

 現代の技術では到達不可能な奇跡。魔道に生きる者の一つの到達点。それが魔法だ。
 その為だけに何代の世代を重ねる一族まであると言う。それに匹敵する大魔術。
 内と外を赤で分ける壁を見上げて、言葉を失った。

「アリーシャ。サーヴァントの気配はある?」
「ちょっと待ってて」

 アリーシャの瞳に魔力が宿る。

「……いない」

 その解答に遠坂は舌を打った。

「サーヴァントにしろ、マスターにしろ、これでハッキリわかったわ」

 その声には明確な殺意が宿っていた。

「衛宮くん」
「なっ、なんだ?」

 その瞳のあまりの冷たさに息を呑む。

「わたしはこの結界を張ったヤツを決して許さない。見つけ出したら、殺すわ」
「それは……」
「悪いけど、これは譲れない。わたしの方から申し出た事だけど、異論があるなら同盟はここで終わり。この結界は内部の人間を融解させて、魔力に還元するっていうとびっきり悪辣なモノなのよ。要は、結界内の人間を自らの糧にする為に皆殺しにする為の屠殺機構。人間を家畜同然に思っている外道以下の畜生の所業よ」
「人間を……、家畜同然に……」
「わたし達は魔術師だから無事だけど、今頃は弓道部のみんなも生命力を抜き取られて昏睡している筈。敵が姿を見せず、結界を解除する手段が無い以上……」

 彼女の言葉を理解した瞬間、脳裏に藤ねえや桜、美綴の顔が浮かんだ。他にも弓道部のみんなや、休日返上で練習に励んでいる他の部活の生徒達、その指導や管理の為に勤務に励んでいる教師達の姿が浮かんでは消えていく。
 この結界をどうにかしないと、みんなが死ぬ。だけど、その手段がない。
 
「そんな……」

 甘かった。まさか、ここまでするヤツがいるなんて思わなかった。
 
「……とりあえず、今は脱出の手段を探しましょう。可能なら、一人でも多く、外に出すわよ」
「一人でもって……」
「全員は無理よ。何処に誰が何人いるかもわからない。魔術師でもない普通の人間がこの結界内でどれだけの時間、生きていられるかも分からない」
「そんな……、でも!」
「迷ってる時間なんて無いの! 一秒でも早く動かなきゃ、助けられる人間も助けられなくなるわよ!?」

 何度目だろう。まだ、大丈夫。まだ、何とかなる。まだ、諦めなくていい。
 そんな甘い考えをたった一日の間になんども砕かれた。
 それでも尚、縋ろうとして、また……、

「リン。わたしが転移で結界の内と外を往復するっていうのは?」
「さすがに何往復も出来る魔力はないわ。いくら、貴女の転移の燃費が良くてもね」
「……ねえ、セイバー」

 アリーシャは少し考えてからセイバーに声を掛けた。

「なんだ?」
「この結界に穴は空けられる?」

 少し迷った後にセイバーが答えた。

「……大きさにもよるが、可能だ」
「なら、たぶんいける」

 その言葉に俯かせていた頭を上げた。

「助けられるのか!?」
「どうするつもり!?」

 俺と遠坂の声が重なる。

「説明はあと! とにかく、時間が惜しい! セイバー、頼むよ!」
「ああ、それで罪無き人々を救えるのなら是非もない」

 セイバーは俺を見た。

「マスター。おそらく、これをやれば私の真名が他のマスターに露見する事になる。それでも構いませんね?」
「ああ、当然だ」

 俺はアリーシャを見た。

「頼むぞ、アリーシャ」
「任せておいて」

 頭を切り替える。今は彼女をサポートする事に集中しよう。

「まずは結界の境界に向かいましょう」

 セイバーが先導する。あっという間に校門の前までやって来た。

「穴を穿った後はどうする?」
「少しでも長く維持して」
「……分かった」
「わたしがサポートするわ」

 セイバーが不可視の剣を掲げると、遠坂もポケットから宝石を取り出した。それぞれに高純度の魔力が宿っている。おそらく、それが彼女の魔術礼装なのだろう。
 
「風よ……、穿て!!」

 途端、嵐が巻き起こった。
 吹き荒れる風はセイバーを中心に……否、彼女の握る剣から発せられている。
 強大な魔力を帯びた風が鮮血の結界を穿ち、歪ませていく。
 だが、俺の目は彼女の剣に縫い止められていた。封が解かれた剣は黄金の輝きを宿している。
 彼女は言った。

 ――――私の真名が他のマスターに露見する事になる。

 その通りだろう。彼女の聖剣を見た瞬間、誰もが理解した。
 これこそ、あまねく聖剣のトップに位置する剣。星の光を束ねて鍛え上げられた至高。
 
「穴は空けたぞ、アリーシャ!!」
「後は任せて!」

 その声に漸く意識を聖剣から切り離す事が出来た。
 そして、あり得ない光景が目の前に広がった。

 ◇

 余計な思考は省く。意識するのは結果のみ。必要なモノは時間。

 ――――必要情報の検索を開始。
 ――――遺伝情報より、衛宮家の魔術刻印を復元。
 ――――『|固有時制御《タイムアルター》』の魔術理論を展開。
 ――――術式に記述を追加。 

 少しずつ、わたしの内側が変質していく。いつもと少し違う。今回のコレは少しだけど過程を挟んだ。
 どうでもいい。今、必要な事は人命救助。

「時よ……」

 セイバーの風に舞い上げられた葉がユラユラと落ちてくる。
 その速度が少しずつ遅くなり、やがて……、空中で停止した。振り返れば、リンやシロウ、セイバーまで固まっている。
 わたしは走り始めた。まずは一番近い|校庭《グラウンド》へ向かう。
 一人一人を運んでいては、とてもじゃないが時間が足りない。倒れ伏した陸上部員や球児達を次々に校門へ向かって投げ飛ばしていく。
 手元を離れた瞬間に静止するが、問題ない。 

「次は弓道場!」

 弓道部員達は全員が屋内にいた。

「悪いけど、天井を壊すよ!」

 ――――必要情報の検索を開始。
 ――――固有結界『|無限の剣製《アンリミテッド・ブレイド・ワークス》』より、宝具『ヴァジュラ』を選択。

『ああ、完■だ。■回の■■■である■■■■と■■■を■ぜた。あ■は、 コ■に■■を■■きすれば――――』

 耳障りな声が脳裏に響く。

『アイ■■ベ■■の■■■■よ、今■■そ、■■に聖■を――――』

 うるさい、黙れ! 今は一分一秒を争っている最中だ!

「ヴァジュラ!!」

 雷鳴が轟く。ヴァジュラが天井をのんびりと破壊している間、弓道部員達に投げ飛ばしやすいように並べる。
 下手をすると粉々になるから、持ち運ぶ時は魔力で保護しながら丁寧に……。
 弓道部を全員投げ飛ばしたら、次は校舎の中だ。 
 意外と言うべきか、面倒と言うべきか、この学校の生徒達は実に真面目だ。予想以上の人数が校内にいた。
 窓を外して、そこからどんどん飛ばしていく。

「職員室は……」
 
 これまた大人数がたむろしていた。
 幸か不幸か、窓が校門の方を向いているおかげで学校を破壊しなくて済んでいる。
 次々に教師達を投げ飛ばしたら、今度は用務員室。その次は体育館。その次は体育倉庫でイチャツイていたのだろうバカップル。
 そろそろ時間が無くなってきた頃、どうにか校内の全員を投げ飛ばす事が出来た。

「さーて、仕上げね」

 校門に戻ってきて、加速を緩める。
 見事、セイバーの空けた穴の先へ向かって順番に降り注ぐ生徒や教師達を外で待ち構えて次々にキャッチしていく。結界のせいで弱っている相手に乱暴過ぎるかもしれないけれど、他に方法がないから勘弁してもらおう。
 全員をキャッチし終えた後、驚愕の表情を浮かべているリン達も外へ運んでいく。
 全てが終わると、丁度魔力が底を尽いた。

「アリーシャ……、アンタ」

 リンが怖い顔をしている。だけど、もう限界だ。

「……あとの事は任せるよ」

 そのままわたしは意識を失った。

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