第七話『コンタクト』
「――――覚悟は決まりましたか?」
朝食を終えた後、セイバーがそう切り出した。
士郎はすぐに応える事が出来なくて、気まずそうに視線を落とす。
その姿を見て、セイバーは溜息を零す。
「シロウ。貴方の迷いは正しいものだ。どう言い繕っても、人を殺す事は悪であり、出来る事なら穏便に事態を収めたいと願う事は善です。それが平時における倫理のあるべき姿であり、理想です」
セイバーの言葉に士郎はパッと顔を上げた。
「……ですが、聖杯戦争は……いえ、戦争とはそもそも倫理の及ばぬ場所にあるモノだ。両者共に掲げる正義があり、両者共に背負う悪がある。善悪が入り乱れる矛盾の坩堝。その中で意志を通すのなら、貴方も悪を背負わなければならない」
「俺は……」
悔しそうに拳を握りしめる少年を見て、セイバーは目を細めた。
「……貴方は聖杯戦争から降りるべきだ」
「なっ……」
「聖杯戦争は人でなし同士の潰し合いだ。誰も彼も、己の欲望の為に他者を踏み躙る外道ばかり。私も同様です」
セイバーは言った。
「貴方は善良だ。このような戦いに関わるべきではない」
「馬鹿言うな! 俺が降りても、戦いは続くんだぞ!?」
「……なら、貴方はどうするつもりなんですか? 敵であるマスターとサーヴァントを倒す事さえ躊躇い、どうやって戦いを止めるつもりなのですか?」
「だから……、話し合えばいいじゃないか! 同じ人間なんだぞ!」
「言ったではありませんか! 話が通じる相手ではないと! 人間同士だから会話が成り立つなど、戦場では世迷い言も同然だ!」
「そんなの分からないだろ!」
「分かります! ……なんども……、なんども経験しました」
「経験って……」
セイバーは自分が苛立っている事に気付いていた。この少年はまだ夢見る乙女だった頃の自分と同じだ。
正しい事が善であり、善は何よりも尊重され、その果てに理想の世界が広がっている。そう信じていた頃の己がいる。
間違っているなどと糾弾したいわけではない。出来る事なら、彼の意志を尊重してあげたいと思う。招かれざる客は自分達の方だとも自覚している。
それでも……、
「ケダモノに話など通じません」
「……そんな事は」
「もし、貴方の言葉が通じているのなら、私は諸手を挙げて貴方に賛同している筈でしょう?」
セイバーの言葉に士郎は愕然とした表情を浮かべた。
「ほら、自分のパートナーとさえ会話が成立していない」
「……セイバーは誰かを殺してでも願いを叶えたいのか?」
「そうですよ。私はこの聖杯戦争がどういう性質のものか理解した上で召喚に応じている。敵を殺し尽くして、聖杯に手を伸ばす。その為にここにいるのです」
士郎は悲しそうな表情を浮かべた。誰とでも分かり合えると主張した相手とさえ分かり合えていない。
分かっていた事だ。彼女の言葉は何から何まで正しい。この戦いを止めたければ、敵を倒す以外に手段は無い。
自分の|意志《せいぎ》を通すためには悪を背負う覚悟がいる。
――――正義の味方っていうのは、とんでもないエゴイストなんだ。
嘗て、切嗣が口にした言葉を思い出す。
結局、正義の味方は味方をした方の人しか守れない。味方をしなかった方の人にとっては……。
「でも、だけど……」
「シロウ……」
その時だった。急にけたたましいベルの音が廊下の方から響いてきた。
「電話か……」
重く感じる体に鞭を打って立ち上がる。電話の相手は藤ねえだった。どうやら、弁当を忘れたらしい。急いで作って持って来いとのお達しだ。
彼女の元気な声に少しだけ救われた。
「……唐揚げか」
リクエストされた唐揚げを作る為に台所へ向かう。
セイバーの顔は見れなかった……。
「確か鶏肉はあったよな……」
冷蔵庫を開けてみる。
「よし、あった!」
取り出したもも肉を一口サイズに切っていく。塩コショウを振って、うま味調味料を一匙分。
よく揉んだ後にお酒、醤油、すりおろし生姜、ニンニクを入れる。
もう一度揉み込んだ後に隠し味として卵と一味を加える。
「片栗粉と小麦粉と水を加えてっと」
無心に料理をしていると頭の中のもやもやが少し晴れた気がする。
「あんまり待たせると文句言われるし……」
とりあえず、三十分程度置いたら揚げてしまおう。
ラップをして、冷蔵庫に入れる。
振り向いたらセイバーがいた。
「ど、どうした?」
「……その、何を作っているのか気になったもので」
少し頬が赤い。照れているようだ。そう言えば、今朝の朝食をなんどもおかわりしていた。
見た目より食欲旺盛なのかもしれない。
「唐揚げだよ」
「カラアゲ……、ですか?」
「ああ、三十分くらい置いたら油で揚げるんだ。完成したら、セイバーにも食べて欲しい」
「……あ、ありがとうございます」
ああ、なんだ。難しく考える必要はなかったんだ。
士郎はセイバーを見ながら思った。たしかに、一つの方向から見ただけで他人を理解する事なんて出来ない。本当に相手の事を知りたいのなら、もっと多方面から見るべきだ。
凛々しくて、綺麗なセイバー。欲望の為に戦うセイバー。食欲が旺盛なセイバー。
少しずつ、わかって来た。もっと知って、もっと話して、もっと一緒にいれば、今は無理でも、いつか分かり合える気がする。
料理と同じだ。理想的な料理を作るためには相応に複雑な工程がある。
難しくて当たり前だ。だから、諦めたり、意固地になったりする必要はないんだ。
「セイバー」
彼女にも知ってもらおう。一方通行では意味がない。互いに互いを知って、少しずつ歩み寄っていこう。
「あとで学校に行くんだ。一緒に行かないか?」
「ええ、構いません。元より、外出の時は同行するつもりでしたから」
一歩ずつでいい。セイバーだって、正しいと認めてくれた。なら、分かり合えない筈がない。
自分なりに歩んでいこう。
士郎は決意を固めながら、第一歩として唐揚げを揚げ始めた。セイバーには大好評だった。
「ちなみに、夜にはもっと味が染み込んで美味しくなってるぞ」
「なんと!?」
案外、セイバーと分かり合える日は近いかもしれない。
◇
お昼過ぎ、わたしはアリーシャを連れて学校に来た。
色々とごたつきはあったけれど、最終的な方針は変わらない。この学校に仕掛けられた結界の主に相応の報いを受けさせる。
「……とりあえず、先に結界を破壊するわよ。出来るのよね?」
「うん」
アリーシャは瞼を閉じた。
「……こっち」
アリーシャの後を追いかける。
「どこに行くの?」
「中心部」
アリーシャの眼は特殊だ。千里眼のスキルについて文献を調べたところ、ある一定のランクを超えたソレは透視や未来視すら可能とするらしい。
ランクBのアリーシャの瞳にはわたしが視ている世界と違うモノが映っている筈だ。
「……あれ?」
「どうしたの?」
突然、アリーシャが足を止めた。近くにある弓道場から賑やかな声が聞こえる。
彼女の瞳は真っ直ぐに弓道場を向いていた。
「……リン。あそこに何かいる」
「まさか、サーヴァント!?」
どうやら、弓道部は休日を返上して練習に励んでいるようだ。
額から冷たい汗が流れる。よりにもよって、あの場所に……。
「中の様子は?」
「詳しくは分からないけど、特に暴れまわっている様子は無いみたい。……っと、相手もこっちに気付いたみたい」
弓道場の扉が開く。中から出てきたのは小柄な少女だった。
着ている服は男物で、なんだかチグハグに感じる。
「アリーシャ?」
「うん。彼女はサーヴァントだ」
アリーシャの言葉と共に少女の表情が険しくなる。
「……よもや、白昼堂々と仕掛けてくるとはな」
「早合点しないでちょうだい。わたし達はたまたま通り掛かっただけよ」
「たまたま……? 今日は休日だと聞いているぞ」
「知ってるわよ。わたしはここの生徒だもの」
とりあえず、話が通じない相手では無かったようだ。
「一応、確認するわ。ここの結界を張ったのは貴女?」
「……結界。ああ、なるほどな。淀んでいるとは思ったが……」
その時だった。弓道場からもう一人出て来た。
「おーい、セイバー。どうしたんだ? って、遠坂?」
「え、衛宮くん!?」
名前は衛宮士郎。わたしは彼の事をそれなりに知っていた。
「……ふーん。衛宮くんがセイバーのマスターなんだ」
「マスターって、どうして!?」
「どうしてって……」
とりあえず、マスターという言葉に反応した時点でクロ決定。
「シロウ。彼女もマスターです」
「遠坂が!?」
本気で驚いているみたい。演技の可能性もあるけど、そこまで器用なタイプにも見えない。
「……あっ」
さて、どう切り出したものかと悩んでいると、アリーシャが急に衛宮くんの真横に現れた。
あまりにも突然の事にわたしは咄嗟に動く事が出来なかった。
セイバーも咄嗟に動き出したけれど、アリーシャが衛宮くんに危害を加えるつもりなら間に合わない。
「待ちなさい――――、」
まさか、躊躇いなくマスターを狙うとは思わなかった。
たしかに、それは聖杯戦争において、セオリーとも言うべき常勝戦略。なぜなら、人間であるマスターではサーヴァントに決して勝つことが出来ないからだ。
とは言え、このまま衛宮くんを殺させるわけにはいかない。ここでは目撃者が多過ぎるし、なにより、彼はあの子の……、
「――――アリー」
「生まれる前から好きでした!!」
「シャ……って、え?」
令呪へ注いでいた魔力が霧散する。
――――今、アリーシャはナンテ言った?
セイバーも硬直している。衛宮くんは口をポカンと開けている。
アリーシャは衛宮くんの右手を両手で包み込んで、熱い眼差しを向けている。
「好きです!!」
思考がフリーズした。
わたし達が凍りついていると、弓道場からどんどん人が出て来る。
「おいおい、衛宮! アンタ、道場の前で何をしてんの!?」
わたしの数少ない友人である美綴綾子が呆気にとられた表情を浮かべている。
「ちょっ、ちょっと、士郎!? どういう事!? パツキン美少女を連れてきたと思ったら、赤髪美少女に告白されるって、いつからギャルゲーの主人公になっちゃったの!?」
「ギャルゲーって、藤村先生!?」
「いや、マジでスゲーな衛宮!」
「ああっ、間桐さんが固まってる!?」
「さすが衛宮先輩! 俺達に出来ない事を平然とやってのける! そこにシビれる! あこがれるゥ!!」
「いや、衛宮くんは告白されてる方だから……。でも、面白くなってきたー!」
「嘘だろ、衛宮! 間桐だけでも羨ましいのに、外人二人を加えたハーレムだと!?」
「ちょっ、いい加減にしてよ! 間桐さんは秘密のつもりなんだから!」
「いや、気付いてないの衛宮くんだけだし……」
「っていうか、遠坂さんだ! やっほー!」
「そこでいきなり平常運転に戻らないでください、藤村先生!」
「いい加減、収拾つかなくなって来たな」
「あー、腹減ったー。先生に弁当半分持ってかれたからシンドいんだけどー」
「今のうちに先輩が持ってきた先生用の弁当を食べちゃえば?」
「うおい! 聞こえてるぞー!!」
「ギャー、タイガーが怒ったぞー!」
「その首、へし折ったろうか―!!」
「ねえ、そろそろ練習続けない? っていうか、先輩もそういう事は人のいない所でやって下さいよ!」
「衛宮め……。くそっ、羨ましい……」
「……先輩」
「おーい、間桐が復活したぞ!」
「だから、イジろうとするな!」
うーん、混沌としている。さすがは藤村先生の受け持っている部活。
とりあえず、蚊帳の外で困惑しているセイバーに視線を向ける。
さすがに抜け目がない。セイバーは呆気にとられつつも、いざとなれば一足でアリーシャに斬り掛かれる距離まで移動していた。
彼女が動かない理由は周囲に人が多過ぎる事。だけど、アリーシャが行動を起こせば目撃者に構わず動くだろう。
周囲の混乱も鎮まってきている。わたしは放心状態の衛宮くんの手を未だに握り続けているパートナーに声を掛けた。
「アリーシャ!」
「……っと、リン? どうしたの?」
「どうしたの? じゃない! 貴女こそ、何をしているの?」
「何をって……」
アリーシャは衛宮くんを見つめた。蕩けるような表情を浮かべている。
「愛の告白」
「……それ、本気?」
「本気だもん!」
プクーっと頬を膨らませて可愛く怒るアリーシャにわたしは頭を抱えた。
「愛の告白って、貴女、衛宮くんとは初対面でしょ?」
「……だと思うけど」
「まさか、一目惚れなんて言わないわよね?」
アリーシャは黙ってしまった。顔が赤い。
まさか、本当に一目惚れをしたとでも言うのだろうか?
衛宮くんの方はと言えば、突然の事に混乱しているみたい。
「……ハァ」
弓道部員達の目がわたしの方に向いている。
とりあえず、このままここに居ても埒が明かない。
「先生」
わたしは藤村先生に声を掛けた。
「は、はい!」
おどおどしている。一度復活したように視えたけれど、やはり混乱が収まっていないみたい。
「この度はわたしのツレが騒動を起こしてしまってすみません」
「ツレって、あそこでいきなり士郎に愛の告白をかました子?」
「ええ、彼女はわたしの遠縁にあたる子なんです。家庭の事情でしばらくの間、彼女をうちで預かる事になりまして、近場を案内していたんです。それで、わたしの学校を見てみたいと言うものですから……」
「そうなんだ。それにしても、随分と大胆な子ねー」
「……お恥ずかしい限りですが、普段はもっと落ち着いた子なんです。とりあえず、これ以上みなさんの練習を邪魔するわけにもいきませんから、わたし達は場所を移しますね」
周囲に有無を言わさず、わたしはアリーシャの手を取った。
「とりあえず、移動するわよ。話はそこで」
衛宮くんにも小声で声を掛ける。
「あっ、ああ、分かった」
騒いでいる弓道部員達を綾子と藤村先生に任せて、人気のない場所へ移動した。
まったく、いきなり愛の告白とか、いったい何を考えているんだか……。