最終話『それぞれの結末』

最終話『それぞれの結末』

 生前、オレには信用出来る仲間も、信頼出来る友も居なかった。居たのはオレの立場を利用しようと企むゴミばかり……。
 フィーネのヤツは大分買い被ってくれているが、オレは思われている以上に内向的な性格だ。誰の事も信じられず、いつも俯いて、鬱屈した事ばかりを考えていた。
 積み重なっていく鬱憤や苛立ちを馬上槍試合などで晴らそうとしても、一時しのぎにしかならなかった。

『いずれ王を倒し、その身が王となるのです』

 いつしか、母上の言葉がオレの中で呪いのように膨れ上がっていた。
 オレは誰よりも優れている。何故なら、オレは王の息子であり、いずれは王となるべき存在なのだから! そう、己を鼓舞する事で泣きそうになる己を慰める事も少なくなかった。
 そんなオレにとって、唯一心を許す事が出来た相手はアグラヴェインだけだった。
 今のオレの性格や口調は彼の素のものを見習った部分が大きい。彼はオレと同じく他の円卓の騎士……、中でもガウェインに対して大きなコンプレックスを抱いていて、その事に強い共感を覚えた。
 彼の傍に居ると、彼の毒舌に勇気付けられた。いつしか、オレは彼を己の心の代弁者と考えるようになっていた。

 ある日の事、母上が殺害された。殺したのは誰あろう、異父兄弟の一人、ガヘリスだった。母上はガヘリスの父を殺害したペリノア王の息子と同衾していたのだ。母上譲りの激情家だったガヘリスにはそれが堪らなく許せなかった。
 オレはガウェインやアグラヴェインと共に事の元凶たるラモラックを追跡した。

『すまなかった。許してくれ……。守ろうとしたのだ』

 ラモラックは母上をガヘリスの手から守れなかった事を嘆き、悔やんでいた。
 正直な話、オレにとって、ガウェイン達の父であるロット王はどうでもいい他人に過ぎなかった。だからこそ、あの母上の心を射止めたラモラックに密かに称賛の想いすら抱いていた。けれど、ガウェイン達の怒りは収まらず、結局、オレ達は奴を嬲り殺しにした。
 それが初めての殺人だった。最初は恐怖のあまり、一晩中涙を流し、胃の中身を床にぶち撒けた。けれど、ある日を境に乗り越え、それから、オレの中で何かが変わった。
 人を殺す事に対しての躊躇が無くなったのだ。聖杯探求に乗じて、オレは徐々に燃え上がる野望の障害となるであろう騎士達を次々に葬った。
 殺した騎士達の中にはディナダンの名もあった。オレが最も忌み嫌い……、同時に恐れた男だ。奴は常に円卓の中心に居た。円卓に不和の根が張られれば、誰よりも早く気付き、独特なユーモアで笑いに変える道化師。騎士達を『友情』という絆で結束させた男。
 奴はオレに刃を向けられても平然と笑っていた。

『貴公の心に蔓延る闇を解き放つ事が出来なかった。それだけが心残りだ。どうか、君が歩む道の果てに救いがある事を祈っているよ』

 巫山戯た男だ。今から殺されるって時に、殺人者を気遣うなど、頭がおかしい。
 オレは恐怖に駆られながら、何度も何度も奴の体を斬りつけた。
 
『……ああ、君にはバラなどより、白百合が似合うというのに』

 今際の際にそう呟き、奴は息絶えた。ディナダンの死は円卓にとって、あまりにも致命的だった。
 ラモラックの死によって、既に不和の根は張り巡らされていた。それを瀬戸際で食い止めていたディナダン亡き後、騎士達の間に亀裂が走った。
 その時だった。アグラヴェインはランスロットとグィネヴィアの不貞の話を持ち掛けて来た。

『王に対する不忠、決して許せるものではない! 共に奴の不貞を暴こう、モードレッド!』

 オレはその時既に、自分がどうして王位にこだわっているのかが分からなくなっていた。ただ、それ以外の事を何も考える事が出来なかった。
 ランスロットとグィネヴィアの不倫現場に乗り込んだ時、オレは屈折した正義感を振り翳すアグラヴェインをランスロットにぶつけた。アグラヴェインはランスロットに殺されたが、その後の展開は思い通りの流れを辿った。
 ランスロットがグィネヴィアを連れてフランスへ逃れ、その後を父上とガウェインが追った。その間にオレは諸外国と密約を交わし、王位簒奪の為に動いた。
 そして、最後の刻を迎えた。

「オレはただ……」

 時折、夢を見る。
 大岩の上に突き刺さった一振りの剣。その前には|魔術師《クソ野郎》が座っていて、一人の少女が剣を引き抜こうとしているのを見守っていた。

『それを手にする前に、キチンと考えたほうがいい』

 恐らく、ソレはオレの中に眠る父上の記憶だったのだろう。
 ホムンクルスはその基となった存在と深い部分で繋がっている。

『それを手にしたが最後、君がヒトでは無くなるのだよ?』

 魔術師の問い掛けに少女はやんわりと笑みを浮かべた。
 魔術師は少女に全てを見せた。その剣を手にすれば、待っているのは最悪の結末だと、ご丁寧にも、少女がその死に至るまでの全てを余すこと無く見せた。
 あまりにも寂しく、虚しい死に様を見せつけた。
 恐ろしくない筈が無い。にも関わらず、少女は首を振る。

『――――いいえ』

 柔らかくも、強い言葉で少女は言った。

『多くの人が笑っていました。それはきっと、間違いではないと思います』

 オレと父上はその在り方があまりにも違っていた。
 それを認める事が怖かった。だから、必死に王位を求めた。父上の在り方に近づきたいと……。

「違う……」

 それだけじゃなかった。
 オレは――――、オレは……、父上の為に何かをしたかった。あの悲しくなる程に細く小さな背中を支えたかった。
 オレはいつも独りぼっちだった。だけど、父上もいつも独りぼっちだったんだ。同じ独りぼっちなら、片方が全てを背負ってしまえばいい。
 誰も愛さず、全てを傷つけようとするオレなんかでも、民を愛し、守ろうとした父上を王位という呪縛から解放する事くらいなら出来る筈だ。
 それが始まりだった。けれど、その結果は――――、

「モードレッド」

 フィーネはオレの独白を最期まで聞いてくれた。

「マーリンの言っていた通りね。アナタはバカよ」
「……ああ、違いない」

 分かっている事を改めて言われただけなのに、それなりに傷ついている自分が嫌になる。
 フィーネの境遇はオレと似ている。本物を目指し、本物を超える為に、人の都合で作られたホムンクルス。
 本物の記憶を有していても、本物ではない。だから、彼女は孤独だ。
 全ての決着がついた後、みんなはそれぞれ日常に戻っていった。
 マーリンやフィーネの策略が功を奏して、父上の犯した所業による死者はサーヴァントだけだった。おかげでお熱い夫婦生活を送れている。
 まさにハッピーエンドだろう。
 イリヤスフィールやマトウサクラまで、マーリンのアフターケアのおかげで元気になり、それなりに楽しそうな日々を送っている。
 だからこそ、悔しくなった。オレの事はどうでもいい。ただ、フィーネが輪の中に入れない事が理解出来なかった。
 イリヤスフィールと同じ記憶を有し、イリヤスフィールと同じ意志を持ちながら、彼女はイリヤスフィールじゃない。大切に思っている少年にとって、彼女は赤の他人であり、イリヤスフィールにとっては後継機というだけの、やはり赤の他人。
 それでも満足だと言う彼女にオレは気付くと自分の身の上話をしていた。

「不器用過ぎるわ。優しい癖に、それを表に出す方法が決定的に間違っている。ええ、アナタに王の座はふさわしくない。アナタが王様になったら、国は瞬く間に滅びてしまうでしょうね」
 
  クスクスと傷口に塩を塗り込むサディスティックなマスターに心が折れそうだ。

「結局、寂しいだけでしょ?」

 フィーネは言った。

「さすが、触媒無しで召喚したわたしのサーヴァントね。すごく、よく似ているわ」

 ここで、彼女はオレと一緒に冬木へ入り込もうとするロクデナシを狩り続けている。折角、マーリンが寿命を人並みにしたと言うのに、人並みの生活を送ろうとしない。
 フィーネは生命を賭けた。彼女がいなければ、この結末は無かった筈だ。なのに、これではあまりにも報われない。
 面倒な事なんて、全部サーヴァントに押し付けてしまえばいいのに……。

「寂しがり屋の癖に、余計な気を遣うのは止しなさい」

 フィーネは少し背伸びをしながらオレを抱きしめた。

「ここでいいのよ。オリジナルには、オリジナルの居場所がある。コピーにも、コピーの居場所がある。寂しがり屋なおばかさんの隣がわたしの居場所。これでも、十分に満足しているのよ」
「……それでいいのかよ」
「本当におばかさんね、モードレッド。何度も繰り返させないでちょうだい。わたしはアナタの隣がいいの」
「マスター……」

 これは幸福というものなのだろう。
 空虚な心を満たしてくれる存在がそばに居てくれる。
 あたたかくて、なんとも心地が良い。

「……ありがとな」

 これが彼女達の結末。これからも二人は影の中で大切な人達の為に戦い続ける。
 思いが届かなくても構わない。隣に孤独を癒やしてくれる友がいる限り、彼女達の心は満たされているのだから――――。

 ◇

 ウェイバー・ベルベットは事後処理に追われていた。
 なにしろ、聖杯大戦で起きた事象は穏便に済ませられる範囲を大きく逸脱している。
 アンリ・マユの顕現。街一つを固有結界内に呑み込む。聖杯の消滅。花の魔術師の降臨。生き残ったサーヴァントの受肉。
 問題はまさに山積み状態だった。望む望まないに限らず、無駄に優秀な弟子が増え続け、おまけに自由奔放なサーヴァントが世界征服に乗り出さないよう半日に一回は説得しなければならず多忙を極めている。
 
「まったく、花の魔術師め」

 それでも、ウェイバーは嬉しそうに頬を緩ませた。
 嘗て、望んでいた日々。偉大なる王と共に世界を見て回る夢が叶いつつ在る。
 今は足元の地盤を固める事で手一杯となっているが、いつの日か……。

「マスター・V! 見て下さいよ! アサシンの話から、彼の生前の名前を突き止めたんです! ハナムっていう名前らしいんですけど、どうしたら彼に伝えられますか!?」
「知らん! 天にでも向かって叫んでみろ! あと、変な渾名で呼ぶな!」

 弟子達も聖杯大戦をくぐり抜けて、いろいろと思う所があったようだ。
 フラットだけではない。ライネスも英国文学の古典を何度も読み漁り、ルヴィアはメキシコに幾度も足を運んでいる。
 バゼット・フラガ・マクレミッツとは連絡が取れていないが、近々執行者を引退するらしいという噂が流れている。
 
「おーい、坊主! そろそろ、世界征服に行かんか?」
「ちょっと、コンビニに行くみたいなノリで世界征服をしに行こうとするな!」

 これが彼らの結末。
 騒がしい日常。サーヴァントを所持している事で、今より更に様々な厄介事が舞い込んでくるようになるが、それはまた別の話。

 ◇

「ほーら、慎太郎! こっち来い!」

 遠坂凛は冬木に戻った。魔術の探求よりも、常に見ていないと危なっかしい仲間を優先した。
 特に妹から目を離す事が出来なかった。
 花の魔術師によって体を癒やされた彼女だけど、心を癒やす為には長い時間が必要となった。
 彼女の産んだ赤ん坊は呑気な表情を浮かべている。

「……しんちゃん。こっちだよ」

 よちよちと歩く赤ん坊に桜は微笑む。
 はじめは憎らしいと思っていた。けれど、その憎しみは長く続かなかった。
 あまりにも無邪気な顔を見ていて、毒気を抜かれたようだ。
 衛宮邸には随分前に一度顔を見せただけで、それ以来、士郎やアルトリアとは会っていない。
 だけど、この分なら昔のようにみんなで笑い合える日が来るだろうと凛は確信した。
 慎太郎。桜が名付けた赤ん坊。その笑顔は徐々に彼女の心を癒やしている。

「……桜。今日は何を食べよっか?」
「今日は中華が食べたい気分です」

 悪くない気分だ。いつか願っていた妹と過ごす日々。幼い頃に戻ったような錯覚を覚える。
 姉妹仲良く、未来有望な赤ん坊と暮らしていく。
 これが彼女達の結末。

 ◆

 台所で少年と少女は肩を並べている。
 一度は失われた光景。藤村大河はイリヤスフィールを抱きかかえながら嬉しそうに見つめていた。
 あの日……、涙を流しながら夜道を歩くアルトリアを最初に見つけたのは彼女だった。
 抱き締めながら、何が起きたのかを教えてもらった。
 
『わたしはシロウを……』

 虚ろな瞳で彼女は叶わぬ望みを口にした。
 死んだ人は生き返らない。それはありえない事なんだ。
 その言葉を口にする事が出来なかった。
 凛と桜が来なくなって、イリヤスフィールも体調を崩すようになった。
 壊れていく少女を守ってあげられる人間は……、もう大河しか残っていなかった。
 彼女が元気を取り戻すまで、大河は学校に休職届けを出して、彼女を見守り続けた。
 だって、彼女は士郎が愛した女の子だ。

「……良かったね、セイバーちゃん」

 一度は戻って来たけれど、すぐにいなくなった。
 偽物だったと彼女は言った。だけど、今度こそ本当に帰ってきた。
 
「……お互い、苦労したわね、タイガ」
「イリヤちゃんほどじゃないよー。みんな、無茶ばっかりするんだもの。お姉ちゃんは不安でいっぱいなんだから!」
 
 ぷんぷんと怒る大河にイリヤは笑う。
 失われていく一方だった筈の運命が変わった。
 死んだ者は蘇り、死に行く者も帰ってきた。
 これが彼女達の結末。

 ◆

「……シロウ」
「なんだ?」

 あれから、一緒に料理を作るようになった。
 セイバーはいろいろと豪快で、だからこそ、教え甲斐がある。
 
「……ごめんなさい。呼んでみただけです」
「そっか」

 セイバーは時折不安そうに俺を見る。まるで、目を離したら遠くへ行ってしまうのではないかと心配しているようだ。
 だから、安心させる為に彼女の手をとる。

「卵をかき混ぜる時は横に切るようにやるんだ」
「は、はい」

 頬を赤く染めながら、卵を場外に跳ね飛ばすセイバーに思わず笑ってしまった。

「ぅ、ぅぅ、ごめんなさい、シロウ。やっぱり、わたしには無理なのでしょうか……」
「セイバー……」

 しょげ返るセイバーに新しい卵を渡す。

「シ、シロウ……?」
「いい言葉を教えてやるよ。ドイツの軍人の言葉。『卵を割らなければ、オムレツは作れない』」
「……えっと、それは当たり前の事では?」
「そうだよ、セイバー。何事も実践しないと始まらない。卵を割らないと、どんなに頑張ってもオムレツは作れないんだ。だけど、卵を割れば、いつかは出来る。ほら、もう一度」

 料理が完成すると、セイバーは頬を緩ませる。凛とした表情も魅力的だけど、この顔も好きだ。
 他にも、好きな表情がたくさんある。

「セイバー」
「はっ、はい! なんでしょう?」
「好きだぞ」
「……はっ、はぃぃ。わたしもです」

 藤ねえとイリヤに呆れられても、俺は思った事をちゃんと言葉にして伝えようと決めた。
 もう、すれ違わない為に。
 もう、離さない為に。

「シロウ……、愛しています」

 いつか、理想に背を向けた罪を清算する日が来るだろう。
 いつか、彼女が王としての最期を遂げる為に血塗られた丘へ帰る日が来るだろう。
 その日まで、たくさんの思い出を作ろう。
 これが俺と彼女の結末だ。
 他には何もいらない。二人一緒にいられれば、それが何よりの幸いとなる。

 ――――ああ、これがボクの見たかった景色さ。

 ――――素晴らしい。ああ、なんとも美しい。

 ――――おめでとう、アルトリア。出来るだけ、ゆっくりと帰っておいで。

 遠い空の下、魔術師は喝采を上げながら呟いた。

「……Happy End」

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