第三話『違和感』
聖杯戦争。それは聖杯によって選ばれた七人の魔術師が召喚されたサーヴァントと共に戦う大規模な魔術儀式。
勝ち抜いた者には如何なる願いでも叶えられる万能の願望器が授与される。だからこそ、参加者に選ばれた者は死に物狂いで勝利を狙う。
「とんでもないな……」
どうやら、俺はその聖杯戦争とやらに巻き込まれてしまったようだ。聖杯によって選ばれた魔術師として、戦わなければならない。
「戸惑うのも無理はありません。私も奇天烈な話をしている自覚はありますから」
「でも、本当なんだろ?」
「ええ、もちろん」
なら、信じるしかない。アルトリアが嘘を吐いている風には見えないし、さっきの戦いは明らかに人智を超えていた。
「アルトリアは俺に割り振られたサーヴァントって事でいいのか?」
「……私はあなたのサーヴァントです。ええ、それだけは間違いありません。あなたを守り、あなたに聖杯を捧げる。その為に……、その為だけに私はここにいます」
「……そっか」
改めてアルトリアを見つめると、あまりの美しさに息を呑む。
「シロウ……?」
「……えっと、その」
見惚れていた事を誤魔化す為にてきとうな話題を考える。
「そう言えば、アルトリアは何かないのか?」
「何か……、とは?」
「ほら、聖杯は万能の願望器なんだろ? それなら、アルトリアは何を願うんだ?」
「……もう、叶っていますよ」
「え?」
アルトリアは頬を緩ませて言った。
「あなたの傍にいる。それだけが私の望みです」
真っ直ぐに俺を見ながら、真摯な口調で、そんな冗談みたいな事をアルトリアは言った。
「……えっと」
正直に言えば、わけがわからない。だって、俺がアルトリアと出会って、まだ一時間も経っていない。
「俺達って、前にも会った事があるのか?」
「……ええ」
しまった。どうやら、俺が一方的に忘れていたようだ。
泣きそうな表情を浮かべるアルトリアになんて声を掛ければいいか分からない。
「……その、ごめんな」
「いえ、お気になさらないで下さい。ただ、今度はどうか……」
「忘れない! 今度は絶対に忘れない! 約束する!」
今にも涙が零れそうな彼女の瞳を見ていると、そう言わずにはいられなかった。
「……ありがとうございます、シロウ」
うっとりとした表情を浮かべるアルトリア。なんだか、顔が熱い。
まったく、どうしたらこんな美人の顔を忘れられるのか、自分で自分の頭の中を見てみたいものだ。
「そっ、それにしても、また襲われたりしたら困るな」
「……大丈夫です、シロウ」
アルトリアは思い詰めた表情で言った。
「たとえ、どんなに強大な敵が襲い掛かろうと、シロウの事は私が必ず守ります。絶対に……」
「アルトリア……。どうして、そんなに俺の事を……?」
「愛していますから」
「……へ?」
あまりの事に思考がフリーズした。
「……えっと、ご迷惑でしょうか?」
「え? いっ、いやいやいやいや!! ご迷惑だなんてとんでもない!!」
あまりにもストレートな言葉に頭の処理が追いつかない。ただ、アルトリアの悲しむ顔が見たくないと思って、狼狽しながら必死に言葉を探し求める。
「その……、えっと……、何て言うか……」
「……いえ、突飛な事を言って、申し訳ありません」
「いや、謝る事なんてない! ちょっと……、その、驚いただけだ」
まだ心臓が高鳴っている。アルトリアみたいな美人に『愛している』なんて言われて、嬉しくない男なんていない。
ただ、その言葉をそのまま受け取る事はアルトリアの気持ちを軽く見ている気がした。
「アルトリア……。その……、悪いけど、俺はあんまりって言うか、殆どアルトリアの事を覚えていないんだ」
「……ええ」
「だから、俺はアルトリアの事を知りたい」
「シロウ……」
そうだ。まだ、俺はアルトリアの事を何も知らない。だから、彼女の気持ちを受け取る事も出来ない。
「折角、パートナーになるんだ。アルトリアの事をいろいろ教えて欲しい」
「……ええ、なんでも教えます。あなたの知りたい事、私のなにもかも、なんでも」
……不埒な事を考えてしまった。ええい、煩悩退散。
「とりあえず、好きな食べ物から教えてくれないか? これでも一家の台所を預かる者なんだ。大抵のリクエストには応えられるぞ」
「……では、和食を」
随分と大きな括りで返ってきた。ただ、少しホッとした。俺は洋食よりもどちらかと言えば和食が得意だ。それに、和食なら冷蔵庫にあるもので色々と作れる筈だ。
「分かった。それじゃあ用意してくるよ」
アルトリアは嬉しそうに笑みを零した。ひょっとして、花より団子な女の子なのかもしれない。
◆
少し遅めとなった夕飯はアルトリアに大好評だった。それはもう美味しそうに食べてくれた。作り手冥利に尽きるというもの。
嬉しくなって、追加で二品も作ってしまったけれど、それも全部平らげてくれた。どうやら、サーヴァントの胃袋に限界は無いようだ。
『シロウの料理は実に素晴らしい』
どこか浮世離れした雰囲気のあった彼女がその時ばかりは身近に感じる事が出来た。
明日も腕によりをかけて作ろう。何はともあれ、アルトリアという女の子について、少し分かった気がする。
「さて、意識を切り替えるか」
夕飯の片付けを終えた俺は一人で土蔵に来ていた。アルトリアは割り当てた部屋で先に休んでもらっている。
これからする事は日課になっている鍛錬だ。未熟者が少しでもマシになるよう幼い頃から続けている魔術の訓練。
「まずは……」
意識を内側に向ける。今は人間である衛宮士郎を魔術師に作り変える為の前準備だ。ここから先は一切の雑念を捨てなければ――――、あれ?
普段と同じ事をしている筈なのに、普段と少し感覚が異なる。
いつもは何もない場所に一から魔術回路を作り上げている。それなのに、頭の中で銃の撃鉄のようなイメージが浮かんでいる。
「……あれ?」
一瞬で魔術回路が出来上がった。
いや……、出来ていた。元からあるモノが浮上してきた感覚だ。
「これは……」
試しに近くの雑貨に強化の魔術を掛けてみる。
驚くほどアッサリと成功して驚いた。
「なっ、なんで急に……?」
調子がいいなんて言葉で片付けられない。今までと勝手が違いすぎる。
「どうなってんだ?」
心当たりがあるとしたらアルトリアと出会った事。もしくは……、
「槍で刺されたから……?」
昔、友人から借りた漫画でそんなネタがあった気がする。あれは矢だった気がするし、魔術ではなく波紋だったけど。
「なんか、釈然としないな」
今まで散々苦労してきた事が難なくこなせるようになって、嬉しいというよりも複雑な心境だった。
「……寝るか」
俺は土蔵を後にした。