第七話『神域』

第七話『神域』

 ――――深夜零時を過ぎた瞬間から、この街は呼吸を止める。

 深夜営業を行っている居酒屋やコンビニエンスストアも光を落とし、受験生や夜勤者も瞼を閉ざす。
 空中に張り巡らされた極細の蜘蛛の巣が伝わる魔力によって姿を現し、街と外を隔てる教会には無数の怨霊が怨嗟の声を上げ始める。
 人口150万人を超える衛星都市は今や――――、

 ――――魔女の神域と化している。

 聖杯戦争の根幹たる大聖杯を中心に広がる龍脈を掌握し、教会と協会の者を含めた全ての住民に糸を張り、魔女は街一つを己の陣地に変えた。

「……魔術協会と聖堂教会の両方に真っ向から喧嘩を売るとは。おかげで貧乏クジを引かされた」

 ロード・エルメロイ二世こと、ウェイバー・ベルベットがゲンナリした表情でつぶやく。
 聖堂教会はこの事態に至るまでに幾人もの代行者を送り込んできた。
 魔術協会も執行者を始めとした武闘派の魔術師を送り込んできた。
 結果として、帰ってきた者は一人もいない。
 当然だろう。所詮、彼らは人間であり、積み重ねた業とて1000年程度。
 対する魔女は神代を生きた最高位の魔術師である。そして、彼女が率いる者達はいずれも劣らぬ怪物ばかり。
 かと言って、聖杯が『この世全ての悪』という極大の呪詛を内包している事実が露見した今、協会も傍観に徹している場合ではないと重い腰を上げた。

「コルキスの魔女メディア。悪辣な女として有名だが、その実力は魔術師というカテゴリー全体を見てもトップクラス。それが約半年も潜伏しながら着々と準備を整え、表舞台に顔を出したのが三ヶ月前の事だったな」

 ライネス・エルメロイ・アーチゾルデが資料を片手にニヤニヤと笑みを浮かべる。

「その時点でほぼ手遅れの状態でした。メディアは既に冬木市全体を神域に変え、停止状態の大聖杯を起動させていた。第六次聖杯戦争を引き起こし、自陣で七騎のサーヴァントを全て揃えてしまうという荒業をやってのけた。残り一体が召喚される寸前に私が『予備システム』を起動した事で聖杯大戦という現在の状態に持ち込む事が出来ましたが……」

 バゼット・フラガ・マクレミッツの言葉にフラット・エスカルドスは下手な口笛を吹いた。

「神代の魔女の領域に入り込んで予備システムを起動するって、簡単に言うけど凄いですね!」
「……フラガの末裔の名は伊達では無いという事ですわね」

 ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトの言葉にバゼットは複雑そうな表情を浮かべ、肩を竦めてみせた。

「今回の依頼を受ける際、魔術協会から異例とも言えるような措置を受けましたから」

 片手を持ち上げながら彼女は言った。そこに在るものが本物ではなく義手である事を知っている者はウェイバー一人だった。
 最高峰の人形師が用意したと言う義手。他にも様々な援助が与えられたらしい。

「……おかげであのバカを止めるチャンスが出来たんだもの。感謝しているわ、バゼット」

 遠坂凛は使い魔を通して冬木市の遠景を見ながら言った。

 ◇

『――――ねえ、士郎』

 持ち場に着いたタイミングでアーチャーの下に主からの念話が届いた。
 やれやれと溜息を零し、弓兵は言う。

「その名で呼ばれても、私としては反応に困るのだが?」

 その名は確かに彼を示す記号の一つではある。だが、彼の真名では無い。

『無銘の正義の味方なんて、呼び難いじゃない』
「ならばクラスで呼べばいい。他の者達もそうしているじゃないか。そもそも、真名は隠すべきものだろう?」

 数奇な運命だとアーチャーは思った。よもや、|この状態《・・・・》になって故郷の地に舞い戻る事になるとはつゆとも思わなかった。そもそも、彼女と契約した直後は冬木市が自身の故郷である事も忘却していた。
 彼の正体は正義の味方という概念を体現する者。個ではなく、群でもない。言ってみれば、幻影のようなもの。それ故に生前の記憶を殆ど失っている。
 正義の味方を志し、歩んだ軌跡だけが彼という人格を形成している。
 そんな彼にとって、衛宮士郎という個としての名は『そういう風に呼ばれていた時代もあった』程度の認識でしかない。幼い頃のニックネームで呼ばれたような感覚だ。 

『私は|衛宮士郎《アンタ》と出会うのがこれで三回目なの……』
「……真面目に考えると頭がおかしくなりそうだな。それで?」
『散々苦労させられたわ』
「みたいだな」
『だから、もう衛宮士郎に対して、遠慮はしないって決めたのよ。私はアンタを無銘の正義の味方なんて呼びたくない。それに、アーチャーとも呼びたくない。だから、士郎って呼ぶ事に決めたの』
「……やれやれ、我儘だな」
『そうよ、知らなかったの? 私は我儘なの』

 知っていたのかもしれない。生憎、彼女と過ごした記憶は朧げだ。
 それでも、少し嬉しくなった。

「……マスター。それならば私の方からも我儘を言わせてくれ」
『なっ……、なに?』
「これからは私も君をリンと呼ばせてもらおう」
『……ええ、いいわよ。それじゃあ、士郎。一発、ブチかましてやって!』
「了解だ、リン!」

 嘗て、この素晴らしき女性と共に過ごした時間があった。
 彼女はまるで輝ける太陽の如く、心を高揚させてくれる。

「では、期待に応えるとしよう」

 木々は腐り落ち、月は蝕まれ、星は堕ちた。
 だが、暗黒如きに居場所を与える気は毛頭ない。

――――I am the bone of my sword.

 弓に番えるは螺旋の剣。ケルト神話に名を馳せる大英雄フェルグス・マック・ロイが振るいし『|虹霓剣《カラドボルグ》』を彼なりにアレンジしたもの。

「折角だ。派手に行こうじゃないか!」

 撃ち放たれた矢は空間を捻じ曲げながら魔女の領域を突き進む。
 当然の如く、迎撃の為に敵軍のアーチャーが矢を放つ。矢が撃ち落とされる寸前、アーチャーは矢に篭められた幻想を解放した。
 振り抜いた剣光が丘を三つ切り裂いたという、後の時代の数多の英雄達が手にした魔剣・聖剣の原典。
 それが内包する魔力は対軍宝具の一撃にさえ匹敵し、眩い光と爆音があたかも大輪の花火の如く天空を染め上げる。

「さて、次だ!」

 位置を移したアーチャーは新たな矢を弓に番え、再び撃ち放つ。
 繰り返す事、十を数えた頃、|第六次聖杯戦争《聖杯大戦》の火蓋は切られた。
 
 ◇

 空に上がる眩い光。それは此方のアーチャーの動きを牽制すると同時に魔女が張り巡らせた糸を断ち切る狙いが在る。

「……セイバー」

 アルトリアが声を掛けると、セイバーと呼ばれた鎧の騎士が頭を垂れる。

「……ランサー」

 赤と黄の槍を握る騎士もまた、彼女に頭を垂れる。

「……アサシン」

 髑髏の仮面を付けた黒衣の暗殺者もセイバーとランサーに続く。

「……ライダー」

 紫の髪の女は天馬に跨り、アルトリアを無言のまま見つめる。

「……キャスター」

 魔女は眼前に浮かべた水晶に侵入者達の姿を映しながら小さく頷く。

「……アーチャー」

 大英雄はひたすらに敵のアーチャーの矢へ迎撃の矢を放ち続ける。

「――――我が手に聖杯を」

 その言葉を合図にサーヴァント達は戦場へ駆けていく。
 その身に暗黒の加護を受けながら……。

「シロウ……。ああ、シロウ……。待っていて下さい。あと少しで私は……」

 狂気に囚われた王はその身を駆け巡る衝動によって魔女の偽装を払い除ける。
 黒く染まった衣と鎧。その手に握る聖剣も暗黒の輝きを放っている。

「イリヤスフィール……。サクラ……。私はシロウを必ず……」

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