第四十八話「第零話」

 一人の男が楽園を夢見た。争いなど無縁な、誰も苦しまずに済む、平和で穏やかな優しい世界を欲した。
 だけど、私にはその世界の作り方が分からなかった。だから、彼に尋ねた。

『どうやって、作ればいいの?』

 彼は答えなかった。仕方がないから、彼の心に尋ねた。
 すると、ヒトが死に絶える未来が浮かび上がった。
 なるほど、これなら誰も苦しまない。争うべき相手が居なければ、争いなどそもそも発生しないのだから、それはとても平和な世界だろう。
 だけど、その世界を彼自身が否定した。

『だって、それが貴方の望んだ世界でしょ?』
『違う!! こんなモノを望んだわけじゃない!! 僕は……、ただ――――』

 彼は彼自身が下した結論を『悪』と断じた。
 でも、それはおかしい。だって、彼は『正義の味方』なのだ。
 ならば、彼の下した結論は『善』である筈。
 
『分からないわ、切嗣。じゃあ、どうすればいいの?』
『分からない……。分からないから、僕は奇跡に縋ったんだ……』

 彼は善人だ。正義の味方として、正義を為してきた。
 だけど、彼は自らの行いを『悪』と罵った。
 矛盾している。なら、何を持って、『善』とする? 何をもって、『悪』とする?
 
『僕は……、こんなモノを望んでなんていない……』

 結局、彼は『聖杯―― ワタシ ――』を拒絶した。
 善人の行いは全て、善ではないのか?
 悪人の行いは全て、悪ではないのか?
 分からなくなった。そもそも、『善』も『悪』もヒトが作り上げた概念だ。
 知る必要がある。『この世全ての悪―― アンリ・マユ ――』として再誕した私は『悪』という概念を知らねばならない。
 幸い、尋ねる相手には事欠かなかった。 
 燃え盛る炎が次々にこの地の人々を死へ追いやっていく。
 私は彼らを受け入れた。
 子供が居た。老人が居た。男が居た。女が居た。
 善人が居た。悪人が居た。
 私は彼ら一人一人の魂を覗き、広義的な意味での善人と悪人に分けてみた。
 そして、一人一人に尋ねて回った。

『――――貴方の望みは?』

 死の瞬間こそ、ヒトは真の正直者となる筈。
 彼らが死に際に抱いた願いこそ、『善』と『悪』を秤る試金石となるだろう。

『――――オレのダチは大丈夫なのか!? 頼む、アイツを救ってやってくれ!!』

 暴走族という、広義において悪とされる男は他者の救済を願った。

『――――嫌よ!! どうして、私がこんな目に合うの!? ずっと、良い子にしてたじゃない!! 皆はどうして生きてるの!? 皆も殺してよ!! こんなの、不公平だわ!!』

 気立ての良い女の子という、広義において善とされる少女は他者を道連れにしたいと願った。
 余計に分からなくなった。他者を救済したいと願う事は善では無かったか? 他者を道連れにしたいと願う事は悪では無かったか?
 数百に上る人間の願いを聞いた結果がコレだ。
 矛盾している。一方から見れば悪でも、他方から見れば善の場合があり、他方から見れば悪でも、一方から見れば善の場合もある。そうした矛盾が世界には蔓延している。
 完全無欠の善など無く、完全無欠の悪など無い。
 それでは、『この世全ての悪』たる私は一体、何をどうしたらいい?
 絶対悪などという概念はその実、何よりもあやふやだ。中身が無い。
 
『もっと……、人間を知らなければならない。彼をもっと知らなければならない』

 絶対悪たる私の対極に存在する存在。正義の味方をもっとよく知る必要がある。
 私は一体の人形を作り上げた。ヒトという種を理解する為に彼らの想念を紡ぎ創り出した私の分身だ。
 
『肉体は……、うん! 可愛い方がいいわね』

 私は記録にある二人の少女の姿を思い浮かべながら、肉体を作り上げた。
 一人は金髪碧眼の凛々しい騎士様。
 一人は愛らしい妖精さん。
 二人の記録は『私』の大切な宝物。

『紡ぐ想念は――――、やっぱり、広義的な意味で善なる願いを抱いた人々から……』

 正義の味方を識る為につくり上げるのだから、『悪』の要素は要らないだろう。
 未来を知りたいと願った少女。もっと、生きたいと願った少年。愛する息子の将来を憂いた男性。愛する我が子の傍に居てあげたいと願う女性。
 幾人かの広義的な意味での善なる魂が抱いた想念を紡いでいき、『私』に定着させる事で一つの『魂』を偽装する。

『後は……、正体が『私』だと知られる事はマイナスよね……。切嗣が相手だとバレちゃうかもしれないし……。よーし、誰かの魂の記憶を基盤に……っと、うん! 彼にしましょう』

 生きたいと願った少年が居た。どうせなら、その願いを叶えてあげよう。

『今、会いに行くからね? 切嗣……』

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