第十九話「赤と青の同盟」

 戦況は一気にアヴェンジャーへと傾いていく。本来、距離を取って戦うタイプのアーチャーが接近戦を得意とする英霊と真っ向から斬り合うなど論外であり、とっておきの奇策も破られてしまった以上、後はジリ貧だ。
 勝負は決した。後は追い詰めて、主従纏めて首を切り落とすのみだ。

「誇れ! このオレの手に掛かり殺される事を! そして、恥じるがいい! 最初の脱落者となる己の無力さを!」

 猛るアヴェンジャー。対するアーチャーは何を思ったか、突然自らの双剣をアヴェンジャー目掛けて投げつけた。渾身の力で投げ放たれた双剣は回転しながら弧を描き、アヴェンジャーに襲い掛かる。

「ッハ、自棄を起こしたか?」

 岩盤すら砕く必殺の一撃を軽々と打ち払い、アヴェンジャーはアーチャーに止めの一撃を振り下ろす。

「……また、ソレか?」

 アーチャーが攻撃を防ぐ為に取り出した獲物はさっき投げ捨てた白黒の双剣と同じ物だった。さっき、アーチャーが使い捨ての爆弾として使った無数の剣の中には目の前の双剣よりも遥かに優れた獲物が数多くあった。にも関わらず、この状況で選んだ獲物がソレとは解せない。
 極限の戦闘状態の中、アヴェンジャーは思考する。
 そのモノの幻想を解き放つ事で宝具を一度限りの爆弾とする『壊れた幻想』。サーヴァントにとって、禁忌とも言えるその行為を乱発するサーヴァント。
 昨夜の戦闘においても、今宵の戦闘においても、使われた宝具はどれも一級品だった。宝具はサーヴァント一体につき1つか二つ、多くとも五つが限度だと言うのに、その法則を完全に無視している。
 そんな特異なサーヴァントがこの土壇場で選んだ獲物。ソレがただの二流品などあり得ない。

「心技、泰山ニ至リ」

 双剣の片割れを振り上げるアーチャー。瞬間、背後から風切り音が響く。
 
「――――ッチ」

 アヴェンジャーは野生の獣が如き嗅覚で背後からの斬撃を躱し、同時に眼前に迫る刃を打ち砕く。

「―――心技、黄河ヲ渡ル」

 だが、それで終わりでは無い。アーチャーが握る獲物は双剣。即ち、背後にもアーチャーの手元にも、まだもう一振りが存在する。
 前後からの挟撃を凌いだ直後のアヴェンジャーは完全に体勢を崩している。
 迫り来る陰陽剣の片割れ。同時に迫るツガイの刃。もはや、避ける事も防ぐ事もままならない。

「――――舐めんなよ」

 怪物。その光景を目にした者達は総じてアヴェンジャーをそう評した。
 アヴェンジャーは姿勢を崩した状態のまま、前後からの攻撃をまたも防ぎ切った。不可能を可能としたのだ。
 だが、それがどうした? アーチャーはほくそ笑む。無理な体勢のまま、更に無理な挙動をしたが為にアヴェンジャーは今度こそ進退窮まった。彼女にもはや次は無い。

「仕舞だ」

 全ての剣を打ち砕かれたアーチャーの手には新たな双剣が握られている。宝具を次々に使い捨てにしていく異端の英霊。その在り方に英霊として吐き気を覚えながら、アヴェンジャーは自らの死を覚悟した。

 その光景を使い魔越しに見ていた間桐慎二は必死に自らのサーヴァントの窮地を救う方法を模索した。時間にして、一秒にも満たない刹那の思考。それが導き出したものは直前にアヴェンジャーが起こした奇跡。
 躱せる筈の無い攻撃をアヴェンジャーは躱してみせた。あの光景を反芻する。
 あの奇跡はやはり、アヴェンジャー単体には起こせなかった筈だ。彼女の能力を疑っているわけではないが、不可能な事は不可能なのだ。ならば、あの奇跡は一体何だったのか? その答えに至った瞬間、彼は叫んでいた。

「戻って来い、アヴェンジャー!」

 さっきは分からなかった。彼にとって、魔術とは他人の手を借りるもの。使い魔の使用も祖父である臓硯が用意した刻印蟲を飲み込む事で、自動的に行われる。他人が作った銃に他人が作った弾丸を籠めて、ただ引き金を引くだけだった。
 だから、彼自身の手による魔術行為はさっきの『令呪の発動』が初めてだったのだ。
 莫大な魔力と共に目の前に出現する傷ついたアヴェンジャーに慎二は声を掛ける。

「……負けちゃったな」

 一瞬、体を切り刻まれるかと思う程の濃密な殺気を向けられたが、アヴェンジャーは鼻を鳴らすと武装を解いた。
 慎二の妹、桜に借りた清楚な装い。早朝に挨拶を交わしたアヴェンジャーの父が着ていたオシャレ着とは正反対の出で立ちだ。双方の性格と装いがあまりにもチグハグだったから、その時は思わず微笑ってしまいそうになった。

「次は負けない」
「ああ、期待してるよ。君を助けられるのは後一回だ」
「……シンジ」
「ん?」
「次は勝つ」
「ああ、頼むよ」

 アヴェンジャーは舌を鳴らしながら部屋を出た。
 
「……何が後一回だよ」

 令呪の残り一画が何の為にあるのか、知らない筈が無い。だが、あの男は己が窮地に陥れば、確実に最後の令呪を使うだろう。そのくらいの事は短い付き合いの中で分かっている。

「ウゼェ……」

 光の少ない家。住んでいるのは生にしがみつく醜悪な妖怪と二人の子供。
 
「……忌々しい」

 あの地下空間を見ていると人間という種に対する嫌悪感が際限無く募っていく。

「腹が立つ……」

 間桐慎二はこの戦いで死ぬつもりだ。無論、それは負けを覚悟しているわけじゃない。あの男は勝っても負けても死ぬ気でいる。
 アレはどこまでも普通の人間だ。ただ、神秘に対する知識を有しているだけの小市民に過ぎない。こんな吐き気を催すような穢らわしい館に住んでいながら、その性根は恐ろしい程に真っ直ぐであり、善悪で言うならば善に傾いている人間だ。恐らく、アレが事ある毎に話す友人の影響なのだろう。曰く、度し難い程の愚か者であり、底抜けのお人好しなのだそうだ。
 そんなどこまでも普通の男が地下の惨状に何も思う所が無い筈が無い。昨夜など、眠っているのか奇声を上げる練習をしているのか分からない程、アレは自らの罪業に苛まされていた。
 既に限界に達している。アレが正気を保っているのはただ『妹を妖怪の手から解き放つ』という役割を真っ当しなければならないという義務感を抱いているからだ。それが叶ってしまえば、後は……。
 
「クソッ……」

 そういう人間が一番嫌いだ。己の役割を果たすために己を捨てている。そんな者はもはや人間とは言えない。ただの機械だ。ただの……、

「似ても似つかない癖に……」

 一人に出来ない。どこからそんな感情が湧いてくるのか自分でも理解が出来ないが、何故かアレから離れるという選択肢を手に取る事が出来ない。
 
「……いいぜ。取ってやるよ、マスター。オレにとっても聖杯は必要だ」

 だが、あの妖怪には渡さない。他の誰にも渡さない。
 折角勝ち取った王座をどうして他人に譲らねばならない?

「だから、お前も……」

 ◆

 敵が撤退したのを見届けたアーチャーは得意気な表情を私に向けて来た。

「面目躍如といった所だな」
「自分で言うか……」

 思わず呆れてしまった。けど、敵に二つの令呪を使わせた事は大きな戦果だ。

「次は仕留めるわよ?」
「ああ、二度も仕留め損なってはスナイパーの名折れだ。それにしても、今夜は大漁だな」

 アーチャーが再び双剣を創り出す。どうやら、今の戦闘をジックリ観察していたらしい青き槍使いが空から降ってくる。

「いや、まさか偵察中に再会出来るとは思わなかったぜ」

 空気が歪む程の殺意を漲らせながら、ランサーは真紅の槍を構える。

「ハハ、感動の再会という奴だな。では、前回の決着をつけるとしよう」

 両者は互いに戦闘態勢に移行する。
 この状況はマズイ……。
 アーチャーは既に激しい戦闘を終えたばかりだ。その上、相手には此方の手札を殆ど晒してしまっている。切り札を使う暇も恐らく無いだろう。
 奇策は恐らく通じない。だが、真っ向勝負では分が悪い。

「……だったら」

 私が不利を覆すだけだ。サーヴァントとマスターは一心同体。片方に足りないものがあるなら、もう片方が補えばいい。
 敵はサーヴァント。出し惜しみはしない。

「アーチャー!」

 私の声が開演のベルとなった。
 赤と青の激突が大地を揺るがす。

「悪いが今日は取らせてもらうぜ、貴様の首級!」
「……嘘」

 戦況はあまりにも一方的だった。前回の焼き直しなどトンデモナイ。
 
「まさか、手を抜いていた……?」

 ランサーの猛撃をアーチャーは防ぎ切れずに一方的に嬲られている。昨夜は渡り合えていたというのに……。

「こうなったら――――」
「いえ、ここまでです」

 虎の子の宝石を取り出そうとした瞬間、衝撃と共に私の意識はブラックアウトした。

 ◆

 正直、目を覚ます事が出来るとは思っていなかった。瞼を開くと、目の前にはランサーの顔があり、私の体は奇妙な光の文字に包まれている。

「……ルーン?」

 良かった。とりあえず、言葉は発せられるようだ。

「待ってな。マスターを呼んでくる」

 そう言って、ランサーは席を立った。
 扉を開けると誰かを招き入れる。入って来たのは赤い髪の女だった。

「初めまして、遠坂家の当主、遠坂凛。私はバゼット・フラガ・マクレミッツ。魔術協会所属の封印指定執行者です」
「執行者ですって……?」

 ああ、これは非常にマズイ展開だ。封印指定の執行者といえば、時計塔でもトップ3に入る厄介者だ。彼らの仕事は希少な能力を持った魔術師を保護という名目で拉致監禁し、魔術研究のサンプルとするモノ。
 
「ああ、勘違いしないように。私は貴女を協会に連行する為に連れて来たわけではありません」
「だったら、何の為に私を殺さずに連れて来たのかしら?」
 
 文字通り手も足も出ない状況だけど、精神まで屈するわけにはいかない。
 挑発的な物言いで返すと、バゼットは冷淡な口調で言った。

「単刀直入に言います。遠坂凛。私と同盟を結びなさい。無論、多少不利な条件を呑んでもらいますが、命と安全は保証します」
「不利……、ね。条件っていうのは?」
「今後、私の方針に従う事。そして、聖杯入手後に聖杯を協会へ移譲する事。この二点です」

 巫山戯るな。思わず怒鳴りつけそうになった。
 バゼットの口にした条件を呑むという事は即ち、バゼットの言いように動き回らされるという事だ。その挙句に聖杯まで協会に移譲しなければならないなど、冗談ではない。
 
「お断りよ。私は私以外の誰にも従うつもりは無い。殺したければ殺しなさい」
「……なるほど、命よりもプライドを優先するわけですね」

 バゼットはやれやれと呆れたように肩を竦めた。

「では、此方が譲歩するとしましょう」
「え?」

 即刻殺されると思いきや、バゼットは妙な事を言い出した。
 ここまで詰んだ状態の私を相手に譲歩するなど、意味が分からない。

「……こうしましょう。一先ず、聖杯に関しては後回しにします。方針に関しても貴女の意見を取り入れる事を約束しましょう」
「……何が目的なの?」

 私の問いにバゼットは一枚の書類を掲げてみせた。

「私は協会からこの地にて召喚される第七百二十六号聖杯の調査と確保を依頼されています。その一環として、今日一日、この街の事を調べて回ったのですが……」

 歯切れが悪い。執行者ともあろう者が言い淀むなど、碌な事ではあるまい。

「何か異常でも?」
「……異常などというレベルの話ではありません」

 嫌な予感がする。ああ、聞きたくない。

「協会から渡された資料と伝より得た情報から、私は円蔵山の地下へ潜りました」
「円蔵山の地下って……、まさか、大聖杯の下に!?」

 あまりの事に言葉も無い。
 けど、そんな私にバゼットは追い打ちを掛けてくる。

「大聖杯は禍々しい魔力を発していた。あんなモノが作動してしまえば、恐ろしい災厄が撒き散らされる。恐らく、十年前に起きたという新都の大火災もソレが原因です。……ですが、アレは単独で何とか出来るモノじゃない」

 深刻そうな面持ちで告げるバゼットに私は言葉を失った。
 大聖杯に異常が起きている。それはつまり、聖杯戦争そのものが既に破綻しているという事だ。

「……嘘でしょ?」
「なんなら、後で見に行きますか? 恐らく、その方が話も進めやすいでしょうし」

 十年待った私の聖杯戦争が開始直後に……。

「本当なのね?」
「嘘ではありません。だからこそ、貴女との同盟を求めている。始まりの御三家の当主である貴女の知識が必要だ。それに、現在確認が出来ているサーヴァントの内、殆どは私とランサーだけで殲滅出来ますが、アインツベルンのサーヴァントがあまりにも別格で、正直、倒すビジョンが浮かばない。貴女のサーヴァントは多芸のようですから、力を借りる事が出来れば勝率が一気に跳ね上がる」
「……一応、返事は大聖杯を確認してからでいいかしら?」
「構いません。貴女は聡い。アレを一目見れば、貴女の方から私に協力を求める事でしょう」
 
 最悪だ。何が最悪って、この女は決して嘘を吐いていないからだ。
 ああ、頭が痛くなってきた。

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