第三十一話「終わりの始まり」

 気が付くと、何時ぞや見た夢の世界に立っていた。相変わらず、炎の柱を中心に人々が踊っている。
 思い出した。僕は以前、この光景を見た事がある。もっとも、炎の柱はこんなに大きく無かったし、大地には緑が溢れ、なにより踊っている人々は生者だったけど……。
 それは僕がまだ男だった頃、テレビで視たスコットランドで行われている古祭。確か、『ベルティナの火祭』という名だったと思う。
 どうせ、これは夢なのだから、その内覚めてしまう筈。折角だから、見て回ろう。
 踊っている人達は僕に興味など無いらしく、明後日の方角を見ている。僕はそのまま丘の方角に向かって歩を進めた。

『あれ……?』

 一瞬、炎の柱が別のナニカに見えた。暗い……、とても恐ろしい……、別のナニカに見えた。
 怖くなって、足を止めると、近くに一人の男性が立っていた。彼は踊っていない。他の人達とは異なり、瞳に理性の光を宿している。

『えっと……、こんにちは』

 恐る恐る挨拶をすると、男性は此方に視線を寄越した。

『……君は』
『えっと、僕……、飯塚樹です』

 凄く大きな人だ。筋肉質でボディービルダーみたい。

『一度……いや、二度程会った事があるな』
『え?』

 僕には全く覚えが無い。もしかして、前にこの夢の世界に来た時に会っていたのかもしれない。僕が気付かなかっただけで。

『……イツキ』
『は、はい。なんですか?』

 それにしても滅茶苦茶いい声だ。低めの渋い声。

『この世界は未だ完成に至っていない。だが、私がここに来た事で一歩完成に近づいてしまった。聖杯戦争が続く限り、いずれ、君は――――』

 最後まで聞く事は出来なかった。急に意識が遠のいていき、気が付くと僕はベッドの上で横になっていた。

「……変な夢」

 ◇

 セイバーが発見した郊外の洋館を新たな拠点にしてから丸二日が経過した。
 モードレッドの剣、クラレントを投影した士郎はその負荷に堪え切れず意識を失っていたけど、翌朝には無事目を覚ました。
 半身が麻痺している、というような事も無く、むしろ魔術回路の調子が非常に良くなっていると言っていた。僕の『再生の炎』を自分以外の人に使ったのは初めてだったけど、上手くいったみたいだ。

「とりあえず、食料を調達しに行こう」

 僕が洋館のホールに来ると、士郎がそう提案して来た。
 ここは随分と長い間放置されていたみたいで、当然の如く食料の貯蓄などは無かった。丸二日、飲まず食わずで過ごして、段々と体力が低下していくのを感じていた所だったから、僕は迷わず賛同した。
 洋館は新都の南部に広がる山林の中にある。さすがに朝っぱらからヒポグリフに乗って中心街まで向かうわけにも行かず、僕達は歩いて林を抜け、山道を降りていく。

「そう言えば、大河さん達、心配してるかもしれないね」

 黙って二日間も外泊していたのだ。心配しているにしろ、怒っているにしろ、連絡は入れておいた方がいいかもしれない。

「でも、何て言うんだ? 聖杯戦争の事は話せないわけだし……」
「そこがネックだよね……」

 結局、良い言い訳が思いつかず、連絡は先延ばしにする事になった。
 とにかく、今は食料の調達が急務だ。
 二時間掛けて、駅前のショッピングモールに到着すると、駆け出そうとするライダーをセイバーに止めてもらい、食料品売り場に向かった。
 あの館にも台所があったけど、水道やガスは当然の如く使えなかった。だから、ペットボトルの水や簡易コンロなども買わなければならず、ショッピングモールを出た時には全員が大荷物を背負う事になった。
 セイバーは購入したての大きなリュックサックに簡易コンロやガスボンベ、包丁、鍋といった超重量の荷物を詰め込み、士郎は両手に数日分の衣服と下着を持ち、ライダーはペットボトルの水が入ったケースを三つ抱えている。僕は野菜とお肉だけなので、何だか物凄く申し訳ない気分だ。

「み、みんな、大丈夫?」

 大荷物を抱えた奇妙な一団として注目を集めてしまっている。

「どっかでタクシーを拾った方がいいかもしれないな」

 出費が際限無く嵩んでいくけど、仕方がない。

「あー、居た!」

 タクシーを捕まえようと道路沿いを歩いていると、突然可愛らしい声が響き渡った。
 何とも聞き覚えのある声。ガタガタと震えながら顔を向けると、そこには恐怖の大王……じゃなくて、イリヤが居た。

「貴様は!」

 セイバーがリュックを地面に下ろし、僕達の前に移動する。いつでも武装出来るように魔力を編んでいる。

「もう、探したじゃない!」

 殺気立つセイバーを完全に無視して、可愛く頬を膨らませるイリヤ。可愛いけど、とてつもなく怖い。愛らしい見た目に騙される程、僕達は無知じゃない。
 士郎が僕を傍に引き寄せた。密着して、こんな時だというのに胸が高鳴る。

「そう殺気立たないでちょうだい」

 そう言ったのはイリヤではなかった。よく見ると、イリヤの背後に二人の女性が立っていた。一人はよく知る人物。同級生であり、アーチャーのマスター、遠坂凛だ。

「と、遠坂……?」
「こんにちは、衛宮君。それに、飯塚さん」

 当たり前のような顔でそこに立ち、ニコヤカに挨拶をして来る遠坂凛に僕達は困惑した。
 どうして、彼女がイリヤと共にいるんだ?

「我々は戦いに来たのではありません」

 イリヤの背後に佇むもう一人の女性が口を開いた。

「貴方達に力を貸して貰いたい」
「……どういう事?」

 僕が尋ねると、赤髪の女性は近くの喫茶店に目を留めた。

「少し、長い話になります。あそこの喫茶店に行きましょう」
「待て」

 僕達が応える前にセイバーが口を開いた。

「用件があるのならここで聞く。妙な真似をすれば斬る」
「……ちょっと、イリヤ? 物凄く警戒されてるみたいなんだけど」

 殺意を漲らせるセイバーを前にして遠坂凜がイリヤを睨む。

「セイバー」

 イリヤはどこか遠くを見つめながら言った。

「バーサーカーなら、もう居ないわ」
「……は?」

 唐突に彼女の口から紡がれた言葉をセイバーは……いや、僕達全員が理解出来なかった。

「イリヤ……、今――――」
「バーサーカーは倒された。私は聖杯戦争から脱落したのよ。ついでに、そこに居るバゼットもランサーを失った。今、私達三人の中でサーヴァントを保有しているマスターはリンだけよ」
「ば、馬鹿な!? あのバーサーカーが討たれただと!?」

 セイバーは驚きの声を上げる。僕達も反応は彼女と似たり寄ったりだ。

「一体、誰が――――」
「そこら辺もちょっと複雑なのよ。説明したいけど、道端で固まってると、周囲の目もあって話し辛いわ」

 遠坂凛の言葉に尚もセイバーは躊躇いの表情を浮かべる。彼女達の言葉を信じるべきか否かを迷っている。
 僕達には情報収集能力が欠如している。聖杯戦争の現状を把握出来ていない今、事の真贋を見極める事は非常に難しい。
 これで、僕達がもう少し有能なマスターだったら、例え、彼女達の言葉を嘘だと断じた上でも話し合いに応じた事だろう。常に状況を冷静に分析出来、尚且つ、危機的状況かであっても最適な行動を取れるマスターなら、セイバーも全幅の信頼を置いてリスクに飛び込むことが出来た筈だ。
 だけど、僕達は二人揃って未熟者。マスターとしても、魔術師としても……。
 故にセイバーは僕達を守る為に些細なリスクも犯せず、選択肢を狭められている。
 だけど――――、

「セイバー」

 僕は、

「他の二人の事はあまり良く知らないけど、イリヤはこういう事で嘘を吐くような子じゃないよ」

 確信を持って言った。

「イツキ……?」
「イリヤはブラフの為に自らの敗北を口にするようなタイプじゃない。彼女がバーサーカーを討たれたと言ったなら、それはその通りなんだと思う」」
「……イツキはイリヤスフィールを信じるのですね?」
「うん」

 自分でも不思議なくらい素直に断言出来た。
 恐ろしい存在。僕達を二度も殺そうとした相手なのに、僕は彼女の事を心から信じられた。まるで、ずっと一緒に過ごして来た家族のように僕は今、彼女を理解出来ている。

「セイバー。俺もイリヤが嘘を吐いているとは思えない。話を聞くくらいなら良いんじゃないか?」
「……やれやれ」

 僕達二人の言葉にセイバーは疲れたような溜息を零した。

「では、せめて私とライダーから絶対に離れないで下さい。一瞬たりとも油断しない事。いいですね?」

 腰に手を当てて、まるで先生みたいな口調で言うセイバー。
 僕達は三人揃って「はーい!」と答えた。

 ◇

 喫茶店に入り、奥の席を陣取った僕達は飲み物を頼んだ後、会合を開始した。
 遠坂凛が周囲に防音と人避けの結界を張っているおかげで声を潜めずに魔術関係の事を話す事が出来る。
 主に口を動かしたのはバゼットと名乗った赤髪の女性。彼女の口から飛び出した言葉の数々は僕達に凄まじい衝撃を与えた。
 彼女は既に大聖杯の異常に辿り着いていた。その上、ギルガメッシュ――彼女曰く、謎の英霊――とも相敵したと言う。他にもキャスターがランサーの所有権を奪い、バーサーカーに止めを差したなど、僕達の知らない所で大きな動きを見せていた聖杯戦争の現状に言葉が見つからない。

「――――これらを踏まえた上で我々は大聖杯の調査、及び、破壊を目的に動いています。ただ、先程言った通り、我々の戦力は現在の所、リンのアーチャーのみ。あの謎のサーヴァントはおろか、ランサーを手中に収めたキャスターの相手も危ういのが正直な所です。そこで、貴方達に同盟を組んで頂きたく、参上した次第です」
「……一つ、良いでしょうか?」

 バゼットが話し終えると、セイバーが片手を挙げた。

「なんです?」
「まず、大聖杯に異常があったと言いますが、それは事実なのですか? 証拠は――――」
「証拠なら、そこに二人居るじゃない」

 セイバーの問いに答えたのはイリヤだった。イリヤはどこか残忍さを滲ませた表情でセイバーを見つめ、僕達を指差す。

「二人……?」

 セイバーは困惑した表情で僕達を見つめる。そして、少しずつ……、その評定は歪んでいく。

「まさか……、二人が経験した大火災とは――――」
「聖杯が起動した結果よ」
「あ、あれが……、聖杯の!?」

 セイバーはよろめいた。

「十年前……。大火災……」

 動揺しているのはセイバーだけでは無かった。士郎も青褪めた表情を浮かべている。

「アレでも被害は小規模で済んだ方よ。もし、聖杯が完全に起動してしまえば、恐らく、万を超える死者が出る。まあ、それも抑止力に期待した数値だけど……」

 イリヤのその言葉が決定打となった。少なくとも、士郎はそんな話を聞いて黙っていられる人間じゃない。

「……どう? 協力してくれる気になった?」
「――――ああ、あんな事、二度と起こしてたまるか」

 士郎の言葉にセイバーは力無く頷いた。

「まさか……、だから、あの時……、そういう事だったのか……」

 セイバーは囁くように何事かを呟いている。

「……とにかく、これで何とか戦力が確保出来たわ。これから、日が暮れる前に一度円蔵山を見に行こうと思うんだけど、反対意見はある?」

 話は終わりだと言わんばかりに立ち上がり、遠坂凛が皆に問い掛ける。反対の言葉は誰からも上がらない。

「ランサー曰く、山全体が異界化しているそうですから、決して油断はしないように、注意しながら行きましょう」
「ああ」

 バゼットの言葉に士郎が頷く。
 急転直下。聖杯戦争は一気に加速していく。

 ◇◆◇

 僕達が円蔵山に辿り着いたのは日が暮れる直前だった。
 空は茜色に染め上がり、円蔵山を美しく彩っている。

「……異界化……、してないわね」

 ポカンとした表情で遠坂凜が呟く。ランサーの調査によって、異界化しているとされていた円蔵山はいつも通りの貌を僕達に見せていた。どこにも異常らしきものは見当たらない。

「とにかく、柳洞寺の方に行ってみよう」

 士郎の言葉に一同は柳洞寺の石階段を目指した。
 どこで足を止め、頭上を見上げた僕達は初めて山の異常を感じ取る事が出来た。

「山頂で魔力が渦巻いてるわね」

 遠坂凛が言う。彼女の言葉通り、山頂にある柳洞寺の方から夥しい量の魔力の波動を感じ取る事が出来た。明らかに異常事態が発生している。
 セイバーを先頭に僕達は石階段を登る事にした。
 そして、中腹まで来た時、僕達の頭上で目も眩むような光が迸った。

「アレは――――」

 それは見覚えのある赤雷を纏った魔力光。天を穿つ斬撃。
 セイバーは呟いた。

「モードレッド……!?」

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