障害は全て取り払われた。円蔵山への侵入を阻んでいたギルガメッシュが倒れた今、漸く大聖杯の調査を進める事が出来る。
今、僕達は皆で大聖杯へ至る洞窟を歩いている。皆は不気味な場所だと眉を顰めるけど、僕はそう思わない。
光苔に照らされた空間は神秘的で美しい。
どこまでも続く薄闇、包み込むような温かさ、時折響く鼓動のような音。まるで、母胎の中に居た頃を思い出す安心感と充足感。
「――――飯塚さん」
ここに来る直前までは体調最悪だったのに、今は鼻歌を歌いたい気分。四肢に活力が漲り、実に爽快な気分。
「なーに?」
浮かれ調子で遠坂さんの声に応えると、彼女は不思議な表情を浮かべていた。
「随分、顔色が良くなったみたいね」
「ウン。さっきまではちょっと体調が悪かったんだけど」
今はスッカリ元気になった。
奥の方からは甘い香りが漂ってくる。何だか、心がふわふわするな――――、
「……これは」
「あれ?」
気が付くと、僕は広々とした空間に居た。皆も一緒だ。一様にどこか一点を見つめている。つられて視線を動かすと、そこには黒い太陽が浮かんでいた、
東京ドームが十個……、いや、それ以上の数がすっぽりと入ってしまうくらい広い。
大空洞の中央にはエアーズロックを彷彿させる巨大な一枚岩。あそこに聖杯戦争のシステム……、その大本がある筈。
大岩の中央には天蓋まで届く黒い炎の柱。どくん、どくんと胎動している。
「遠坂家の文献によれば、この始まりの祭壇は『最中に至る中心』だとか、『円冠回廊』、『心臓世界テンノサカズキ』なんて大層な名で呼ばれているそうだけど……、異名通りの規格外っぷりね」
「アレがアンリ・マユ……。この世全ての悪」
遠坂さんとバゼットさんは顔を引き攣らせている。
それも仕方の無い事だ。既にサーヴァントがギルガメッシュを含めると五体も取り込まれている。起動の一歩手前まで来ている聖杯は『無尽』とさえ呼べる程の魔力の渦を生み出している。
「……あれ?」
ちょっと待って、それはおかしい。確か、ギルガメッシュの魂は他のサーヴァント達とは比較にならない程強大で、彼の魂の他にサーヴァント二騎分の魂があれば、それだけで聖杯は満たされる筈。むしろ、二騎分の魂が過剰に取り込まれている事になる。
それなのに、どうして大聖杯は起動の前段階で止まっているのだろうか?
「――――とりあえず、今直ぐどうにか出来る程、甘いものじゃなかった事は分かったわ」
「え?」
「だって、下手にセイバーやアヴェンジャーの宝具を叩き込んだりしたら、何が起こるか分からないもの。まずは慎重に調査を進めていかないと……」
違う。僕が驚いたのは――――、
――――どうして、僕は遠坂邸に戻って来ているんだ?
数秒前まで、僕達は円蔵山の地下にある大空洞に居た筈だ。
なのに、一体いつの間に移動したんだ?
視線を下げると、服もさっきまでと違う。
気が動転し、辺りをキョロキョロ見回すと、時計が目に入った。
「……七時?」
おかしい。だって、僕達は午前中に円蔵山へ向かった。大聖杯までは確かに時間が掛かったけど、それでも半日以上経過しているなんてあり得ない。
「ああ、もうこんな時間か……。後は夕食の後にしましょう。楽しみにしてるわよ、飯塚さん」
「え?」
「……大丈夫? さっきから、様子が変だけど……。今日は御馳走を作るって、帰りに寄ったスーパーで張り切っていたじゃない。問題は山積みだけど、解決の糸口を掴めたお祝いだって」
「あ……、うん! そう! ちょっと、ドタバタしてたからボーっとしちゃったみたい。ごめんね、すぐに作るから待ってて!」
僕は逃げるように部屋から飛び出した。
まったく、何の事だか分からなかった。
スーパーに寄った? いつの話?
台所へ向かうと、そこには確かに御馳走を作るための材料が並んでいた。
一目で分かる。これは僕が用意したものだ。メニューも直ぐに浮かんでくる。
だけど、用意した記憶が無い。
「なに……、これ?」
不安に押し潰されそうになる。
「樹!?」
あまりの事に動揺を抑えきれず、壁に寄りかかっていると、士郎が飛び込んで来た。
「大丈夫か!?」
士郎の声を聞いて、少しだけ心が落ち着いた。
「う、うん。大丈夫……。ちょっと、立ち眩みしただけだよ」
何とか、笑みを浮かべる。今は正念場なのだ。余計な心労を皆に掛けるわけにはいかない。
「待っててね。すぐに美味しいものを――――」
「いいから、部屋に行くぞ」
「え?」
士郎は僕の体を抱き上げて、台所から飛び出した。僕に宛てがわれた部屋に飛び込むと、僕をベッドの上に降ろす。
この展開はもしかして……、
「つ、ついに結ばれる時……?」
「馬鹿な事言ってないで、横になってろ。今、水を持って来る」
慌ただしく、士郎が部屋を出て行く。
待って……。僕の声は彼に届かず、僕は――――……。
「どうしたの?」
「……え?」
いつの間にか、朝になっていた。
「大丈夫か? やっぱり、体調が良くないんじゃ……」
ライダーと士郎、そして、慎二くんが居る。良く見ると、セイバーとアヴェンジャーの姿もある。
「えっと……、ちょっとボーっとしちゃって……」
「やっぱり、飯塚は屋敷に戻った方が……」
「えー、折角羽根を伸ばしに新都まで遊びに行くのに?」
「だけど、無理をさせるわけには……」
話が見えない。少し、整理してみよう。
どうやら、僕は今、バスに乗っているようだ。
何故か、このメンバーで新都に向かっているみたいだ。
「……えっと、どうして新都に?」
僕の問い掛けに士郎達は一斉に顔を顰めた。
「おいおい、本当に大丈夫なのか? アヴェンジャーの快気祝いにパーッと羽根を伸ばそうって、お前とライダーが提案して来たんじゃないか」
そう言えば、アヴェンジャーは先の戦闘で魔力が枯渇寸前となり、ギルガメッシュの攻撃による傷の完治が大幅に遅れていた。
確か、遠坂さんの見立てでは、数日は体を休める必要があると……。
「そ、そうだったね。なんだか、バスの揺れって絶妙で、ついつい眠気に襲われちゃうんだ」
「……樹。本当に大丈夫なのか?」
「大丈夫だよ。全然、へっちゃら」
数日が経過した。一体、いつの間に?
「ほらほら、マスターも大丈夫って言ってるし、セイバーとアヴェンジャーの仲を取り持ちたいんでしょ?」
ライダーが渋い表情を浮かべる二人を説得する。
その間、僕は彼らに見えないように必死に足を抓った。
泣きそうだった。気付かない内に時間が進んでいる。記憶障害? それとも、新手のスタンド攻撃か何か? 一体、僕の身に何が起きてるの?
怖い……。
「じゃーん! これなんかどう?」
突然、目の前でライダーが白いワンピースを広げてみせた。
僕達は以前来た事のあるブティックに居た。
「に、似合うよ!」
慌てて答える。あんまり驚いてばかり居ると、不審に思われてしまうかもしれない。
「なーに言ってるのさー。僕はマスターの服をコーディネートしてるんだよ? ほらほら、着替えてみてよ! シロウに可愛さアピールして、先延ばしになってる答えを聞かせてもらうんでしょ? 最初の目的、忘れちゃ駄目だぜ?」
完全に忘れていた。というか、知らなかった。
しばらく、ドタバタ続きだったから、未だに士郎からあの時の返事を聞かせてもらっていない。
「そ、そうだったね。うん。僕、頑張る」
ライダーにコーディネートして貰った服を次々に試着していく。
「うん! これなら、あの朴念仁もイチコロさ!」
ライダーが最終的に選んだのは白と黄色を基調としたフェミニンコーデ。
ちょっと、ゆるふわな感じを押し出し過ぎている気がするけど、これならイケる気がする。
「そう言えば、士郎達はどこに……?」
「まだ、みんなもお互いの服を選んでる最中だと思うよ。それより、今度はマスターの番だよ! さあ、ボクにピッタリの服を選んでくれ!」
なるほど、そういう企画なんだね。
僕は一生懸命ライダーに似合う服を――――……。
「おー、トレビアン!」
「へ?」
「トレビアンだよ、ト・レ・ビ・ア・ン! 素晴らしいよ、さすがマスター、センスあるー!」
気が付くと、ボーイッシュな装いのライダーが跳び跳ねていた。多分、僕が選んだのだろうけど、確かに凄く似合ってる。可愛いくて、かっこいい。正に、ライダーの為にあるようなコーディネート。
「さっきのメイド服も面白かったけど、やっぱり、これが一番だね!」
え、なにそれ、超見たい。
「メ、メイド服……、もう一度着てみない?」
「いいよーって、言いたいけど、もう時間みたいだよ? ほら!」
凄く悔しい。
折角のライダーのメイド服姿、是非見たかった。
けど、どうして、メイド服なんて置いてあるんだろう……、この店。
「あ、居たよ!」
店を出て、ライダーに先導してもらい、集合場所に向かうと、既に四人は集まっていた。みんな、見慣れないファッションに身を包んでいる。
セイバーは清楚な感じが良く出ている落ち着いた色を基調としたコーディネート。
アヴェンジャーは逆に露出の多い、派手目なコーディネート。
士郎と慎二は似た感じの爽やかスタイル。
何というか、モデルよりも選んだ人間の個性が出ている気がする。
「モ、モードレッド。さすがにそれは露出が多過ぎると……」
「う、うるせぇ! 選んだのはシンジなんだ! 文句なら選んだ馬鹿に言ってくれ!」
セイバーとアヴェンジャーは実に親子をしている。何というか、思春期真っ盛りな娘とそんな娘に戸惑いながらも諭そうとする母親の構図だ。
「やっほー、みんな!」
ライダーが駆け寄って行くと、士郎達の視線がこっちに向いた。
「ど、どうかな?」
ドキドキしながら、僕は士郎の感想を待つ。
「……可愛い」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
どうやら、士郎も自分が何を口走ったのか分からなかったみたい。
お互いに顔が真っ赤になっている。
「あ、あ、あ、あ……ありがとう」
蚊の鳴くような声しか出せなかった。
「お、おう」
その後は記憶が途切れる事も無く、バスで深山町まで戻る事が出来た。
バスから降り、しばらく歩いていると、セイバーは夜空を見上げながら言った。
「……今日はその……、楽しかったですね」
「うん!」
「だな」
「ああ」
「そうだね」
「……ああ」
みんな、同じ夜空を見上げながら頷いた。
途中、記憶が何度も途切れたけど、だけど、凄く楽しかった……。
「ねえ、士郎」
「ん?」
「後で……、聞かせてもらえないかな」
僕は勇気を振り絞って言った。
「……この前の答え」
一拍置いて、士郎は頷いてくれた。
「答えるよ。ちゃんと、今度こそ」
「……うん」
空に浮かぶ星々を見上げながら、僕は喜びの涙を零した。
「そう言えば……、明日は新月だね」
時の流れは驚くほど早い。もう、聖杯戦争が始まってから、かれこれ半月程になる。
「……父上」
アヴェンジャーは静かに立ち止まり、決意を篭めた瞳で自らの父を見た。
「決着をつけよう」
「あ、アヴェンジャー……?」
戸惑う慎二くんにアヴェンジャーは言う。
「楽しかったんだ。楽しくて……、楽しくて……、幸せ過ぎて……、このままだと、オレはこの幸福に流されてしまう」
アヴェンジャーは言った。
「だけど、オレはこのままで居たくない」
「――――ああ、分かった」
セイバーは穏やかな眼差しを我が子に向ける。
「受けて立とう、モードレッド」
二人のサーヴァントはこれから殺し合うにはあまりにも……、穏やかな表情を浮かべていた。
「シンジ……。どうか、見届けてくれ」
「アヴェンジャー……」
慎二くんは静かに拳を握り締め、震えながら頷いた。
「シロウ。あの時の約束を覚えていますね?」
「……ああ」
士郎も顔に葛藤を浮かべながら、小さく頷いた。
「場所を移そう。最初の倉庫街で構わないか?」
「ああ、どこでもいい。ただし、全力で来てくれ」
「無論だ」
不思議だ。セイバーとアヴェンジャーはいつも楽しそうだった。二人は決して、互いを忌み嫌ってなどいない。
むしろ、互いを気にしあっている。愛し合っている。
なのに、自然な流れで殺し合いを始めようとしている。
「セイバー……」
「……イツキ。この戦いの結末がどうなろうと、私はいずれ消える身だ。だから、今の内に言っておきます」
セイバーは柔らかな笑みを浮かべ、頭を下げた。
「ありがとう。貴女が友人や士郎を思い、この戦いに参加する決意を固めてくれたおかげで、この現在がある。こうして、再び、モードレッドと思いをぶつけ合う事が出来る。その事に感謝します」
「セイバー」
「幸せになりなさい、イツキ。マスターの事を頼みますよ」
場所を倉庫街へ移し、セイバーとアヴェンジャーは互いに距離を取った。
「父上」
「なんだ?」
「オレは……、オレの選択に一つも後悔などしていない!」
「ああ、私もだ」
二人は剣を構える。
「始めよう、モードレッド。貴公の意思、その剣で示せ!」
「行くぞ、アーサー王!」
時計の針が日付の境界線を超えた。この日、最後の戦いが始まる。
この地における『戦い』は多くの人を巻き込み、多くの出会いと別れを産み、遂に最後の瞬間を迎えようとしている。
始まりと終わりは同義であり、どんな旅もいつかは終わるもの。
ヒトはその終わりにどこに辿り着くのか……。
その日は全てが終わり、全てが始まった日。
運命の再誕……、絶望と希望が渦巻く聖杯戦争の最終幕。