第十三話「セイバー」

 傍目には僕が彫像のように見えただろう。顔に表情は無く、呼吸が浅過ぎて、胸も殆ど動いていない。蹲ったまま、話し掛けられても反応を返さない僕にライダーは頬を膨らませ、先程から部屋の中をゴロゴロと転がりながら、不平不満をぶち撒けている。
 だけど、僕の内側は外側とは対照的に激しく渦巻いている。

「おーい! マスターってば、おーい! おーいってば!」

 後悔の波に呑み込まれてしまいそうだ。さっきからずっと、あの時ああしていれば……、などという益体も無い事を延々と頭の中で考え続けている。
 もっと、慎重になるべきだった。士郎に気づかれないように万全を期すべきだった。なのに、気ばっかりが急いてしまって、最悪の事態を招いてしまった。
 
「ム・シ・し・な・い・で・よ!」

 いや、そもそもサーヴァントなど召喚せずに慎二くんにイリヤスフィールの事を相談しておけば良かったのでは無いだろうか。彼ならきっと僕達の助けになってくれた筈だ。それなのに、どうして僕は自分一人で突っ走ってしまったのだろうか……。
 いや、答えなら分かっている。僕は士郎の前でいい格好をしたかっただけなのだ。
 僕は士郎を助けたいと……、守りたいと言いながら、他の誰かに士郎が守られる事を良しと出来なかった。他の誰でも無く、僕自身の手で士郎を守りたかったのだ。
 だから、士郎を守ろうとしてくれた慎二くんを頼らなかった。
 だから、士郎を救ってくれたかもしれない遠坂凛から距離を取った。
 衛宮切嗣が士郎を救い、士郎にとっての特別となったように……。
 セイバーが士郎を救い、士郎にとっての特別となったように……。
 遠坂凛が士郎を救い、士郎にとっての特別となったように……。
 僕は僕の手で士郎を救い、士郎にとっての特別になりたかったのだ。
 
「……ぁぁ」

 他の誰かによってでは無く、僕の手で士郎を救い、士郎に感謝されたかったのだ。
 士郎に僕だけを見て欲しかったのだ。

「……ぅぅ」

 最悪だ。酷過ぎる。浅まし過ぎる。
 結局、僕は自分の事ばかり考えていた。だから、誰の手も借りずに自分のエゴを通してしまった。
 あまりの自己嫌悪に頭がおかしくなりそうだ。吐き気が込み上げてくる。

「マ、マスター!?」

 ライダーが駆け寄って来る。心配そうな表情で僕の背中を擦ってくれる。
 考えてみれば、彼女にも酷い事をしてしまった。彼女もサーヴァントである以上、聖杯で叶えたい願いがある筈だ。だけど、彼女の願いは決して叶わない。
 僕は士郎を守りたいだけだ。だから、聖杯自体に興味など無く、ただ、イリヤスフィールを退ける事が出来ればそれでいいと考えていた。僕には最後まで勝ち残る気が更々無かったのだ。
 いや、そもそもそれ以前にこの聖杯戦争の聖杯は既に壊れている。例え、最後まで勝ち残り勝者となっても願いを叶える事は出来ない。
 僕はその事を知っていた。知っていた癖に彼女を召喚した。自らのエゴの為に……。

「ライダー……」
「どうしたの?」

 ライダーを見つめると、彼女はまるで壊れ物に接するかのように慎重な顔つきをしている。どうやら、今の僕の状態はよほど酷い有り様らしい。
 
「……ごめんね」
「え?」

 気が付くと、僕の口は勝手に動き出していた。

「僕は君の願いを叶えてあげる事が出来ないんだ……」

 ああ、僕は何を言っているんだろう。罪悪感に押し潰されそうだからと言って、そんな事を口にしたらライダーに見限られてしまうではないか……。
 分かっているのに僕の口はペラペラと動き続けた。
 僕が聖杯を欲していない事。
 ただ、イリヤスフィールを退ける為だけに彼女を召喚した事。
 あまりにも身勝手極まりない話だ。話し終えた後、僕はとてもじゃないけど彼女の顔を見る事が出来ず、腕の中に顔を隠した。
 怒っているに違いない。殺されてしまうかもしれない。あまりにも理性を逸した行動だった。だけど、もう手遅れだ。僕は何度間違いを犯せば気が済むのだろうか……。

「……ふむふむ、なるほどね」

 ところが返って来たのは穏やかな声だった。

「なら、仕方ないね」

 あまりにも優しげな声だったから、僕は思わず顔を上げた。
 
「いいよ、マスター。一緒にシロウを守ろう」
「え?」

 そのアッケラカンとした物言いに思わず言葉を失った。

「どうしたの?」

 不思議そうに小首を傾げるライダー。
 僕は言葉を取り戻そうと必死になった。

「ど、どうして……?」
「なにが?」
「だって……、ライダーには叶えたい願いがある筈でしょ?」
「うん」
「……だったら、どうして怒らないの?」

 僕の言葉にライダーは当たり前のような顔をして言った。

「だって、マスターには『何でも願いの叶う万能の杯』よりも大切なモノがあるって事でしょ? なら、考えるまでも無いよ」
「何を言って……」
「ボクにも叶えたい願いはある。でも、大切な人を守りたいというマスターの思いを踏み躙って、仮もしそれで聖杯を手に入れたとしても、ボクはボク自身の事が嫌いになっちゃう。だったら、何をより優先すべきかなんて、考えるまでも無いよ」

 そう言って、ライダーは僕の手を包み込むように両手で握った。

「大切な人を守りたいという気持ち。それはとても尊いモノだよ。そして、そんな尊いモノを守る事こそが英雄の役目なんだ。マスター、ボクは英雄なんだ。だから、ボクは君のシロウへの思いを守る」

 どうして、僕は彼女を召喚出来たんだろう……。
 あまりにも僕と彼女は違い過ぎる。
 太陽のような輝きを持つ彼女。それを見上げる根まで腐り果てた雑草。二人を繋ぐものなど、一方的な憧れくらいのものだ。
 
「ライダー……、ありがとう」

 丁度その時、外の土蔵から莫大な魔力の波動を感じた。
 どうやら、士郎がサーヴァントの召喚に成功したらしい。

「ほらほら、想い人が来てしまうよ? 涙を拭いて」
「……うん」

 ライダーのおかげで少しだけ落ち着くことが出来たけど、襖の向こうから現れるであろう士郎のサーヴァントの事を考えると胸が苦しくなる。
 士郎が召喚したサーヴァントは恐らく彼女だろう。その出会いは士郎にとって、死しても尚忘れられない鮮烈な記憶として彼の脳裏に焼きついた筈だ。

「……士郎」

 彼女との出会いによって、彼の運命は決定付けられる。
 例え、彼の心を彼女に奪われなくても、彼の生き様は彼女の在り方によって固定されてしまう。
 士郎がサーヴァントを召喚してしまった以上、もう今まで通りにはならない。例え、勝ち残り、生き延びたとしても、彼は二度と振り向いてくれないだろう。
 
「……ぅ」

 最悪だ。この期に及んで、考えている事がソレだなんて終わっている。
 士郎の未来を心配しているように見せかけて、その実、士郎を手放したくないという自らの欲望ばかりを中心に据えている。

「マスター」

 ライダーがそっと頭を撫でてくれた。

「何を考えこんでいるのか知らないけど、君は一人じゃないんだぜ? 悩みがあるなら相談してごらんよ。ボクは君のサーヴァントなんだからさ」

 優しい言葉に涙が堪え切れなかった。
 丁度その時、襖が開いた。外から士郎が入ってくる。

「樹……」

 涙を服の袖で拭って顔を上げる。そこには士郎の他にもう一人。
 青い衣に銀の鎧。金色の髪に翡翠色の瞳。結い上げた髪や鎧に刻まれた紋章を見るまでも無く、一目で分かった。彼女こそがセイバーなのだと……。
 そのあまりの美しさに思わず見惚れてしまった。アニメ絵では表現し切れないゾッとするような美しさ。
 確かに、この美しさを忘れる事は死を持ってしても不可能だろう。そう、納得してしまう程、彼女は綺麗だ。

「……マスター。彼女は?」

 目と目が合った瞬間、恐怖のあまり身動きが取れなくなった。
 これが世に言う殺気というものなのだろうか……。

「待て、セイバー! 樹は俺の家族なんだ!」
「……詳しい説明をお願いします」
「ああ、説明ならする。だから、とりあえず樹を睨むのは止めてくれ」

 セイバーの視線が逸れ、漸く体の痺れが取れた。

「大丈夫?」

 ライダーは案じるように問いながら、鋭い眼差しをセイバーに向けた。
 無言のまま、セイバーとライダーが睨み合う。まるで、互いの間合いを見計っているかのような剣呑とした空気に士郎が慌てて割って入った。

「セイバー。樹は敵じゃないって言っただろ? ライダーも構えを解いてくれ」

 士郎の言葉にセイバーは大人しく引き下がった。

「ッフン!」

 ライダーは鼻を鳴らしながら渋々といった感じで僕の所に戻って来る。

「……ごほん」

 わざとらしい咳払いをしながら、士郎はセイバーに向き直った。

「とりあえず、きちんと自己紹介から始めよう。俺は士郎。衛宮士郎だ」
「……ぼ、僕は樹です。飯塚……、樹です」

 ライダーはどうやらかなりご立腹らしく、口をへの字に曲げたままセイバーを睨んでいる。セイバーはしばらくの間、僕達の顔を見回した後、ゆっくりと口を開いた。

「……私はセイバーです」

 セイバーはゆっくりと僕の顔を見た。表情は無いけど、さっきよりも圧迫感が少ない。どうやら、殺気を向けられているわけでは無いらしい。

「イツキ……、と言いましたね? 先程は無礼な振る舞いをして申し訳ありませんでした。何分、召喚された直後だったもので、状況の把握をするにも情報が不足していたもので……」
「えっと……?」
「ですが、マスターの反応や貴女の態度を見て、貴女方がとても親しい間柄である事を確信出来ました。まだ、詳しく聞かなければならない事が多々ありますが……、これから協力関係を築くのであれば、どうか先程の無礼を赦して頂けるとありがたい」
「あ……えっと、僕は別にその……。えっと、よ、よろしくお願いします」
「ええ、よろしくお願いします」

 思わずドキッとしてしまった。微かに表情が和らいだ彼女の顔はより一層魅力的だった。
 
「……へん! ボクはそう簡単に許してあげないからね!」

 ボーっとしていると、突然ライダーがそんな事を言い出した。

「ラ、ライダー……?」
「構いません。我々がサーヴァントである限り、貴女もいずれは決着をつけなければならない相手だ。此方も慣れ合うつもりはありません」

 再び部屋中に張り詰めた空気が満たされる。
 
「そこまで! 頼むから喧嘩は止めてくれ、二人共」

 既の所で士郎が止めに入る。
 
「ラ、、ライダー」

 僕はそっとライダーの手を引っ張った。

「マスター?」
「……その、セイバーはこれから一緒に戦う仲間だから……、その――――」

 僕の言葉にライダーは頬を膨らませ、盛大な溜息を零した。

「分かったよ。マスターがそう言うなら仕方がないや。ボクの名前はアストルフォ。シャルルマーニュ十二勇士が一人だ!」

 いっそ惚れ惚れとするくらい男前な名乗り口上にセイバーが唖然としている。
 可愛い上にかっこいい。性格も文句無しだし、僕はどうやら大当たりを引いたみたいだ。少なくとも、人としては。

「……なるほど、名乗られた以上、此方も黙しているわけにはいきませんね」

 セイバーは溜息混じりに言った。

「我が名はブリテン王、アルトリア・ペンドラゴン。此度はセイバーのクラスを得て現界した。シャルルマーニュ十二勇士が一人、アストルフォ。いずれ決着をつけるその時まで、我が背を貴殿に任せるとしよう」
「任された!」

 二人の英霊は互いの目を見つめ合い、やがて相好を崩した。

「えっと……、盛り上がってるとこ悪いんだけどさ……」

 あまりにも良い雰囲気だったものだから、士郎は非常に申し訳無さそうな表情を浮かべながら口を挟んだ。

「セイバーはつまり……、あのアーサー王って事なのか?」
「恐らく、マスターが考えている通りの存在です。選定の剣を引き抜き、ブリテンを統べる王となったアーサー王。それが私です」
 
 士郎は呆気にとられたような表情を浮かべている。

「……ア、アーサー王って、女の子だったのか」

 まあ、驚く気持ちは凄く良く分かる。最初にFateをプレイしていた時は僕も彼女の正体をアーサー王とは思わず、ジャンヌ・ダルクだと思い込んでいた。
 ライダーとの一線でエクスカリバーが発動し、エクスカリバーの単語でググッて初めて正体を知り驚いたものだ。
 正直、僕の中のエクスカリバーは白いおじさんだったから、アーサー王自体はあんまり詳しくなかったけど、それを切っ掛けに色々と調べたりしたものだ。
 
「驚くのも無理はありません。当時、私は王である為に女である事を隠し、男として通していましたから」
「そ、そうなんだ……」

 士郎は受けた衝撃の大きさにまだ落ち着きを取り戻せずにいるみたいだ。

「ところで、自己紹介も済みましたし、今後の方針について話し合いたいのですが、よろしいですか?」
「あ、ああ、もちろん。でも、その前にお茶を淹れてくるよ。長い話になりそうだし」
「あ、僕が淹れてくるよ!」
「じゃあ、ボクもお手伝いするよー!」
「あ、ありがとう、ライダー」

 ライダーと共に台所へ向かいながら、横目でチラリとセイバーを見た。
 本当に綺麗な顔をしている。見目だけでは無く、中身も人として最高峰だと分かっているからこそ、胸がざわめく。
 純粋な男としての視点で見れていたら、きっと、こんな奇妙な気持ちを抱く事は無かったのだろう。
 どうして、この世界に来てしまったのか?
 どうして、若返ってしまったのか?
 どうして、女になってしまったのか?
 未だに答えは分からない。分かる時が来るのかどうかさえ分からない。
 でもせめて……、男のままで居たかった。
 そうしたらきっと……、こんな嫌な感情を持たずいられたのに……。

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