第二十四話「士郎」

「……何という顔をしているんだ、君は」

 アーチャーが呆れたような表情を向けてくる。

「煩いわね―。頭の痛い事ばっかりで苛々してるのよ、黙ってなさい!」
「やれやれ、優雅さが足りないな」

 アーチャーはそう言い残すと肩を竦めて部屋の隅に移動していく。
 優雅さが足りていない自覚はあるけど、この問題山積みの状況では仕方がない。
 まだ、敵のサーヴァントは一体の脱落者も出ていないというのに、聖杯の異常だの、実体を持つ謎のサーヴァントだの、いい加減にしろと言いたい。
 とは言え、苛々しているだけでは時間が勿体無い。何か建設的な事を考えなければ……。

「ん?」

 ふと、妙な旋律が耳に響いた。
 何事かと後ろを振り向くと、アーチャーが何やら口笛を吹きながら作業に没頭していた。
 随分とご機嫌な様子……、イラッと来るわね。

「……何してるの?」

 聞いても答えず、アーチャーは作業を続ける。

「ちょっと、アーチャー! 聞こえなかったの!?」

 声を荒げると、漸くアーチャーは顔を上げた。

「おやおや、命令通りに黙っていたのだが、何やらお冠かな?」
「ああ、分かった! 喧嘩を売ってるのね? そうなのね? 買ってやろうじゃないの、表に出なさい!」
「まあ、落ち着け、マスター。何をしているのか? という質問だったな。見ての通り、屋敷内で見つけた機械のレストア中さ」

 実に爽やかな笑顔でアーチャーは言った。よく見てみると、彼が弄っていたのはラジカセだ。彼の周りには部品らしきものが散らばっている。どうやら、わざわざ分解しているらしい。

「単純な構造に見えるが、意外と多機能みたいでね。中々手応えがありそうだ」
「楽しそうね……」
「ああ、こうして分解してみると構造がよく分かって面白い」

 面白いと来たか……。
 意外な一面と言うべきか、ある意味らしい一面とも思える。

「貴方って……、意外と人間臭い所があるわね」
「意外と……、とは心外だな。前にも言った通り、私は『正義の味方』という概念の体現者という立ち位置で英霊の座に据えられているが、一応、人間だったのだ。それなりに趣味くらいあるさ」
「そうだったわね」

 ちょっと変わっているけど、こんな風に自分の趣味を持っていたり、料理が得意だったり、所々世俗地味た所があるのに、どうして彼は『正義の味方』なんてものに憧れを抱いたりしたんだろう。
 何度か彼の生前の夢を見た。
 様々な災害現場や戦場を練り歩き、その度に死にそうな目にも合いながら多くの人を救っていた。それこそ、死の直前まで人を救うために奔走し続けていた。
 見返りなんて殆ど無いのに、必死に人を助け続けて、彼はそれで何を得られたんだろう?

「ねえ――――」

 試しに聞いてみた。答えてくれる事を期待してたわけじゃない。だって、誰にだって人に話したくない事がある筈だもの。
 だけど、思いの外簡単に彼は語ってくれた。

「『ありがとう』という言葉の重さを教えてくれた人が居たんだ」

 噛みしめるように彼は言った。

「……もう、その人の顔も名前も思い出せない。だけど、それが私という『正義の味方』の始まりだった」

 まるで泣きそうな顔をして、嬉しそうな口調で、誇らしそうに言う。

「それ以前から正義の味方になりたいという思いはあった。だけど、もし『あの人』の言葉が無かったら、私は違った道を生きていただろう。少なくとも――――、天寿を真っ当し、友人に葬式を挙げてもらうなどという展開にはならなかっただろう」
「ふーん。もしかして、その人って、貴方の恋人だった人?」
「さて、どうだったかな……」

 はぐらかしたのか、本当に忘れてしまったのか、私には分からなかった。
 ただ、アーチャーは少し寂しそうな顔をしていた……。

 ◆

 気が付くと、奇妙な場所に居た。
 果てしなく続く荒野。常に黄砂を含んだ風が吹き荒び、目が痛くなる。
 だけど、目を閉じられない。目の前に広がる鋼の墓標を前に、俺は只管圧倒されている。

『……これは』

 名剣と呼ばれるような物は殆ど無い。あるのは良くて博物館にあるような骨董品ばかり、後は包丁やナイフといった日用品。
 だけど、一本だけ異彩を放つ剣があった。

『……これはモードレッドの』

 始まりの夜、ランサーとセイバーの戦いに乱入して来たサーヴァントの剣だ。

『どうして……、こんな物が――――』

 触れようとして――――、

「……んあ?」

 目が覚めた。どうやら、俺は夢を見ていたらしい。
 惜しかった。どうせ夢なら、あの稀代の名剣を手に取ってみたかった。
 白銀に輝く刀身はまさしく王位を象徴するに相応しい美しさだ。
 後少しで手に取る事が出来たというのに――――。

「あ……、ちょっ……、だ、大胆」
「え?」

 何故だろう。掌に凄く柔らかい感触が……、

「し、士郎……」

 寝惚けていた頭が一瞬で覚めた。
 どうやら、昨日道端で倒れた樹を藤ねえの家まで運んで布団に寝かせた後、そのまま俺も眠ってしまったらしい。

「……こ、これが揉まれる感触なのか」

 つまる所、今この瞬間、掌で感じている柔らかさは……、樹の――――、

「ホァア!?」

 吹き飛んだ。さっきの夢の余韻など完全に吹き飛んだ。
 というか、思考そのものが吹き飛んだ。

「あ、えっと、これはその! いや、何ていうか、ち、違うんだ! べ、別に触ろうとか――――」
「ふぎゅ……、うぁ」

 や、柔らかい……。

「じゃなくて! ってか、いつまで障ってるんだ、俺!」

 やばい。掌に思いっきり感触が残っている。未練がましく、もっと触らせろと唸っている。殆ど鷲掴み状態で思いっ切り堪能してしまったせいで、頭の中が邪なものでいっぱいになっていく。
 今まで必死に我慢していたのに一気に溢れ出してしまいそうだ。

「と、とにかくすまない! 本当にすまなかった!」

 逃げ出した。本当に最低の根性無しだ。だけど、今、樹の顔を見るわけにはいかない。元々、色々と限界だったのに、完全に振り切れてしまう気がする。
 廊下を走り中庭に出る。手近な木に向かって、思いっ切り頭をぶつける。

「シ、シロウ!?」
「な、何をしているんですか!?」

 ライダーとセイバーがギョッとした様子で駆け寄って来る。だけど、俺は今、煩悩を払う事に大忙しなのだ。手出し無用!

「うぉぉおおおおお!」
「き、気を確り持って下さい!」
「あ、頭から血ィ! 血が出てる! ボ、ボク、タイガ呼んでくる!」
「お願いします! マスター、どうか落ち着いて下さい! 何があったのですか!?」

 言えるわけがない。大切な家族のおっぱいを思いっ切り握り締めた挙句、劣情を催したなんて、口が裂けても言えない。
 
「……あ」
「マ、マスター!?」

 どうやら、強く打ち付け過ぎたようだ。
 意識が遠のいていく――――……。

 ◇

 樹と初めて出会った日の事を俺はよく覚えている。
 アレは病院での出来事だった。
 樹は病院を抜け出そうと二階の窓から飛び降りようとしていた。
 どうやら、自分の家に戻ろうとしていたらしい。
 まったく、なんて破天荒な女の子だろうと呆れたものだ。

 そうなんだ。
 あの頃の樹は今と違って凄く活動的だった。
 俺が切嗣みたいになりたくて、イジメっ子に殴りに行った時など、エアガンと竹刀を持って俺以上に大暴れだった。
 料理や家事だって、どんどん一人でこなして、俺と切嗣は手伝おうとしても邪魔にしかならなかった。
 魔術に関しても樹は切嗣が『既に完成している』と評するくらいの才能を持っていたし、学校の勉強も常にトップだった。
 だから、俺は樹を単純に凄い奴なんだとずっと思っていた。

 変わってしまったのは多分、切嗣が死んだ頃からだ。
 以前のような元気が無くなって、引っ込み思案な所を見せ始めた。
 だけど、俺はそんな樹の変化に直ぐに気付いてやる事が出来なかった。
 切嗣との約束を守るため……、そんな事、言い訳にもならないけど、俺は只管『正義の味方』になる事だけを目指して日々を過ごしていた。
 遠くの事ばかりを気にして、一番近くに居た大切な家族を蔑ろにしてしまった。
 慎二と出会ったのも確か、その頃だったと思う。
 慎二や周りの奴と遊びに出掛ける事も増えて、余計に家の事が疎かになった。
 その結果がアレだ……。
 樹は酷い虐めにあっていた。
 本人は大した事じゃない、なんて言ってたけど、慎二が周りの奴から聞き出した虐めの内容は身が引き裂かれるかと思う程酷い内容だった。

『なんで、俺は……』

 一番見てなくちゃいけない相手から目を逸らしていた。
 ずっと、後悔のしっぱなしだ。樹は以前のように振る舞ってくれなくなった。
 まるで媚びるように接して来たり、わざと脱ぎ立ての下着を俺の目につく所に置いたり――――。

 鈍い方だって自覚はあるけど、さすがの俺にも樹がどういう意図でそんな真似をしているのかくらい分かる。
 もし、それが本心からの行動だったら、それは凄く嬉しい。
 俺にとって、樹は子供の頃からずっと憧れの存在だったのだから……。

『樹が本当に欲しているのは俺じゃない』

 樹は切嗣の事が大好きだった。俺が切嗣に剣道の指南をしてもらっている時なんて、物凄く嫉妬して来て、藤ねえに習った出鱈目な剣技で殴りかかって来たくらいだ。
 
『樹が本当に好きなのは切嗣だ』

 だけど、樹の大好きな切嗣は死んでしまった。
 大好きな人が死んで、酷い虐めを受けて、一番近くに居た俺はその事に気付いてやれなくて……、折れてしまったんだ。
 俺は樹を守る。何があっても絶対に……、だから、俺は――――、

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