第二十九話「アトゴウラ」

 勝敗は決した。あと数刻もしない内にバーサーカーはランサーを討ち取るだろう。その後はバーサーカーにアーチャーの始末を任せ、リズとセラをマスターの討伐に向かわせる。それで終わり。所詮、有象無象に過ぎない雑魚相手では憂さ晴らしにもならなかった。聖杯に選ばれたマスターがこの程度とは実にガッカリだ。
 
「アーチャー!」

 突然、周囲の光景が一変した。遥か地平まで広がる剣の墓標は朧のように掻き消え、元のアインツベルン城の玄関ホールに戻った。
 さっきと唯一違う点は私の眼前に遠坂凜の放った宝石魔術が解放直前の状態で迫って来ている事。

「―ー――なるほど、最後に面白い手を打ってきたわね」

 けれど、残念。固有結界の解除時に私の排出先を宝石魔術の術式解放地点に指定した事は素直に感心した。悪くない一手だった。
 だけど、もう少し考えるべきだった。今の短い戦闘の間に私が何回『空間転移』の魔術を行使したと思っているのだろうか?
 私という存在は『小聖杯』の外装として作られた。故に、私の起源は『聖杯』であり、その本質は『願いを叶える』というもの。
 私はただ願うだけで良い。それだけで、あらゆる魔術を過程を無視して行使する事が出来る。
 避けよう。ただ、そう思っただけで私は空間を跳躍し、安全地帯へと退避する事に成功した。

「お嬢様!」

 すぐさまセラが駆け寄って来た。

「……状況は?」
「まんまと逃げられました。あのサーヴァントを除いて……」

 なるほど、私に対するアクションは逃走の為の時間稼ぎに過ぎなかったというわけだ。ますます、面白い。
 だけど、私達を足止めする為に用意した捨て駒がサーヴァント一体というのは如何なものか。せめて、もう一体の方も残して行くべきだった。二騎のサーヴァントが決死の覚悟で挑んで来たなら、時間稼ぎくらいは出来たかもしれない。
 しかし、一体だけではどちらが残っても結果は明白。

「――――時間稼ぎにもならないと分からなかったのかしら?」
「ッハ、ほざきやがる」

 私の視線を真っ直ぐに受け止め、ランサーのサーヴァントは獰猛な笑みを浮かべる。名に恥じぬ猛犬振りだ。
 アレの正体は既に把握している。一世紀頃の北アイルランドを舞台にした伝説に登場する大英雄、クー・フーリン。
 自国に疫病が蔓延した時、たった一人で敵国の進軍を阻んだという規格外の逸話を持つ英霊だ。
 だけど、如何に優れた英雄も私のサーヴァントには敵わない。だって、私のサーヴァントは『最強』なのだから。

「――――こっちは端から時間稼ぎなんぞするつもりはねーよ」

 だと言うのに、ランサーは飄々とした態度を崩さず、あろう事か余裕の笑みすら浮かべ、そんな言葉を口にした。

「……言っておくけど、もう貴方の宝具はバーサーカーに通じない。如何に武勇に秀でた英雄でも、バーサーカーを殺し尽くす事なんて不可能なのよ」
「確かにBランク以下の攻撃を無効化する上、一度受けた攻撃は二度と通じないってのは、中々厄介だよな」

 絶望的な状況。勝利する事など絶対に不可能な上、主が逃げ切るまでの時間稼ぎをする事すら危ういという状況でランサーは尚も笑みを絶やさない。

「……舐めてるの?」
「舐めているのはどっちだ?」

 瞬間、ランサーの全身から激しい殺意が放たれた。空気を震わせる程の濃厚な殺意。ただ、立っているだけで相手に死を強要する『恐怖』という概念の体現者。
 これが、アルスター伝説に名を馳せる大英雄の覇気。

「バーサーカー!」

 さっきまでとは明らかに空気が違う。言ってみれば、さっきまでの彼は首輪を着けられ、飼い慣らされたペット。だけど、今の彼は――――、

「……さて」

 ARGZ、NUSZ、ANSZ、INGZ……、四つのルーンが私達の居る玄関ホールの四隅に浮かび上がる。

「四枝の浅瀬――――、アトゴウラ……」

 その陣を布いた戦士に敗走は許されず、その陣を見た戦士に退却は許されない。赤枝の騎士の間に伝わる一騎打ちの大禁忌。

 ◇

「良かったの……?」

 遠坂凛が問い掛けて来る。

「……彼を信じます」

 ランサーを一人残しての撤退。提案して来たのはランサー本人だった。
 彼は一人であの怪物を打ち倒してみせると息巻いていた。けれど、そんな事は不可能な筈だ。バーサーカーの能力があの少女の言葉通りのものなら、ランサーに勝ち目など無い。
 ランサーは死ぬ。例え、彼が何らかの方法でバーサーカーの攻撃無力化能力を突破する妙手を持っていたとしても、私達が居なければ、あのホムンクルス達もバーサーカーの援護に回る筈だ。唯でさえ、バーサーカーは強敵なのに、あのサーヴァントに比肩する二体のホムンクルスと同時に戦えば、勝機は無い。

「バゼット……?」

 遠坂凛が足を止めた。馬鹿な、何をしているのですか? 今は一刻も早くこの森を抜けなければならないと言うのに!

「やっぱり、貴女……」

 そこで気がついた。遠坂凛は足を止めているのに、一向に彼女に追いつけないで居る自分に……。
 私の足も動いていなかった。

「……ああ」

 彼が命を賭して時間を稼いでくれているというのに、私は暢気にも星空を見上げ、古い伝承を思い出していた。

 ■

 ドルイドは語る。

『この日、幼き手に槍持つ者はあらゆる栄光、あらゆる賛美を欲しいままにするでだろう』

 予言は真実だった。その日、一人の幼子が槍を手に取った。そして、その少年は五つの国に名を馳せた。
 いと嵩き光の御子。時代が終焉を迎えるその刻まで、人も鳥も花でさえも、彼を忘れる事は無かった。
 だが――――、栄光の道を進み続けた果てに彼の魂は地平の彼方へと没した。
 あまねく勇者達が幾ら手を伸ばしても届かぬ武勲を手に、彼は若くして命を落としたのだ。

 ■

 ドルイドが占った戦士の未来は最大の栄光を得る代わりに、誰よりも早く命を亡くすというものだった。占いに興味を惹かれて集まった少年達は皆恐れて動けなかった。なのに、占いに無関心だったその少年だけは迷わずに王の下へ向かい、渋る王を説き伏せて戦士となってしまう。
 昔、ある男にこの話を持ち掛けた事がある。彼は私が『クランの猛犬』の伝説に抱いている恐怖を……、悲しさをアッサリと見抜いてみせた。

『――――その少年は初めから予言を知っていたのだろう。恐らく、自分はそういう風に生きるのだと確信を持って生まれて来たのだろうさ。ドルイドの予言に従ったわけではなく、ただ、自らに与えられた責務として『運命』を受け入れたに過ぎない』

 そんな非業の運命を素直に受け入れ、変えようとさえしなかった英雄が私は怖かった……、悲しかった……、だから、救ってあげたいと思った。
 
「……すみません、先に行って下さい!」

 愚かな考えだと分かっている。だけど、私は元来た道を走っている。
 きっと、彼は自分が死ぬ事を私などよりも遥かに正しく理解していた筈だ。なのに、その運命を受け入れた。生前、自らの非業の運命をアッサリと受け入れたように……。
 駄目だ。そんなの駄目だ。

「……ああ、やっぱりこうなったか。短い付き合いだけど、貴女って、見た目と中身が本当にチグハグよね」

 死地へ向かって全力疾走している私の隣で彼女はそんな言葉を口にした。

「……何故?」
「協力関係だしね……。それに、借りを作ったまま、死なれたら困るのよ」
「やれやれ……、実に理性的な判断だな、マスター」

 彼女のサーヴァントも憎まれ口を叩きながら私を追い抜く。
 必死に鍛えた心の鎧が罅割れていく。

「ありがとう……」

 遠坂凛は答えない。だけど、彼女の口元には優しげな微笑みがあった。
 アインツベルン城に到着すると、そこは激しい戦闘の余波で廃墟と化していた。
 あちこちに火の手があがり、大穴が穿たれ、瘴気が蔓延している。

「ランサー!」

 離れている間にここでどんな戦いが起きていたのかサッパリ分からない。
 ただ、手の甲に宿る令呪が彼の生存を証明し続けてくれている。

「どこ……、ランサー」

 必死に彼の姿を探す。

「こっちだ!」

 アーチャーの声。彼の声は城の裏側から響いた。そこには大穴を穿たれた城壁があった。彼が指差す方向には樹海が広がり、その一部分がサーヴァント達の暴虐によって無理矢理切り開かれ、道となっている。
 走る。走る。走る。走る。走る。
 まだ、救えてない。まだ、死なせられない。まだ……、離れたくない。

「ランサー……」

 手の甲が痛む。
 嫌だ……。
 嘘だ……。

「バゼット……?」

 遠坂凛が心配そうに声を掛けてくる。その視線が私の手の甲に注がれ、彼女は押し黙った。

「……消えちゃった」

 涙の雫が頬を伝った。
 必死に取り繕っていたものが剥がれていく……。

「消えちゃった……」

 幼い頃から、私は世界を悲観して見ていた。自分には何も出来ないと卑下して、いつも不安ばかり抱えていた。そんな私が唯一抱けた思い。
 
『何も出来ない私だけど、もしも許してもらえるなら、私が彼を救いたい』

 なのに……。

「それなのに……」

 足に力が入らない。崩れ落ちた私を遠坂凜が抱き留めた。

「アーチャー。バーサーカーの気配は?」
「……さっきまでは嫌になる程渦巻いていたのだがな」

 アーチャーは周囲を見渡し、困惑した表情を浮かべる。

「なら、マスターの方は?」
「もう少し先に気配を感じるな。行くのか?」
「……行くわ」

 遠坂凛が私を地面に座らせた。遠ざかろうとするその背に無意識に手を伸ばす。

「……待って」
「来る?」

 私は頷いた。遠坂凛は困ったように微笑み、私に肩を貸してくれた。

「……じゃあ、行くわよ」

 森の中を歩いて行く。一歩歩く毎に失意で身が削られていく。
 やがて、私達は拓けた場所に出た。より正確に言うなら、拓かれた場所に……。
 そこにはバーサーカーのマスターと倒れ伏した二体のホムンクルスしか居なかった。

「戻って来たのね」

 バーサーカーのマスターは涙を流していた。
 ランサーは居ない。そして、バーサーカーの姿も……、どこにも無かった。

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