あれから一夜明けた。樹は今も目を覚まさない。ただ、疲れて眠っているだけだと信じたいけど、倒れる直前に樹が呟いた不吉な言葉が頭にこびり付いて離れない。
『……この娘に残された時間は少ない。大事にしてやれ』
キャスターとイリヤはあの時の樹を指して、『ヘラクレス』と呼んだ。
全身に広がった刺青。別人のような顔つき。二騎のサーヴァントをあっという間に葬った剣技と弓技。
あの時の樹は確かにいつもの彼女とは違っていた。
「樹……、お前、どうしちゃったんだよ……」
いくら考えてみてもサッパリ分からない。
今、彼女は屋敷の地下で眠り続けている。一度、樹を見捨てようとしたバゼットと遠坂に激怒したライダーが他人を寄せ付けないのだ。一応、俺とセイバー、アーチャーの三人に対してはある程度の譲歩を見せてくれるけど、他の面々に対しては殺意すら抱いている。
「……俺は」
俺もライダーに殺意を向けられるべきだ。だって、あの時、俺は迷ってしまった。樹を助けるか、見捨てるかという選択肢の中で迷ってしまったのだ。
誰よりも、何よりも大切な存在だと思っていた筈なのに、俺は――――、
「……ちくしょう」
どうして、俺はあの時、迷わず樹を助けるという選択が出来なかったんだ……。
「馬鹿か、俺は……」
分かっている筈だ。俺はあの時、秤にかけたのだ。
樹の命とその他大勢の命を秤に掛け、それ故に迷ったのだ。
正義の味方として、どちらを選択するべきなのかを考えてしまった。
「馬鹿野郎……」
多を救うためには小を切り捨てなければならない。
それが正義の味方の在り方だ。
『いいかい、士郎。誰かを救うという事は、誰かを助けないという事なんだ。正義の味方に助けられるのは、正義の味方が助けたモノだけなんだよ。 当たり前の事だけど、これが正義の味方の定義なんだ』
嘗て、養父が俺に言った言葉が甦る。
これが真実だ。俺が目指すべきもの。俺の理想。その為に、俺は小を切り捨てようとした。
例え、その『小』に自らにとって大切な存在が含まれていようとも、正義の味方は決断しなければならない。『多』を救う為に――――。
「馬鹿野郎……。馬鹿野郎……」
その為に樹を死なせるつもりだったのか? ずっと一緒に居た樹を?
たった二人の家族の死を容認しようとしたのか?
「巫山戯るなよ……。なんだよ……、ソレは」
だけど、仕方がない。あの時、もしも樹が自らの手で窮地を脱する事が出来なかったら、俺達は死んでいた。
「巫山戯るな……」
俺達が死ねば、大聖杯の異常を正す事が出来なくなる。
それは十年前の災厄を再現する結果を齎す。
多くの人間が死ぬ。多くの悲しみが生まれる。ならば、その根源を正す為、正しい選択をしなければならない。
「馬鹿野郎……」
たった一人の犠牲で大勢の人間が助かる。ならば、考えるまでも無い。
万人の命の価値は等しく、後はその総量をもって、救う者を選別する。そこに私情を挟み込む余地など存在しない。
「……俺は」
ずっと一緒に居たんだ。病院で、初めて顔を合わせた日からずっと……。
毎日、樹が作る御飯を食べて、同じ屋根の下で一緒に寝て、ずっと一緒に……、一緒に居たんだ。
「樹……」
俺のたった一人の家族だぞ。誰よりも大切な人なんだぞ。
天秤になんて掛けるなよ。犠牲になんて、していいわけが無いだろ。
「……ああ」
また、同じ事が起きたら、俺はどっちを選択するんだ?
また、迷うのか? また、樹を犠牲にしようとするのか?
「迷うもんか……。俺は――――」
俺は正義の味方だ。
俺は樹の家族だ。
俺は正義の味方。俺は樹の家族。俺は正義の味方。俺は樹の家族。俺は正義の味方。俺は樹の家族。俺は正義の味方。俺は樹の家族。俺は正義の味方。俺は樹の家族。俺は正義の味方。俺は樹の家族。俺は正義の味方。俺は樹の家族。俺は正義の味方。俺は樹の家族。俺は正義の味方。俺は樹の家族。俺は正義の味方。俺は樹の家族。俺は正義の味方。俺は樹の家族。俺は正義の味方。俺は樹の家族。俺は正義の味方。俺は樹の家族。俺は正義の味方。俺は樹の家族。俺は正義の味方。俺は樹の家族。俺は正義の味方。俺は樹の家族。俺は正義の味方。俺は樹の家族。俺は正義の味方。俺は樹の家族。俺は正義の味方。俺は樹の家族。俺は正義の味方。俺は樹の家族。俺は正義の味方。俺は樹の家族。俺は正義の味方。俺は樹の家族。俺は正義の味方。俺は樹の家族。俺は正義の味方。俺は樹の家族。俺は正義の味方。俺は樹の家族。俺は正義の味方。俺は樹の家族。俺は正義の味方。俺は樹の家族――――……。
「……ぁぁぁああああああああああ」
分かってしまう。俺はまた迷う。樹の命とその他大勢の命を秤にかけてしまう。
「これが……、正義の味方?」
人の命を軽んじている。まるで、オセロでもしているかのように、人の生き死にを判断している。
吐き気がする。これが正義だと? これこそが、正義の味方が討つべき、悪の思想では無いのか?
「俺は……、俺は……」
◆
「どう思う?」
遠坂凛はイリヤスフィールに問い掛けた。
「……仮説なら立てられるわ」
イリヤスフィールは言った。
「彼女はあの時、自らの肉体を媒介にヘラクレスを憑依というカタチで召喚した」
「それって、可能なの?」
「普通なら不可能。だけど、以前見た、イツキの魔術はかなり特異なモノだったわ。何というか……、見た目は『炎』なんだけど、その実、中身は思念の塊みたいだった。恐らく、イツキの魔術は『霊魂』を操るもの。ガンドのように自らの魂を使うのでは無く、彼女は他者の魂を扱う事が出来るんだと思う」
「……いくら、霊魂の扱いに長けているとは言っても、英霊の魂を憑依させるなど、自殺行為に思えるのですが」
バゼットの言葉にイリヤスフィールも頷く。
「英霊……、それもヘラクレスという規格外の大英雄の魂を憑依させるなんて、ちっぽけなバケツに湖の水を注ぎ入れるようなもの。あっという間に溢れ返って、押し潰されて終わる筈」
「だけど、彼女はヘラクレスとしての戦闘能力を発揮し、宝具まで使って見せた。その上で、今も意識こそ失っているものの、生き長らえている」
「……余程、親和性があったのか、それとも別の要因が絡んでいるのか……、いずれにしても、注目すべき点は別にあるわ」
イリヤスフィールの言葉に凜が眉を潜めた。
「別って……?」
「ヘラクレスの魂を彼女がどこから持って来たのか、という点よ」
「……あ」
ポカンとした表情を浮かべるバゼットと凜にイリヤスフィールは言った。
「考えられる可能性は一つ。恐らく、彼女は大聖杯と繋がっている」
「大聖杯と……?」
「イツキは十年前の大災害の被災者だった。あの火災が聖杯の起動によるものなら、その時、何らかの要因でイツキが大聖杯と繋がってしまったとしても不思議では無いわ」
「何らかの要因って?」
「それはまだ分からない。出来れば、直接、イツキと話す事が出来ればいいんだけど、まだ眠ったままだし、何よりも、ライダーが私達を寄せ付けない」
困ったものだと凜は溜息を零した。
あの時は樹を見捨てる以外に選択肢など無かった。さもなければ、全滅していた。
「立ち止まってる暇なんて無いっていうのに……」
「……いえ、キャスターが倒れた今、私達の障害はあの謎のサーヴァントだけだ。なら、しばしの間、休息を取る事も悪くないと思います」
バゼットの言葉に凜は目を丸くした。
「あら、貴女ならグズグズしてないで、さっさと大聖杯の調査に乗り出すべきだ、くらい言うと思ったけど?」
「……私はサーヴァントを失った身です。なら、サーヴァントを保有している方々の状態回復を優先するのは当然です」
「……そうだった。ランサーの事、残念だったわね」
キャスターを討伐すれば、ランサーが戻って来る。そう期待していた彼女にとって、樹によって彼が討伐されてしまった事は痛手だった筈だ。
「正直言うと、少し堪えています。ですが、泣き言を言っていられる状態では無い。私はイツキが目覚めた時、万全な状態であの謎のサーヴァントに挑めるように準備を整えるまでです」
相変わらず、演技が上手い。
本当は泣きそうな癖に、鉄面皮で自らの感情を上手く隠している。
凛は小さく溜息を零した。
「確かに泣き事を言っていられる状態じゃないわね。まずは飯塚さんの目覚めを待ちましょう。彼女が問題無いようだったら、今度こそ円蔵山に向かう。そして、あの謎のサーヴァントが現れたら対処する。それでオーケー?」
◆
キャスターが倒れた。なら、桜はどうなった?
僕はアヴェンジャーと遠坂から借りたアーチャーを伴い、市内を走り回っている。
樹の事も気になるが、今は桜の方が重要だ。キャスターを失った事で桜がどう行動するかが全く分からない。
「どこだ……。どこに居るんだ、桜!」
今度こそ、桜は聖杯戦争から開放された。だけど、この街には遠坂達が遭遇したという謎のサーヴァントが居る。万が一、桜がソレと遭遇したら、そう考えると頭の中が真っ白になる。
アヴェンジャーとアーチャーが逐一情報を使い魔越しに伝えてくれるけど、手掛かりは一切掴めていない。
隠れ家に出来そうな場所はこれで全て見て回った筈だ。
港の倉庫街。郊外の幽霊屋敷。市内の空き家。
後は――――、
「ここか……」
残された場所はアインツベルンの森。イリヤスフィールが放棄した拠点だ。
アヴェンジャーとアーチャーに脇を固めてもらい、僕は森の中を進む。
「……止まれ」
半日ほど歩いた所で、不意にアーチャーが口を開いた。
緊張した声。嫌な予感がする。
「何かが居る……」
僕は居ても立ってもいられなくなり、無我夢中で駆け出していた。
「桜! 居るのか!?」
森を抜けた。そこには寂れた小屋があった。
そして、そこに男が立っていた。
金髪の男が桜に迫っている。
「桜!」
「に、兄さん!?」
桜と男との間の距離は数メートル。桜は明らかに怯えていて、男は明らかに危険な香りを漂わせている。
「桜から離れろ!」
僕は駆け出した。そして――――、
「いや、お前は待ってろ」
アヴェンジャーが僕の服の襟を掴んで止め、自らが男に向かって疾走していく。
男は向かってくるアヴェンジャーに対して不快そうに鼻を鳴らした。
「……紛い物が」
瞬間、目の前に息を呑むような光景が広がった。
広がる波紋。奴の背後の空間が、まるで水面の如く揺らぎ、無数の武器が顔を出した。その数、二十を超える。
「アヴェンジャー! そのまま、駆け抜けろ!」
アーチャーが叫ぶ。
何を考えているんだ! 僕は声を荒げそうになりながら、背後のアーチャーを睨みつけ、更なる驚きによって気勢を削がれた。
そこには幾つもの刀剣が浮かんでいた。疾走する刃がアヴェンジャーを狙う金髪の男の武器を弾く。
何が起きているのかサッパリ分からない。
「――――ッチ、贋作者風情が」
金髪の男は迫り来るアヴェンジャーから逃げるように跳躍した。アヴェンジャーは男に目もくれず、桜を確保すると同時に戻って来る。
「テメェが円蔵山に現れたっていう、謎のサーヴァントか?」
「……口の聞き方を弁えぬ愚か者め。その不敬、死をもって償うが良い」
再び、奴の背後に揺らぎが生じる。波紋から顔を出す武器の数はさっきの倍以上だ。
「……これは不味いな」
アーチャーが小さく呟いた。
「慎二。桜を連れて、退却しろ。ここは私が引き受ける」
「え?」
僕が何かを言う前にアーチャーは前へと飛び出して行った。
「――――I am the bone of my sword.」
アーチャーはアヴェンジャーに何かを呟くと、彼女に何かを持たせ、僕の方へと突き飛ばした。
「Unknown to Death.Nor known to Life」
アーチャーは金髪の男が繰り出す無数の武器を同じく無数の武器で打ち払う。
そして――――、
「■■■――――unlimited blade works.」
一瞬、炎が広がり、アーチャーと金髪の男は姿を消した。