第四十話「怒涛」

 イリヤ達との話し合いを終えた私は自室に篭っていた。
 
「桜……」

 本当なら、私も慎二と一緒に桜を捜しに行きたかった。桜は元々、遠坂家の者……、つまり、私にとって、妹にあたる存在だ。だけど、父の意向によって、彼女は間桐の養子となり、私と彼女は他人同士となってしまった。その上、両家の間で交わされた不可侵条約によって、会って言葉を交わす事も出来なかった。
 慎二に同盟の話を持ち掛けようと、間桐邸を訪れた時、間桐の魔術について記された書を見つけた。桜が聖杯戦争に参加するために自らの意思でキャスターのマスターとなった事を知った時、その理由が直ぐに間桐の屋敷で見つかった書物と繋がった。
 桜は間桐の後継者を生み出すための母胎として、肉体を弄られていた。刻印蟲によって、身も心も穢され尽くし、あらゆる尊厳を奪われ、日々を過ごしていた。

「……今更よね」

 それを知った所で今更過ぎる。私は桜が間桐に貰われていく時、父の意向だから、と反対せずに彼女の背中を見送った。あの時、私は彼女の姉である権利を放棄した。
 あの子にとって、もはや家族は慎二だけだ。あの子を探すのも、救うのも、私では無く、今は慎二の役割。慎二にだけ、許された権利だ。

「未練がましいったら、ありゃしない……」

 自業自得だ。慎二に対して、嫉妬や憎悪を抱く権利など無い。私は自らの手でそれらの権利を放棄してしまったのだから、今更、彼女の為に何かしようなど、おこがましいにも程がある。
 だけど……、胸がさわめく。彼女が無事である事を祈らずにはいられない。

「桜……、どうか、無事でいて」

 例え、慎二がここに連れて帰ったとしても、彼女とは永遠に他人同士。慎二が兄として彼女に接する時、私は赤の他人として、その姿を遠巻きにしか見る事が出来ない。
 それでも、彼女の笑顔が見たい。また、弓道場で彼女が袴を着ている姿を見たい。あの子が……、少しでも幸福だと思える姿が見たい。

「――――リン!」

 いつまでそうしていたのか分からない。気がつけば、空は茜色に染まっていた。
 手の甲に鋭い痛みを感じ、顔を上げた途端、部屋を慌ただしくノックする音が響いた。ガチャガチャと音を立て、扉のノブが回る。

「イ、イリヤ?」

 入って来たのはイリヤだった。後ろにはバゼットの姿もある。

「シ、シンジから連絡が届いたわ!」
「慎二から!? まさか、桜が見つかったの!?」

 私はベッドから飛び起きてイリヤに詰め寄った。すると、私の手をバゼットが掴んだ。強引に私を引っ張り、彼女は言った。

「妹とは再会出来たそうですが、そこで例のサーヴァントと遭遇したそうです。どうやら、彼の妹を狙って現れたらしい。今はアーチャーが応戦していると」
「アーチャーが!?」

 私は手の甲に視線を向けた。痛みの正体、それはアーチャーが臨戦態勢に入った事で、魔力が引っ張られている事に起因したものだったのだ。
 
「場所はアインツベルンの森です。今から移動手段を用意していては手遅れになる。今、セイバーのマスターがライダーの説得をしています」

 頭をフル回転させる。とにかく、状況は切迫している。
 アーチャーを令呪で強制離脱させる事はまだ出来ない。あの謎のサーヴァントは得体が知れな過ぎる。奴が桜を狙っているなら、応戦中のアーチャーを呼び戻す事は彼女を危険に晒す事と同義だ。
 一刻も早く現場の情報を掴む為にも、桜を救い出す為にも、バゼットの言う通り、ライダーに動いてもらわなければならない。

「……最悪。こんな時に」

 私は昨夜、彼女のマスターを見殺しにしようとした。ライダーは逆鱗に触れられた竜の如く怒り、屋敷に戻った後も地下で私達に殺意を振りまいている。
 さすがに攻撃こそしてこないけど、今の彼女に力を貸してもらう事など果たして出来るだろうか……。

「遠坂さん」

 一階に降りて行くと、そこには予想外の人物が居た。
 未だ、意識を失っている筈の飯塚さんが衛宮君とライダーに支えられながら立っていた。

「慎二くん達やアーチャーが危ないんでしょ?」

 思わず、言葉が詰まった。ついさっき、切り捨てようとした相手から救いの手を差し伸べられる。その手を気軽に取っていいものかどうか迷いが生じた。
 けれど、私が口を開くより先にバゼットが口を開いた。

「感謝します」

 ライダーは相変わらず私達に殺意を向けているけれど、口は出さない。
 マスターの意思を尊重しているようだ。さもなければ、厚顔無恥な頼み事をしている私達の首を彼女はとっくに落としていた筈だ。

「……ありがとう」

 ライダーのヒポグリフには私とセイバーが乗り込むことになった。
 令呪の発動が必要になる事もあり得たからだ。ライダーは終始無言のまま、ヒポグリフを疾走させた。
 アインツベルンの森へはものの数秒で到着した。
 鷹の目ならぬ、鷲の目と言ったところか、ヒポグリフは瞬時に慎二達を捕捉し、降下した。

「桜!」

 ヒポグリフが地上に降りると同時に私は居ても立ってもいられずに飛び降り、桜の下へ走った。

「と、遠坂先輩……?」

 ギョッとした表情を浮かべる桜を見て、一気に頭が冷えた。

「……無事みたいね」
「は、はい」

 うっかり、この危険で異常な状況が私達の距離を埋めてくれるかもしれないなどと錯覚した。
 当然の如く存在する距離感に拳を握りしめる私に慎二が言った。

「遠坂。アーチャー一人で奴の相手はキツイぞ」
「分かってる。一応、作戦は考えてあるわ」

 ◆◇◆

 地平まで届く荒野。大地に突き立てられた、無数の剣。
 名も無き英霊の生前の足跡がここにある。
 
「……味噌汁、美味しかったな」

 世界に命じる。目の前の脅威を打ち砕け――――、と。

「これは固有結界か……、味な真似を」

 英雄王は唇の端を吊り上げた。
 あの時と同じだ。オレは一度、目の前の英霊と戦った事がある。
 結果は惨敗だった。味方は皆、奴の無限の宝具を前に倒れ伏した。
 そして――――、アレが現れた。

「さて、始めようか、英雄王」
「ほう……、どうやら、どこぞかの時空で蹂躙した小者と見える。良い、雪辱を晴らすが良い。その贋作で出来るのならな!」

 結果は変わらない。時の流れが決して留まる事の無いように、動き出した運命は止まらない。十年前の時点で、それは既に決定している。
 だけど、少しくらい、引き伸ばす事は出来るかもしれない。

「どうした? その程度では、足止めにもならんぞ」

 圧倒的な物量に同数の物量をぶつけるだけの無骨な戦い方。
 これがオレの本来の戦い方だ。剣技も弓技も全ては才能が無い中で永い時を掛けて必死に磨き上げたもの。こと、目の前の男との一戦においては何の役にも立たない。剣の射出の合間に弓で螺旋の刃を撃つが、盾の宝具でアッサリと防がれた。
 唯一、こちらが優っている点は奴がゲートを開き、刃を射出するというダブルアクションを要するのに対して、此方はただ命じるだけのシングルアクションで刃の射出が可能という点だ。
 刀剣に限定されるオレとあらゆる宝具の原点を保持している英雄王では、ステージが違い過ぎるが、それでも僅かな時を稼ぐ事は出来る。

「興醒めだな……。初めから、勝つ気も無いとは――――」

 つまらなそうに奴は言った。

「下らぬ手間を掛けさせた罰だ。せめて、その死に様で我を興じさせよ」

 奴は自らの蔵から一振りの大鎌を取り出した。振られた瞬間、数十メートルは離れている筈なのに、オレの腕が切り飛ばされた。
 一瞬、意識に空白が混じり、次の瞬間、上空から無数の宝具が群れをなして降って来た。咄嗟に盾の宝具を展開する。嘗て、大英雄の投擲を防いだ英雄の盾は僅かにオレの命を永らえさせた。けれど、それは一時しのぎにもならなかった。
 気が付くと、オレは全身を布状の拘束宝具によって束縛されていた。アイアスの盾が防いでくれたのは投擲によって射出された宝具のみ。地を這い、己を付け狙う拘束宝具までは防いでくれなかった。
 目の前に浮かぶ宝具の数は両手の指を使っても数え切れない。

「終わりだ、贋作者」

 ギルガメッシュの号令によって、無数の宝具がその矛先をオレに向ける。
 終わりだ。この攻撃を防ぐ術は無い。拘束宝具に束縛された時点で、固有結界は解除されている。魔術回路をフル回転させて投影による迎撃を行っても、もって数秒だろう。
 勝てない事は分かっていた。あの時もそうだった。オレは奴に一太刀も入れることが出来ず、たった一振りの……、何の神秘も持たない無銘の剣によって切り裂かれ、動けなくなった。
 そして――――、奴は彼女に手を出し、そして……、そして――――、

「――――ああ」

 彼女が作った味噌汁を飲んだ時から記憶の再生は始まっていた。他人から見れば、とてもくだらない事に思われるかもしれない。けれど、オレの人生にとって、あの味噌汁はとても特別だった。

“了解だ”

 正義の味方の体現者――――、それは個人を指すものでは無い。
 歴史上、大衆が望む『正義の味方』という概念を体現した者達が『無銘』という一個の英霊になる。その存在は召喚者や召喚地点、召喚時の環境によって変化する。
 実体無き、架空の英雄。オレはその体現者の一人だったに過ぎない。もし、召喚者が違えば、また別の正義の味方が召喚に応じた筈だ。
 そもそもの話だが、遠坂凛は別に『正義の味方』や『名も無き架空の英霊』を望んで召喚したわけでは無い。彼女は一切の触媒を使わずに召喚に望んだ。故に、彼女が召喚する英霊は『彼女に縁を持つ英霊』でなければならなかった。
 彼女の性質に引き寄せられる英霊も居た事だろう。触媒を使わない事が条件となる英霊も居た筈だ。女である事や、日本人である事などが触媒となる可能性もある。
 だが、『オレ』という存在は中でも群を抜いて彼女と強い縁を結んでいる。
 生前、彼女から譲り受けた一つの礼装。当時のオレには足りない部分を補う為、彼女はオレにソレを譲ってくれた。
 ■を■■為に使ったソレはオレの覚悟の象徴となり、オレが『無銘』となる為に必要不可欠なものだった。故に、それが触媒となった。
 英霊の側が触媒を保有しているという逆転現象によって、遠坂凛はオレを召喚した。

「トレース――――」

 この世界では未来の話となる。恐らく、結末は変わらない。だが、その過程を変える事は出来る。

「――――オン!」

 ソレは遠坂家に伝わる家宝。魔法使いが魔力を注ぎ入れた至高の逸品。
 たった一度の固有結界の発動で枯渇する事など有り得ず、この中には未だ、莫大な魔力が宿っている。
 
「熾天覆う七つの円環!」

 莫大な魔力を糧に強引に投影を行う。

「……悪足掻きを」

 ああ、精々足掻かせてもらおう。

「――――投影、開始」
 
 可能な限りの数の設計図を展開する。

「無駄だと分からぬか、雑種!」

 工程完了――――。全投影、待機。
 盾は徐々に削られていく。だが、ギリギリ間に合った。

「――――停止解凍、全投影連続層写」

 奴が撃ち出す攻撃も、奴自身の事すらも無視して、投影した宝具を地面に向けてバラ撒く。

「贋作者――――、貴様ッ!」

 気付いたようだ。だが、遅い。

“令呪をもって命じる”

 ラインを通じて、遥か上空から聞こえぬ筈の声が届く。

“私の下へ来なさい、アーチャー!”

 瞬間、地面にバラ撒いた宝具を一斉に破裂させる。
 転移によって、上空数千メートルの位置に移動した私は大地を揺るがす破壊の光に思わず苦笑した。

「……少々、やり過ぎたかな」
「これで倒れてくれたら楽なんだけどね」

 傍らに佇むマスターの苦み走った口調に全くの同意見だ。
 だが、このような事態でも無ければ、こんな奇跡は起こるまい。
 遥か眼下に二つの光が降下していくのが見える。
 赤と青の光は共に桁違いの魔力を己の剣に篭め、未だ煙が舞う大地目掛けて振り下ろした。

「エクスカリバー!」
「クラレント・ブラッドアーサー!」

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