第六話「魔術師」

 その時が来ることは分かっていた。僕も士郎も魔術の隠匿なんて高等技術は身に付けていないから仕方が無い。だけど、出来れば避けたかった。だって、どう対処したらいいのかがサッパリ分からないもの。

「衛宮君。それに、飯塚さん。ちょっと、いいかしら?」

 入学式を終え、帰路に着こうとしていた僕達を彼女は呼び止めた。

「えっと……?」

 士郎は目を丸くしている。でも、僕には一目で分かった。だって、物凄く目立つ赤い上着を着ているんだもの。正直、ちょっと浮いている気がする程の見事な赤色だ。もしかしたら、周囲から浮く事を計算に入れているのかもしれない。

「私は遠坂凛。貴方達二人に興味があるのよ。時間は取らせないわ。近くに美味しいカフェがあるから、そこに行きましょう。なんなら奢るわよ?」
「えっと?」

 士郎が僕に視線を向ける。いきなり奢るから付き合えと結構な美人に誘われれば、健全な男子高校生たるもの、動揺するのも仕方がない。

「えっと、ごめんね。僕達、これから夕飯の材料を買いに行くんだ。折角の入学祝いだから豪勢にしたくてね」
「……少しで済むわ」
「えっと……、でも……」

 不味いかもしれない。明らかに苛立っている。眉間に皺を寄せながら微笑むという器用な真似をしている。

「分かったわ」
「じゃ、じゃあ……」
「言い方を変えるわ。冬木の管理者として――――」

 周囲から音が消えていく。そう言えば、いつの間にか周囲から人の気配も消えてしまっている。明らかにヤバい状態だ。こんな事なら素直にカフェについていけばよかった。

「これは!?」

 士郎が動揺している。

「……この異常が分かるって事はビンゴね」

 士郎のうっかりさんめー!

「えっと……、僕達に何の御用ですか? その……」
「遠坂凛よ。冬木の管理者をしているの。単刀直入に聞くわ。貴方達は何者?」

 日常生活でいきなり何者とか聞かれる事は稀だろう。ほら、士郎も完全にフリーズしている。そもそも、管理者って何? って状態だろう。
 ここは素直に答えるべきだ。遠坂凛は別に人格破綻者じゃない。物事の道理を弁えている人物だ。だから、素直に正直な事を話せばそれなりに便宜を図ってくれるだろう。むしろ、ここでちょっとでも虚言を弄そうものなら、お先真っ暗だ。入学したばっかりの高校を変更しなければならなくなる可能性も高い。

「あの……、僕達はその――――」

 とりあえず、大火災の被災者である事と、その時に偶然魔術師に助けられた事、そして、その魔術師から魔術の手解きを受け、その魔術師が天寿を真っ当した話を語った。嘘は一つも無い。なんなら、調べてもらっても構わない。そう言うと、遠坂凛は渋い表情を浮かべた。

「大火災の……。なるほど、その人が何者だったのかはもう少し詳しく聞く必要があるけど、とりあえず、貴方達の届け出が無かった理由は分かったわ」

 眉間に皺を寄せている。

「そいつらの事は僕が保証するよ」
「ん?」

 声の方に振り向くと、いつからそこに居たのか、慎二くんが立っていた。

「……間桐慎二ね。ふーん。私の結界に入り込む程度の腕はあるわけね」
「本当は手の内を晒したくなかったけど、そいつらに妙な真似をされても困るんでね」

 陽気な口調とは裏腹に慎二くんの瞳は恐ろしい程怒気を含んでいる。

「遠坂。そいつらは何も関係ない。ただの被害者だ。余計な事は口にするなよ」

 勿体ぶった言い回しに士郎は困惑している。でも、僕と遠坂さんは彼の意図が分かっている。つまり、彼は僕らに聖杯戦争の事を知られたくないのだ。その事を遠坂さんに言う為にわざわざ結界への侵入などという暴挙を行ったのだ。

「へえ、意外だわ。随分と優しいのね。それとも、この二人は特別?」
「ああ、特別だね。そいつらは僕の友達だ。手を出すなら覚悟しろよ。管理者だろうが、間桐の総てを使って潰す」
「……言ったわね?」

 空気が凍りついたように感じた。二人の発するあまりにも危険なオーラに僕は思わず腰を抜かしてしまった。すると、漸くショックから立ち直ったらしい士郎が前に出た。

「お、おい、慎二! お、お前も魔術師だったのか?」
「……衛宮。お前はちょっと黙ってろ」

 話がややこしくなる。そう言って、士郎を黙らせると、慎二くんは再び遠坂さんと睨み合った。

「随分と面白い事を言ったわね、彼。ふーん。つまり、貴方は今まで魔術師である事を彼らに隠していたわけね?」
「お互いにね。まあ、僕はだいぶ前に気付いてたけど、こいつらの脳天気ぶりと馬鹿正直さには呆れたよ。魔力は垂れ流しだし、魔術の痕跡はあちこちにあるし……」
「つまり、貴方は自分の魔力をキチンと制御してるって事?」
「ああ、だからお前は僕に気付けなかったんだろ? お前は僕が魔術師だと分からなかった。魔術師でない人間が結界になど入れない。だから、油断した」

 慎二くんの言葉に遠坂さんは唇を噛み締めた。でも、確か慎二くんは魔術回路を持っていない筈。今の話はちょっとおかしい。どういう事かと考えて、一人の少女の姿が浮かんだ。
 今日は入学式だ。当然、家族の人も来る。その中に彼の妹の姿があっても不思議じゃない。つまり、この結界への侵入ルートを作ったのは桜ちゃんだ。彼の言葉は総て遠坂さんを欺くためのもの。恐らく、すぐ近くに迫っている聖杯戦争のための準備でもあるんだろう。

「遠坂。『僕を侮るな』よ。痛い目にあうぜ?」
「……そのようね。ちょっと、甘く見ていたわ」

 一触即発の空気のまま、慎二くんがゆっくりと僕達の方にやって来た。

「とりあえず、管理者への挨拶は済んだはずだ。この二人は完全に人畜無害な魔術師だから手を出すな。ついでに、余計な事も何も言うな。時が来たら、僕が遠ざける」

 行くぞ、と慎二くんは僕達の手を引っ張って歩き出した。遠坂さんは追いかけて来ない。ただ、ジッとこちらを見つめている。
 だいぶ歩いた後、不意に慎二くんは立ち止まり、深々と息を吐いた。

「あー、ビビったー」

 物凄い汗だ。

「し、慎二?」

 士郎が恐る恐る声を掛ける。

「慎二? じゃねーよ、馬鹿」

 慎二くんは呆れたように溜息を零した。

「いいか? あの女には金輪際近づくな。百害あって一利なしだ。後、僕が魔術師である事を黙っていた事は謝る。でも、お前らも同罪だって事を忘れるな」

 ビシッと指をさして言う。

「いや、それは別に……。魔術師だったって事には驚いたけど……、もしかして、桜もか?」
「あいつ? いや……、あいつは違うよ。お前らが特殊なだけで、普通、魔術師の一族は一子相伝なんだ。魔術刻印とかの関係もあってな。だから、あいつは……ただの何でもない一般人さ。だから、今までどおりの接し方でいいよ。いいか? 魔術の話なんて間違っても振るなよ?」
「ああ、勿論」

 士郎の言葉に慎二くんはホッとした様子で僕に向き直った。

「久しぶりにあがっていいかい? 御馳走だって聞いたからね。桜にも連絡するよ」
「もちろん!」

 その日は桜ちゃんも手伝ってくれたおかげでとても豪勢な夕食だった。大河さんやお祝いに来てくれた柳洞寺の零観さんや弟の一成君も交えた大宴会だった。
 一成くんと僕はあまり接点が無かった。中学が同じで、士郎とも友人同士だったんだけど、家に上がる回数は慎二くんよりずっと少なかったし、学校や外でも挨拶を交わす程度だった。
 でも、士郎と慎二くんは一成くんとかなり親密。三人だけの輪が出来上がっていて、僕は桜ちゃんと一緒に給仕に精を出しながらちょっとだけ羨ましく思った。

「折角のお祝いなのに……」

 もうちょっと、士郎をこっちにも貸して欲しい。桜ちゃんの相手が嫌ってわけじゃないけど、喜びを分かち合いたい気分なのだ。

「元気だして下さい、樹さん」

 ションボリしていると桜ちゃんが声を掛けてきた。

「男の人は男の人同士の方が楽しい事もあるんですよ。でも、衛宮さんは樹さんの事を誰よりも大切に思ってます。だから、後で思いっきり甘えちゃえばいいと思いますよ」

 この子も大分変わった。笑顔がとっても自然になったし、こうして優しく気遣ってくれたりもするようになった。彼女の成長ぶりにちょっと頬が緩む。

「ありがとう、桜ちゃん。うん。後で甘えてみるよ」
「はい! 私も後で兄さんに思いっきり甘えます!」

 原作だと士郎一直線だったけど、今の彼女は慎二くん一直線だ。これも教育の賜物だね。我ながら実にゲスいな……。
 
「桜ちゃん、大好きだ!」

 以前なら絶対出来なかった事だけど、僕は桜ちゃんを思いっきり抱きしめた。

「い、樹さん。苦しいです」
「あはは……、ごめん」

 士郎に構ってもらえないのは寂しいけど、桜ちゃんがいるから気分が上々だった。
 宴会は夜中まで続き、零観さんや一成くんが帰宅し、その後に大河さんも明日の準備があるからと隣家へ帰っていった。後に残った慎二くんと桜ちゃんは僕達と桃太郎電鉄で盛り上がっている。
 友情破壊ゲームの名に相応しい激戦だったけど、最終的に僕が買った。

「お前、あそこであのカードは無いだろ……」

 慎二くんが物凄くムカッとした表情を浮かべている。

「いやー、ついつい」

 ゲームをやってると熱くなるのは悪い癖だ。何事もほどほどが一番。

「とりあえず、今日は僕達も帰るよ。久しぶりに楽しかった。また、来てもいいかい?」「もちろん」

 僕達の声は重なった。思わず吹き出す四人。

「あ、そうだ」

 去り際に慎二くんは僕達にだけ聞こえるように小声で言った。

「昼間の忠告は絶対に忘れるな。普通の魔術師は外道が正道なんだ。下手に関わっても損をするだけだぞ」
「あ、ああ、分かったよ」
「うん。了解」
「ほんとに分かってるのかねー」

 深々と溜息を零しながら慎二くんは去って行った。

「じゃあ、僕達も寝ようか」
「おう!」

 ちなみに僕の部屋は士郎の部屋の隣だ。Fateだとセイバーさんが寝泊まりする場所。昔、とくに考えずに決めた部屋割りで、特に移動もせずに使い続けている。士郎の部屋と比べるとかなり雑多だ。

「おやすみ」
「おやすみー」

 寝る前に髪の手入れを手早く済ませる。この数年間で僕もかなり女子力が磨かれた気がする。今では髪や肌のお手入れもちゃんとするようになった。殆ど、大河さんの入れ知恵だけど、桜ちゃんには僕が教えてあげた。
 桜ちゃんに教えてあげる事は僕の数少ない楽しみの一つだったから、あの頃は色々と頑張って勉強したものだ。

「……来年か」

 来年の冬、聖杯戦争が始まる。準備は整えてきた。正確な日程は分からないけど、逃げ出す用意は出来ている。後は旅券を買ったり、パスポートの手続きをするだけだ。
 でも、僕は迷っている。最初は士郎と一緒に逃げ出せれば後は何がどうなっても構わないと思っていた。でも、今はちょっと違う……。
 友達が出来た。それに、大河さんや零観さん、ネコさん達の事も放って置けない。

「でも……、士郎が……」

 士郎だけは逃さないといけない。だって、彼はFateで何十回も死を迎えているのだ。ちょっと選択肢を誤っただけで、直ぐに死んでしまう。生き残っても、下手をしたら絞首刑台エンドだ。そんなの嫌だ。

「……やだよ」
「どうした?」
「へ!?」

 突然の士郎の声に心臓が破裂しそうになった。

「し、士郎!?」
「えっと、脅かすつもりはなかったんだけど……。なんか、辛そうな声が聞こえたからさ……。泣いてるのか?」

 心配そうに僕の顔を覗きこむ士郎。目の前に立たれると、彼との身長の差が歴然となる。昔は殆ど差が無かったのに、今では見上げなければならない程だ。

「……士郎」
「ん?」
「士郎は僕の事どう思う?」
「どう思うって……、大切に思ってるに決まってるだろ?」

 ごく自然に返って来た言葉に頬が緩む。でも、聞きたいのはその先だ。

「じゃあ、僕と見知らぬ誰かだったら、どっちが大切?」
「は? そんなの樹に決まってるだろ」
「じゃあ、見知らぬ誰かが大勢だったら?」
「え?」
「もしも僕と見知らぬ大勢の人を天秤に掛けたら……、どっちを取る?」
「……何が言いたいんだ?」

 こんなの困らせるだけだ。士郎が答えに窮するのを分かって聞いている意地悪問題。

「見知らぬ大勢の人が助けを求めていたら……、それでも僕と一緒に居てくれる?」

 士郎の目が大きく見開かれた。これでは、まるでプロポーズでもしているような感じだ。だけど、きっと、彼にも質問の真意が伝わっている筈だ。だって、コレは彼の本質に大いに関係している問いかけなのだから……。

「士郎は正義の味方になりたいんだよね?」
「……ああ」
「そうだよね……」

 思わず『止めてくれ』なんて言葉を吐きそうになった。ずっと一緒に居て欲しいと思ってしまった。だって、彼は僕にとって唯一の家族だ。おじさん亡き後、僕にとっての心の支えだ。士郎が居るから、僕は父さんや母さんの事を忘れていられる……、いや、忘れた振りが出来る。
 大河さんもちょくちょく顔を出してくれるけど、やっぱり、僕の家族は士郎だけなのだ。だから、どこにも行ってほしくない。死刑台になんか絶対に行かないで欲しい。

「……ごめん。このままだと、変な事言いそうだから、今日は寝るよ」

 士郎には死んでほしくない。でも、士郎の意思を曲げたい訳じゃない。だって、僕がどんなに嫌だと思っても、士郎は士郎の道を生きなければ士郎じゃなくなってしまうんだ。それはきっと、何よりも残酷な仕打ちだ。
 きっと、僕が完全な女なら、こんな風に迷わなくて済むのかもしれない。変に男が残っているから、男の生き方を理解出来てしまう。そんな訳の分からない理想よりも僕を見て、なんて言えない。だって、僕は恋をしているわけじゃないんだ。ただ、家族が好きなだけなんだ。ああ、いっそ、女になって、この思いを完全に恋にしてしまいたい。そうしたら、きっと彼に言える筈だ。
 どこにも行かないで下さい。僕だけを見て下さい。僕だけの貴方で居て下さい。
 そんな身勝手な事を言えるのに……。

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