第二十六話「冬の少女」

 今は聖杯戦争中だ。だから、時間を一秒たりとも無駄に出来ない。
 セイバーは『やり過ぎです!』と半裸のライダーを小突いた後、申し訳無さそうにそう言って、新たな拠点を入手する為に昨日行けなかった深山町の不動産屋に行こうと提案して来た。
 出来れば夜を静かに待ちたかったけど、そんな事も言っていられない。僕達はセイバーの提案を呑んで、マウント深山商店街にやって来た。
 
「……無理だな」
「無理だねー」

 やっぱり、駄目だった。新都の不動産屋よりも若干安い気はするけど、僕達にとっては団栗の背比べ。セイバーとライダーも目を皿のようにして物件情報を見ているけど、僕達の所持金以下の値段の物件は見つけられない。
 
「うーん。もう、いっそ作っちゃえばいいんじゃないの?」
「……いえ、ライダー。作るにしても、土地が必要です。そして、土地を手に入れるにも金が掛かる。そもそも、家を一から作る技術など、私達には無い」

 ライダーの投げやりな提案にセイバーが真面目に返答する。
 もう、何回目になるか分からないやり取り。

「なら、地面に穴を掘って、そこで暮らそう!」
「地下ですか……。確か、地下にはライフラインを通す為の空洞がいくつもあると聞きます。中には人が居住出来るだけの空間もあるかもしれない」
「下水道に住むの……?」

 ちょっと乗り気なセイバーに思わず呻き声を上げてしまった。
 背に腹は代えられないにしても、下水道で寝起きするというのは勘弁願いたい。

「あれ?」

 僕が発したのはあくまで呻き声。なら、今の言葉を発したのは……?
 振り返ると、銀色の髪を靡かせ、死神が立っていた。

「……イ、イリヤちゃん」

 全身から冷や汗がダラダラ流れだした。
 こんなに可愛い女の子を前にして、恐怖以外の感情が湧かない……。

「イリヤちゃん?」

 びっくりしたような顔で僕を見つめてくる。クリクリした赤い瞳が実に禍々しい。
 咄嗟の事だったから、つい口が滑ってしまった。昔はイリヤスフィールなんて長々しい名前じゃなくて、普通に主人公である士郎の呼び方を真似て、彼女を称する時はイリヤと口にしていたから……。
 
「……いや、その、イリヤスフィールさん。その……、すみません」

 ビクビクしながら謝ると、イリヤスフィールの目つきがどんどん鋭くなっていく。

「イリヤでいいわよ」

 イリヤスフィールは言った。

「えっと……」
「もう、失礼しちゃう! そんなにビクビクしないでもいいじゃないの! 初対面の時の大胆さはどうしたの!?」
「ご、ごめんなさいー」
「ああもう! 謝れなんて言ってないでしょ!」

 ああ、心臓がバクバクしてきた。これは恋なんて素敵なものじゃない。もっと、恐ろしいナニカだ。

「……とりあえず、落ち着け」

 ポンと頭に手を載せられて、ちょっと落ち着いた。

「何の用だ?」

 士郎が少し怖い声でイリヤに問い掛ける。

「……むぅ」

 そんな士郎にイリヤは可愛く頬を膨らませる。

「な、なんだよ? まさか、ここで戦おうってのか!?」

 士郎の言葉にますますイリヤはほっぺを膨らませる。まるで、風船みたいだ。

「戦うのは夜になってから!」
「じゃ、じゃあ、えっと……、何しに来たんだ?」

 まるで普通の子供のような反応を返され気勢を削がれた士郎は恐る恐るといった様子で尋ねる。
 すると、イリヤは不機嫌そうに言った。。

「会いに来たの」
「え?」
「会いに来たの!」

 漸く、イリヤの言葉がそのままの意味であると呑み込めた士郎は緊張を緩めた。

「えっと……、イリヤだっけ? 会いに来たって、俺達に? どうして?」
「そんな事より、名前」

 士郎の質問に何一つ応えず、イリヤは士郎に詰め寄った。その距離感には待ったを掛けたいけど、怖くて掛けられない。

「え?」
「だから、名前。お兄ちゃん達の名前、わたしだけ知らないのは不公平だもの」
「あ、ああ……えっと、俺は士郎。衛宮士郎っていう」
「ぼ、僕は樹だよ。飯塚樹……」
「ふんふん……、エミヤシロにイイヅカイツキね……」
「いや、待った。俺の方はちょっと違うぞ。その発音だと『笑み社』じゃないか。衛宮が苗字で士郎が名前なんだ。呼びにくいなら士郎ってだけ覚えてくれ」

 士郎はさっきまでの緊張感など何処へ行ってしまったのか、イリヤの鼻先に指を突き付けて自分の名前を訂正した。

「シロウ……、シロウかー。それに、イツキね……」

 イリヤは反芻するように何度も僕達の名前を口にして、ニッコリと微笑んだ。

「シロウとイツキね……。ふーん、思ってたよりカンタンな名前ね。うん、響きも嫌いじゃないし、合格にしておいてあげる」

 僕の名前も彼女の合格基準を満たす事が出来たらしい。良かったー。名前が気に入らないって理由で殺されたら死ぬに死にきれない。
 
「そ、それで、いい加減、こっちの質問にも答えてくれ。お前は一体、何しに来たんだ?」
「……お前じゃない」
「わ、悪い。えっと、イリヤは何をしに来たんだ?」

 イリヤの視線に身震いしながら、士郎は挫けること無く質問を重ねた。
 
「お話しに来たの」
「お話……?」
「ええ、わたし、話したいコトがいっぱいあったんだから」

 とりあえず、機嫌を損ねないように気をつければ、今ここでデッドエンドを迎える事は無さそうだ。迷っている士郎に僕は声を掛けた。

「折角だし、いいと思うよ」

 僕はイリヤを改めて見つめた。彼女を殺そうと思って、実際に色々計画を練ったりもしたけど、一番危険な時期……、即ち、序盤を乗り越えた今なら、おじさんとの最期の約束を守るチャンスが巡ってくるかもしれない。
 おじさんは嫌わないで欲しいとしか言わなかった。だけど、きっと、あの言葉には続きがある。おじさんが生きていたら、僕達にイリヤと仲良くなって欲しいと望んだ筈。

「……僕も話したい事があったよ、イリヤ」
「樹……?」

 士郎は戸惑いながら僕を見つめる。聖杯戦争の事を知られたくなくて、士郎にはイリヤの事を話していなかったから仕方が無い。

「イツキは私の事を知ってたんだね」
「……うん。いつか、会う日が来るって事は分かってたよ」
「ふーん。ますます、話したくなったわ。色々と……」

 一瞬、イリヤの目付きが最初に会った夜のものに変化して、再び元のあどけないものに戻った。

「えっと……、とりあえず近くの公園にでも行くか? ここで固まってると、通行の人の迷惑になる」

 会話に入って来ては居ないけど、ここにはセイバーとライダーも居て、合計五人の人間が集まっている。確かにさっきから通行中の人達の視線が痛い……。

「いいわよ。エスコートしてね、シロウ」

 イリヤは当然のようにシロウに抱き着き、じゃれつくように言った。ちょっとだけ羨ましいけど、さすがに今の僕には無理だ。
 大丈夫。さっきの士郎の反応を見るに告白の返事は割りと期待出来る気がする。オーケーを貰ったら、それから全力で行けばいい。今は無理だけど、今夜は――――、

「マ、マスター、大丈夫? ちょっとヤバい顔してるけど……」

 おっと、思わず涎が出ていた。慌てて顔を引き締め、ライダーに無問題と伝える。
 
 公園に辿り着くと、セイバーとライダーは入り口で待機する事になった。ライダーは話に混ざりたがったけど、セイバーが押し留めた。何だか慣れた手際だ。
 バーサーカーの気配が無く、イリヤ自身に敵意を感じなかったからと許可を出してくれたセイバーには頭が下がる。もしかしたら、彼女にもイリヤに対して思う所があったのかもしれない。歩く道すがら、イリヤが切嗣の娘である事を僕が口にしてから、複雑そうな表情を浮かべていたから。
 士郎もセイバーに負けず劣らず複雑そうな表情を浮かべている。

「……本当にシロウは何も知らなかったんだね」

 寂しそうに呟くイリヤに士郎は頭を下げた。

「すまん。でも……、どうして樹は知ってたんだ?」
「おじさんに聞いてたから」

 僕が言うと、士郎は僅かな息を呑んだ。イリヤの事を秘密にしていた事を怒っているのかも……。

「あ、あのね……、聖杯戦争の事について教えてもらった時に聞いたの! あの、秘密にしていたのは……、士郎に聖杯戦争の事を知って欲しく無くて……、別に悪気があったわけじゃないんだよ?」

 こんな事で夜の返事が絶望方向へ傾いてしまっては堪らない。僕は大慌てでウソを交えた言い訳を並べ立てた。ついでに聖杯戦争の事を知っていた理由もおじさんのおかげという事にしておく。

「……聖杯戦争の事も切嗣に?」
「え? う、うん、そうだよ!」

 何故だろう。士郎の顔が少し強張ったように見えた。だけど、これで聖杯戦争についてどうやって詳しく知ったのかを深く追求されても大丈夫。
 正直、いつ突っ込まれるかとヒヤヒヤしてたんだ。

「……ふーん。切嗣はイツキの事を随分と可愛がっていたのね」

 イリヤが不機嫌そうな声で言った。まずい、妙なデッドエンドフラグを踏んでないといいけど……。

「う、ううん。えっと、おじさんが亡くなる前にその……、僕達の家が焼かれた原因を話してくれたんだよ。その話の流れで僕もいろいろ追求して、色々とその……、聞き出したというか」

 そもそも、あそこに僕の家なんて無かったけどね。

「おじさん。ずっと、イリヤちゃんの事を助けたいと思ってたんだよ」

 何とかイリヤに関するデッドエンドフラグを除去しようと僕はおじさんがイリヤちゃんを助ける為に何度も海外へ出掛け、その度に力及ばず引き返す事になったくだりを説明した。
 士郎とイリヤは黙ったまま聞いている。沈黙が怖い。二人共、顔を伏せて表情を見せてくれない。
 いや、でもイリヤが僕達を襲う理由は父親が自分を見捨てたと思い込んでいるからであって、おじさんがちゃんと助けに行っていた事を話せばきっと……。

「――――冗談じゃないわ!」

 上手く事が運べば……、そんな期待を打ち砕くような怒りの滲んだイリヤの声が公園内に響き渡った。

「……何よ、それ」

 僕に分かった事は一つだけ……。
 どうやら、僕は最悪の一手を選んでしまったみたいだ。
 イリヤの顔はさっきまでと打って変わり、怒りと憎しみに満ちていた。

「イ、イリヤ……ちゃん?」
「今更……ッ、バーサーカー!」

 令呪による強制召喚。
 瞬時に眼前に出現した巨人が僕に向かって斧剣を振るう。
 セイバーとライダーは公園の入り口に居て、僕達の方に向かって駆けて来る。だけど、間に合わない。もう、斧剣は回避不能な所まで迫って来ている。

「――――投影開始!」

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。