第二十五話「ボーイ・ミーツ・ガール Ⅰ」

 僕の胸を触って錯乱状態に陥った挙句、木に頭を打ち据えて気絶してしまった士郎をさっきまで僕が寝ていた布団に寝かせ、僕は悶々とした昂ぶりを鎮めようと頭の中で般若心経を唱え続けた。
 女の子の体になっても性欲は無くならない。むしろ、以前よりも強くなった気さえする。ここが衛宮邸で、他に誰も居ない状況なら簡単に鎮められるけど、ここで下手な真似は出来ない。
 大河さんには初潮が始まった時に散々恥ずかしい姿を晒してしまっているけど、コレは別だろう。

「……それにしても、揉まれるって、あんな感じなんだ」

 ついつい思考が淫らな方向に傾いてしまう。
 自分で触る時とは全く異なる刺激だった。ゾクゾクするような甘い痺れが脳髄を溶かすようだった。思い出しただけで息が荒くなる。
 試しに自分で触れてみるけど、士郎に触れられた時の衝撃的な快感は現れない。

「……士郎は寝てるし、ちょっとだけなら――――」

 布団を少しだけ捲り、士郎の手を取る。大丈夫だ。士郎はグッスリと眠っている。
 そっと持ち上げて、ゴクリと生唾を飲み込む。
 さっきは洋服越しだった。もしも、素肌に直接触れられたら……。

「……って、ダメダメ!」

 大慌てで士郎の手を布団の中に戻し、部屋の隅まで後退る。
 後一歩でとんでもない変態行為に及ぶ所だった。
 落ち着け、僕。落ち着くんだ……、素数を数えるんだ。ブッチ神父も素数を数えて落ち着いていた……。

「そう言えば……、ブッチ神父もだけど……、神父って悪役多いな」

 東京喰種でも神父は悪者だった。普通、神父さんと言えば、落ち着いた物腰の優しい人っていうイメージなのに、どうしてだろう……?
 僕がまだ男だった頃、僕の住んでいた家の近所には小さな教会があって、季節の変わり目になると神父さんが子供達の為に色々な催し事を開催してくれた。ハロウィンやクリスマスは勿論、教会なのに餅つき大会を開催して神父さん自ら大槌を振るっていた。
 
「……みんな、どうしてるんだろう」

 もう、この世界で十年過ごした。元の世界では僕の事なんて完全に忘れ去られているかもしれない。

「……お父さん。……お母さん」

 やばい、感傷に浸り過ぎた。あんまり考えないようにしていたのに、両親の顔が浮かんで涙が出て来た。
 帰れないと分かっている癖に帰りたいという思いが首を擡げてくる。

「――――マスター」

 いつから居たのか、僕の頭をライダーはそっと撫でた。

「大丈夫……?」
「……うん」

 鼻水を啜りながら頷くと、ライダーは僕の頭を包み込むように抱きしめた。

「……大丈夫じゃないだろ。どうしたんだい? 何がそんなに悲しいの? 聞かせてよ。僕達はパートナーだろ?」

 蜂蜜のように甘い声色が耳に心地よい。抱き締められ、頭を撫でられて、僕はいつしか思いの丈を口にしていた。

「……お父さんとお母さんの事を思い出しちゃったの」
「マスターの両親?」
「……うん。もう、会えないって分かってるのに、会いたくなっちゃうの……」

 ライダーは何も言わずに抱く力を強めた。

「……寂しい」

 ライダーは何も言わずに抱き締め続けてくれた。
 ゆっくりと情動が収まり、悲しさや苦しさが薄れてくると、段々照れ臭くなって来た。こんなに可愛い女の子に情けない姿を晒してしまった事が恥ずかしくて仕方が無い。

「……ごめんね、ライダー」
「なにが?」
「その……、情けない事言っちゃって……」
「情けない事は悪い事なの?」
「え?」

 ライダーはそっと離れると、両手で僕の頬を包み込んだ。

「情けなくてもいいじゃないか」

 ニッコリと微笑んで、ライダーは言う。

「かっこ悪くてもいいと思う。ただ、最後に笑顔になれるなら」

 そう言って、ライダーは僕の唇を啄んだ。

「……えっと、ライダーって、そういう趣味?」

 さすがに二度目となると免疫が出来る。僕は無様に狼狽えたりはせず、顔を真っ赤に染め上げるだけに留めて問い掛けた。
 
「趣味って?」
「ぶ、文化の違いって奴なのかもしれないけど、日本だと唇同士のキスは恋人同士でするものなんだよ」
「ふーん。イツキはボクとのキスが嫌なの?」
「い、嫌ってわけじゃないけど……その、僕はえっと……、これでも女の子なわけで……」
「それが?」
「き、君も女の子だろう? お、女の子同士でこういう事をするのは良くない事だと……日本人的には思うわけで……」

 僕の言葉にライダーはキョトンとした表情を浮かべ、それから悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「な、なに?」

 何やら危険な気配を感じ、後退ろうとするけど、背面には壁があった。万事休す。

「マスター。そう言えば、ボクはマスターに言ってなかった事があったよ」
「言ってなかった事……?」
「うん」

 ライダーはまるで獣のように艶かしい仕草で僕の肩を掴み、押し倒した。

「えっと……、ライダー?」
「マスター。ボクの秘密を教えてあげるよ」

 僕の中の警戒レベルが真っ赤になっている。
 何だかよく分からないけど、とてもマズイ展開な気がする。

「お、落ち着いてよ、ライダー! ど、どうしちゃったの!?」
「どうもしてないよ? ただ、マスターとはもっと親密な関係になりたいと思っただけさ」

 そう言って、ライダーは僕の……、上着のボタンを外した。

「ラ、ライダー!?」

 僕が叫び声を上げようとすると、ライダーは唇で僕の口を塞いだ。
 舌が入ってくる。雑誌やネットで見聞きした情報の中でしか知らなかった大人のキスだ。僕の口の中でライダーの舌が暴れ回る。
 頭の奥がジンとして、思考が纏まらない。

「マスター。ボクは今まで一度も自分を女だなんて言った事は無いよ?」
「……え?」

 何を言っているのかサッパリ分からない。だって、ライダーは……、

「マスター」

 ライダーはゆったりとした上着を脱ぎ去り、中に着込んでいたブラウスをたくし上げた。

「……え?」

 そこにはある筈の物が無かった。

「うそ……、だって、そんな……」

 あるのは薄い胸板だけだった。

「なんなら、下の方も確かめてみるかい?」

 そう言って、ライダーは僕の手を取り、そっと自らの下腹部へと導いた。
 そこにはある筈の無い物があった。

「……ラ、ライダー」
「ん?」
「き、君……、男なの?」
「そうだよ。ボクは正真正銘の男だよ」

 開いた口が塞がらない。今まで見て来た女の子達の誰よりも美しく可憐な顔をしている癖に、その下腹部には思わず感心してしまう程の立派なモノがそそり立っているなんて予想外にも程がある。

「あ、あわわ……あわ……」
「うーん、可愛い反応だね、マスター。そういう所、ボクは好きだよ」
「な、何を言って!?」

 やばい、頭の回転が追い付かない。

「マスター」

 ライダーは耳元に囁くように言った。

「叶わない恋なんて諦めて、ボクにしない?」

 ライダーの言葉に僕は言葉を失った。

「ボクなら君の寂しさを埋めてあげられるよ?」
「な、何を言って……」
「だって、シロウは君の好意に気付いていながら応えないどころか、気づいていない振りをしているじゃないか……」
「……何を言って」
「君がシロウに向けている感情は出会ったばかりのボクやセイバーにだって簡単に分かるくらい明確だった。なのに、向けられている張本人が分からないわけが無いだろう?」
「そ、それは……、シロウが鈍いから……」
「あり得ないね」
「……だって、それじゃあ――――」

 士郎が僕の気持ちに気付いている。そんな事、ある筈が無い。
 もしも気付いていて、わざと無視していたのだとしたら……それは、つまり……、

「シロウは君の気持ちに応える気が無いって事だよ」
「……やめて」
「君がどんなに恋い慕っても、彼には決して届かない」
「やめてよ……」
「ねえ……、そんな相手に好意を抱いていても無駄だよ」
「……やめて」
「……マスターはそれでもシロウが好きなの? 応えてくれないのに?」

 心臓が痛いくらい脈打っている。
 士郎は僕の行動の意図に気付いていて、わざと無視しているのかもしれない。
 そう疑った事が無かったわけじゃない。
 だけど、僕には他に士郎を繋ぎ止める方法が思いつかなかった。いつか、正義の味方として、見知らぬ誰かを救いに家を飛び出していく彼を繋ぎ止める方法が……。
 だから、駄目だったのかな? 僕が士郎に好意を寄せている理由はただ、一人になりたくなかったからだ。孤独になりたくなかったから、寂しさから逃げる為に士郎を僕の傍に繋ぎ止めて置きたかっただけで……。

「マスター。ボクならマスターを愛してあげられるよ? 君の寂しさを埋めてあげられる」

 なら、ライダーでもいいんじゃないか? この寂しさを紛らわせる為だけなら、何も士郎じゃなくても……――――、

「――――嫌だ!!」

 気が付くと、僕は泣きながら叫んでいた。
 ただ、寂しさを埋めたいだけの癖に……。
 ライダーの事だって、大好きな癖に……。
 ライダーを士郎の代わりにする事がどうしても嫌だった。
 だって――――、

「ぼ、僕は士郎が好きなの! 他の誰でもいいわけじゃないの! 僕は士郎がいいの! 士郎じゃなきゃ、嫌なの!」

 泣きじゃくりながら、僕は叫んだ。

「愛して貰えなくても?」
「それでも好きなの! 僕は……、士郎と一緒に居たいの! こ、恋人にしてもらえなくても、それでも……、僕は……」

 涙が止まらない。

「……ごめんね、ライダー。僕……、ライダーの事が大好きだよ。でも……、僕は――――」
「……だってさ、シロウ」
「……え?」

 さっきまでの空気がウソのようにライダーは可憐な笑みを浮かべ、背後に視線を投げ掛けた。その先を追うと、士郎が布団から起き上がっていた、

「あんまり怒らないで欲しいなー。君が頑固なのが悪いんだぜー?」

 士郎は鋭い眼差しをライダーに向けた後、深々と溜息を零した。

「頑固って、何の話だよ……」
「分かってる癖にー」
「え? え? え?」

 何やら二人で盛り上がっているみたいだけど、ちょっと待って欲しい。

「士郎、いつから起きてたの!?」
「……ついさっき」
「ボクが押し倒した時くらいからだよねー?」
「……気付いてたのかよ」

 それってとてもマズイ場面じゃ……。

「それより、シロウ」
「な、なんだよ……」
「イツキの気持ちはキチンと伝わったかい?」
「……ああ」

 いきなり急展開過ぎてついていけないんだけど……。
 
「さあさあ、男ならビシッと告白の返事をしてあげるべきだよ!」
「ラ、ライダー!?」

 何を行ってるの君は!?
 今まで気付いてて無視して来たような相手に告白の返事を求めるとか……、返ってくるのは『ノー』以外にあり得ないじゃないか!
 気持ちに気付かない振りをされる事と完膚無きまでに振られる事とじゃ重みが全然違うよ。何て事してくれたんだ!

「……樹」
「は、はいぃぃ!?」

 ああ、終わった。僕の恋は完全に終了のお知らせだよ。
 
「……ちょっと、考えさせてくれ」
「え?」

 予想外の言葉に思考が一瞬止まった。

「ちょっと! 男ならビシッといきなよ! ビシッと!」
「う、ウルサイ! 俺にも心の準備ってものがあるんだ!」

 これは……、もしかして?

「し、士郎……」
「な、なんだ!?」
「えっと……、その……」

 心臓が破裂しそうだ。

「き、期待しててもいいの……?」

 僕の言葉に士郎は目を大きく見開き、それから頭を振った。

「夜にはちゃんと返事をする。だからその……、ちょっとだけ時間をくれ」
「う、うん」

 結局、完膚無きまでに振られるのか、それとも大逆転があるのか……。
 僕の不安を余所に時間は刻々と過ぎていく。夜までにはかなり時間があるけど、恐怖と期待という相反する二つの感情の板挟みにあい、僕は落ち着かない時を過ごした。

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