第二十二話「■■■■■■の夜 Ⅰ」

「ここを出る……?」

 ヒポグリフでの遊覧飛行の翌日、起き抜けにセイバーが拠点を移そうと提案した。

「昨日は二人の回復を優先する為に口を挟みませんでしたが、ここを拠点として使い続ける事には反対です」
「えっと……、どうして?」

 僕が聞くと、セイバーは溜息を零した。

「まず、ここには結界が無い。敵の襲撃に対して、あまりにも無防備過ぎます。それに、聖杯戦争に無関係な人間が多過ぎる。万が一の場合、無駄に犠牲者を増やす事になってしまう。それは貴方達の方針にも反する筈だ」
「なるほど……」

 確かに、よく考えてみると今の状況はとても危険だ。衛宮邸には音を鳴らすだけとは言っても、侵入者を感知して警戒を呼び掛けてくれる結界が張られていた。
 ここにそんな仕掛けは設置されていないし、敵が来た時に大河さん達を人質に取られる可能性が高い。仮に人質にならなかったとしても、戦いに巻き込まれる可能性は限りなく高いだろう。
 士郎も同じ考えに至ったようで、青ざめた表情を浮かべている。

「でも、どこに行くの?」

 ライダーの問いにセイバーは渋い表情を浮かべた。

「問題はそこです。仮に拠点となる場所を見繕う事が出来たとしても、私達には結界を構築する術が無い。敵襲に備える事は勿論、周囲の民間人達の目を欺く事も出来ない」

 僕と士郎の魔術は一点特化型。普通の魔術師にとっては基礎中の基礎でも、僕達はその基礎となる魔術が使えない。
 士郎がFateのアーチャーくらい己を鍛え上げれば、多少は普通の魔術も使えるようになるみたいだけど、短期間にいきなりは無理だ。
 結界が構築出来ない以上、セイバーが懸念してる通り、空き家に忍び込んでも、周囲の人達に通報されて、即刻追い出されてしまう。最悪、逮捕されてしまうかもしれない。アーサー王やアストルフォがお巡りさんに捕まるという前代未聞の大事件を引き起こすわけにもいかないし、何か対策が必要だ。
 
「拠点か……」

 現代の日本において、未成年が新しい家を手に入れる事はほぼ不可能に近い。どんな場所にも行政の手が行き届いているから、よほど魔術による隠匿技術が高くなければ不法侵入者は例外無く御用となる。
 
「短期間の間だけ、アパートかホテルに……って、それじゃあ意味が無いな」

 士郎は溜息を零した。僕達にとって一番現実的な新住居の入手法は安いアパートの一室を借りるか、ホテルに一時泊まる事。だけど、それでは他者に犠牲を強いるという点でここと変わりが無い。
 
「……どうする?」

 僕が聞くと、士郎は困り果てたように首を振った。

「藤ねえ達に迷惑は掛けられない。とにかく、不動産屋に行ってみよう。どこか格安の一軒家があるかもしれない」

 ◇

 お昼過ぎ、僕達は新都に向かった。大型ショッピングモールに到着すると同時に興奮して走り出そうとするライダーをセイバーが羽交い締めにして不動産屋に向かった。
 途中、銀行によってお金を下ろしたけど、壁に貼り出されている物件情報を見た途端、僕達の計画は頓挫した。
 
「高い……」

 士郎はガックリと肩を落とした。冬木市の土地代は都心部に比べれば安い方だけど、学生のバイドで稼いだ小金程度で家一件を買うというのはやはり無謀だった。

「だよねー……」

 もしかしたら、格安の物件があるかもしれない。そんな淡い期待は見事に打ち砕かれてしまった。試しに事故物件でもいいから格安の物件は無いかと聞くと、無いの一点張り。 ガックリと肩を落とす僕達を尻目にセイバーは次なる策を模索し、ライダーは大はしゃぎしながらモール内を走り回っている。

「マスター! こっちにおいでよ! 可愛いよー!」

 可愛いのは君だよ。
 ライダーに手を引っ張られ、僕は若い女の子向けのブティックに連れ込まれた。
 ふんわりと甘い香りに包まれながら、僕はドキドキしながら辺りを見回した。
 基本的に僕はおじさんに買ってもらった服以外は近所にあるマウント深山商店街にある小さな服飾店で購入している。下着も大体ここだ。
 だから、こういうお店には女の子になった今もあまり来た事が無かった。

「見て見て! これ、可愛くない?」

 ライダーが持って来たのは白いアンサンブル。
 僕が返事をするより先にライダーは着替えを始め――――、

「って、ちょっと待って! 着替えはそこの試着室でして!」

 あわやライダーの柔肌が衆目に晒される所だった。
 ここは女の子向けのお店だけど、割りと男性の目もある。彼女に連れて来られ、気まずそうな表情を浮かべている青少年達にライダーのような美少女の肌を見せるわけにはいかない。彼女達の立場が無いじゃないか……。
 何とかライダーを試着室に叩き込み、着替えが終わるのを外で待つ。

「……っていうか、僕は何をしてるんだろう」

 士郎とセイバーは何時まで経っても入って来ない。恐らく、僕達の事を放置して別の不動産屋でも探しに向かったのだろう。

「……ぅぅ、士郎がセイバーに取られちゃうぅ」

 召喚された瞬間の光景が死んでも尚色褪せない鮮烈な記憶として士郎の脳に焼き付いているセイバー。出来れば二人っきりにはしたくない。でも、ライダーを放っておく事も出来ない。
 早く出て来てよ……、ライダー。

「お、待ったせー!」

 ジャーンと試着室のカテーンを開いた先に立っていたのは天使だった。
 白いアンサンブルとライダーが元々身に付けていた青のデニムがとんでもなく相性抜群で、ライダーが美少女から天使へジョブチェンジしてしまった。
 ああ、なんて可愛いんだろう。写真に収めたい。デジカメはどこだ!? お家の瓦礫の下だ……。

「似合うー?」
「とってもキュート!」

 やばい、ちょっと瀕死レベルだった僕の中の雄が首を擡げ始めた。

「ラ、ライダー。こ、これとかどうかな? 着てみない?」

 ついつい、もっと見てみたくなった。
 僕の好み全開のコーディネイトを持って来ると、ライダーは気前よくオーケーを出して、試着室に消え、すぐさま僕の理想通りの姿で現れてくれる。
 バルーンスカートにモモンガ袖のトップス。スカーフもバッチリ決めて、店内の女の子達――店員さん含め――のプライドを粉砕した。
 
「ライダー。次、これ!」
「オーケー! マスターってば、センスバッチリじゃん!」

 両手でグーサインをしながら試着室へ消えるライダー。次はどれにしようか……。

「……おい」

 気が付くと、僕達はそこで三時間もファッションショーを続けていた。
 いつの間にか入って来たらしい士郎が思いっきり白い目を僕達に向けてくる。
 ちなみに途中から僕もライダーのコーディネイトした服に着替え、交代交代でファッションショーをしていたから、今も値札付きのロングブラウスを着ている。

『マスターにもボクが選んであげるよ!』

 そんな事を言われたら断れないじゃないか!

「えっと……、僕、可愛い?」

 えへへ、と誤魔化し笑いを浮かべると、士郎は大袈裟なくらい大きな溜息を吐いた。

「それ、気に入ったのか?」
「う、うん。ライダーが選ぶ服はどれも可愛い上に着心地もいいんだ!」
「マスターのセンスも抜群だよ! どうどう? ボクも可愛い?」
「あー、はいはい。二人共、可愛い可愛い。気に入ったなら会計するから着替えてくれ」

 物凄くテキトウな感じだけど、士郎に可愛いと言われると満更な気分でも無かった。

「……って、これ結構高いからなー。さすがに三時間も試着室占拠して何も買わないってのもアレだし、ライダーの分だけにするよ。士郎達は外で待ってて!」
「いや、両方俺が買うよ」
「え?」

 一瞬、頭の中がハテナマークで埋め尽くされた。

「い、いいよ! 僕、自分のお金で買うから!」

 これでも一応、僕もアルバイトをしている。料理の腕を上げる為に大河さんの知人が経営している小さなレストランの厨房で週に数回だけだけど働かせてもらっている。
 個人経営の上、半ば道楽として経営しているお店だからとシフトはかなり融通を効かせて貰えている上に給金も中々のもの。まあ、それでも散財出来る程の余裕は無いけど、ライダーの今着ている服だけなら買ってもそこまで痛手にはならない。

「遠慮するな。樹が何かを欲しがる事なんて滅多に無いし……。不動産屋も全部回ってみたけど完全に空振りだった。なら、偶には妹分の為に散財するのも悪くない」

 妹分という言葉がグサリと突き刺さった。悪気は無いのだろうけど、中々の精神ダメージを与えてくれるじゃないか……。

「……やっぱりいいよ。僕が買う」
「いや、だから遠慮するなって――――」
「遠慮なんてしてない!」

 思わず声が大きくなってしまったけど、そんなの気にせずに僕はさっさと試着室に入って行った。ちょっと、涙が出そうになったからだ。
 
「マスター」

 零れそうになった涙を拭っていると、ライダーが潜り込んできた。

「ラ、ライダー?」
「大丈夫?」
「な、何が?」
「泣いてる」

 拭った筈なのに目尻に新たな水滴が生まれていた。なんて厄介なんだろう。ちょっと心が揺れたくらいで泣くなんてまったく男らしくない。

「ふむ、ここはボクが人肌脱ぐとしよう」
「え?」

 気が付くと、唇に柔らかい感触が――――、

「!?」

 僕は何故かライダーにキスをされていた。人生初のキス。即ち、ファーストキス。
 あまりの事にズキューンという効果音が脳内で再生された。ど、泥水はどこだ!?

「元気出た?」
「な、何をするだぁぁぁ!」

 ファーストキスは肝心な時の為に取っておきたかったのにー!
 割りと本気でライダーの頭を殴るけど、運動音痴な僕のパンチは英霊であるライダーにとってピコピコハンマー以下の威力。つまり、全然へっちゃら。

「アハ、ちゃーんと元気が出たみたいだね! 善き哉、善き哉!」
「全然良くないよ! 可愛くても許されない事があるよ!」
「えー、もしかして、ボク怒られてる?」

 人差し指を顎に当て、小首をかしげてトボけた事を言うライダー。だけど、あまりにも可愛い仕草に怒りがどんどん鎮火していく。なんという卑劣な……。
 可愛いは正義という言葉を聞いた事があるけど、あれは本当だ。可愛いと、どんなに怒っていても許したくなっちゃう。

「可愛いなー、もう!」
「えへへー、マスターもとってもキュートだぜ?」

 キリッとした表情で言われ、思わずドキッとしてしまう。

「……二人共、遊んでいないでそろそろ出て来て下さい」

 わいわいがやがやと騒いでいると、カーテンの外からセイバーの凍えるような冷たい声が響いた。

「は、はーい」

 二人揃って冷や汗を流しながら返事を返し、急いで着替える。今は同性かつ、ファーストキスの相手とはいえ、女の子の下着姿を見るのは気が引ける。僕はそっぽを向きながら着替えた。

「まったく、騒ぎ過ぎです。私が注意されてしまったではありませんか!」

 試着室を出ると、セイバーがご立腹だった。どうやら、僕達のせいで怒られてしまったらしい。
 アーサー王を叱責するというある意味凄い事をしでかした店員さんはレジで僕達を睨んでいる。ちょっと、騒ぎ過ぎちゃったな……。

「と、とりあえず会計を済ましてくるね……」
「会計ならもう済んでいますよ」
「え?」

 セイバーの言葉に僕は目を丸くした。

「な、なんで?」
「士郎が店の者に二人が着ていた服の値段を聞き、先にお金を置いて出て行きました。あそこの片桐という女性に服を渡して下さい。包装してくれるそうです」
「で、でも……」
「士郎は飲み物を買って来るそうです。文句は合流した時にしましょう。コレ以上長居をしては店側に迷惑です」

 過去の英霊に至極真っ当な正論を突き付けられ、僕は反論出来ずに試着していた服を店員さんに包んでもらった。勿論、ライダーの分も一緒だ。
 店を出てしばらく歩くと、大型のテレビが置かれた休憩コーナーに士郎が居た。ベンチに座り込み、ジュースを握りしめている。

「し、士郎! 僕、自分で買うって言ったのに!」

 お礼を言うより先に文句が口から飛び出した。
 こんな事を言ったら余計に士郎の中で僕の印象が困った妹分で固定されてしまうかもしれないのに、何て馬鹿なんだ……。

「……いつまで経っても出て来ないからだ。それより、さっさと深山町の方に戻ろう。あっちの商店街にも一件、不動産屋があった筈だ。駄目元で見に行ってみよう」
「あっ……」

 士郎の反応の思わぬ冷たさに息苦しさを感じた。
 士郎は基本的に優しい。大抵の事は微笑って流してくれる。だから、今まで喧嘩もした事が無かった。
 こんな風にツンケンした態度を取る士郎は初めて見た。

「し、士郎……」

 足元が崩れ落ちていくような錯覚を覚えた。
 やばい、これはまずい。泣きそうだ。ただでさえ、自分でもちょっとメンヘラって奴なんじゃないかと思ってるのに、こんな場所で泣き叫んだりしたらそれこそ致命的だ。
 視界がグラグラと歪んでいく。

「マ、マスター!?」

 遠くでライダーが叫ぶ声が聞こえる。
 視界が暗転し、僕の意識は途切れた――――……。

 ◆

 これは夢だ。明晰夢というものなのだろう。瞼を開いた時、僕は今この瞬間が夢なのだと直ぐに分かった。
 地平線まで伸びる荒野。遠くには炎の柱が見える。天高く燃え上がる炎の周りでは多くの人々が踊っている。

「これは……」

 炎に身を焼かれている人が居る。 
 頭を持たない人が居る。
 下半身がプレスされたように薄っぺらい人が居る。
 全身に木が突き刺さっている人が居る。

「……ぁぁ」

 子供が居る。
 老人が居る。
 男が居る。
 女が居る。
 彼らは皆、死んでいる。
 死にながら、踊っている。

「嫌だ……」

 この世界は嫌だ。
 醒めろ……。
 夢なら早く醒めろ。
 こんな場所に居たくない。
 こんな光景を見たくない。

『――――主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった』

 僕は……だって――――、

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