第三十六話「■ル■■■スの夜 Ⅱ」

 ここ数日の間、毎日同じ夢を見る。そして、その度に炎の柱が大きくなっていく。
 相変わらず、名乗ってくれないおじさんの傍らで僕は死者達の踊りを眺め続けている。おじさんはいつも意味深な事を言うだけで、具体的な事ははぐらかすから、話し掛ける事が億劫になって来て、最近は無言で隣に座り続け、目覚めの時を待っている。
 僕は踊っている死者達に勝手に名前をつけながら過ごしている。例えば、あそこにいるどこか士郎に似た顔の男の人はシゲル。刈り上げ頭の男の子はユキヤ。メガネの子はタイチ。
 シゲルはいっつも同じ女の人と一緒に踊っている。士郎と同じ赤銅色の髪の毛が特徴的な女性。もしかしたら、奥さんかもしれない。とりあえず、ハルカと名づけておこう。

「……イツキ」

 しばらくボーっとしていると、おじさんが話し掛けて来た。珍しい。僕から声を掛ける事はあっても、おじさんの方から声を掛けられたのは初めてかもしれない。

「なーに?」
「君にはこの世界がどう見える?」
「この世界って……、ここの事?」

 変な質問だ。

「どうって……、うーん」

 難しい。変な世界だと思うし、怖い世界だとも思う、けど、同時に暖かみもある。いや、後ろで轟々と炎の柱が聳えているからじゃなくて、心情的な意味でね。
 
「……寂しさとは無縁な世界かな」
「ほう……」
「初めは凄く怖かったよ? だけど、ここにずっと居ると、一人じゃないって気分になるの」
「そうか……、それは良かったな」

 そう、ここには孤独が無い。誰もが争う事無く愉しそうに踊り、笑顔を浮かべている。

 事故によって死んだ人も―ー――、

 病によって死んだ人も―ー――、

 見知らぬ誰かに殺された人も―ー――、

 見知った誰かに殺された人も―ー――、

 失意によって自殺した人も―ー――、

 愛の為に自殺した人も―ー――、

 例え、その人が悪人だったとしても、ここは暖かく迎え入れる。
 ここは現世と冥界の境界面。奇跡に至る第五の門。刹那にして、永久なる円環。
 死者の幸福によって満たされた理想郷。
 
「もしも、皆をここに連れて来る事が出来たら、永遠に一緒に居られる。それはきっと、とても幸せな事だと思う」

 ◆◇◆

 実につまらない。期待はずれもいい所だ。火種は無数にあった。なのに、全てが無味乾燥なものに転じてしまった。未だ、一番の火種は燻ったままだが、このままでは、それもつまらぬ結末を迎える事だろう。
 ならば、この辺で終わりにしよう。ぬるま湯の如き日々に終わりを告げる時が来た。

「ギルガメッシュよ」
「腹の内は決まった、というわけか? 綺礼よ」
「ああ、終わりにしよう。そして、今度こそ、答えを得るのだ」
「……ふふ、自らに背負わされた業。その意味、正当性、価値。それは望み通りのモノとは限らぬ。それでも、お前は求め続けるのだな?」
「無論だ」
「ならば、是非も無い。存分に求めるが良い」

 ギルガメッシュは高らかに嗤う。

「誰が何と言おうと、貴様は人間だ。恐らく、この世の誰よりも純粋な男だ。故に我はお前に手を貸そう。王として、英雄として、先も見通せぬ暗黒を歩む愚か者の行末を見届けてやろう」
「……さて、私の求道は果たして、英雄王の暇を満たす事が出来るかな」
「期待しているぞ、綺礼」

 ギルガメッシュは哄笑しながら月夜の下へ歩んでいく。
 さあ、穏やかな幕間は終了だ。これより、聖杯戦争は終幕に向けて動き出す。
 我が手によって……。

「ふふ……ふははは……はっはははははははははははは!」

 今こそ、再誕の時だ。
 さあ、私に答えを教えてくれ、『この世全ての悪』よ。

 ◆

 非常に不味い事態だ。せめて、もう少し時間があれば、他陣営のそれぞれの行動方針を探る事も出来たのだが、マスターと契約した後、神殿の構築やマスターの体内の浄化、ランサー陣営の監視などに忙殺され、後回しにしてしまった。
 まさか、間桐慎二を含めた他のマスター全員が同盟を結ぶとは予想していなかった。如何にランサーを手駒に加えたとは言え、近接戦闘に優れたセイバーとアヴェンジャー、遠距離攻撃に長けたアーチャー、そして、圧倒的な機動力を持つライダーに同時に攻められては打つ手が無い。
 あの時、マスターの方針に逆らうことになろうと、間桐慎二とアヴェンジャーを殺すべきだった。
 マスターの体内を浄化した際、体内から聖杯の欠片を取り出す事が出来、後は願いを叶える為に必要な分の魔力――――即ち、サーヴァントの魂を注ぐだけだと言うのに、このままでは己の魂が真っ先に注がれてしまう。
 折角構築した神殿も手放す事となり、もはや形振り構っている場合では無い。

「……こうなって来ると、嫌厭して来たセイバーやライダーのマスターが逆に狙い目かもしれないわね」

 他陣営と手を組んだ事で今までよりも自らのマスターの保身に対する警戒心が弱まっている可能性が高い。
 何れにしても、このままではジリ貧だ。恐らく、新たに神殿を構築しようとしても、あのアヴェンジャーに感づかれてしまうだろう。英霊にまで昇華されたホムンクルス。その魔力に対する感知能力は侮れない。
 
「危うい橋を渡る事になるわね……」

 私は傍らで眠る主の体をそっと揺らした。

「……ん。あれ……? 私は……」
「マスター」
「……キャスター?」

 寝惚けているマスターに私はクスリと微笑んだ。
 可愛らしい娘だ。数日、共に過ごして、彼女について分かった事がある。
 この娘は異常な環境下に長く身を起き過ぎた。二次性徴が始まる前に純潔を蟲に貪られ、十年以上も肉体的、精神的、そして、性的に拷問を受け続けて来た。その為に彼女は自らを守るため、心に硬い鎧を纏わせた。その鎧があまりにも硬過ぎて、自分と他者の間に途方も無い距離感を感じてしまっている。
 だから、他者の感情と自身の感情の間に食い違いを感じてしまっている。
 初めて会った時、彼女は言った。

『私は兄さんの死の瞬間に立ち会いたい。その時、私は私が人間なのか、そうじゃないのかが分かると思うんです。ちゃんと、兄さんの死を悲しめたら……その時はきっと!』

 彼女は兄に抱く自らの思いを知り合いの兄妹の関係の真似事をしているだけなのかもしれないと疑っている。だから、そんな世迷い言を口にした。
 その時は馬鹿な娘だと思った。例え、兄の死の瞬間に立ち会い、その死を悲しめたとしても、その瞬間に彼女は人では無くなる。自らの存在証明という下らぬ事の為に自らの兄が死ぬ所を傍観していたという罪の意識に耐えられる程、彼女は強くなど無い。
 そんな事も分からぬ状態の彼女を私は『壊れている』と評した。
 だけど、それは違った。彼女は言ってみれば幼子のままなのだ。純潔を蟲に貪られた頃のまま、彼女は前進する事が出来ないまま今に至ったのだ。
 未熟な心は『自信』というものを持てずに居る。自らが抱く『自我』を肯定出来ずに居る。
 もしも、彼女の周りに彼女の心の鎧を打ち砕く程の存在が居たなら、きっと、己は今の彼女とは違う彼女と出会えていた事だろう。だけど、彼女の心の鎧は今に至るまで硬く彼女の心を守り続けている。

「キャスター……?」

 私はマスターの……、サクラの頭を優しく撫でた。己に彼女の心の鎧を力づくで打ち砕く事など出来ない。だけど、切っ掛けを……、楔を打つ事くらいは出来るかもしれない。
 こんなの……、己と同じように自らの手に負えない『力』によって人生を弄ばれた彼女に同情しているだけなのかもしれない。嘗て、殺してしまった我が子に対する贖罪の情が働いただけなのかもしれない。
 彼女の為にそのくらいはしてあげたいと思った。

「マスター。貴女は他の人間達と何も変わらないわ」

 今は信じられなくてもいい。

「貴女の感情は偽物なんかじゃない」

 今は魔女の戯言だと聞き流してもいい。

「サクラ。貴女は紛れも無い人間よ。れっきとした、感情を持っている人間なの」
「キャスター……?」
「聞いて、サクラ。貴女は人間。ただ、まだ心が未熟なだけなの。貴女はもう自由。だから、これからたくさんの経験を積み、心を成長させなさい」
「……どうして、急にそんな事を言い出すの?」

 サクラの瞳が揺れる。

「兄の死を見届ける。それも解答を得る為の一つの手段かもしれない。だけど、そんな事をしなくても、時が経てば、自然と解答を得られる筈よ」

 一方的に話すだけ話して、私はサクラの意識を奪った。
 これで、思い残す事は無い。

「……さて、行きますか」

 平穏な日々を過ごしたいと思った。
 誰かに操られたりせず、思うままに生きたいと思った。
 その為に聖杯が欲しかった。
 今もその気持ちは変わらない。
 だから、やるだけの事はやる。あらゆる手段を行使して、聖杯を手に入れてみせる。
 だけど、恐らく勝算は低い。
 それでも、もしも、彼女の下に戻れたなら……。
 聖杯を手に入れ、二度目の生を手に入れる事が出来たなら、彼女の心の成長を隣で見守りたい。この傷つけられ、硬い鎧に身を隠した心がどうなっていくのかを見てみたい。

「……行ってくるわね、マスター」

第三十六話「■ル■■■スの夜 Ⅱ」」への2件のフィードバック

    • 感想ありがとうございます・w・ンシ
      士郎は樹に返事が出来るのでしょうか……、最終回をお楽しみくださいませ(∩´∀`)∩

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。