第十八話「……なにこれ」

 夜が更けていく――――。
 バゼットは明日の戦いに備え、準備があるからと言って、一度拠点に戻って行った。衛宮邸に残った士郎、凜、イリヤの三人は食卓を囲いながら意見を交わしている。

「――――してやられたって感じね」

 凜が苛立った様子で呟く。イリヤは同感だとばかりに頷いた。

「どういう事だ?」

 一人、現状を理解し切れていない士郎が問う。
 そんな彼に凜は肩を竦めて答える。

「恐らく、彼女は機会を見計らっていた……。私達が彼女の提案を絶対に拒否出来ない状況を待っていたのよ。でなきゃ、あんなにタイミング良く、加勢に入る事なんて出来ないわ」
「な、なんでそんな事……」

 困惑する士郎にイリヤが答える。

「サーヴァントを失った私達は彼女の武力に対抗する手段が無い。つまり、彼女の提示する如何なる提案にも頷く以外の選択肢が無い状況なのよ。交渉の余地すら相手に与えず、自らの手駒とする。実に効率的だわ」
「でも、バゼットの提案は別に――――」

 拒否するようなものでも無いだろ? そう言い掛けた士郎に凜が首を振る。

「問題は今後の事よ……。彼女は私達にサーヴァントを取り戻させた後もこの状態を維持しようとする筈。その際に、あの証文がネックになる」
「どういう事だ……?」
「聖杯の解体に全面的に協力するって言う事はつまり、聖杯の解体に託ければ、彼女は私達にある程度“行動の強制”を行う事が出来るのよ」

 凜の言葉にイリヤが舌を打つ。

「……やり方が一々卑怯なのよ、あの女。あの証文にサインをしないという事は“魔術協会に叛意を示す”事と同義だもの」

 悔しそうに呟くイリヤ。

「バゼットは協会が“聖杯戦争、並びに聖杯の調査”を命じたマスター。彼女が“聖杯に異常あり”と認め、その“異常の解決”を求めて接触して来た場合、それは単なるマスター同士の会合では済まないのよ」

 未だに分かっていない様子の士郎に凜が細やかな解説を行う。

「彼女のバックには協会が存在する。彼女の指示に従わない場合、その者は協会の意に反する者として罰責が下る。回避するには彼女の言いなりになるか、彼女を殺して口封じをするしかない」
「だけど、私達に彼女の口を封じる手立てが無い……」

 士郎も徐々に事態を呑み込み始めた。彼は単にバゼットの提案には従うに足る理があると判断して証文にサインしたが、裏では白熱した戦いがあったのだ。
 
「とにかく、セイバーとアーチャーを取り戻した後の事を考えなきゃ……」
「あの女はランサーにシロウを監視させていた。つまり、シロウの魔術の特異性も知っている筈。手を拱いていたら、最悪な展開になる」

 イリヤの顔に怒りが滲む。

「シロウを使い潰した挙句、ホルマリン漬けにしようとでも考えてるんでしょうけど、そうはいかないわ……。必ず、隙を見つけて始末してやる」
「お、おい……、そんな物騒な――――」
「生憎だけど、私もイリヤスフィールと同意見。士郎もホルマリン漬けになんてなりたくないでしょ? 利用するだけ利用して、用が済んだら、あの女を確実に殺す。まあ、こっちの考えなんて、向こうもお見通しでしょうけど……」

 士郎はすっかり取り残された気分だった。女性陣三人の考え方が殺伐とし過ぎている。
 自分が暢気過ぎるのかもしれないが、双方共に相手を利用する気満々だ。

「えっと……。バゼットもそんなに話の通じない人じゃないっぽいし……、話し合いの場を設けて――――」
「ダメよ、シロウ」

 イリヤはまるで駄々を捏ねる弟をあやす姉のように甘い声で言った。

「執行者なんて職に就いている時点で、あの女は人としても、魔術師としても異端なの。話しが通じると思うなんて、勘違いよ」
「覚えて置きなさい、士郎。魔術協会において、執行者って存在は悪霊ガザミィや封印指定に次いで厄介事として扱われているのよ。本来なら、絶対に関わるべきじゃない相手なの」
「別にシロウに手を下させるつもりなんて無いから安心しなさい。あの女は私とリンで殺すから」

 畳み掛けるように言う二人に士郎の反論は封殺された。
 何とか、物騒な真似をしないように宥めようとするが、二人は彼を完全に蚊帳の外に追い出した。
 やむなく、士郎は心を落ち着ける為に一人、道場に向った。

 道場に辿り着くと、思い出すのはセイバーとの立ち合いだった。二人で強くなろうと誓い合い、切磋琢磨したあの時間、凄く楽しくて、充実していた。
 セイバーを助けたい。凜やイリヤには申し訳無いが、それが叶うならバゼットが何を企んでいようと、士郎にとってはどうでも良かった。

「セイバー……」

 セイバーとの立ち合いの際にいつも使用していた木刀を手に取る。

「……絶対に助けるからな」

 彼の姿をイメージし、木刀を振るう。共に切磋琢磨した時間を思い出し、決意を固める。
 この一分一秒の間に強くなる。キャスターの手から取り戻し、今度こそ――――、

「――――ッハ、随分と動きが良くなったもんだな、小僧」

 木刀に何かが当たった。聞き覚えのある声に瞼を開く。

「ラ、ランサー……? バゼットと一緒に出て行ったんじゃ……」
「生憎、今は別行動だ。バゼットからはこの屋敷を守るように命じられている。結界が解けて、無防備な状態だからな」
「い、いいのかよ!? バゼットは一人で外を出歩いてるって事じゃないか!!」

 詰め寄ってくる士郎にランサーは笑みを浮かべた。

「心配は無用だ。アイツは強い。並の英霊相手なら、俺が居なくても、単独で勝利出来る程の逸材だ」
「……まさか」
「いや、これがマジなんだわ。ぶっちゃけ、嬢ちゃん達が何を企んでようと、アイツには無意味だ。下手な策を弄しても、力ずくで粉砕されるのがオチってもんよ」
「……聞いてたのか」
「あの程度の結界、俺には無いも同然だ。これでも、少々魔術を嗜んでいる身なんでな」

 ニヤリと笑みを浮かべるランサーに士郎は警戒心を顕にした。

「そう、構えるなって――――。それより、稽古には相手が居た方がいいなじゃねーか?」
「ランサー……?」

 ランサーは手近な所にある木刀を手に取り、片手で振り回した。

「槍には劣るが、剣にも覚えがある。――――構えな。いっちょ、アレから七日か……? どのくらい腕を上げたか見てやるよ」

 挑発的な視線を向けて来るランサーに士郎は黙って構えた。
 願っても無い事だ。これまで、士郎はセイバー以外と切り結んだ経験が無い。ライダーとの一戦も殆ど不意打ち同然で、サーヴァントとまともに打ち合った事が無かったのだ。
 本物と戦える。それはセイバーを助ける為の大きな助けとなる筈だ。

「――――いい感じだ。あの時も思ったが、お前は長じればいっぱしの戦士になれるぜ」
「別に戦士になりたいわけじゃない。俺は……、セイバーを助けたいんだ」
「ッハ! 惚れた女を助ける為に戦うんだろ? それを戦士と言わずに、何と呼ぶ!」

 ランサーが動く。士郎はカッと目を見開き、両手に構えた双剣にアーチャーの剣技のイメージを乗せる。
 槍の英霊の癖に、ランサーの剣技はセイバーとは比べ物にならない激しさと卓越さを有していた。アーチャーの剣技をもってしても、防ぎきる事が叶わず、士郎の体が弾き飛ばされる。

「――――ックァ」

 激痛に表情を歪める士郎。

「悪く無いが、経験不足だな。その剣技はアーチャーのものだろう? 模倣するのはいいが、奴の剣技は奴の弛まぬ鍛錬の成果だ。如何にお前さんに適した剣技でも、中身が無ければ単なるハリボテだ」
「……そんなの、分かってる! だけど、俺には今直ぐに力が要るんだ! 時間が無いんだ! だから、中身を満たさせてもらう。経験させてもらうぞ、ランサー!!」
「……いいぜ、小僧。いや、シロウって言ったか? 惚れた女を救いたきゃ、全力で力を蓄えろ! 付き合ってやるから、死ぬ気で挑んで来い!」
「――――ああ、ありがとうな、ランサー!」

 士郎は木刀を捨てた。その意図を悟り、ランサーは笑みを深め、自らも木刀を捨てる。取り出したるは真紅の魔槍。

「――――投影開始」

 対して、士郎が取り出したるは白と黒の陰陽剣。木刀など、幾ら振るっても死線を経験する事など不可能。真の戦いを経験する事など不可能。
 自らの意思に応えてくれたランサーに士郎は改めて感謝の言葉を告げ、彼に挑む。
 双剣に蓄えられた、担い手の経験を読み取りながら、幾度も敗北し、傷を作りながら挑み続ける。
 それは異常な光景だった。翌日に本番が控えているというのに、士郎はまるで、今、この稽古の間に死のうとでもしているかのようだった。
 踏み込めば死ぬと分かっている一線に踏み込み、逃げねば殺される一瞬に留まる事を選ぶ。そして、その度に絶体絶命の窮地を打破する方法を模索し、手に入れる。
 幻想に綻びが生じ、双剣が砕ける事、十数回。壁に叩きつけられる事、十数回。床に倒される事、数十回。
 それでも尚、挑みかかる士郎にランサーは喜悦の笑みを浮かべる。
 
「――――本当に面白い奴だな、お前」

 深夜まで続けられた攻防が一段落し、倒れ伏す士郎に治癒の魔術を施しながらランサーは呟く。

「バゼットは別の意味でお前さんを注視していたが、ある意味で正解だったな」
「……どういう事だ?」

 首を傾げる士郎にランサーは言う。

「――――バゼットは最初に俺がお前さんと遭遇した時よりずっと前からお前さんを危険視していた」
「な、なんで……」

 目を剥く士郎にランサーは語る。

「お前さんの親父……、衛宮切嗣つったか? そいつの名が結構裏の世界じゃ有名だったらしい」
「親父が……?」
「やっぱ、知らなかったらしいな。何でも、魔術師殺しって異名を持つ、凄腕の暗殺者だったらしい。その息子だってんだから、警戒するのは当然ってもんだ」

 ランサーの言葉に士郎は戸惑いを隠せずにいる。

「親父が……、暗殺者?」
「バゼットから聞いた話によると、かなりえげつない真似も平気でこなしたそうだ。とにかく、奴に狙われて生き残った魔術師は居ないって話だぜ。だからこそ、あの夜、バゼットは戦いを目撃したお前さんを俺に追わせ、殺させた」

 ランサーの言葉に心臓が大きく跳ねた。
 そう、己は目の前の男に一度……、いや、二度殺されかけた。内、一度は本当に殺された。
 今、生きているのは凜が助けてくれたからに他ならない。彼女が居なければ、自分はここに居なかった。
 
「元々、バゼットの目的は聖杯戦争の調査だった。だから、とりあえず全ての陣営のサーヴァントとマスターの力量を測ろうと巡回してたんだが、最大の危険因子の出現に焦ったみたいだ。なんせ、衛宮切嗣は前回の聖杯戦争の勝者でもあるからな」

 それは最初にセイバーから聞かされた事だった。アインツベルンが外来から招き入れた魔術師。それが士郎の父、衛宮切嗣。
 彼は前回の聖杯戦争でアーサー王を召喚し、優勝に漕ぎ付けた。けれど、そこで厄介な奴とやらに遭遇し、あの大惨事が起きた。

「前回の聖杯戦争の記録によれば、衛宮切嗣はホテルを一棟爆破したり、人質を取ったりとやりたい放題だったらしい。神秘の秘匿もそこまで徹底していなかったそうだからな。本人はとうの昔に死んだらしいが、息子が聖杯戦争に関わって来るなら確実に消すつもりだったそうだ」

 ランサーの言葉に士郎は言葉が出なかった。切嗣の為した所業に対しての驚きと息子と言うだけで殺そうとしたバゼットの理不尽さに頭の中は真っ白になっている。

「まあ、実際のとこ、お前さんと衛宮切嗣の在り方は全く異なる。その点は俺からの報告を聞いて、バゼット自身が語った事だ。だからこそ、お前さんを信頼出来るとした俺の判断をアイツも信じた」

 けど、とランサーは嗤った。

「やっぱ、お前さんはヤベーな。バゼットも英雄になる資質を備えてるが、お前はアイツ以上だ。才能は無いが、その在り方はもはや人間じゃねーよ。ある意味、既に英雄として出来上がっていると言っても良いだろう」
「えっと……」

 当惑する士郎にランサーは言った。

「嬢ちゃん達が何をしようが、バゼットは歯牙にも掛けないだろう。だが、お前さんがアイツに牙を剥いたら、ちょっとヤバイかもな」
「俺は別に……、バゼットが何を考えてようが、牙を剥くつもりなんて無いぞ。聖杯の解体には賛成だし……」
「いざ、セイバーがバゼットの指示で危険に晒されるようになっても、同じ事が言えるか?」

 その問いに士郎は直ぐに返答が出来なかった。

「それに、聖杯を解体したら、セイバーは消えるしか無いんだぜ?」

 畳み掛けるような言葉に士郎の表情が歪む。

「お前さんの望みはセイバーを存命させる事だ。その為には聖杯が必要なんじゃないのか?」
「……聖杯は穢れているんだ。マキリのセイバーみたいにする気は無い」
「だが、他に方法が無い以上、いつまでもそんな悠長な事を言っていられるのか?」

 士郎は唇を噛み締めた。
 ランサーの問いはいずれ、士郎に訪れる試練だった。
 セイバーを存命させる。それが士郎の願いだ。だが、その為には聖杯が必要であり、その聖杯を使うという事は――――、

「……俺は聖杯なんて使わない」

 淡々と呟く士郎にランサーは目を細める。

「セイバーの存命を諦めるって事か?」
「そうじゃない……。他の方法を探るだけだ。俺はただ、セイバーを存命させたいわけじゃない」
「あん?」
「俺は――――」

 士郎は眉を潜めるランサーに言い放った。

「セイバーを幸せにしたいんだ!」

 その言葉にランサーは目を見開いた。
 まるで、時間が止まったかのような奇妙な一瞬が過ぎ去った。
 心底虚を突かれたような表情で絶句し――――、

「ッハ! 言うじゃねーか、シロウ! ああ、そうだな! 幸せにしたいなら、穢れた聖杯なんか使えねーよな! 道理だわ!」

 そして、大いに笑った。ゲラゲラとその瞳には涙すら滲んでいる。大爆笑というやつだった。

「な、なんだよ。笑われるような事を言ったつもりは無いぞ」

 ムッとする士郎にランサーは至極真面目そうな顔を取り繕った。

「いやいや、見直したぞ。お前、マジでセイバーにゾッコンなんだな。そこまで言うとは、いや、御見逸れしたぜ」
「……いや、待て! ちょっと、待て! お前、何か勘違いしてないか!?」
「いやいやー、勘違いなんかしてねーよ。いいんじゃねーの? 結婚して、幸せにしてやれよ!」

 爽やかな笑みを浮べ、サムズアップするランサーに士郎は目を剥いた。

「違う! 間違ってるぞ、ランサー! 言っておくけどな、セイバーは女の子の姿をしてるけど、中身は――――」
「ああ、知ってるぜ。男なんだろ?」
「……いや、知ってるならおかしいだろ、その発言!」
「いや、別に野郎同士でってのも、俺の居た時代じゃ珍しくなかったしな。まあ、俺は女の方が好みだが」
「いや、アンタの時代はそうだったかもしれないけど、現代は違うんだよ!!」
「って言っても、お前さん見てると、どう考えても惚れてるとしか――――」
「ち、ちがっ、そんな筈――――」

 否定しようと声を荒げて、何故かセイバーと一緒にお風呂で話をした時の事を思い出し、赤面した。

「ハッハッハ! やっぱりそうなんじゃねーか」
「ち、違うって言ってるだろ!」
「いやしかし、お前も大変だな。中身が男だと、落とすのも手間が掛かるかもしれんぞ。つっても、あんだけ甲斐甲斐しい性格してるなら、頼めば一発ヤラせて――――」
「ぶっ殺すぞ、お前!!」
「おいおい、正義の味方目指してんだろ? ぶっ殺すって言葉は使っちゃいけねーと思うぜー?」
「うるさい! とにかく、この話はもう終わりだ!!」

 真っ赤になってガーッと怒鳴る士郎にランサーは笑い転げ、尚も士郎に茶々を入れる。
 途中、騒ぎに気付いた凜とイリヤが様子を見に来ると、干将・莫耶を手に見た事のない程の殺気を迸らせてランサーを追う士郎と笑いながら彼を煽り続けるランサーの姿があった。
 良からぬ事態が発生したのかと思い、駆けつけた二人は唖然としながらその光景を見つめるのだった。

「……なにこれ」

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